第35話 「激震」
神都アマツ。危機管理局の執務室に、乾いた足音が響いく。
フジワラ局長のもとに、緊急報が届けられる。
―タベマカおよびインスペリから、シーレイアとコアガルへの宣戦布告
受け取った報を静かに見下ろし、フジワラは目を細める。
(……やはり、来ましたか)
想定はしていた。
だが、二国ともに旧式装備が主力で、戦略的優先度・脅威は低いと踏んでいた。
現実として、スパークやライコウなどの新型機は、北部列島防衛に重点的に配備している。
「だが……」
フジワラはそのまま、軍議の場へ向かう廊下を歩きながら、冷静に頭を巡らせた。
インスペリ海軍は空母を保有しているが、艦載機の質は高くない。
タベマカに至っては、テンシェンの払い下げ装備ばかり。
本来であれば、南部諸島群の旧式機の航空部隊と武装天竜部隊でも十分対処できる相手だ。
だが――気がかりなのは、あの“紅い機体”だ。
(テンシェン新型機を、両国に複数供与しているとすれば……)
工業力的に、テンシェンが自国の正規軍以外に多数供給できるとは考えにくい。
そう推測した矢先、軍議室に入った瞬間、新たな報が飛び込んできた。
―南部諸島の主要軍事拠点にて、一斉奇襲を確認
―精都アーミム、劣勢。陥落の可能性あり
―敵機の一割にテンシェン新型機を確認
―ローチェ帝国製と思われる機体も混在
―南部第二防衛拠点・アクル竜の里、陥落寸前
―コアガル海軍、空母全艦沈没
フジワラは、初めて言葉を失った。
(完全に……先を取られた)
旧式中心とはいえ、南部には天竜部隊と旧型戦闘機による迎撃態勢が敷かれていた。
それが、わずか数時間で次々と突破されていくとは。
思考を巡らせる間もなく、もう一枚、情報紙が差し出された。
―テンシェンおよびローチェ帝国艦隊、北部列島近海を航行中
……来るか。
フジワラは息を吐き、静かに口角を持ち上げた。
(北部の戦力を南部に振れば、テンシェンとローチェが動く。――牽制のつもりか。いや、本気か)
「初手、完全に取られましたね。」
普段の胡散臭い笑みが消え、フジワラは椅子に深く腰掛けた。
***
その頃、精都アーミム。
状況確認を終えたホニーは、慌ただしくホテルの自室へ戻ってきた。
だが――部屋には誰もいない。
「……ラシャ姉? ナーグル……?」
まるで最初から誰もいなかったかのように、部屋は整っていた。
一瞬、不安が胸をよぎったが、ホニーは思い直す。
(……このホテルには、政府関係者や要人も宿泊していたはず。おそらく、安全な場所に避難させられたのだろう)
気を取り直し、今できることに集中する。
ホニーはマートと共に、戦時司令室へ向かった。
“星渡り”であり、外交局・特命外交官でもある彼女に、身分確認の必要なかった。
偶然ルルザの副官と出会い戦時司令室へ案内してもらう。
重々しい扉の向こうに広がる、静かな緊張。
大地図が広げられ、司令官シャッハと領主ルルザが次々と伝令を受け取っていた。
「失礼します。」
ホニーは凛とした声で言葉を投げる。
ルルザが顔を上げた瞬間、いつもの調子で言いかけた。
「ホニー、今それどころじゃ――」
「ホニー・テンペスト・ドラグーン、空から見た戦況の報告、短く済ませます。」
その口調に、ルルザは言葉を飲んだ。
目の前にいるのは、あの“ホニー”ではない。特命外交官“テンペスト”だ。
「……聞こう。」
シャッハが促す。
ホニーは短く、だが正確に報告を告げる。
「軍港と飛行場は、目視で見る限り甚大な被害を受けています。ですが、迎撃機が上がっていたことから、滑走路はまだ使用可能。軍港も天竜部隊が爆撃機への迎撃に出ています。」
