第39話 「ラシャの決意」
アーミムにてホニーが母の手紙を読み、空へと飛び立った少し後のこと。
ラシャは必死に探し回り、ようやく一人の竜医を見つけ出してバトラのもとへ戻ってきた。
「お願い……この子を、頼みます。」
血と煤にまみれた体をかばうように伏せるバトラに、竜医はすぐに応急処置を施し始める。
傍らには、何が起きたのか理解できていないナーグルがしゃくりあげている。
そしてその小さな体を、満身創痍のバトラが優しく包み込んでいた。
「ぐずっ……ホニーねぇ……どこいったの……」
ラシャは震える手で、バトラの足元に落ちていた封筒を拾い上げる。
それは母からの手紙で中には、二通があった。
もともとは、三通の手紙と一通の軍事文書が収められていたが、ホニーは自分とシャッハ宛の二通だけを持ち去り、あとの二通を残していったのだ。
ラシャ、ホニー、ナーグル――家族それぞれへの想いが綴られていた。
「なに……これ……」
震える声が漏れる。
そこには、アクル放棄の決定と、囮作戦への参加――父と母が、里長とその妻として命を差し出す覚悟を選んだことが記されていた。
ラシャの夫と、兄のグラルも防衛戦で傷を負い、避難船で霊都へ送られるという。
そして――最後に、長女ラシャへの母からの言葉。
「孫を見られずにごめんね。ナーグルをお願い。ホニーをお願い。あなたたち皆が、どうか無事でありますように。」
膝から崩れ落ちそうになったそのとき。
「……ラシャ。」
バトラが、小さく彼女の名を呼んだ。
その視線は、泣きじゃくるナーグルに向けられていた。
(おそらく、ホニーは軍に向かった、そしてそのまま任務に就くはず。
そしてこの場には、満身創痍のバトラと、壊れかけのナーグル――)
もう、母さんも父さんもいない。
そして私は、もうすぐ“母”になる。
ラシャはそっとお腹に手を当てる。
鼓動のように伝わる、わずかなぬくもり。
(ホニーは、きっと自分を殺してでも国のために動くだろう。
なら私は――家族のために、生きよう。)
(ホニーが、みんなが帰ってこられる場所を、これ以上減らしてなるものか。)
ラシャはバトラの方へ目を向ける。
涙を拭うことなく、決意の炎だけをその瞳に宿して。
「ナーグル。ホニーは必ず帰ってくる。だからしばらく、私のそばにいなさい。」
言葉は厳しく、だが揺るぎないものだった。
ナーグルは泣きながらも、こくりと頷く。
***
「……船が足りない。」
領主ルルザは、精都アーミムの避難計画に奔走していた。
防衛はすべて軍の司令であるシャッハに一任し、自らは船の確保に全力を注ぐ。
幸運なことに、昨日の空襲は軍港と飛行場を主に狙ったため、民間船の多くは無事だった。
だが、それでもすべての住民を運び出すには、平時でも一ヶ月はかかる。
いつ敵が上陸するかも分からない状況で一カ月は長すぎる。
(なんとしてでも必ず、領民は中部諸島まで逃がす。)
領内の各都市に「各自残存戦力と相談のうえ、避難計画を進めよ」という指示を出したとき、
それは領主として“敗北宣言”にも等しいものだった。
(降伏……いや、駄目だ。たとえ無抵抗で併合を願っても、領民が無事でいられる保証など、どこにもない。)
喉元まで込み上げた“選択肢”を、なんとか押し殺す。
(せめて――せめて、アーミムだけでも。)
まずは最前線に最も近いこの街から、民間人を退避させる。
南部諸島の中でも、戦火の少ない都市まで船で輸送し、そこから陸路で北上。
その後、霊都側から手配された輸送船でさらに北へ。
それが今、彼に残されたより多くの領民が助かる唯一の選択肢だった。
(ギリギリだ。だが――まだ、守れる命があるうちは何としてでも守り抜く。)
避難計画はシーレイア軍作戦本部から承認された。
ただし、肝心の情報――アーミム放棄と焦土作戦の決定は、ルルザには知らされていない。
すべてを知らぬまま、彼は今日も、民を逃がすために奔走する。




