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月夜の帰り道-ミスタームーンライト-

 その日、演奏のセッション、練習も終わった頃は九時半手前だった。それでも高木とチョーさんは話が尽きないようで、まだまだ互いの技術と知識を褒め合っていた。出会ってから一ヶ月が過ぎた頃の全員集合の日。


「ガロ、チューリップ、かぐや姫、アリスの路線がデビューには近道だぜ。若さと格好良さだよ。そして主要メンバーはマルチプレイヤーだ。ライブパフォーマンスも上手い」

 チョーさんの音楽興業理論が持ち上がる。世間に認められる為の画策だ。

「でもさ、はっぴいえんど、シュガーベイブとグレープ、オフコース、吉田拓郎の流れも質を上げるコンテンツだ。中身でコンポ―サー魂も入れておくと箔が付く」

 高木は楽曲美学の点から方向性を提案していた。こっちは技術的にコード、和音、音声、詩歌目線の組み合わせで臨場感の出る楽曲を目指しているようだ。

 この頃にはチョーさんの知り合いのベーシスト桑野竜平さんがメンバーに加わって、研ぎ澄まされた音楽へと発展していた。それを傍らから眺めるオレとエリコは拍手を送りながら、ごく希に感想などを述べる。

 正式メンバーに加わったユリもこの頃にはバンドがなんたるかと徐々に理解してきていた。


 九時四十五分を回った頃だった。

「高木、オレさ、エリコちゃんを送るので一足先に狛江に戻るぞ」

 オレの言葉に高木は、「おう、そうしてやってくれ。オレはチョーさんとユリちゃん、竜平と近くの店で一杯やって、もう少し話の花を咲かせていくよ」と言う。

「わかった」とオレ。




 オレは高木とチョーさんたちに「おやすみ」と告げて、エリコを送るためによみうりランド前駅まで歩き始めた。ニュードラッドに身を装うファッションセンスに次世代女性の香りを醸すエリコ。化粧品のCMから出てきた清楚系女優さんのようだ。

「一緒に生活して不自由ないかい?」

 実はエリコがそのままオレの部屋に住み続けているのをまだ皆に報告してない。

「ないわ」と笑顔のエリコ。あっさりしたものだ。出会ったときに見せた外敵や何かに対する怯え、恐れや不安などは既に微塵もない。

 エリコは学生寮に戻れるわけもなく、結果前述の通りオレの部屋でカーテン一枚の仕切りを設けて同居している。学生寮は退寮手続きを既に取ったと聞いた。バイト先にも新居としてオレの部屋を届けていた。もちろん美女である彼女に変な気もおこすこともなく、日々黙々と生活をしているオレだ。ただこれだけの美女だ。理性を保つのもなかなかの忍耐生活だ。

 オレたち二人の生活、知らない人が一見見たらこの頃流行りの同棲生活に見える。「神田川」や「しあわせ未満」の世界観だ。


 月明かりがあたりを照らして、自然を感じさせる青草の香りがする帰り道だ。白銀の月は大きく、幻想的な風景にピッタリだ。ここが川崎市のはずれではなく、外国の大草原だったならもっと文学的演出効果が期待できただろう。


 するとエリコは「わたしね」と話し始める。

「実は高校時代はジャーナリスト志望だったの」

「過去形なの? まだ入ったばかりじゃないか、大学」

 オレの返しに、

「うん」と遠慮がちに頷く。そして「大学やめようと思うんだ」と切り出す。

「なんでまた、諦めちゃうのよ、折角いい大学入れたのに」

 残念そうなオレの顔を済まなそうに見るエリコ。

「お茶くみで入った今のアルバイト先、都市型情報誌の編集部なんだけど、正社員の口が空いたの」

「じゃあ」と少し求人枠の期待してみせるオレ。

「そうなの。地域は限られているけど、ジャーナリズムとコマーシャリズムのお仕事を本職に出来るのよ。どうせ机のバリケードで出入り口をふさがれた教室が物語るように、大学に通っていたって授業なんてろくすっぽ行われない時代だわ。実地で日々仕事を覚えられるチャンスなのよ。しかも卒業したところで四年制大学の女子の採用枠なんて微々たるもんよ。だったら空きのある時に希望職種のある会社に入るのがベストなの」

「なるほどね」

 オレは納得した。それと同時にこの変な習慣が蔓延しているこの時代の大学生を恨んだ。真面目に社会を考えている者も中には確かにいるが、それは少数派で大半はその場のノリでやっているヤツらだ。結局自分たちのわがままを社会で押し通そうとしているようにしかオレの目には映らなかった。八十年代の校内暴力、九十年代の学級崩壊となにも変わらない。大人がやっている分だけ余計始末が悪い。

