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スタジオNAYA-ムーンドッグスの誕生-

 数年前、西生田駅からよみうりランド前に駅名を変えたばかりの川崎市内の駅でオレたちは小田急線の電車を降りた。

 我が家のある和泉多摩川駅をすっ飛ばしての生田だ。あまり下り方面の電車に乗らないオレは、列車で多摩川の鉄橋を渡るのも新鮮だった。

「よみうりランドって、遊園地だよな」と高木。

「そうだ。でもここは水族館も目玉でね。海水水族館マリンドームっていうんだけど、フランス政府から寄贈されたシーラカンスの標本を見るために多くの人が来園しているよ」


 線路沿いのなだらかな坂道を暫く歩くと一面が麦畑の広い土地に出る。

「♪誰かさんと誰かさんが……」と鼻歌を歌うオレ。

「おい加藤。その美的センスのない歌、どうにかならないか」

 高木が悲しそうにオレを見た。

「はい。やめます。麦畑を見るとつい歌いたくなるんだよなあ……」

 鼻歌で不評を買ったオレは、黙って長助の後ろを歩き続けた。ギター弾きの高木にそう言われては仕方ない。

 やがて大きな楠が見えてくると門構えの立派な農家が目の前に広がる。家の敷地は白塗りの和風塀に囲まれた大きな家だ。

「おい長助。これがお前の家?」

「そうだけど」

「うわあ、ユキの家も大きな洋館で驚いたけど、おまえんちもすげえな」

 高木はうわずった声で驚きを隠さなかった。防風林の林や森に囲まれ、三方には田んぼが水をたたえている自然美溢れるお屋敷だ。この頃の生田や百合ヶ丘はものすごい田舎である。建売住宅が一区画だけポツンと田んぼや畑の中に存在ような開発とまではいかない長閑な時代だった。だがこれが新宿まで二十分の便利な立地場所でもあった。


 重装な門を潜ると中は、芝生の広場のようでまるで家の中に公園があるようだ。

「こっちだ」と長助は皆を右の方に促す。

 見るからに大きな納屋。普通に都心なら一戸建ての広さがあるような感じだ。

「入ってくれ」

 ガラガラと曇りガラスのはめられたガラス戸を開けると、部屋の中には大きなマーシャルのギターアンプが二つとベースギターアンプ、即ちべーアンが一つ置いてある。

 室内は土間の上にコンクリートブロックの基礎を置いて、更にその上から骨組みの梁を置いて、その上に平面の木材を床板としたフローリング仕様だった。アンプのある場所とドラムセットのある場所だけは、機材の重みで床抜けしないよう、コンクリートの土台を施工してしっかりとした固定されたコンクリートの床になっていた。ラディックのドラムセットが所狭しとセットされている。

 リッケンバッカーとヘフナーベース、グレッジのギターがギタースタンドに立ててあった。

「このリッケン、使ってもいいのか?」

「勿論」

 その言葉を聞いてすぐさま高木はギターを手に取る。そしてチューニングの具合を確かめる。じゃらんと開放弦を全て鳴らすと、「よし」と小声で頷く。

「普段は何を使っているんだ」と長助。

「モズライトだ」

「おお強者ギターだな」

「あはは。ただのベンチャーズかぶれだよ」と照れる高木。

 モズライトの音色は六十年代後半から七十年代前半のポピュラー音楽には欠かせない良い音色だ。この時代のベンチャーズの洗礼を受けている歌謡曲や夏の質感を出す曲のリード部分にはいい音で再現してくれる名器だ。例えば渚ゆう子の「京都の恋」、加山雄三の「夜空の星」なんかに合う、アームを使ったびよーんやうわうわんという音、例のテケテケ音がゴーゴーのリズムなどで本領を発揮する。時代を象徴する一本だ。

 七十年代中頃に注目を集めた「泣くギター」と称されたレス・ポールの伸びやかな高音と並び、この時代を象徴するいい音色なのだ。


 やがて意気投合した高木と荒井は次々と互いが知っている曲を演奏し続けていた。間髪入れず、聞き覚えのある曲が演奏される。このセッション実現のキッカケとなった「抱きしめたい」、ループコードの後追いコーラス曲「ツイスト・アンド・シャウト」、軽快なドラムと伸びやかなギターの「ゲット・バック」だ。

「おいおい。リハもせずにこれだけ上手く合わせられるって、チョーさんとオレ、結構音楽のセンス、相性いいんじゃないかな?」と高木はノリノリだった。

 一方の荒井も「高木のセンスはいいね。ドラムの音をしっかり意識して間を取ってたり、先乗りしたりと技術が違うな。さすが優勝者だ」と絶讃だった。

 いつの間にか高木が荒井君を「チョーさん」と呼んでいることに笑ったのは、オレだけでなくユキもエリコも同じだった。既にオレたちの間に垣根のようなものは無かった。無防備に仲良くなれる二十歳前後という、若さの特権でもある。

