A面で恋をして-人生はレコード盤のように-
久しぶりにオレがエリコとあったのは、彼女が一時帰国をした時だった。特に喧嘩で仲違いをしたわけでもないので、両親の同窓会のように娘を交えて食事をする感じだった。
そんな食事の後で、彼女はよく二人の共通の趣味だったレノンやマッカートニーの楽曲を聴いたり、映画を視たがったので、そんなときはあの上大岡のレンタルレコードの店舗に案内した。
オレは記念館的に上大岡の貸しレコード店は残している。ここの維持費はたかが知れているので、いわば『大人の秘密基地』として残しているのだ。地味でお粗末な秘密基地だ。
この元上大岡店ではレコードやCDの貸し出しなどの業務は一切行っていない。保存してある在庫のレコードをリクエストに応えて鑑賞、プレイする場所だ。いわば名曲喫茶のような形態で残しているのだ。その道楽のためにオレは喫茶店としての機能を持たせる意味で保健所の衛生管理の資格をもらいにいっている。コーヒー、紅茶やちょっとしたメニューを出すために食品衛生管理者は必要なのだ。すなわち商売っ気を出さない店舗として記念碑的な意味合いで残している店だ。
だから在庫自体はそれ程の数ではない。だが、ここに来ると面白いものに出逢える。この店の在庫に関しては全てがビートルズ関連のコンテンツなのだ。A面とB面をひっくり返すアナログ盤とA面もB面もないCD盤、それにソロになった彼らのコンテンツや海賊盤なども含めて、ここにあるのはオレ自身がお気に入りのコレクションばかりである。会社の持ち物は什器だけで、音源コンテンツは全て私物だ。
映像資料も多く来日公演のVHSや、八十年代に回顧録として出てきたアンソロジー、レノンの伝記フィルムであるワーナー映画の『イマジン』やマッカートニーの『ヤア! ブロードストリート』なども置いてある。当然再生機も八ミリ映写機、VHS、ベータ、DVD、LD、ブルーレイとほぼ全てのハードウェア、再生プレーヤーを揃えている。そう、この店はオレにとって宝の山で埋まっているのだ。
音響機材はオープンリールテープ、エイトトラック、カセットテープ、レコード盤、CD、DATなどのハードウエアが揃っている。
ここに時折仲間を呼んでレノンやマッカートニーの作品の上映会もしばしば開いている。その流れから、エリコが帰国したときにも「ケンちゃん、私の帰国に免じて特別に観せてね」とリクエストで何度も彼女だけの特別上映会を開いた。
そんなエリコの上映会のあったある日に彼女はオレにある報告をしてきた。
「私ね、七十歳近くになったでしょう。今年いっぱいで通訳ガイドの仕事は終わりにするの」と言う。もう十分やりきったという顔だった。
隣にいたオレとエリコの娘である美羽は、既に親元を離れて家庭を築いている。しかもその子、即ちオレたちの孫はもう大学生だ。時の流れというのは恐ろしい。
「うん」とオレはDVDを綺麗に拭き終わるとケースにしまう。
「それでね、再来月に帰ってくるから、ユリと三人であのショットバーに行こうよ、あの和泉多摩川の……」
特に反対する理由もないのでオレは「分かった。ユキに言っておくね」と普通の反応をする。
美羽は「ママ、ちゃんと『お母さん』の立場も考えて切り出すんだよ。パパはその辺アテにならないから」と二人の距離感を考慮した提案をした。おまけにオレを役立たずと見ている。だがそれはオレ自身からしても正しい見解であるため、何も言えない。ただ笑って誤魔化していただけだった。
相変わらずエリコを『ママ』、ユリを『お母さん』と呼ぶのは幼少期から変わらない。その言葉の使い分けは、美羽の明晰な頭脳、賢い証しのようなモノだった。
オレにしてみればsideA、すなわち人生をレコード盤に例えたならA面はエリコとの人生、sideB、B面はユキとの人生なのだ。それを言葉で上手く使い分けているのが彼女の使う『ママ』と『お母さん』なのだ。
複雑になりがちな現代社会の結婚・婚姻関係の実体は、我が家では美羽の賢さの前で無敵と化していた。
嬉しさも哀しさもこの二人と二十歳前後に知り合ったことで、オレの物語人生は始まったのだ。ひとつの命、美羽も途中参加して。
さてここまで時間が進めば、次回はこの物語のエピローグとなる。そんな期待は為なくてもオレの人生は淡々と続いている。そう例えこの物語が終わったとしてもだ。人間の魂はエターナルな輪廻転生である。またこの物語が終わって、オレは違う名前で生まれる。でもきっとエリコとユリと出会って、また同じ人生を歩むのだ。そう、読者の皆さんがこの小説を再度、第一回から読み始めるようなものだ。それを延々と続けるのがオレの宿命だ。もちろんその時は前回のことなど覚えていないから、また新たな気持ちで二人と出会うのである。
まるで傷ついたレコード盤のように、最初に戻り延々繰り返すのがオレの人生である。
※オープンリール・テープ
その名の通り、むき出しで巻いた磁気テープである。映写機と同じ運動、仕組みで可動する音声録音機器。カラのリールをもう一つ用意して、再生しながら糸車のようにそのカラのリールに磁気テープを運んでいく仕組み。初期のオーディオには、オプション品として販売するメーカーもあった。
※エイトトラック・カセットテープ
昭和四十年代の中頃まではカーステレオの主流だった。五十年代ではカラオケ機器で主流だった。四つのチャンネルで、ひとチャンネルに二つのトラックを持つため、八つのトラックで幅広の磁気テープのためこの名前がある。
大ざっぱに言えばカセットテープの原型のような仕組みだった。演奏の途中でもトラックを変えるとパラレルに同時稼働している別のコンテンツに、ヘッド部が切り替わる特徴がある。全体的にカセットテープの二倍強の大きさだった。通称は「はちトラ」である。
※DAT ダット・ディーエーティー
デジタル・オーディオ・テープの略称である。カセットテープのデジタル化したモノで、いわばCDのテープ版である。いまいちコンシューマー商品としては人気が出ず、その地位はMDにとられてしまった。だが現在でも音楽業界のスタジオやマスター原盤の保存などの実用的な場所ではそのポテンシャルをいかんなく発揮している。