第55話 「夜の空を知る者」
本日は2話投稿してます。54話未読の方はご注意ください
カラスは、アクルに三日間だけ滞在した。
その間、ホニーは案内役として、島の各所を共に巡ることになった。
瓦礫と化した住宅地、竜の神殿跡、焦げた森、そして壊された巨大な電波塔。
カラスは何かを確かめるように黙って観察し、時折「なるほどっすねぇ」とだけ呟いた。
──まるで人の言葉を使う、別の存在。
そう、ホニーには思えた。
神や精霊と同じ“位相”にある存在。ジャスミンのような才ある降霊術士とも違う、“人ならざる”異物。
御使い様と似ている。だが、もっと掴みどころがなく、どこか違う世界の向こうから来たような感覚。
滞在を終えたカラスは、到着時と同じように物資に紛れて輸送機へ乗り込んだ。
最後に「また来るっすよー、ホニーちゃん」とだけ手を振り、姿を消した。
その笑顔の余韻だけが、ホニーの胸に残った。
***
「……ホニー、作戦会議の時間だぞ」
思考を引き戻したのは、後頭部への軽い“コツン”だった。
振り返れば、アクル航空隊の隊長──カンラが腕を組んで立っていた。
「あ、大丈夫。忘れてないよ。行こう」
ホニーは軽く笑い返し、立ち上がる。
二人は南部諸島軍暫定司令部へと向かう。アクルの再編と次なる反攻のための、重要な会議である。
***
「これより、南部諸島奪還作戦の骨子を示そう」
そう口を開いたのは、南部戦域の新司令──ワタリ少将だ。
白の軍服に身を包み、淡々とした口調で言葉を続ける。
「第一に、アクルを安定拠点とする。霊都カラバロンとの安定した補給航路を確保し、敵の空襲を封じること」
「第二に、南方に展開する敵前線基地のジャッカ基地──旧南部諸島群への制空打撃。これを同時に行う」
地図が広げられ、赤い印がいくつも並ぶ。
会議室に並ぶ士官たちは皆、険しい表情だった。
アクル周辺は精霊濃度の回復が早く、再拠点化は問題なく進んでいる。
だが、空と海の主導権を握らねば、輸送は再び絶たれる。
「そして、ホニー・テンペスト・ドラグーンに命じる──
敵前線拠点への夜間爆撃作戦、《オペレーション・シューティングスター》。その戦闘隊長を任ずる」
一瞬、空気が変わった。
ホニーの顔が強張る。
夜間爆撃。飛行機の時代とされた中、天竜が未だ活躍できる場とされていた。
今この重要な局面で──戦闘隊長としての役目が自分に、きたということが。
「……私には、戦闘能力がありません。これまで何度も逃げてきた私が、隊長を務めるなど──」
……士気に関わります。もっと相応しい方がいらっしゃるはずです」
ホニーは震える声で言った。
顔を上げることができず、言葉だけがかろうじて絞り出した。
「……爆撃機部隊に、空戦は必要ない」
ワタリ司令はゆっくりと応じた。
「だから、誰よりも夜の空を知る“星渡り”が共に飛ぶ。それがどれほどの意味を持つか……分かるだろう」
「君は、夜間飛行の先駆者であり、夜間運用の研究者でもある。これは、空戦の指揮ではない。“夜の空を生き抜く技術”そのものの作戦だ」
ホニーは言葉を失う。
脳裏に浮かぶのは、レコアイトス留学の際に過ごした日々。夜間飛行のため星の軌道、風の流れ、夜の精霊の揺らぎ──
あのとき、マートと天竜たちと共にどれだけ試行錯誤を重ねたか。
「……一点、確認させてください。
本作戦実施後、私は魔力を著しく消耗します。帰還後三日は飛べません。回復には五日かかります」
「承知している。初回の奇襲、その一撃に全てを賭ける。夜間爆撃が何度もうまくいくとは、私も思っておらぬ」
ホニーはゆっくりと敬礼をした。
「戦闘隊長、拝命いたします。そして──《シューティングスター》、必ず成功させてみせます」
ホニー決意とは裏腹に、泥沼の空が開かれようとしている。
ローチェ・タベマカ・インスペリ。三国連合の空母部隊が連携し、南部を包囲し防御を固め始めている。
疲弊と損耗。焼け石に水の補給線。戦力のすり潰し合い。
勝つにしろ負けるにしろ、その先にあるのは地獄でしかない。
地獄となる空、戦闘隊長となった彼女は何を胸に、夜の空を飛ぶのだろうか。




