第45話「チョウ・テンカ」
ーアクル島。
島民脱出のための囮と陽動作戦の末、天竜の象徴である竜の里《アクル島》は、ついにタベマカ・インスペリ連合の手に堕ちる。
空を護っていた天竜が姿を消し、かつての神域に戦火が降り注ぐ。
上陸を果たすタベマカ・インスペリの兵たちは、勝利の凱歌とともにアクルの土を踏みしめる──ことはできなかった。
戦争前の密約に従い、アクルは“勝利の証”ではなく、背後で動く影──テンシェンに“協力の礼”として引き渡された。
犠牲を出した両国は、それでも苦渋を飲むしかなかった。
この戦争は、テンシェン抜きでは成り立たない。
その現実は、誰よりも両国の軍司令部が痛感していた。
そして今。
テンシェンの大型輸送船団が、誇らしげにアクルの港へと入港していく。
その中央に立つ一人の男が、地に足を着けた瞬間、歓声を上げる。
「──素晴らしい!」
それは咆哮にも似た感嘆だ。
「この地を覆う、芳醇な精霊の気配! これこそ、天帝に捧ぐべき聖域!」
周囲の兵が驚きもせず見守るのは、この男が只者ではないからだ。
テンシェン魔術省・精霊術首席技師長、《チョウ・テンカ》。
精霊制御技術を別次元へと昇華させた、狂気と才能を併せ持つ天才である。
彼を最前線のこの地に送り込むことは、テンシェンにとっても一大決断だった。
だが、その価値はある。テンカの目には、アクルが“神より賜りし金脈”に映っていたのだ。
「ふふふ……この濃度、この質、この量……採取が始まれば、止め処もなく溢れ出すぞ……! これで我がテンシェンの覇道は揺るぎないものとなる……!」
幾度も高揚の声を上げるテンカを、周囲の研究班は見慣れた様子で研究拠点の設営をしていた。
***
テンシェンの上層部は困惑していた。
占領から十日が過ぎたが、シーレイアは動かない。
アクル──それは霊都と南部諸島、コアガルを繋ぐ要石。失えば即座に奪還に来るはず。
それが……なぜ、来ない?
テンカもまた、違和感を覚えていた。
「……濃度が、妙に高い。採取しているのに減らないどころか、増えている……?」
部下に命じて過去十日の観測データを精査させた。
だが結論は一つ。精霊濃度は上昇傾向にある。
「……まさか、とは思うが……」
テンカは懸念を携え、軍司令部へと足を運ぶ。
そこにいたのは、紅い機体の使い手、ウーラン大尉だった。
「テンカ首席か。何か問題でも?」
「問題……かもしれん。まだ仮説にもならん段階だが、言っておこう。」
テンカは飾らず、簡潔に伝えた。
占領後、精霊の濃度が上がっていること。
そして、場合によってはこの濃度は人間の生存を許さない領域へ達する可能性があること。
フェンは無表情のまま、短く頷いく。
「……なるほど。ならば、精霊濃度の上昇を止める手段はあるか?」
「うむ、精霊抽出装置をすべて壊してもいいのならな。制御網を崩せば、飽和は止まるだろう。」
テンカは不敵に笑い、肩をすくめる。
「……報告、感謝する。即刻上昇を防止する策を準備して欲しい。」
フェンは短く言い残し、足早に司令室を後にした。
──シーレイアが奪還に来ない理由が、ようやく腑に落ちた。
(精霊濃度が閾値を超えれば、こちらの軍は崩壊する。シーレイアは、それを待っている……)
確証はない。だが、直感はそう告げていた。
フェンは即座に、テンシェン本国、タベマカ、インスペリへ防衛強化と警戒態勢の要請を送る。
アクル──それは、未だ火種を孕んだまま静かに燻っている“生きた戦場”だった。
アクル占領から十五日後。
チョウ・テンカの懸念は、皮肉にも現実となる。
島全体の精霊濃度は制御限界を越え、精霊機構のほとんどが不調に陥る。
その現象にテンカは苛立つ。
「……舐めるな、精霊風情が!」
怒号が、採取施設の最深部に轟く。
「貴様らごとき、私の手で御せぬはずがない……!」
テンカは計器を叩き割らんばかりに指を走らせ、血走った目で術式を描き連ねる。
上がり続ける精霊濃度への対応策、彼の選んだ道は、禁忌にも等しい方法。
これまで採取した精霊力を逆流させ、制御不能な暴走状態に持ち込み、アクルから発せられる精霊波を相殺する──
いわば、これまでの成果を全て犠牲にしてでも、暴走を封じる策。
術式は成功したが、代償はあまりに大きかった。
島に配備された精霊制御が搭載された兵器群は悉く不調をきたし、制御中枢は壊滅。
テンカは満身創痍の顔で、ただ一言つぶやいた。
「──だが、これで精霊は沈黙する」
その報告を受けたフェンは、黙して空を仰いだ。
(……シーレイアは五日以内に動くな。お前たちのやり方は分かってる)
そして──アクル占領後十八日目。
シーレイア機動部隊、タベマカ・インスペリ連合軍、両軍はほぼ同時に、敵航空母艦の所在を補足。
タベマカ・インスペリ側は空母三隻に基地の航空部隊。数では互角だが、内情は芳しくない。
「……テンシェンとローチェの新型は、実質二隻分だけか。あとの一隻と基地は旧型の寄せ集め……」
発艦待機中の艦載機の中で、フェンは状況を冷静に分析する。
さらに、後方基地からの支援も、主力は旧式機。
「……万全のシーレイアとの戦争は、これが初か。さて、どれほどの底を見せるか……」
呟くと同時に、紅い翼が空へと舞い上がった。