 平成令和、昨今の学生運動回顧による過去の美化は、彼らの言い逃れに他ならない。迷惑したから言えるオレの感想だ。オレと同じ考えの人も少なからずいるはずだ。


 彼女は続ける。

「最初は映画館の上映予告時間や上映プログラムの紹介記事なんかが担当なのよ。でもゆくゆくは世の中の視野が広がったら、行政のための役所の広報クラブもやらせてもらえそうなの」

 確かに入れる職場があれば、そこで仕事を覚えた方がいい。幸せそうな彼女の瞳を見ているとあからさまに反対する気にもならなかった。

「そっか、自分で決めた人生ならいいかもね。エリコちゃんはオレと違ってしっかり者だから大丈夫」

 オレの言葉に返すのではなく、「ケンちゃんはなに志望なの? もうすぐ就活よね」と訊くエリコ。そう、本来彼女よりも上の学年のオレの方が考えるべき事のなのだ。


「え、オレは……」と言葉に詰まる。考えてもいなかった。高木に流され、エリコにうつつを抜かしている今のオレだ。そしてはぐらかすように、「オレは科学特捜隊か、ウルトラ警備隊かな」と返す。

「え? 警備会社志望?」

 オレの軽めのジョークに才女のエリコは付いてきていない。特撮ドラマの『ウルトラマン』と『ウルトラセブン』に出てくる、いわゆる宇宙警備隊の類いである。全国模試トップに通じるジョークではないと悟ってあわてて答えをすり替えた。

「いや……、じゃなくて映画監督かな」

「本当? じゃあ、いつの日か、ケンちゃんの撮った映画の案内を私が書ける日が来るのかな?」

 若さとは無責任で、無責任だから夢を見られるようにも思ったオレだった。


 彼女は後ろで結んでいた髪のゴム留めをほどき、束ねた髪を解き放つ。

 ブルブルと顔を二三度横に振って、髪を自然な流れに整えた。外した髪ゴム留めを手首に通したまま、「帰ったら髪洗わなきゃね」という。


 そんな会話の途中で、オレの長袖Tシャツの袖口を摘まむエリコ。月明かりにかぐや姫のように美しいエリコは立ち止まると静かにそっと目を閉じる。

「え?」

 暫く彼女はじっとして動かない。ただ何かを待つように……。

 オレの鼓動は今まで感じたことの無いようなスピードで激しく打ち付けていた。

 女性とこんな境遇に接したことの無いウブだったこの頃のオレ。膝が震えている。愛を尊いモノと認識する用意がまだ自分の中に無く、女性にキスは罪悪感という子供染みた慣習に支配されていた。


 こういう時どうしたらいいのか分からないが、震えながらも膝を少しかがめて目線を彼女の背丈に合わせてみる。そしておそるおそる、そっと触れるように彼女の唇にオレの唇を重ねてみた。正解がどれなのかも分からない。

『ファーストキス』

 それは二人にとって出来すぎたシチュエーションの中でのことだった。見ていたのは空の上の銀色の月だけである。そしてこの時、妙に上の空のオレは、丘の上にある遊園地の灯りが輝いていたのだけが甘い記憶に残った。


 そしてふと、キスの余韻から覚めると、我に返るオレ。辺りを見回す。ざわざわと風に吹かれて、畑にある穂先が波打っている。

『ん。さっきからずっと草原のように香る、この青い若葉のような匂いは……麦』

 そう麦なのだ。オレは麦畑の真ん中でキスをしたのである。

 あの日あの時、高木に言われた言葉、いやその歌の歌詞の方が頭をよぎった。

「♪誰かさんと誰かさんが麦畑……いつかは誰かさんと麦畑」

『きょうがそのいつかだった。オレ、麦畑でチューしてた!』

 これがオレの人生初、ファーストキスだった。

 



※科学特捜隊とウルトラ警備隊

円谷プロダクション製作の『ウルトラマン』と『ウルトラセブン』の劇中に出てくる地球防衛軍や宇宙警備隊の類いで、ウルトラマンやセブンが出てくるまで怪獣の上陸や進行を阻止する役割。変身前のハヤタ隊員やダン隊員も所属している。


※都市型情報誌

それまで新聞の日曜版が担っていた内容を掘り下げて、販売や興業までを一手に行う雑誌社とその発行誌。『ぴあ』などに代表される雑誌だ。映画や演劇、コンサートの公演開始時刻や内容の紹介、チケット販売、街の話題など、テレビやラジオでは拾いきれない漏れてしまった詳細なイベント情報を穴埋めする役割で始まった情報誌。創始者は中央大学の学生たちである。一九七四年に会社組織化している。その後に多くの街、中規模の地方都市にも類似した雑誌が生まれた。のちにタウン誌などとも言われ、インターネットが登場するまでエンターテインメント系のイベント紹介媒体の主役であり続けた。一九九〇年代に入ってからは角川書店も『東京ウォーカー』というこの類いの情報誌を後続で参入して盤石な地位を確立している。

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