ジュークボックス―チケット・トゥ・ライド-
翌朝、オレと高木は味噌の焼きおにぎりを結んでやると、隣の部屋に持って行く。少し遅めの朝食だ。
彼女たちはその時、身支度を調えていた。勿論相変わらずのアメリカン・ネイティブな格好だ。
さすがに高木も彼女たちのその姿を見ていて嘆かわしく思ったのか、「食事が済んだら買い物に行こう。ユキちゃんのその格好はさすがに見ていられない。下北沢ならオレでも買ってあげられる値段の服がある。いくら何でもおかしいよ、日本国内でその格好は」と提案した。
「いいの? コーちゃん」
ユキは済まなそうに上目遣いで詫びている。
「大丈夫。バイト代が入ったばかりだ。なあ加藤」とオレも引き込む高木。
「ああ」
そう言われたら、こう返すしかない。仕方なく家庭教師のバイト代の一部でオレはエリコの服を出してやることにした。もともと高木の紹介で始めた家庭教師のバイトだ、お礼の意味をこめて、この場は付き合うことにした。
確かにここ狛江から、当時の原町田と称した町田に行くよりは、下北沢の方が若者向けの服は多い。そして安価だ。どうしても原町田は百貨店系統の店が多く、気軽にと言うわけにはいかなかったのかも知れない。オレは高木の提案を呑んだ。
下北沢は小田急線と京王井の頭線が交差する交通の要衝だ。鉄道の駅がいびつな形で交差しているので駅前市街地の形成が独特だった。それもこの町に個性的な雑多感を与えてきた魅力のひとつなのかも知れない。そして高架からも平面からも絶えず聞こえてくるガタンゴトンという列車が放つ線路のジョイント音も、この町のゴミゴミした風情に一役買っていた。
令和となった現在、小田急線は地下に入ってしまったため、当時有名だった開かずの踏切もない。そして区画整理で街区は整えられてしまった。良くも悪くも都市化の恩恵は、一方でこの町の性質を少しだけ変えた。
だが相変わらず令和になっても、この町はアングラな芝居小屋やマニアックなライブハウス、チープでセンスの良い洋品店などがひしめいている。独特の若者サブカル文化の発信地という地位は維持し続けている。この昭和時代はもっと多くの劇場が点在して、今よりもっと濃厚な独特の文化が形成される町だった。
「ねえコーちゃん、これなんか可愛くない?」
ユキが安売りの洋品店のワゴンで手にしたのは、アメリカン・ネイティブとはほど遠い白雪姫のようなワンピースだった。
オレは心中『やはりアンタはくわえ煙草よりもそっちの人だよな』と静かにほくそ笑んだ。そして『ついでに頭にでっかいリボンでもつけておくのがお似合いだぜ』とも思った。これはオレなり褒め言葉である。他意は無い。
逆にエリコの手にしているのは、ポニーテールが似合いそうな真っ赤なカーディガンとハーフ丈のパラシュートスカートのセットだ。フィフティーズの若者ファッション、品の良いアメリカンな青春カジュアル・ウエアはお洒落な選択だ。ニール・セダカやポール・アンカの軽快なリズムの曲に合わせてダンスホールで踊るような装いだ。
「君はフィフティーズのファッションが好みなの?」
オレの言葉に「まあね。でもワンピース・スタイルもイケるわよ」と自信ありげにオレにウインクをする。全国模試トップで、優秀な国立大学生の彼女は、ファッションセンスもなかなかだ。こんな素敵な子を理解できない大学生が多い、昨今の風潮にオレは少し嘆いた。
紙袋に四五杯分の買い物を済ませるとオレたちは昼食のためにアメリカン・テイストのホットドッグショップに入った。そこで化粧室を借りて、女性陣はお召し替えとなった。服を着替えると二人の女性は、確かに性格に合った服装なのだ。煙草など似合わないユキと快活な本来のエリコがそこにはいた。そして衣料品店の紙袋には脱ぎ捨てたリンリン・ランラン風の衣装が入っている
ウナギの寝床のような細長い店内。ドーナツ盤が壁一面に飾られて、その下にはジュークボックスが置かれている。
奥のボックス席に腰を下ろすとエリコが切り出した。皆はホットドッグを囓ってそれを聞く。
「加藤さんは、フルネームで何て言うの?」
「加藤ケン。ケンはカタカナだ」
「ふーん。じゃあ高木さんは?」
「高木工治」
