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趣味人の時代

 一九七〇年代も中頃を過ぎると世の中は安定し始める。七三年からの変動相場制への移行によって、一ドル=三六〇円から固定相場の為替は変動相場として、日々値は変わるようになった。徐々に浸透した大阪エキスポ七〇後の影響も相まって、その変動相場の影響がしだいに世論や文化にも特徴が出始める。以前よりも身近になった海外旅行や舶来品の輸入など、いわゆる国際化時代の先駆けである。


 流行歌の歌詞にも「エアメール」、「フライト」、「ハンバーガー」などや欧米の地名「マンハッタン」、「カリフォルニア」、「地中海」、「エーゲ海」などの異国文化を象徴するキーワードが使われるようになる。七〇年代の面白いところは前半の泥臭さやきな臭さから、対照的に後半のスタイリッシュさやお洒落さへと変貌を遂げる点だ。

 子供たちはその後半時代には趣味でスーパーカーやブルートレイン、そしてコミック文化と「スペースインベーダー」などのテレビゲームの誕生で楽しみを見出している。大人たちは「一枚のキップから」や「カラオケスナック」などの旅行、音楽、そしてスポーツを兼ねたハイキングやゴルフ、釣りとレジャーの多様化が進んだ時代だった。

 

 おおよそ多くの人が七〇年代を思い出すときはこの後半部分の想い出を語ることが多い。オレもそのひとりだ。

 前半の長期化したベトナムの戦局、学生運動、浅間山荘、よど号事件、オイルショックを思い出すよりも、一九七五年以降のこれから綴る国際化の時代や電子レンジなどの電化製品の発達と一般化、庶民若年層のマイカー時代などの文化的、物質的普及を示す人が多い。皆の脳裏で燻っていたあの前半時代の泥臭さは脳裏をかすめることもなく、都合良くどこかに追いやってしまった。


 この頃には各地の地方都市もアメニティやインフラの面でドブには蓋がされ、マンガののび太君のように誤ってドブに落ちる子どももいなくなった。そして幹線道路や都市部の主要道路はほぼ一〇〇パーセント、アスファルト舗装が施され、砂埃やぬかるみという生活の悩みからも解消されたのである。一般家庭でもそのほとんどが水洗トイレへの移行を済ませていた。この時期に都市型アメニティの生活への移行と定着がはかられたのである。


 さて世間や社会情勢はこのへんで、我々の話に移ろう。この頃になると高木とチョーさんの率いるバンドには、既述の通り名前が付いて、下北沢では、結構有名な存在となっていた。『ザ・ムーンドッグス』というバンド名で各地のライブハウスからお呼びがかかるほどになっていたのだ。


 オレたち皆が大好きだったビートルズのレノンとマッカートニーの状況も加えておこう。

 前半の泥臭い時代に理想を掲げていたレノンは、ひとすじの光とも言える『イマジン』という大ヒット曲とその同名のアルバムを発表した。そのまま自身のルーツとなる音楽をカバーしたコンテンツアルバムを最後に後半は創作演奏活動から退いてしまう。まさに前向きになっていく時代とは逆にレノンはハウス・ハズバンドとして家事に専念してしまうのだ。まるで来たるべき八〇年代を先取りするかのように……。


 一方のマッカートニーは七〇年代中頃からウイングスというロックバンドで、ふたたびツアーを行うなどの精力的に音楽活動に本腰を入れ始めた。スパイ映画ジェームズ・ボンドの〇〇七の主題歌や『心のラブソング』、『あの娘におせっかい』、『マイ・ラブ』などを次々にヒットさせてそれを引っ提げてのことだ。しかも他のビートルズ・メンバーとは異なり、ライブでは懐かしのビートルズ・ナンバーも惜しげも無く披露していた。それはレノンとは対照的なパフォーマンスだった。そこがビートルズを懐かしむ世論と一致して、ウイングスが上手く時代の風に乗った形だ。


 オレは大学の卒業目前でオーディオに目覚めていた。秋葉原に通う日々を送っている。エリコの勤務先はオレの遊びの目的地秋葉原の隣町、そう神保町で、一緒に通勤することも多かった。

 最高級とまではいかないが、出力の際に余韻の出る真空管アンプに、アジマス調整が微細に行えるカセットデッキ、回転数の正確なダイレクト・ドライブ方式のレコードプレーヤーを手に入れた頃だった。

 そのまま二人で住み続けていたオレの部屋は、角部屋で隣の部屋は高木の部屋。なのでオレのアパートでも最低限のオーディオ・ライフを楽しむことは出来た。大ボリュームというわけにはいかないが、それなりに迷惑のかからない程度でこの時代の音楽を楽しめたのだ。


 いつものようにターンテーブルに針を落として、お気に入りの音楽を楽しむ。隣でエリコもオレに寄り添いながら楽しんでいた。特にエリコは『ヘルプ!』と『ラバーソウル』というアルバムがお気に入りだった。果実の林檎の絵が描かれたディスク中央部をターンテーブルの回転軸にはめて、三十三回転で回し針を落とす。針が自動で送り出せて戻ってくるオートターン機能は画期的で、その作業は機械音痴の彼女でもお手の物となった。

