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ウサギ小屋-狛江の森-

 ユキとエリコはオレの部屋の前にいた。この時代のごく一般的な木造モルタルのアパートだ。このご時世に叶って、何とか普及し始めた風呂付きを手に入れた。おかげで都内とは言えない狛江市のはずれ、多摩川の畔である。ぎりぎり東京都だ。




「わー、何もないんだね」


 ドアを開けるとユキが笑った。視界にあるのは、畳の上の魔法瓶と折りたたみ式のちっぽけな食卓だけだ。あとは蜜柑箱みかんばこ程度の大きさの本棚に大学の教科書と辞書、雑誌と小説が少々あるだけだ。


 今で言う1Kの間取りだ。まあウサギでももっといい家にいるだろう。それでも六畳一間にコンロと流し台、トイレと風呂釜付きの優良物件だ。




「あら、「ノルウェーの森」ならぬ、「狛江の森」って感じの部屋ね。あの曲の歌詞通りだわ。あとはワインがあればね」と笑うエリコ。


「ワインはないけど音楽ならあるよ」とオレ。


 二人を部屋に上げると、質流れの中古品で手に入れた貧素な昔風の平面型のラジカセを本棚から出す。エリコが好きと言っていた初期のアルバムを静かな音量で流す。 「ペーパーバック・ライター」という曲が流れる。ポールが来日公演でマイクの方向が勝手にズレてしまうのを苦戦しながら歌っていた曲だ。彼女は軽く笑顔で小さく口ずさむ。




 そのまま玄関先に行くと「待っていてくれ」と言って、すぐにオレは隣の高木の部屋をノックした。


「おい、高木いるか?」


 暫くして反応があり、「おーう、うとうとしてた」と言って彼はドアを開けた。彼は大学の同じゼミ。その風貌はいわゆるミユキ族やアイビー族の生き残り、お洒落もどきなヤツだ。っそう、まるでかつての加山雄三の『若大将』の生き写しなのだ。勿論船舶の運転も出来るし、エレキだって弾ける。


「なんだよ加藤。もう午前様だぞ」


 眠そうな目を擦りながら、扉から半身を乗りだしてオレの顔を見る。


「こんな時間に済まない。訳ありの女二人を拾ってな。そいつらに部屋を貸すので今日と明日だけ、お前の部屋にオレを泊めてくれるか?」


 オレの訳わからない説明に目を白黒させる高木。


「訳ありってお前、それってヤバいヤツか?」


 高木の疑問に、オレはゆっくり首を横に振った。


「いや、ヒッピーな外見はともかく、結構良家のお嬢さんと見たよ」と笑うオレ。


「?」と首を傾げる高木。


「お嬢様の社会考察アバンチュールのお手伝いってところかな?」


「あばんちゅーるって、アドベンチャーのことか?」


「うん」


「社会考察の冒険ってなんだよ?」


「そのまま、そう言うことだよ」と謎めくウインクのオレ。


 彼は訳も分からず、「まあ、お前を泊めるのは問題ない」と言って頷く。


「じゃあ、その旨を二人に伝えてくるよ」


「待ってくれ、オレも行く。そいつらが何者かを見極める」


 オレは軽く笑うと「時代遅れのビートルマニアと煙草の吸えない喫煙者ってとこかな?」と彼女たちの正体を高木に伝えた。


 高木は不思議そうな顔でいたが、急いでズボンとシャツを引っかけるとオレについて隣の部屋に入った。




「ん? リンリン・ランラン?」


 彼女たちの服装を見ての高木の第一声がそれだ。オレと同じ感性の持ち主であることが分かる感想だ。


 オレはふざけて「ああ、どうせ拾うのなら、ランランとカンカンの方が金になったよな。見物料が取れる」と呟く。


「言ってろ」と笑う高木。


「こんばんは」


 二人は玄関先の突然の訪問者にお辞儀をする。そして高木の顔を見てユキは驚いた顔をした。その仕草を見逃さなかった高木も何かに気付く。


「ユキちゃん?」


 どうやら煙草の女がバツ悪そうな気配だ。


「何だ高木、知り合いか?」


 オレの言葉に「親戚だ」と笑う。


 ユキのほうは結構気まずそうだ。


「コーちゃん、お願いコーちゃんちのおじさんとおばさん、ウチのママには言わないで」と拝の姿勢に入ったユキ。


「どういうことだ?」


 一気に素性と身元が明るみになるユキに、オレは情報分析が追いついていない。


「ユキちゃんはオレの又従兄妹はとこ。まあ親同士が従兄弟いとこと言うわけだ。従って彼女も高木さん。幼少期は法事の時などに会って遊んでいたから結構親しい方の親戚だな。今は恵比寿の女子大に通っているはず」


