第92話「指揮官の決意」
「……くそが……」
テンシェンのエース、フェン・ウーランは歯噛みしながら吐き捨てた。
コックピットの中、照準器に何も映らない。獲物はすべて逃れた。
レコアイトスの星渡りもどき──ノノレ。
確実に撃墜できると思っていた。だが奴は、空に奇跡を起こした。
呼び戻された精霊たち。沈黙を破って再起動した共鳴魔法。
あれほど完璧に封じたはずの空が、息を吹き返していた。
(……見事だ。だが、許せん)
周囲のシーレイア機も活気を取り戻し、機動も明らかに向上しているように見えた。
自身の燃料の残量に目を落とす。限界は近い。
(もう引き際か)
ノノレへの執拗な追撃。ジャスミンとの死闘。
確かに戦果を得たが、彼が欲しかったのは──星渡り、その存在そのものだった。
「目ぼしい成果は……“シーレイアの貴婦人”の撃墜、だけか」
機体の操縦桿を握る指がわずかに震える。
星渡りはいなかった。見た瞬間にわかった。
シーレイアは最初から“本物”を隠したのだ。
(……万が一に備えてか。だが、俺が何より欲したのは……)
天帝に直訴してまで希望した南部戦線残留。
星渡りを討つためだけに、この空に来た。
その星渡りは影武者を立てられ、自分の執着・執念はすり抜けていった。
作戦失敗。奇跡の成立。
フェアリーフォールを突破された今、この戦域で次の機会はない。
地上に視線を落とす。
ローチェ陸軍はシーレイアの激しい抵抗に苦しんでいた。
本来ならシーレイアの魔術は封じられているはずだ──空と同様、陸にも異変が起きていた。
フェアリーフォール起動後、ローチェ機甲師団を中心とした、陸上勢力の速攻による基地制圧。
それが当初の筋書きである。
(ノノレの魔法が、全域に……?)
息が詰まる。
魔術を失った非力なシーレイア陸軍相手であればすぐに終わる予定であった。
(これで……終わったか)
一人の竜使いにより戦略を崩されたとウーランは悟る。
せめて──せめて何かを奪って帰る。
フェンは低空を飛びながら、シーレイアの陸上施設に機銃を浴びせかけた。
滑走路。弾薬庫。無線塔。撃ち込みながら、それでも怒りは収まらない。
「パピト島も、奴らのものになったか……」
機体を旋回させ、紅い閃光を引いて、彼は空から消えた。
***
「伝令! 《オペレーション・ドラゴンズスカイ》成功。パピト島西部、ほぼ制圧とのことです!」
南部諸島軍司令、ヒサモトのもとに報が届いた。
彼は静かに地図を見つめたまま、頷く。
(順調、か。こちらは……)
「……ホナマ基地は?」
別の伝令が一歩前へ進み、重く告げた。
「防衛成功。しかし……新たな精霊支配兵器が使用され壊滅的被害とのことです。
特に、配備されていた霊都航空隊は、隊長以下、ほぼ壊滅と──」
ヒサモトの目が、一瞬見開かれる。
「霊都航空隊がか……ジャスミン……」
南部戦線の最強部隊の一角が壊滅した。そしてそれを統べるエースと共に。
唇がかすかに動く。
それきり、数秒の沈黙。
かつて中部諸島群・霊都を統括していた自分にとって、霊都航空隊は特別な部隊だった。
ヒサモト自身が飛行機の先進性を感じ、結成させ作り上げた航空戦力。
中でもジャスミンは若きリーダーとして将来を嘱望されていた。
軍人でありながら、降霊術士としての資質も高く──そして、何より。
あの星渡りに最も近しい存在。
ヒサモトはすぐに目を閉じ、思考を切り替える。
「被害規模、詳細をまとめて報告書に。」
「はっ」
背筋を伸ばしながら、ヒサモトは地図に視線を戻す。
(……南部諸島戦線、ついに最終局面か)
パピト島は事実上の制圧が完了。
次に目指すは、最大にして最後の要衝──精都アーミム。
だがその道へ至るためには、血と代償で進むしかない。
失ったものは多い。
だが、戦況はこちらに傾いている。
これまで自分の指揮により散ったもの達に報いるため、これから散るであろう命を無駄にしないため。
(精都は、まだ遠い。だが……行く。必ず奪還する)
地図の上に指を置き、ヒサモトは静かにその一点を見つめ続けた。