ここまでは、司令部はすでに把握していた内容だった。
ホニーは少し声を低めて言った。
「……敵に、テンシェン新型機と、それを操るパイロットを確認しました。」
室内の空気が、わずかに揺れた。
「テン……シェンの……だと?」
シャッハの声が、わずかに震える。
その瞬間、伝令兵が再び駆け込んできた。
「報告! アクル竜の里、陥落寸前――!」
その瞬間、ホニーの思考が音を立てて止まる。
「――っ!」
竜の里陥落寸前の報せが届いた瞬間、ホニーの視界が真っ白に染まり、力が抜ける。
膝が崩れ落ちかけたところを、ルルザが咄嗟に支え、そっと椅子に座らせた。
「限界、か……」
彼女の肩に手を添えながら、ルルザは静かに呟いた。
「その子の故郷は、確か……」
「……ああ。アクルだ」
シャッハが低い声で応じる。
司令室の空気が、さらに重く沈んでいく。
「アクルが……落ちるか」
シャッハは言葉を噛みしめるように繰り返した。
「シーレイア建国以来、空を守ってきた天竜。その象徴とも言える地だ。ここが落ちれば……」
ルルザも沈黙した。
――国の戦意が折れる。
アクルは“竜使い”と“天竜”の聖地。
それが敵の手に堕ちることは、ただの軍事的損失では済まない。
(タベマカやインスペリは、これを“時代の終わり”として喧伝するだろう)
飛行機の時代。天竜の終焉。
その流れに勢いを与えてしまう。
だが援軍を出せば、今守り切っているアーミムが落ちる。
南部諸島は全域で軍事拠点への奇襲攻撃を受け、すでにギリギリの防衛戦力しか残っていない。
「……領主ルルザ」
シャッハが、静かに言った。
「民間人の中部諸島への避難誘導を。あわせて、義勇兵の募集をお願いします」
ルルザは応じなかった。
沈黙のまま、椅子に深く身を沈める。
その目は、眠るように静かなホニーの顔を見つめていた。
南部諸島第二の軍事拠点、ホニーの故郷アクルを見捨てる選択をしようとしているのだ。
(俺を……恨んでくれ)
唇の奥で小さく呟く。
――その瞬間、ホニーの睫毛が揺れ、耳がぴくりと動き目は少し開いていた。
***
攻撃は第二陣まで続いたが、敵軍の被害が大きかったのか、アーミム上空は一時的に静寂を取り戻していた。
その夕方。
ホニーは意識を取り戻し、避難先から戻ってきたラシャとナーグルと合流した。
「ホニー、よかった……! 帰ってこないから、心配したよ……!」
ラシャが安堵したように駆け寄り、そっと抱きしめてくる。
「うん……ラシャ姉も、無事でよかった」
ホニーは、その腕をやんわりと包み返した。
ラシャの夫は、今日アクルにいた。
ホニー達両親、マートの家族もまた、出発の予定だったはずだ――。
言葉に出すことはできなかった。
「ホニー姉……!」
ナーグルが泣きそうな顔で駆け寄ってくる。
「もう、ナーグル。八歳なんだから、泣かない泣かない」
ホニーは努めて明るく微笑みながら、彼の頭を撫でる。
その指が微かに震えていることに、誰も気づかない。
「ラシャ姉……」
ホニーは、ふっと目を伏せて言った。
「これから、多分また忙しくなる。ナーグルのこと……お願いできる?」
ラシャは、何も言わずに頷いた。
「分かってる。母さんたちとも、合流に時間がかかりそうだし」
言いながらも、お腹に手を当てる。
「私も飛べたら良かったんだけどね。……今の身体じゃ、さすがに無理だわ」
ラシャは、そう言って微笑む。
その笑顔が、かえってホニーの胸を締め付ける。
(ごめん、二人にはアクルのこと話せない。伝えられない。)
風が静かに吹き抜ける夕暮れの窓辺、ホニーの瞳には、遠い空が映っていた。