「だからユキちゃんがコーちゃんて呼ぶのね」
「そう」と頷くユキ。
皆が自己紹介を済ませた頃、ジュークボックスにコインを入れる同い年ぐらいの青年がいた。見事な坊ちゃん刈りの頭は清々しいほどの優等生オーラを放っていた。
彼が曲を選ぶとマシンのアームはストックホルダーからドーナツ盤を取り出して、ターンテーブルに載せた。そして針が落ちると「♪ジャジャジャーン」と強烈なエレキギターの前奏が始まった。
思わずエリコは「『抱きしめたい』だわ。いいセンスしてるわね」と褒める。
褒められた彼は少しはにかんで、「ありがとう」と嬉しそうに言った。
そうビートルズのアメリカ上陸記念のヒットソング「アイ・ウォント・トゥ・ホールド・ユア・ハンド」である。
「アメリカのペン・フレンドがね、手紙で言ってたの。イギリス訛りのクイーンズ・イングリッシュの人が、アメリカの転訛した慣用俗語のアイ・ウォナ・ホールド・ユア・ハンドって歌うのが格好いいって」
「その通りだ。ウォナやゴナを使うのがお洒落だ」
ジュークボックスの彼は分かったような口ぶりでエリコに同調した。オレは英語が大得意というわけでもないので、そんなもんなのか、と他人事のように納得していた。そしてジュークボックスの彼は、「この曲をコピーしたオレのドラム裁きは天下一品だぜ」と自慢げにいきがる。
「へえ、叩くんだ」
意外にもその言葉に関心を寄せたのは、エリコではなく高木だった。
「信じてないのか?」
ジュークボックスの男は高木に問う。高木の物言いは時々上の空っぽく聞こえるときがある。彼は今の台詞を聞いて高木が自分の言葉を信用していない、という風に取ったようだ。
「いや、そういう意味の『へえ』じゃない。オレは勝ち抜きエレキ合戦で優勝したことがあるんでね、お手合わせでもしてもらおうかな? って思ったのさ」
高木の言葉に「お前ギター弾きか。いいとも、お手合わせ願おうか」と返す。そして「申し遅れたがオレは荒井長助。よろしくな」
そう言って、自己紹介をしたジュークボックスの男は高木に手を差し出す。
「ああ、オレは高木工治だ。よろしく」
高木は差し出したその手をしっかりと握った。
すると「私、ピアノを囓っているわ。味付け程度で参加してみようかしら?」とユキ。
「なんか鬱蒼としたこの時代、オレたちの手で面白くしてみようぜ! 若さの特権だよな」
いつになく高木がやる気を出しているのが珍しかった。そして彼がそんなことを言いだしたことが、オレはなにより嬉しかった。その言葉が闇のようなこの時代をはじき飛ばせそうな気もした。
「じゃあ、オレんちにこいよ。生田なんだ。練習スタジオを納屋の中に作ったんだ。そこで皆さんのお手並みを拝見と行こうぜ。鍵盤はピアノは無いけどハモンドが置いてあるよ」
「電子オルガンね、いいんじゃない」とユキ。
「じゃあ付いて来なよ」
荒井は皆にそう言って、店を出ると、オレたちを小田急線の駅まで先導した。
自動券売機が導入されて間近の駅だった。
青いラインに白に近いクリーム色のボディがこの頃の小田急線の車体カラー。勿論、都会を走る私鉄としては、憧れの電車だ。沿線には大学が沢山ある文教路線としても知られていた。そしてなにより箱根と江の島に向かう有料特急ロマンスカーは、すでにこの時代には走っている。進行方向を向いた二人がけシートをロマンス席と称したのでその名がある。そして前面展望車は名鉄パノラマカーと並び、子ども時代のオレにとってあこがれだった。アーバンライフと観光名所に向かう鉄道、そんな全方位都市型電車沿線で、まずはオレたちの青春と未来の第一歩が踏み出された。
※ドーナツ盤
中央が大きな穴の空いた45回転シングルのレコード盤。
※ハモンド
ハモンドオルガンの略称。当時主流だった電子オルガン。
※小田急電鉄
新宿と小田原、片瀬江ノ島、小田急多摩センター(現在は唐木田)へと向かう都市型鉄道。沿線人口は多く、多くの住宅地や学校を抱えるため昔から人気路線である。箱根湯本や片瀬江ノ島への特急も走り、観光の需要も多い。均一のとれた路線網で東京都と神奈川県を結び、相互乗り入れで走る特急列車を使えば静岡県などにも行くことが出来る。