第40話「空の上」
水平線の上には太陽が昇っていた。
夜明けからそう経たぬ時刻、空母とホニーたちは合流を果たす。
小破した《コタンコロ》は最大速度を出せないが、避難民と足並みを揃えるには好都合だった。
ホニーとマートは交代の時間を得て、艦へと着艦する。
「テンペスト卿、警戒飛行ご苦労であった。対空哨戒は当艦で引き継ごう」
シマ艦長は帽子に手を添えて敬礼し、穏やかな声で言った。
「ありがとうございます。計画通り、3時間の休息をいただきます」
艦内の薄暗い区画で、ホニーとマートは無言のまま仮眠を取る。
***
「マート、やっぱり変だよ」
再び空に舞い上がり、ホニーが呟く。
「うん。何もなさすぎる」
マートもまた、同じ感覚を抱いていた。
霊都とアクルを結ぶこの航路は、避難民の移動、あるいは救援の最短ルート。
敵の視点に立てば、待ち伏せや襲撃には最適な場所だ。
それなのに、空も、海も、異様なほど静まり返っている。
(何かが潜んでる。いや、もしかして……)
ホニーの脳裏に浮かんだのは、「すでに戦力を別の場所に移している」可能性だった。
アクル—霊都間の海域に攻撃を仕掛けるには、空母や潜水艦といった戦略兵器が必要だ。
限られたリソースで動くなら、より確実に制空・制海権を奪える、陸上基地の支援圏内が選ばれるだろう。
(もし、敵がアーミムやコアガル方面に重心を移しているのだとしたら……)
不安は消えないまま、夕方。
ついにホニーたちは軽空母と合流した。
ジャスミンが自ら迎えに出てきて、笑顔を向ける。
護衛任務は、これでほぼ完了した。
──だが。
(よかった。無事に終えられた……なのに、どうして)
ホニーの胸に広がるのは、達成感ではなく、妙な胸騒ぎだ。
(何か、嫌なことが起きてる……そんな気がする)
護衛任務を完了後、ヒサモト司令からすぐに命令を告げられホニーはまた空に戻る。
> 「避難民の警戒任務に復帰せよ」
始まったばかりの戦争のなかで、守るべき命はまだ前線に残っている。
ホニーとマートは、再び空を駆ける。
そのとき、ヒサモト司令から告げられた言葉が脳裏によみがえる。
──避難完了後、アーミムは放棄される。
──2週間後、アクル奪還作戦が始動。ホニーには単独偵察の任が告げられた。
──そして──アクルの“秘密”。
「マート……アクルのこと、知ってたの?」
ふと、マートに声をかける。
「ううん、僕が知るわけないよ。でも……精霊濃度が濃すぎるから竜の巣にはホニーは連れて行っちゃダメ、とは言われてた」
それはまるで、「部屋が汚いから人を呼べない」といった、日常の延長のような感覚だった。
ホニーは目を伏せる。
「……奪還したら、みんなのお墓、ちゃんと...作ろうね」
そう口にしてから、自分の言葉に驚いた。
どこかで、まだ「生きてるかもしれない」と思っていたのだ。
だが今、それは確定してしまう。
「でも、生きていてほしかったよ。お父さん、お母さん……」
空を飛ぶ今この瞬間だけは、ただの“ホニー”でいさせてほしかった。
「……せめて、温泉旅行ぐらい、行かせてよ」
あの日、出発が1日早ければ。
ほんのわずかなズレが、家族の運命を分けた。
運命の不条理さを恨む。
頬を伝う涙が、風へ飛ばされ溶けていく。
次第に嗚咽が漏れ、言葉にならない声が空に消える。
「マート、ごめん……マートだって、同じなのに。私だけ、泣いて……」
無言で飛び続けるマートは、何も言わず、そのままホニーの温度を感じ寄り添っている。
やがて、涙が静かに乾きかけた頃、前方に避難船の姿が。
「……行こう。見つけたよ、マート」
ホニーは赤く腫れた目を擦り、いつもの警戒の口調を取り戻した。
「仕事の時間だ」
再び、空を守る者として。
自分のできることをする、ホニーはそう決めて警戒任務についたが、静かな航路の背後で──。
戦局は、音もなく崩れ始めていく。
***
──一方、南部諸島の更に南方。
海の向こう、コアガル。
シーレイア連邦の同盟国。空母を複数運用する海洋国家は、突如として“鉄の嵐”に晒されていた。
シーレイア・アクル陥落の報がコアガルに届くと同時に、敵はコアガルへと矛先を転じた。
その初撃で、虎の子とも言える保有する正規空母・全三隻が奇襲により沈没。
港湾への連続爆撃で、第四次までの攻撃を受け艦隊も壊滅的打撃を受けた。
制空権を取り戻そうと発進した戦闘機隊も、新型戦闘機に次々と撃墜される。
首都の上空は、絶え間ない艦砲射撃と爆音に満たされていた。
奇襲開始から三日──。
未明、政府庁舎に一本の無電が届いく。
> 「即時降伏し、タベマカと同盟を締結せよ」
「そして、天竜と共に朽ちゆくシーレイアに宣戦を布告せよ」
その言葉は、あまりにも明白だった。
思想も信仰も異なる敵と手を組み、長年連帯してきた同盟国を裏切れという。
さもなくば、コアガルは亡国となり、敵の版図へ吸収される。
返答の猶予など、与えられるはずもない。