「あのリフからのタムとスネアの音頭まがいのビートは出来るかい?」と高木。

「タンタンボン、タンタンボンって感じのリズムかな?」

 そう言ってチョーさんはハイタムとフロアタムを二打、スネアを一打のリズムを打つ。そこでギターのリフを被せる高木。

「ああ、涙の乗車券ね、とエリコ」

「シズガタ、チケット・トゥー・ライド」と唱えながら被せる高木。もう楽器が遊びと楽しみのなかで音を放つまでの余裕になっている。今日知り合った人間同士とは思えないくらいだ。


 曲が終わると、チョーさんは、「なあ高木。オレと君の実力があれば、結構賞金稼ぎ出来るかもよ」と提案する。

「うん、オレもそれを考えていたよ。ベースとピアノを上手く巻き込めば悪くないバンドになるかもなあ」

 高木も提案に結構乗り気だ。

「イン・マイ・ライフみたいな高貴さをアピールする曲もあると結構認めてもらえそうだね。レパートリーには必要だな」

「いいね、やってみるかい」

 二つ返事のチョーさんに高木は本当に嬉しそうだ。



 そこでユキが申し訳なさそうに、「話の腰を折って悪いけど、私そろそろ帰るわ。両親があと一時間で東京駅に着いちゃうの。迎えに行かなくちゃ」と昨日聞いたスケジュールを口にした。


 オレは「OK。エリコちゃんは、昨日と同じくオレの部屋を貸しておくから心配しないで」とユキに言う。

「ありがとう。お願いね」とユキ。

 一方、「おじさんとおばさんによろしくな」と高木。

「ユキ、いろいろありがとうね。加藤さんにしばらくお世話になるわ」とエリコも嬉しそうに頷く。

「ゴメン。またこのメンバーで集まろうよ」とユキ。

 ユキが扉を開けると、正面に大きな満月が見えた。

「わお、まあるいお月様ね」とエリコ。

「そう言えばビートルズの昔のバンド名にムーンドッグスっていうのがあったな」

 高木の言葉に「ジョニーとムーンドッグスよね」とエリコがつられる。

「そうそう」

 高木の言葉にチョーさんは「じゃあ、バンド名はムーンドッグスでいこうか」と提案。

 皆が一様に「賛成」と言ったので満場一致で命名となった。



 最後にチョーさんが言葉を補うように、「これからこのメンバーで、定期的にウチのスタジオ納屋に集まろう。そしてやりたくなった者から、楽器を手にしてオレと高木の演奏に交じっていってくれ。もちろんただ聴いているだけでも参加組と見做すよ。今日が土曜日、今八時なので、土曜の夜八時にここに来れば皆仲間だ」と優しく笑った。

 ユキは「いいわね。そうよね、じゃあ来られる日は毎週来るわ」と返事する。

「忘れるなよ、毎週……八時だよ、全員集合だ!」とドラムのスティックをクルクル回してユキを見送った。それを確かめるとユキは静かに扉を閉めて、帰宅の途に就いた。


 その後「なあ、イン・マイ・ライフをやってみようぜ」というと、ユキの代わりのエリコがオルガンの前に立った。

「弾けるのかい?」とオレの言葉に、「そう、イン・マイ・ライフでしょう。任せて!」と腕まくりをするエリコ。

 その言葉と同時に、「涙の乗車券」のリズム打ちをスローにした感じのパターンだ。タム一打のあと、二度目のタムの変わりにオープンハイハット、そしてスネア一打となる。おきまりのリズムパターンを打ち始めたチョーさんに、高木はギターの音を被せる。そしてそのまま間奏に突入。そこのパートはバロック風のビアノソロだ。

 なんとエリコは見事にそのバロック風メロディーを再現していた。

 オレはいつしか、何でもそつなくこなすエリコの存在が気になって仕方の無い自分に気付いた。輝く女性っていうのは、何をやってもサマになる。おれはそう思いながら皆の演奏を聴くのに酔いしれていた。



※シーラカンス

古生代から中生代の白亜紀まで世界各地で繁殖していた原生魚類。それまで化石でしか見つかっていなかったが、少数だがその末裔の種が一九五〇年代に発見された。国内では現在静岡県沼津市のシーラカンス・ミュージアムにて冷凍保存されたモノと標本を見学できる。


※リッケンバッカー、ヘフナーベース、グレッジのギター、ラディックのドラム

ライブ活動をしていた頃のビートルズのトレードマーク的な楽器。後世の話では、ビートルズが使うまではラディックドラムを除き、ギター各種は二流メーカーとも言われていたそうだ。現在ではリッケンバッカー325やヘフナー1/500などは中古車を買える程の値段である。


※モズライト

ベンチャーズや加山雄三が使っていた当時の主流ギターモデル。テケテケサウンドやアームを効かせた音が独特のこの時代のエレキの音質に貢献している。

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