第34話「暴走の意味」
精都アーミム、朝。
スイートルームの柔らかな布団に包まれ、ホニーたちはまだ夢の中にいる。
朝日がカーテンの隙間から差し込む、そんな穏やかな時間だった。
――その瞬間を、引き裂くような音が響き渡る。
ウゥウゥウゥウゥ――!!
けたたましい空襲警報が、街全体を震わせる。
「なにっ……!?」
ホニー、マート、ラシャは反射的に跳ね起きた。
一拍遅れて、ナーグルが布団の中で震える。
「ホニー姉、ラシャ姉……この音、なに……?」
幼い声が不安に震えている。
ホニーとラシャは一瞬目を合わせ、ラシャが目で「頼む」と合図を送り、ホニーは小さく頷いた。
「……ねえナーグル。何の音か分からないけど、うるさいよね。」
ホニーは優しく笑いながら、努めて普段通りの声で言う。
「ちょっと、外の様子見てくるね。ラシャ姉のそばを離れちゃだめだよ?」
「う、うん……」
ナーグルの不安げな手をラシャに預け、すれ違う瞬間ラシャにだけ聞こえる小さな声で言った。
「……たぶん、戦争が始まった。」
ラシャは一瞬、目を見開いたが、すぐに表情を戻す。
「分かった。気をつけてね。」
部屋を出る際ホニーは二人に声をかける。
「じゃあ、ちょっと見てくるね。」
まるで“少し遊びに行ってくる”かのように告げる。
ラシャは微笑んで見送った。
ホニーはマートとともに部屋を出る。
ホテルの玄関を飛び出すと、未だにサイレンが町中、鳴り響く。
マートの背に跨がる。
住民達が何事かと不安げに道路にで始めていた。
「マート、人をよけながら離陸するよ。」
本来なら禁止されている人の往来のある道路からの離陸。
非常時と判断しマートにここから空に上がるよう指示を出す。
「了解。無理やり上がるからホニーは僕が人と接触しないよう指示して。」
マートは人がまばらにいるホテル前の通りを滑走路代わりにして、狭い道を一気に加速し、空へと跳ね上がった。
早朝の空は澄み渡っているはず。
けれど今は、微かに焦げた鉄と油の匂いが風に混じっている。
「……この匂い……燃えてる……」
高度を上げ、ホニーは軍港と飛行場の方向を目で追う。
そこには、予想通りの――光景があった。
煙。火柱。崩れた格納庫。
まるで地獄が、街の端で立ち上がっているようだった。
そのとき――精霊の感覚が、耳元で囁く。
(高速接近、こちらに向かってくる……!)
「来る!」
ホニーはすぐに体を伏せ、マートに急旋回を指示する。
パパパパッ、パパパパッ、パパパパッ
ホニーたちが旋回する前にいた場所に機銃が襲い掛かった。
視界の端に、太陽を背にした機影が浮かぶ。
紅い――あの色、あのシルエット。
「間違いない……テンシェンの新型機!」
初めてテンシェンを訪れた時にホニーを威嚇した戦闘機。
光に包まれた輪郭が、徐々に明確になっていく。
――そして、すれ違いざまに見えたパイロットの顔。
「……フェン・ウーラン……!」
ホニーの喉が、ひゅっと細くなる。
三年前。あの紅い機体に、一度でも間合いに入られたら墜とされると思った。
その感覚が、皮膚を通じて蘇る。
「マート、急上昇! 高度を取って一気に逃げる!」
「了解!」
重力が体にのしかかる。肺が潰れそうになるほどの加速。
視界が暗くなりかけるが、ホニーは必死に耐えた。
フェンの機体が、空を裂くように迫ってくる。
(腕がいい……この距離、完全に捕捉されてる)
ウーランから逃げ切れる保証はない。
けれど――この空だけは、渡さない。
「マート! 一度、あいつを撒く!」
「了解!」
ホニーとマートは、水平線へ向けて一直線に突き進む。
その背後で、戦争の火蓋が静かに、だが確実に――切られていた。
ホニーは精霊術で探知の魔法を広域に広げる。
