第43話「落とせる男」
アクル奪還作戦の開始まで、ホニーは避難船団の護衛任務を続けていた。
その空の下で、生き残った命、静かに不条理に失われた命。
ホニーとマートの働きで、霊都にたどり着けた船もあった。
だが、その指の隙間をすり抜けるように、守れなかった船も数知れず。
敵機の接近を警告しても、武装を持たぬホニーの目前で、炎に呑まれ沈んだ船。
潜水艦、機雷、突発的な爆撃──どれも、あまりに唐突で、冷酷な終わりだった。
空の静けさの中で、ホニーとマートの心は、少しずつ摩耗していく。
避難船護衛、その任務が始まるとき、ホニーはヒサモト司令に一つだけ願いを告げていた。
「アクルの作戦が終わるまで、家族の安否を……知らせないでください。もし、誰かがもういないと聞いたら、きっと私は……飛べなくなります」
ラシャは妊娠中。ナーグルはまだ幼く、グラルは負傷療養中。
その誰かが失われていたら──たったひとつの報告で、自分の信じる空が崩れてしまう気がした。
――だから、知らないままでいたい。
***
そして、ついにその日が訪れる。
アクル奪還作戦の発動。
南部諸島の残存戦力に加え、霊都カラバロンが温存してきた軍事力の一端が、ついに姿を現す。
修理を終えた南部諸島群の正規空母・コタンコロを中核に、中部諸島の正規空母三隻、別働の軽空母四隻。
戦艦を旗艦とし、精鋭の巡洋艦隊が随行する──国の存亡をかけた大規模な反攻作戦。
空母に搭載される機体は、すべて新型。
爆撃機は神都の研究所で開発された法術対応新鋭機の「カグラ」。
戦闘機は、精霊術対応の「ライコウ」、降霊術対応の「スピリット」、そして全用途型の「スパーク」。
それぞれが独自の魔術装備を有し、従来の機体とは桁違いの性能を誇る。
(……これだけの力が、最初からあれば)
ホニーは空を見つめたまま、思ってはいけないことを思った。
(分かってる。準備に時間がかかったのも生産が間に合わなかったのも)
それでも──
あの夜、海に沈んでいった幾つもの船が脳裏をよぎる。
「……せめて、もう少しだけ早ければ」
そのとき、不意に声がした。
「おうホニー、難しい顔してんな」
驚いて振り返ると、そこには見慣れた顔。
神都で新型機のテストパイロットを務めていた、同郷アクル出身のカンラが立っていた。
「……カンラさん!? なんでここに?」
「次世代機の目処が立った。それと──」
言葉を切ったあと、彼はわずかに目を伏せ、それから静かに続けた。
「……踏みにじられた故郷を、取り返しに来た」
その目には、かつて見たことのない憎悪の色が宿っている。
冷たく燃えるような黒い炎。殺意を含んだ、本物の戦場の目。
ホニーは咄嗟に言ってしまった。
「……でも、カンラさんには神都に奥さんも、子どももいるでしょう? どうして志願なんて……」
大切な人がいる者には、生き残っていてほしい。それは、願いに近い本音だ。
しかし──カンラの返答は鋭く、間を刺した。
「俺の技量を知ってて、そう言うか? テンペスト卿」
カンラからあえて”テンペスト”と告げられると同時にホニーは言葉を失う。
確かにこの男は、自分を撃ち落とせる技量がある数少ない味方。
テンペストとして。
国を思う人間として──ホニーは立ち返った。
「……テンシェンの紅い機体に、気をつけて」
カンラは眉をわずかに動かした。
「紅い、機体?」
「他の赤とは違う、もっと紅色。
……その機体の主は、私を落とせる可能性がある。」
ホニーは護衛任務の中で何度も見かけた紅い戦闘機。
フェン・ウーランの《スターイーター》だけ、他と違う色に塗られていたのだ。
「それがお前の敵か、了解」
カンラは、少しだけ笑う。
その言葉に、ホニーは思わず息を呑んだ。
(違う、そうじゃない……)
けれど──
(でも、フェンを落とせる人間がいるとするなら、カンラさんだ)
誰かが、止めなければならない。
「……カンラさん」
ホニーはカンラをまっすぐに見つめる。
「フェンを、落として」
その一言が、喉から溢れた。
カンラは眉をひそめたが、すぐに無表情で言う。
「それだけか?」
まるで買い物を頼まれたかのような口調だ。
そして、手を伸ばして、ホニーの頭を乱暴に撫でた。
「もう、私は子どもじゃないよ……!」
ぐしゃぐしゃになった髪を押さえながら、ホニーは抗議する。
そう言いながらも、ホニーの声はかすかに震えている。
「……お願い」
最後の言葉は、かすれていて、風に溶けてしまいそうだった。
カンラは何も答えない。
ただ、背を向け、歩き出し、そして一度だけ手を上げた。
その背中が、『任せろ』と語っている。




