第42話「避難船護衛」
ホニーは、マートの背から眼下の海を見下ろしていた。
避難民を乗せた大型の民間船が、護衛もないまま、静かに北上している。
その姿に、ホニーは胸の奥がきゅっと締めつけられる思いがした。
(何人が……あの船に乗っているんだろう)
子ども、老いた者、足の不自由な人、そしてたぶん、誰かの家族。
誰かにとっての“全部”が、あの船に詰まっている。
(あれは……アーミムからか、それとも別の南部の都市……?)
霊都で聞いた避難計画が頭に浮かぶ。
──アーミムは、一度内陸部に退避したのち、霊都が手配した船で脱出。
──それ以外の都市は、各地で自力の脱出が行われている。
護衛がないのは当然だった。
軍が全体を守れない以上、輸送は散らして、犠牲を最小に留めるしかない。
──何割かは、助からない。
けれど、助かる命を一人でも多く。
それがこの作戦の根幹。
ホニーは、国が割り切ったその現実を、ようやく肌で理解し始めていた。
「──マート、反応がある」
警戒網の端に、風が微弱な気配を伝える。
敵航空部隊──それも、数が多い。
「行こう。私たちしか、できない」
ホニーは高度を下げ、避難船が確認できる位置まで降下する。
船の艦首近くで、彼女は両手を掲げて手信号を送る。
『敵機発見。陽動に入る』
船の甲板では、乗組員が素早く対応し、同じく手信号で返してきた。
了解。──そして、敬礼。
その動きに一瞬、心を打たれる。
「ありがとう。必ず、守るから」
ホニーは小さく呟き、マートの首元を叩いた。
「行こう。だれよりも速く。いつも通りにね」
マートは静かに、しかし確かに加速した。
***
ホニーは12機、敵機を目視で確認する。
護衛の戦闘機が6、爆撃機が6。
「……よかった。テンシェンの新型機はいない」
すべてタベマカの旧型機。
速度でも旋回性でも、マートに勝るものはいない。
(いける)
ホニーは、あえて敵の視界に入るように進路を取る。
ただの白竜なら、無視されて終わる可能性もある。
だが──
(星渡りが来たと知れば、相手は無視できない)
撃墜できなくても構わない。
重要なのは、自分たちがここにいると敵に刻み込むこと。
マートは白い光の矢となって、真っ向から敵編隊へ飛び込んむ。
敵は混乱する。
武装なき白竜が、正面から接近してくる。しかも、迷いのない軌道だ。
爆撃機を守るように展開していた戦闘機がざわつき、一瞬、反応が遅れる。
その隙に、ホニー達は急上昇、空の一点を突き破るように舞い上がり、編隊の背後に回り込む。
──お前たちには、私を落とせない。
──でも私は、お前たちの背に、容易く立てる。
まるでそう言うかのように。
戦えないホニー達にできることは少ないからこそ、あえて敵のプライドを煽る。
6機の戦闘機すべてが、挑発を受け取り白竜の背を追って襲いかかる。
爆撃機も、搭載された機銃で無謀にも銃撃を加え、加勢する。
ホニーたちは、回避する。踊るように舞い、流れるように旋回し、気づかぬうちに上昇し、当たり前のごとくかわし続ける。
どんな弾も、星渡りの前には風一つとして届かない。
やがて、敵のエンジンが息切れを始め、火力も集中力も切れる。
──そして、撤退していく。
マートの背で、ホニーは荒い息をつきながら、笑う。
非武装のまま、航空部隊を退けた。
小さな勝利だが、それでも、船団は守れた──そう思った。
***
ホニーは小さな勝利を誇らしげ心に刻み、護衛している避難船へ向かう。
脅威は去った、退けたと吉報を届けるために。
そう思って避難船のいる海域へ戻ったホニーが、違和感に気づいたのは、ほんの数秒後だった。
(……いない?)
船がいたはずの海域に、何もない。
波間に浮かぶ小さな破片、焦げた木材、誰かの服──
先ほど、ホニーへの合図に振られた手旗信号の旗らしきものも浮いていた。
「……違う……うそ……そんな……」
漂う残骸。
それはまぎれもなく、先ほどの避難船のものだった。
(潜水艦、だ……)
守ったと思った命が、いま、静かに誰にも知られず沈んでいった。
戦闘の興奮が、急速に引いていく。
代わりに押し寄せてくるのは、全身を重くする絶望感だった。
「……私、間に合ったと思ったのに、みんなを助けられたと信じていたのに」
マートは静かに、空を滑っていく。
彼もまた、何も言わず、ホニーの想いを背に受けているようだった。