ウーランの機体の場所も把握するが、軍港や飛行場といった場所が航空部隊の激しい攻撃を受けていることに気づく。
(飛行場や軍港方面に行くのはダメ、でも住宅街の方向へ連れて行くはもっとダメ。)
ホニーは一旦太陽が昇ってきている、海上へ出ることを選んだ。
(ウーランからは逆光、太陽を背にしたら撒けるはず)
「追ってこない」
ホニーは安心したようにつぶやいた。
(戦場から大きく離れたから追ってこなかったんだ)
太陽を背に、戦場から大きく逃げていく白き天竜と竜使い。
フェン・ウーランはその姿を一瞬見送り――深く息を吐いた。
「まさか、あのテンペストが……精都にいるとはな。」
因縁ある相手に、開戦の初手で再会するとは思ってもみなかった。
けれど、感情よりも任務が先である。
「これも天帝の導き、か。――戻るか。」
ウーランは機体を翻し、爆撃部隊の護衛任務へと復帰した。
精都アーミム上空には、対空砲火の光がすでに交錯していた。
(……奇襲したはずが、反応が妙に早いな)
爆撃機を護りながら、フェンは鋭く状況を観察する。
(情報が漏れているレベルではない。だが、この第一波でこの警戒なら……第二波までが限度か)
対空砲はまだ新型ではないが、照準精度は想定よりも高い。
そして上空には、すでに武装天竜部隊と戦闘機が上がってきている。
「南部諸島……やはり旧型主体か。」
テンシェンの戦前の情報では、北部列島群は対テンシェンやローチェを見越して新型兵器への転用が進んでいるが、南部はまだ旧型が主力である、と。
フェンは機銃を構え、冷徹な集中力で次々と敵を落としていく。
彼にとって、1対1の戦いはもはや戦闘ではなく“仕事”だった。
新世代のスパークではない旧式戦闘機。
練度は非常に高いが新型戦闘機には劣る天竜。
避けられる弾道。遅れる回避。射角の読み違い。
そのすべてが、彼の照準に収束していく。
「……空は、いただく。」
冷ややかな笑みを浮かべ、フェンは時間の許す限り、アーミムの空を蹂躙した。
***
「……くそっ!」
南部諸島群の領主ルルザは、戦時用の司令室で拳を机に叩きつけた。
「完全に裏をかかれた……!」
想像以上の規模と速さの空襲。
南部中枢を突かれたその現実に、苛立ちが抑えきれなかった。
「領主、落ち着いてください。」
同席していた南部諸島軍司令官シャッハが、沈着な声で言う。
「……俺が昨日、非常事態体制に最大まで引き上げていれば……」
悔恨が、ルルザの声に滲む。
頭をよぎったのは、昨日ホニーから受け取った御使い様の手紙――。
《タベマカ、インスペリに不穏な動きあり。公的文書では未確定情報が多いので出せないが、南部への侵攻の可能性あり。警戒を。》
公式文書として扱えない内容だったが、ルルザは直感的に“嫌な予感”を覚え、警戒レベル二段階の引き上げをシャッハに要請した。
「理由は今日改めて聞かせてもらうつもりでした。ですが……昨日のうちに引き上げておいて、正解でした。」
シャッハはルルザの肩にそっと手を置いた。
「被害は大きいですが、壊滅はしていません。防空網も完全には落ちていない。」
彼は目の前の戦況図を見つめながら、低く続けた。
「……昨日、“星渡り”が三時間早く到着したこと。その偶然に、感謝すべきかもしれませんね。」
ルルザははっとした。
――そうだ。本来、ホニーが手紙を届ける予定時刻は三時間後だった。
もし到着が前倒しをしていなかったら、手紙の確認は今朝だったはず。
それでは、何も間に合っていなかった。
「……あの暴走娘の早着が、神の采配だったか……」
唇の端が、わずかに吊り上がる。
「……まだだな。俺たちは、まだ天に見放されてはいない。」
燃える空の向こうに、ルルザの目に闘志が灯る。




