第29話「今後と対価」
星環海横断の翌日。
ホニーは昼過ぎまで宿の部屋で体を休めていた。
魔力の枯渇と精霊を受け入れた反動で、身体はまだふわふわと浮いているようだった。
そんな中、宿のスタッフから来客の知らせが入る。
兄のグランなら、わざわざフロントを通すようなことはしないはずだ。
誰だろう――そう思いながら簡単に身支度を整え、案内されるままに別室へ向かう。
部屋に入ると、そこにいたのは胡散臭さに定評のある人物――
「偉業達成、おめでとうございます」
フジワラ危機管理局長だ。
「ありがとうございます。ですが……私、まだ体調が戻りきってなくて。できれば明日に――」
ホニーは疲労で抑揚のない声を出し、やんわりと退室を促した。
だがフジワラは首を横に振り、話を続ける。
「申し訳ありませんが、こちらにも急を要する事情がありまして。祝賀会までに“星渡り”をどう使うか、調整を進める必要があります」
“使う”――ホニーの目がわずかに細まる。
ホニーを目の前にし、あえてフジワラはそう言った。
「……まだ頭も回ってないのに、そう言われても困るんですが」
「それを私に言うということは、今この場で私は“カモ”です、と自分で宣言しているのと同じですよ。気をつけなさい」
まるで講義のように、冷淡なトーンで言い放たれる。
「レコアイトス側から、テンペスト卿にぜひ留学してほしいという打診がありました」
ホニーの調子など関係ないといった様子で話を続ける。
「……留学?」
「ええ。ですが、今の貴方を国の代表として送り出すには未熟です。なので、まず一年、私が徹底的に物事のいろはを叩き込みます。その後、一年レコアイトスに滞在していただきます。決定事項です」
返答の余地はないとばかりに言い切る。
ホニーはわずかに目を伏せたが、すぐに顔を上げて言う。
「分かりました。それを受けるにあたって……条件というわけではありませんが、ひとつお願いがあります」
「お聞きしましょう。“星渡り”様のご要望とあれば、できる範囲で」
口ではそう言いながら、フジワラの笑みは一切信用できないものだった。
「五年前、星環海横断に挑戦したレコアイトスの竜使い――アレックス・ノノレ様とお会いしたいのです。面会の手配をお願いできませんか」
フジワラの目が細くなる。
「理由を聞いても?」
「彼の助言がなければ、私たちは途中で……命を落としていたかもしれません」
ホニーは静かに言った。
「だから、まずはお礼がしたい。そして、できればノノレ様にも何らかの報奨を。シーレイアとして、何かできることはありませんか」
フジワラはホニーの言葉を聞き、黙る。
それは、国の名誉を他国の一個人と“分け合う”提案そのものだ。
「助言の内容を詳しく」
フジワラの声は静かだったが、場に緊張が走る。
ホニーは息を整え、ノノレの言葉と、自分たちが見た“神話の入口”について丁寧に語った。
語るうちに、フジワラの目がわずかに揺らぐ。
(星渡りは、能力だけで越えるものではなかった――)
それは彼の“前提”を覆す報告だった。
「……“魔力が尽きたあと、精霊に身を委ねる”。精霊の補助を受け飛び続ける、か……」
フジワラは独りごとのように呟く。
「まるで降霊術士のようだ....」
フジワラは何かを結び付けたようだ。
「分かりました。ノノレ氏への面会を手配し、必要に応じて礼遇も整えます。ただし――」
声のトーンが一転、氷のように冷たくなる。
「“精霊を取り込む”といった表現は、私の許可が下りるまで口外しないように。」
ホニーは黙ってうなずいた。
「……五年越しの挑戦を、両国の協力によって成し遂げた。確かに価値ある物語ですね」
「……でも、私の命が助かったのはノノレさんのおかげです。それだけは忘れないでください」
ホニーは少し震える声でフジワラに懇願する。
それは子どもらしい素直さでもあり、恩人が利用されることへの拒絶の意思でもあった。
フジワラはその言葉に、あえて何も返さず――静かに立ち上がった。
「良い式典になるよう、準備を進めておきます。お身体を大事に」
そう言い残し、男は部屋を後にした。




