第37話 「アクル脱出作戦」
出立予定の夕刻前。
空には灰色の雲が低く垂れ込め、海と空の境目さえ曖昧だった。
「避難支援にはちょうどいい。月明かりも太陽も必要ない、天気は今日は味方してくれる。」
ホニーはマートの首を撫でながら、ぽつりとつぶやいた。
「ホニー、救いに行こう。」
マートの声は、静かで強い。あえて言葉にすることで、ふたりは覚悟を確かめあった。
「うん。」
ホニーは短く答え、そして雲を裂いて飛び立っていく。
カラバロン鎮守府を離れ、先に出発していた軽空母ホロケウと随伴艦を追い越しながら、故郷・アクルの空を目指す。
(問題は……避難民が、無事に島を脱出できているかどうか。それが成功しなければ、すべてが瓦解する。)
陽動、囮、全戦力を賭けた乾坤一擲の作戦。
そこに参加しているのは――自分の父と母。
(お願い。どうか……あのふたりの命が、無意味に終わりませんように。)
ホニーは祈るように、目を閉じた。
***
アクルの島影が見えてきた。
ホニーとマートは共鳴魔術を使い、風の流れにのせて索敵を行う。
凪いだ水面に、複数の客船と心もとない護衛艦の姿が浮かび上がる。
船団は霊都への最短経路を避け、あえて迂回して進んでいる。
(きた……作戦が始まった。)
その直後、アクル島の反対側で大きな閃光が走る。
黒煙が空に広がり、爆音が遅れて届いく。
敵艦隊を引き付ける陽動作戦が開始したようだ。
索敵によって、複数の敵艦隊が爆発のあった方向へと針路を変えるのを確認する。
(お願い、このまま、上手くいって……!)
ホニーの指が震える。マートの背中にしがみつく手に、無意識に力が入っている。
そのとき――
海面に、わずかな煌めき。
波間に揺れる、きらりと光る異物。
(潜望鏡……!?)
ホニーの目が鋭く見開かれる。
夜の僅かな明かりを頼りに、魚雷の軌跡が船に伸びていく。
ドォン――!
一隻の駆逐艦が、魚雷の直撃を受け水柱を上げて爆発した。
艦の左舷が抉られ、白煙と黒煙が船体を包む。
その直後、直撃を受けた駆逐艦が爆雷を水中へ投下する。
駆逐艦は速度を失い、船団から落伍しかけながらも、もがくように反撃を試みていた。
(ありがとう……それでも、少しでも、生き残って。)
ホニーは船団が霊都とは逆方向へ逃げていくのを見届ける。
”囮”の本懐を果たした彼らに、静かに祈る。
敵艦隊攻撃の陽動作戦、それに乗じて島を離れようとする囮船団。
その2重の作戦をつかって時間差で、別の島影から複数の客船と、それを守る巡洋艦が現れる。
本命の避難民が乗っている船団――ようやく来た。
(今度こそ、守り抜く。)
ホニーはマートと呪文を唱え共鳴魔術で空を振るわせた。
『星々よ 輝け 』
共鳴波が船団全体を包み込む。
「船団の上空警戒任務にあたるホニー・テンペスト・ドラグーンです。
皆様を、必ず霊都まで送り届けます。」
その声は、まるで包み込むように。
船上にいた誰もが、星渡りがいる空を静かに見上げてる。
船内には一つの安堵が広がった。
アーミムの戦況も避難民には伝わっており、中部諸島までの支援はないと覚悟していた。
里長の娘と最速の竜、アクルが生み出した最高の竜使いの星渡りが船の警戒に当たる。
アクルにいた優秀な天竜と竜使いは防衛ため空に散り、残っていた先鋭も避難民を逃がすための囮となった。
避難民は皆、ホニーの両親が陽動・囮作戦に参加したことを知っていた。
(ありがとう)
皆はホニーに感謝し、その感情が精霊を通じでホニーにも伝わる。
「マート、絶対に成功させるよ。」
改めてホニーは決意を固める。
多数の避難船をたった一人で警戒を続け、夜明け前の空をホニーは飛んでいる。
(ここからだ。中部諸島まで、二日……いや、三日かかるかもしれない。長丁場になる。)
ホニーは気を引き締めた。
先にアーミム近海から出航していた空母コタンコロとの合流はあと2時間ほど、
明日の夕刻には、ジャスミンたちが乗る霊都からの軽空母ホロケウ艦隊とも合流予定だ。
(ホロケウには新型戦闘機が配備されてるはず……そこまで辿り着けば、大丈夫。)
自分で体力の配分を計算しながら、ホニーは視線を海へと落とす。
避難の船団とは、警戒のため無線封鎖が続いており連絡は取れない。
なにかが起きた時は、その場で封鎖を解いて連絡を取る――それが唯一の手段だ。
マートの背に乗ったホニーは、空から船団を見守る。
波を切って進む多数の船――だが、護衛艦の姿は頼りない。
(対潜警戒要員……海龍と龍使いが、わずか二組だけ……)
対潜警戒要因の駆逐艦はその本来の任務を果たせていない。
上空から見ても、甲板は避難民で埋め尽くされている。
兵員も物資も、人を守るための手段ではなく、“守られるべき存在”で埋め尽くされていた。
(……悔しい。空から見ていても、潜水艦はわからない。何か来ていても、気づけない……!)
ホニーは唇をかむ。
せめて空域だけでも――。
彼女は風を読む。精霊の気配を探り、船団の周囲を旋回し続けた。
(……コタンコロ。どうか、少しでも早く……)
精都からくるコタンコロとの合流、その祈りだけが彼女を支えていた。




