第38話 「第零種国家機密」
神都アマツ――シーレイア軍・作戦司令室
報告が次々に届いている。
南部諸島各地から上がるのは、敗退、孤立、補給断絶――希望を削るような報ばかり。
「増援要請、避難民輸送の支援、継戦のための物資輸送……」
参謀たちの手元に並ぶ文書には、似たような要望が繰り返し綴られていた。
「アーミム基地のシャッハ司令によれば、
南部諸島の現地部隊は民間人の霊都避難を最優先とし、その後アーミムを防衛拠点とする意向とのことです。」
シーレイア連邦軍・参謀総監キトラ・コンドウが落ち着いた声で読み上げる。
「南部は奇襲を許して何をしていたのだ。まったく、情けない。」
ルルギナ首相は苛立ちを隠そうともせず、机を指で叩きながら吐き捨てた。
「……フジワラ局長。防衛戦略はあなたに一任していたはずだ。責任を取ってもらいたい。」
その一言を皮切りに、室内の空気が一変した。
首相よりも事実上の権限を持つ危機管理局長・フジワラを蹴落とさんとする声が、次々と噴き出す。
(下らんな……この国が沈みかけている今、己の椅子の心配か。)
フジワラは黙して耳を傾けたまま、虚空を見つめていた。
そのときだった。
「これより八百万会議に移行せよ――と、お告げがありました。」
静かに響いた声が、部屋のすべての音を止めた。
声の主は、御使い様。その存在だけで場の重心が変わる。
「国家の危機において我欲を優先する者――そのような人間は、この会議に必要ありません。」
御使い様は手を一拍、叩いた。
パンッ
乾いた音が室内に響いた瞬間、空気が変質する。
重力が増したような圧。見えないはずの“何か”が、部屋中に充満する。
――気配。
それも、桁違いの数。精霊の、神の、八百万の柱の気配が。
ざわ……という無音のざわめきが、床から天井まで部屋を満たした。
「失礼しました、キトラ参謀総監。会議の続きを。」
御使い様は一礼し、何事もなかったかのように席へ戻る。
キトラはわずかに首を傾け、再び口を開いた。
「承知しました。先程の通り、状況は劣勢です。
まずは民間人の霊都避難を最優先とし、アーミムにて最低限の防衛線を形成する。」
ここまでは、現地の報告通りだった。
だが次の一言が、会議室の空気を凍らせた。
「その後――避難完了後アーミムは放棄しアクルを奪還、反攻拠点とする。」
一拍の静寂のあと、どよめきが広がった。
「なぜ、放棄したアクルなのですか?南部諸島方面の空軍再編も終わっていない状況で、奪還など不可能です。」
空軍の長、ベクマ大将が席を立ちかけて声を上げる。
「奪還の必要はありませんよ。」
会議の空気を断ち切るように、フジワラが立ち上がった。
「敵は、アクルに上陸したその瞬間から、既に敗北している。」
「――それはどういう……?」
「第零種国家機密です。だがこれは事実。詳細は伏せますが、私は星々の神々に誓って言おう。アクルの地を踏んだ敵軍は、遅かれ早かれ全滅する。」
ー第零種国家機密
神々と御使い様、戦時下の危機管理局長、軍元帥、参謀総監にしか知ることのできない情報。
キトラも言葉を継いだ。
「精霊の加護により、我らは確信を得ています。これは“神託”でもある。」
「アーミムは、タベマカに近すぎる。そして、
そこでは霊都やコアガル、レコアイトスとの連携が難しい。」
キトラは戦略図を指し示しながら語る。
「そもそもアーミムは交易都市だ。物資集積には向いても、戦争には脆弱。
我らが南部諸島に築くべきは、防衛の城壁だ。
それに最もふさわしいのが、アクルである。」
「異議は?」
会議室の空気は張り詰めたまま。だが――誰一人、声を上げなかった。
八百万の柱たちの気配が、確かにそれを肯定している。
八百万会議が終わり、重苦しい空気を残して要人たちは退席していった。
広い作戦司令室に残ったのは、フジワラとキトラのふたりだけだった。
「お疲れさまです。」
フジワラが、肩の力を抜いたように声をかける。
「ありがとうございます。……正直、アクルの奪還案を初めて聞いたときは驚きました。
私は、最悪の場合は霊都まで戦線を後退させることも視野に入れていましたので。」
人払いが済んだことで、キトラは率直に口を開いた。
「当然でしょう。あれは常識では計れぬ土地ですからね。」
フジワラは胡散臭い笑みを浮かべると、窓の外に目を向ける。
「アクルは、精霊の濃度が異常に高すぎるのです。
天竜がいなければ、あの地は人の住めぬ“霊毒”に変わる。空気すら、毒になる。」
キトラの眉がわずかに動く。
「……そこまでとは。」
フジワラは頷き、さらに言葉を継いだ。
「アクルの里長には、代々こう伝えられているそうです。」
――戦況が不利なら、迷わず放棄せよ。
――焦土にはするな。敵にとって心地よい環境を残せ。
――精霊が満ちる二十日から三十日後、必ず奪還できる。
「テンペストの父――現里長が、それを実行したわけです。」
「……なるほど。」
キトラは深く息をついたあと、ふと疑問を口にした。
「それにしても、あのシャッハがよく空母の同行を認めましたね。避難民を抱えたアーミムとしては、損傷しているとはいえ空母、航空戦力を手放したくないはずでしょう。」
「ええ、通常なら彼の性格ではあり得ない判断です。」
「ですが――テンペスト卿の進言があったのです。」
フジワラは一枚の報告書を見せる。キトラは目を通した瞬間、息を呑んだ。
「……っ!? 十七の娘が……これを……。これはもう……」
(洗脳でもされたのか?)
そんな言葉が喉まで出かかったが、押しとどめた。
そこに記されていたのは――民を切り捨てる選別。
家族すら、国家のために差し出すという覚悟。
残酷で、しかし明確な意思だった。
「……彼女の意思です。神輿は嫌だ、と言った娘です。だからこそ、私も教える価値を感じました。」
フジワラは珍しく、柔らかな笑みを浮かべる。
だがその笑顔は、どこか冷たい――何かを見透かし、育てる者の、それだった。
「だからこそ、我々はまだ踏みとどまれている。」
戦況はシーレイアに不利な状況が続く、だが一筋の道はある。
フジワラはそう告げているようだった。




