第32話「休暇」
星渡りを達成してから、三年。
ホニー・テンペスト・ドラグーンは、外交局所属の特命外交官として、契約竜マートと共に文字通り世界を飛び回る日々を送っていた。
この日、久方ぶりに神都アマツへ帰還したホニーは、報告書を手に外交局本庁を訪れる。
「ホニー・テンペスト・ドラグーンです。報告書をお持ちしました。」
空いていたドアの前で声をかける。一礼して入室し、ドアを静かに閉めた。
「報告書はすでに読んでいます。それで――直接出向いた印象はどうでしたか?」
出迎えたのは、副局長から昇格したオオクラ外交局長だ。
「タベマカでは精霊の気配がかなり薄くなっていました。インスペリも減少傾向でしたが、タベマカほどではありません。」
ホニーは淡々と、しかし慎重に言葉を選びながら報告を続ける。
「ただ……インスペリの沿岸部や近海では、顕著に精霊の気配が減っています。海で、何かが起きているかもしれません。」
「……精霊の“回収・支配”を行っていると?」
「可能性は高いと思われます。」
オオクラは小さく頷いたが、その顔は晴れない。
未だにシーレイアは、テンシェンやその陣営による精霊回収・支配技術の詳細を把握できていない。
だが、精霊の消失・支配という現実が、確かに敵の“行動”で示していた。
「……ご苦労でした。やはりホニー君に任せて正解でしたよ。」
オオクラは報告書を閉じ、話題を切り替えた。
「さて、ホニー君は明日から休暇だったね。」
「はい。ただ……このご時世に、2週間もいただいてしまっていいのでしょうか?」
ホニーはこの緊迫した国際情勢を考え、申し訳なさそうに尋ねる。
「だからこそ、ですよ。後に延ばせば、それこそ永遠に取れなくなる。会える時に会っておく、これが人生の後悔を減らすコツですよ。」
オオクラは年長者らしい口調で微笑みつつ、過去の後悔の独白とも取れる様子で続けた。
「ご実家は軍属が多い。今このタイミングを逃せば、一同に会する機会はしばらく巡ってこないでしょう。」
(場合によっては二度と会えないことも)
オオクラは自分の過去を思い返しつつホニーに話す。
ホニーの父、兄、そして自分――全員の都合が奇跡的に合った今回の休暇。
三年前、鎮魂祭の親書配達に対する報奨として与えられた“温泉宿泊権”が、ようやく日の目を見ようとしていた。
「ありがとうございます。アーミム国際ホテルで、羽を伸ばしてきます。」
「……それと、ひとつお願いが。」
オオクラが思い出したように言う。
「御使い様から、南部諸島への配達依頼がありまして。ついでにお願いできませんか?」
「もちろん、喜んで!」
思いがけないうれしい仕事だった。
部署が変わって以来、なかなか御使い様に会えなくなっていたホニーは、思わず笑顔で頷く。
「それでは、失礼します。」
ホニーが局長室を出て行ったあと、オオクラはふと、テンシェンにともにいった時の頃の彼女を思い返す。
(……成長しましたね。まあ、あのくるくる変わる表情が見られないのは、少し寂しいですが)
この3年間オオクラや危機管理局長のフジワラがホニーに政治・外交・軍事の教育を施し、徹底的に鍛え上げたのだ。
静かに息を吐き、報告内容を上層部に伝えるため、彼もまた立ち上がる。
***
アクル・竜の里にあるホニーの実家。
玄関先で、ホニーの母シサーが長女ラシャに声をかけていた。
「ラシャ、身重なのに悪いけど……ナーグルのこと、よろしくね。」
軍属だったラシャは結婚を機に退役していた。
「お母さん、心配しすぎだって。もう安定期だし、お医者さんからも問題ないって言われてるよ。」
ラシャは丸みを帯びたお腹をさすりながら、軽く笑ってみせた。
「……にしても、ナーグル遅いわね。」
その直後、大きな荷物を抱えたナーグルが、どたばたと走って現れた。
「ナーグル、それなに?」
「ホニー姉の新聞の切り抜き集!ホニー姉に見せてあげるの!」
八歳になったナーグルは、アクルでもとても優秀な少年と評判だ。
……ただし、ホニーへの尊敬が過剰すぎて、もはや“信仰”と呼ぶべきレベルに達しているのを除けば。
「ホニーも、見せられても困ると思うけど……」
ラシャは止めようとするが、ナーグルは意に介さない。
「でも、グラル兄が“絶対喜ぶから持っていって見せてあげろ”って言ってたよ!」
それを聞いて、ラシャは悟った。
(……さては兄さん、みんな揃った場でホニーをからかうつもりね。ホニーもナーグルに対しては甘いからそれを逆手にとって……)
兄グラルのしそうなことだと思った。
(まあみんなホニーの活躍は喜んでるし、ホニーの必死に照れ隠しで否定するところ可愛いからな)
ラシャはホニーに心の中で謝りつつも、せっかくだからホニーには犠牲になってもらおうとグラルの企みに乗ることを決めた。
「……移動中に無くさないように、気をつけてね。大事なものなら、ちゃんと鞄にしまっておくのよ。」
もう止めるのも辞め、背を押すことにする。
「じゃあ、お母さん。先に行ってくるね。」
「ラシャ、ナーグル、いってらっしゃい。」
「行ってきます!」
ナーグルは元気に手を振って出発する。
それはいつも通りよく見る家族の挨拶だった。
ラシャは、身重のため竜での移動を避けて飛行船で向かう。ナーグルも契約前のためラシャに同行する。
二人は先にアクルを発ち、アーミムで家族と合流する予定だ。
4年ぶりに全員揃う、ドラグーン家の面々。
それぞれが待ち望んだ、ささやかな温泉旅行――
その背後で、世界は静かに、大きく動き始めていく。
第二部開始です。よろしくお願いいたします。




