第50話「焦土作戦」
精都アーミム。
作戦司令室には、張り詰めた沈黙が重くのしかかっていた。
通信機のノイズ音だけが響く室内で、南部諸島群の領主ルルザは黙して立つ。
この地に残された最後の者として──そして、民を逃がすために残った者として。
***
開戦後、ルルザは一貫して非戦闘員の避難に尽力してきた。
敵機の攻撃にさらされながらも、船団を編成し、数十万の命をアーミムの地から逃がすことができた。
被害は大きかったが、それ以上の命が、彼の決断で救われた。
そして今。
そのアーミムにも、最終判断の時が迫っている。
***
ルルザは電報を読み終え、唇をかすかに歪める。
「……焦土作戦、か」
要点は二つ。
・精都アーミムの戦略的放棄
・アクルを起点とした反攻作戦への移行
先祖から受け継ぎ生まれ育ったこの地を、自らの手で焼き払う──
それが、彼に課せられた最後の任務。
「ルルザ殿……遺憾ではありますが、敵にこの地を残すわけにはいきません」
隣にいたのは、南部諸島軍の最高責任者シャッハ。
彼もまたアーミム出身の軍人だ。
「……これまで散った者たちの犠牲を、無駄にはしたくないのです」
言葉には理がある。だが、その声音には明確な“苦さ”が滲む。
「明日5時より作戦準備。24時、実施予定。……本部の通達です」
自分ではどうしようもできない通達を告げた。
「そしてルルザ殿と指揮官の私は焦土作戦の前に中部諸島へ離脱します。」
シャッハから追いうちをかけるように言い渡す。
「どうしても私も中部諸島へ行かねばなんのか。領主としてアーミムと共に最後まで戦いたい。」
シーレイア上層部からの焦土作戦と共に出されたもう一つの命。
領主と指揮官の離脱であった。
「私としても故郷と共にありたい。だが上層部はそうではない。」
シャッハは上層部の考えを推測する。
無能の責任者、時代を読めず天竜に固執し、そして部下を見捨てて逃げた卑怯者──上層部はそうした筋書きを描き、民衆の怒りの矛先を二人に向けようとしているようだ。
「まあ、全てが嘘ではないしな。」
ルルザは確かに南部諸島の象徴とも言える天竜へ配慮をしていた。
隣接する敵国であるタベマカ相手であれば、新型機がなくとも天竜と旧型機で対応できると踏み、新型機への転換の強い要望は行っていなかったのだ。
そしてフジワラ局長からの二人への親書にはこう書かれていた。
ー死して逃げることは許さず。
ーその命を全て国のために使え。
ー責任者の首はそれだけ価値がある。
「死ぬことは逃げか。確かに領主の首はやすくないな。」
ルルザは自嘲気味につぶやく。
「我々は中部諸島へ行き、愚か者の道化を最後まで演じましょう。」
シャッハは覚悟の決まった視線でルルザを見つめる。
「そうだな。それが我々のできることだ。」
ルルザが そう告げると、シャッハは一礼し、部屋を出ようと扉に手をかける。
その瞬間──扉の外から、靴音が駆け込んできた。
「伝令! 国籍不明艦隊がアーミム沖へ進行中。空母2、戦艦級4、随伴艦多数とのこと!」
室内の空気が一変する。
「国籍不明……? インスペリか、タベマカの新型艦か?」
「いえ、装備・識別信号ともに両国とは異なるとの報告です」
まるで用意されていたかのように返る答え。
「……我が軍の艦隊、どうなっている」
「我が軍の空母2隻および周辺艦隊が交戦中ですが……戦況は芳しくないとのことです」
部屋を一瞬の 沈黙が支配する。
シャッハの視線が地図をなぞり、次の指示を短く告げた。
「……空母2隻は、全速で後退し戦線を離脱せよ。損耗を防げ」
アーミムの防衛より、生き延びた戦力の保存。
それが、この南部諸島にとって最後の反攻の希望だと決断を下す。
***
混乱する司令室に、さらに伝令が重なる。
「報告! アーミム軍港、空襲により壊滅! 継戦能力喪失!」
「アーミム飛行場、爆撃により使用不能! 航空部隊壊滅!」
その知らせの瞬間、焦土作戦の実行すら不可能となった。
「……っ、なんて速さだ」
誰かの声が漏れる。
呆然と立ち尽くしていたルルザが、ふと口を開く。
「……避難は……終わっていたな。……よかった」
それは祈りにも似た、心の奥から零れた言葉。
***
この奇襲は、のちにこう呼ばれる。
──《ローチェの神光》。
閃光のごとく襲い来た艦隊は、アクル奪還に沸いた連邦の流れを、一瞬で断ち切った。
その旗艦。
黒金の艦橋に、神官服の男が立っていた。
巨大な体躯に金色の十字の装飾。
口を開けば、まるで神託のごとき声が響く。
「ローチェ帝国こそ、唯一神・リクリス神の代弁者である」
「この地に、異教の焔など要らぬ──」
「すべてを、清めよ」
「異教徒を……殲滅せよ」
静かに、そして狂信的に。
艦橋に響くその声は、敵味方問わず、全てを呑み込む業火の序章である。




