第99話「信仰の意味」
> この日を、私は一生忘れない。
そう日記に書き残したのは、クラムアに住む一人の少女──タリャ・コホウオ。
あの日、少女の信仰は砕かれた。
彼女は朝の勤めを終え、大聖堂の近くの建物一室で静かに朝食を取っていた。
ほどなく、都市全域に警報が響き渡る。
直後、空が叫びを上げる。
ドォォォンッ!
大地を割るような轟音。
振動。火柱。炎。悲鳴。
驚き外に出ると、大聖堂が──燃えていた。
「……なんで?」
信仰の場が、空からの攻撃で焼け落ちるなど、誰が想像しただろう。
空には黒い飛行機がいくつも現れ、次々と大聖堂へ急降下してくる。
祈りの塔が、炎に包まれていく。
リクリス神の加護がある限り、クラムアは絶対に安全。
司教様はいつもそう言っていた。
(……嘘だったの?)
神職たちが炎の中で助けを叫ぶ。
誰かの服が燃え、誰かが泣き叫ぶ。
(……なんで? なんで神に仕えてる人たちが死ぬの?)
あの神は、私たちを見て、守ってくれるはずじゃなかったの?
タリャは、呟いた。
「……リクリス様の、嘘つき」
その瞬間、彼女の中で何かが崩れた。
***
その頃──クラムア上空。
空でも、神話は崩れつつあった。
「……流石にこれは、多すぎるな」
ホニーは歯を食いしばる。
目の前にも、背後にも。空中に編隊を組む無数の敵影。
「後ろからも来てる。……うん、ちょっとキツイかも」
マートの声も緊張を隠せない。
確認できるだけで、およそ100機。
インスペリの戦闘機隊。性能こそローチェやテンシェンより劣るが、数が違う。
(さすがに、これは突破できない……)
上空も塞がれていた。
シールドを展開しての強行突破も考えるが、この数を相手にするのは無謀すぎる。
完全に、ホニー達は詰んでいた。
──その時、声が聞こえた。
『私にまかせて』
(……ジャスミン?)
ホニーはネックレスに視線を落とす。
温かい気配。確かな応答。
それが“ただの勘”ではないことはすぐに分かった。
「マート……私、ジャスミンに賭けてみる」
(ジャスミン、お願い…)
次の瞬間、ホニーの世界が変わる。
風の音の裏に──聞こえる。
精霊の声。霊たちの囁き。
敵機の軌道、角度、死角。
すべてが、導くように聞こえてくる。
(これが……降霊術の世界……!?)
「マート、回避左七時方向へ旋回、上昇! 次、右に急反転して!」
すれ違いざま、敵機がホニーを追いかけようと旋回したその瞬間──
バァンッ!
光の壁のような何かに触れ、敵機が爆散した。
『安心して。私が“盾”を使っただけ。……残り、全部やっつけるから』
(えっ……全機!?)
ホニーは驚くが、もはや返す暇もない。
眼前にはまだ、百の敵機が空を埋め尽くしている。
そこからは、空が変わった。
まるで何かに“導かれる”ように、ホニーとマートは空を駆ける。
敵の銃撃はすべてかすりもせず、すれ違いざまに撃ち落としていく。
盾が光を放ち、衝突する敵機を爆散させる。
そのたび、空に火花が咲く。
クラムアの空は、たった一組の竜使いによって塗り替えられてしまった。
地上では、大聖堂が焼け落ちている。
祈りの塔が崩れ、信仰の炎が黒煙と化して空へと昇っていく。
そして空では、首都の防空戦力が──
リクリス神に護られているはずの戦闘機部隊が──
“神殺し”の名を持つ竜使いに、次々と爆散し撃ち落とされていく。
一方的な戦闘。
象徴の崩壊。
それを見上げたタリャ・コホウオ、こう思った。
──「神が、負けている」
──「いや神が負けるのはおかしい」
──「あの白き竜と竜使いこそ、『真なる神』なのではないか?」
信じたものが破壊された心は、新たなる信仰を求め始めている。
──「ああ、そうに違いない。神は偉大なるもの。負けるはずがない」
タリャの瞳に狂気が宿る。
「私たち邪神により騙されていた。あの竜と竜使いこそ、本当の神である!」
燃え盛る大聖堂の前で大きく叫ぶ。
その言葉は信仰心を砕かれたリクリス教の熱心な信者たちの心に響く。
『邪神リクリス許すまじ!』『愚かな我らに神罰がくだった』
クラムア大教会で発狂した信者たちが叫びわめく様子を、インスペリの政府高官たちでさえ、口をつぐみ、ただ呆然と眺めるしかなかった。
人の信仰は、こうもあっさりと変わるものかと。




