第13話「空を飛ぶ意味」
ペイント弾で染まった色とりどりの汚れを落とし、ようやく本来の姿に戻ったホニー。
宿舎に戻ろうとしたその時、廊下の向こうから声がかかった。
「ホニー、飯行くぞ」
カンラだった。着替えの終わりを見計らったようなタイミング。
「えー、明日早いから軽く済ませて寝たいんだけど」
ホニーは顔をしかめつつ、言い訳を挟む。
「せっかくだから、美味い飯でも奢ってやろうと思ってたんたが」
「行く!」
ホニーは間髪入れずに即答した。
「……相変わらずだな、お前は」
呆れた顔のまま、カンラは歩き出す。
***
夜の通りを並んで歩くうち、飲食店がある商店街を抜け、住宅街に入っていた。
「ねぇ、カンラ。本当にご飯……?こっちに店あるの?」
街灯に照らされながら、不安げにホニーは尋ねる。
「安心しろ。俺はガキにゃ興味ない」
言いながらも、カンラはちょっと笑っていた。
しばらく歩いて、古い長屋風の建物の前で立ち止まる。
「着いたぞ。ここだ」
ホニーは目を瞬かせた。が、どう見ても、一般家庭の玄関口で気を落とした。
「……え、普通の家じゃん?」
「帰ったぞー」
玄関を開けると、中からエプロン姿の穏やかな女性が現れた。
「おかえり。あら、この子がさっき言ってた“テンペストちゃん”?」
「ああ。ホニー、俺の奥さんのナツカだ」
「えぇぇっ!? 結婚してたの!?」
ホニーは思わず素っ頓狂な声をあげる。
「5年前にな。神都で知り合ったんだ。まあ、玄関先で話すのも何だし……入れよ」
「……奢りって、奥さんの手料理ってこと!?」
「安心しろ、クソ美味いから」
***
ナツカの料理は、どれもシンプルな家庭料理だった。
派手ではない。でも、どれも温かくて優しい味のする。そしてとても美味しかった。
「テンペストちゃんが、あの“ホニーちゃん”だったなんて……」
ナツカが感心したように笑う。
「できれば、“テンペスト”じゃなく“ホニー”でお願いしたいです」
照れながらホニーが返す。
「それにしても……カンラ..さん..がこんな美人と結婚してたなんて、驚いたよ」
「ま、俺も神都でそれなりに頑張ってんだよ」
カンラが鼻をかくように笑う。
「それに……ガキもできたしな」
カンラの視線の先、ソファで小さな子どもがすやすやと寝息を立てている。
「四歳、だっけ? 私の弟より一つ下かぁ」
「そうだな。サルサはこの前、四つになった。にしてもホニーが来るって知ってさっきは大喜びだったんだが寝ちまったな。」
カンラは気持ちよさそうに寝るサルサを起こそうか迷ってる様子で話す。
ナツカがそっとサルサに毛布をかけ直した。
子どもに向ける二人のまなざしが、どこまでも穏やかだ。
***
「もっといたいけど……明日早いから、そろそろ戻ろうかな」
ホニーが席を立ちかけると、ナツカが優しく声をかける。
「あなた、送ってあげて」
「おう」
帰り道。夜風がほんのりと冷たい。
「……カンラ、いい人と結婚したんだね」
ホニーはお世辞じゃなく、素直にそう言った。
「ありがとな」
カンラは一拍置いてから続ける。
「今日の試験飛行……俺が勝った。だが、安心しろよ」
突然の切り出しに、ホニーは少し戸惑った。
「今回は俺が有利すぎた。本来なら、お前は接近される前に離脱してるはずだ」
ホニーはすぐに言葉の意味を理解した。
「まあね。私は非武装だし、射程に入った時点で負けってことだしね。それでも、私に空戦で勝ったって自慢していいよ。」
にやりと笑ってドヤ顔を決めるホニー。
「おう。南部の連中には“スピード狂い”に勝ったって言ってやるよ」
「ちょ、なんでその名前知ってんの!?」
慌てて問い返すホニー。
「ラシャから聞いた。天竜スピードレース・グランプリシリーズ完全制覇した"スピード狂い”の正体はホニーなんだって」
「……ラシャ姉、なんでそんなの広めてんのよ……!」
ホニーは顔を真っ赤にして天を仰いだ。
「あと――飯に釣られて知らない男について行くな。見知った奴でも、だ」
急な話題転換に、ホニーはぽかんとする。
「……まあ、そんななりでも年頃の乙女だ。少しは警戒しろ」
「そんななりって……! 竜使いには適してるもん!」
ぷりぷり怒る小柄で凹凸の乏しいホニーを見て、カンラは少し笑った。
「……うん。たしかに竜使いとしてはそうだな」
二人の足音が夜道に響く。
ホニーはふと空を見上げた。満点の星空の光が静かに降りている。
(誰かを守る空。誰かを想って飛ぶ空――)
さっき見たカンラの子供サルサの寝顔が、ふと浮かんだ。
(……私も、そんな気持ちで飛べるのかな)
そんなことを思いながら、彼女はカンラの隣を歩き続けた。
本日は全3話投稿予定です。次の14話は18時30分、15話は21時30分です。