 ビートルズのステレオ録音盤は今の録音スタイルと少々異なり、左右対称では無い音が出てくる。簡単に言えば、ステレオの左と右はそれぞれヴォーカルだけ、演奏だけの構成になっているため、ヴォーカル側の音量を下げると演奏だけになってカラオケのような状態になる。そのため今でも中央でヴォーカルが聴けるモノラル盤が好きというファンも多い。


「こうしてさあ、ケンちゃんと音楽をシェアできるのって楽しいよね」

「分け合うってこと?」

「うん。だって、好きな人と同じ音楽を同じ空間で聴けるって、昔はなかったもん。ジャズ喫茶とかに行ってそのプログラムで聴いていたじゃない」

「そっか」

「オーディオの進歩って凄いよね。昔はアンプ内蔵型の一体型レコードプレーヤーだけの単体が多かったのに、最近のコンポーネント・システムっていうのは、セパレートのそれぞれのマシンを組み合わせて音を楽しむんだもんね」

 女性のエリコですら音楽の楽しみを機材の面から語れる時代がやって来たのだ。

「そうだね。とりあえずアンプとレコードプレーヤー、スピーカーを手に入れれば音楽は聴ける。またレコードプレーヤ-の代わりにチューナーを買えば、FMのエアチェックができるんだ。FMは高音質なステレオ放送で飛ばされてくるから、音がいい。流行の最新の曲が高音質で手に入る。それをカセットデッキでクロームやメタルのカセットテープで残しておけばあとでお気に入りの曲を何度でも聴き直せるんだ」

 僕はエリコに苦労して手に入れたシステムコンポの説明などをたまにすることもあった。

「でもさ。エアチェックじゃなくて仲間内でレコードの貸し借りをすれば、低予算でみんなで回してダビングでもいいんじゃない? そういうお店って出来ないのかな?」とエリコ。

「え?」

「また私バカなこと考えちゃった、ご都合主義の私」とぺろっと舌を出して笑う彼女。

「いや、そうじゃ無くて、それ出来るよ、いいアイデア」とオレ。

「ん?」

 相変わらずきょとんとした表情のエリコ。

「だからさ。レコード互助会だよ」

「れこおど……ごじょかい?」

「そう、みんながダビングしたいレコードを手に入れて、互助会の会員だけに特別料金で貸し出すんだ。これだけ高性能なシステムコンポが出回ってきた時代だ。レコードからのダビングを前提に借りたい人はいるはずだよ。しかも互助会に入った入会金の半分は保険のようなモノ。会員たちの共有財産にキズが付いたり、再生不能になった時の補填ためのいわば敷金だ」

「なるほど。ビジネスモデルになり得るって話ね」

「そう」

 エリコに話ながらオレは、自分の脳裏にこの商売のシステムを構築する算段を考えていた。ライブラリーの裾野が広ければ皆が借りに来る。しかもレコードは薄っぺらいモノだから場所はほぼ取らない。

「高木やチョーさんには敵わないけど、オレのやり方で音楽と人生を結びつける方法になり得るよ。エリコ、ありがとう」


 エリコは笑顔で、「じゃあ卒業前に起業しちゃいなさいよ。そのほうがいいわよ」と協力的な言葉を言った。

 一九七〇年代も終わりを告げそうな後半に生まれた斬新なアイデアだった。


※変動相場制への移行

一ドル=三六〇円から固定相場の為替は変動相場へと移行した。円は社会情勢や各国通貨との兼ね合いで上下するようになった。その値を為替レートと呼んだ。


※ハウス・ハズバンド

いわゆる「主夫」である。まだこの当時は女性が家に入り家庭を守るというのが一般的だったが、レノンは妻に仕事を任せて育児や家事に専念する立場逆転の生活を始めている。


※ダイレクト・ドライブ方式

レコードプレーヤー、ターンテーブルの駆動方式のひとつ。モーターと盤の回転軸をギヤなどで直接繋いでいるので速度が変わらずに正確な回転数を維持できる方法。高額なターンテーブルに多かった。一方普及型のものはベルト・ドライブ方式が多い。モーターと回転軸をゴム製のベルトで結んだもの。劣化の速いゴム製品はしばしば交換を余儀なくされた。伸びてくると回転数にばらつきが出る。ただ現在はベルト・ドライブ方式が弱点の克服して、主流となっている。


※コンポーネント・システム

略称でコンポ。全部セットでも販売していたが、ひとつひとつバラでも買えたことからバラコン等とも言われた。ターンテーブル、ラジオチューナー、アンプ、カセットデッキ、スピーカーを揃えて音を楽しんだ。のちに音を自分好みに変化させるグラフィック・イコライザー(グライコ)やオーディオタイマーなども登場した。それぞれの得意分野のメーカーで揃えるのが通の楽しみで、アンプは山水、チューナーはトリオ(現・ケンウッド)、カセットデッキは赤井、スピーカーはダイヤトーン(三菱)、ターンテーブルは松下のテクニクス(現・パナソニック)とこだわりのチョイスをする人も多かった。このコンポが八〇年代になって小さなサイズになって、CDプレーヤーの付いたものをミニコンという。

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