「あのお嬢さん大学か?」


「うん」


「やはり悪ぶっていただけか」


 素性が分かると、オレの推理が的中していたことも証明された。


「こっちも何となく見覚えがあるような……」


「一度会っているわ、高校時代に」とユキ。


 高木は空を仰いで、「うーん」と一時悩んだ後で「あっ」と点頭した。


「エリコさんだ。全国模試一位を取ったって、いつぞや道ばたで紹介された人」


「あ、あの時の……」


 エリコもまた軽く頭を垂れた。


「大丈夫。加藤、オレがこの二人の身元保証だ。どっちも連絡つける気になればつけられる人たちだよ」と気楽な感じで笑う高木。


「そっか」




「しかしまたなんでそんな格好で?」とユキに問いかける。


「いつものよそ行きの装いでエリコに会いに行ったときに、彼女の大学のキャンパスで知らない人に文句言われたのよ。きっとその大学の学生と間違われたのね。そんな成金主義のような格好で、多くの貧民が抱える問題に立ち向かえるのか! って言ってめちゃくちゃ説教されたわ。それでカムフラージュも兼ねてアメリカ・インディアン。アワワワワ」と手を口元で上下させてアメリカン・ネイティブがトーテムポールの前で踊るような仕草をする。


「ああ、ヒッピーに化けたって訳ね」と笑う高木。


「そう」


 気まずそうに笑うユキ。




「ごめんなさい。あのニュースにもなった校舎占拠事件のあたりから学内が不穏な動きで正直登校にも困ってね。頼りにしていたお付き合いをしている男性ですら、一緒に学生集会に出ようって言ってきたんだけど、私そういうの苦手。思想や信条、宗教は個人の自由だわ。そして私は単なる英語マニアなのよ。社会問題なんて私の考えるべき事ではないわ。私、言語以外に興味は無いの。そしたらその社会無関心が学生たちの間で悪目立ちしたようで、流言飛語(りゅうげんひご)のごとく広まって、私の考えは間違っているから正しい考えを説いてあげよう、なんて言いだした人も出てきて寮にも住めない有様なのよ。大迷惑だわ」


 ほとほと憔悴しきった表情のエリコは苛立ちも本音も隠せなかった。ここに出会ったときの無口に見えた彼女の印象の本質を知った。




「まあ、積もる話はあるだろうけど、今日のところはもう寝よう。夜も遅い。今後のことは明日にでも相談と行こうじゃないか」


 高木は一旦取り仕切って、オレに「じゃあ、オレの部屋に行こう」と笑って玄関先で突っかけ履きを履いた。




※魔法瓶


お湯を保管するステンレス製のポットのこと。特に現在のような電気ポットではなく、保温のみの器の機能しか無い。




※若大将シリーズ


加山雄三と星由里子、田中邦衛などが出演した青春映画。スーパー大学生の田沼雄一が超人的な能力で数々の難問を乗り越えて大人の世界に一泡吹かせる作品群。初作の『大学の若大将』をはじめ、『海の若大将』、『エレキの若大将』など、鬱蒼としたこの時代の大学の時代背景を吹き飛ばす痛快娯楽作品。




※ランラン・カンカン


一九七二年に日中平和友好条約締結の記念に中国から送られたジャイアントパンダ。上野動物園で飼育され大パンダブームを巻き起こした。




※ミユキ族・アイビー族


一九六〇年代の中頃に銀座のみゆき通りに現れたファッション派の若者。アイビーブランドを身に纏い、一大ブームとなる。大ざっぱにはオリンピック前がミユキ族、その後がアイビー族、そして場所を青山に移して一九七〇年前後、同じ系統の若者がVAN族と呼ばれた。



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