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エボニー&アイボリー

 その日ユキは自宅マンションの郵便受けに青と赤の飾り縁の封筒を見つけたそうだ。あのエアメール特有の模様だ。

「国際郵便?」

 バンド活動が休止、一段落ひとだんらくした矢先のことだった。ユキの親戚でもあるリーダーのコージとバンドの頭脳だったチョーさんが互いにソロで活動すると言うことで、余り物でもあるユキは自宅で待機していた。付き合いで始めたバンド活動故に、いっそこのまま解散でも良いと思っているのが彼女の本音だ。このあたりのことは一緒に食事などに出かけることの多かったエリコも現実を理解していたはずだ。


 手にしたエアメールをその場で開いてみる。差出人はエリコだった。


『ちゃお、ユキ。

今私は雲の上でこの手紙を書いています。もう少しでニューヨークのケネディ空港に到着するわ。そのまま着陸後に空港内でポストして、エアメールであなたの元に送るわね。この手紙が届いた次の月曜日に、その直近ちょっきんの月曜よ、その午後二時に彼のオフィスを訪ねてみてね。なんでかって? あなたが一番良く分かっているでしょう。大好きな人のもとに気兼ねなくいけるからよ。私は彼に離婚届に判を押して渡すつもり。父に託しているわ。

 大学生の頃からユキがケンちゃんのこと好きだったの、実は知っていたの。ずっと我慢していたのも知っていたわ。ずるい女よね、私って。でも譲れなかった。ごめん。そしていまでもあなたが一途に彼を好きなことを先日、知ってしまったの。だったら十分私は彼との生活を経験させてもらったから、今度はあなたに譲るわ。結婚生活も味わって楽しませてもらえたし、幸せな時間をありがとう。これはせめてもの罪滅ぼしと思って下さい。でも、もしあなたが彼を要らないというのなら、何年先になるか分からないけど、私は帰国後に、彼をふたたび回収します。えへへ。でもきっとあなたは渡さないでしょうね。彼への横恋慕はいろいろと謝罪も含めて、ユキとは話したかったけど、またいつか時間が解決してくれると信じているわ。その時まで彼をあなたに預けておきます。ひとりぼっちになって寂しくしていることだろうから慰めてあげてね。身勝手な元妻、加藤エリコ。

 コバルトの風になった機内より愛を込めて』


 さて時間は戻ってオレのオフィスである。

 その時手にした手紙を、ポンとデスクに広げて見せるユキ。

「エリコからの手紙よ」

「いいの?」

 読んでもいいのか、彼女の許可を取る。

「まあね、この内容からして、あなたには読む権利があると思うもの」

 ユキの言葉に、「わかった」と小さく呟いて頷くオレ。

 真剣な面持ちでそれを読む。目で字面を追ってみる。

 文章の先を読む度にオレの目には涙の礫が溜まっていた。

「俺の気持ちは……、どこだよ。オレはモノじゃねえっての」

 三角関係が上手くいかないのは、大昔からだ。漱石が『こころ』を書いた頃から誰もが知ることだ。


「でもね。女手が必要なのも事実でしょう。エリコの思惑とは別に、とりあえずは時間を見つけて、お手伝いに行くわ。勿論友人としてね」

「ああ、そうだな、ありがとう。変に意識することはない。もともとが友人なのだから」

 そこはユキも割り切っているようで、オレは少々安心していた。


 その後のある日。ユリはいつものようにオレのマンションにやって来て洗濯機を回していた。家族用のマンションから、横浜の山手駅に近いひとり暮らしのマンションに移ってすぐのことだった。

 オレがリビングでハンダごてと電子パーツを広げていると興味があるようで、ユリは一手間空いたときにオレの横に来て、そのパーツに目をやる。パーツは既に出来上がっているユニットパーツである。それを基盤に繋ぐだけの簡単な作業だ。

「そのユニットって、デジタル信号かなにか?」

「分かる?」

 ユキもミュージシャンとして音響設備には結構詳しくなっていたようで、オレの前にある電子ユニットのパーツを一目で当てていた。

「光伝送っていってね。今までは紅白のピンケーブルでアナログ信号をCDプレーヤーからアンプに送っていたモノをデジタル信号で送るシステムなんだ。本当にそんな事が出来るのかを会社の皆で実験しているんだ。あるオーディオメーカーとのタイアップでね」

「へえ、いいね。磁気転送だと周辺機器に使われている磁力の影響をもろに受けちゃうけど、デジタル信号での転送なら、磁気には不干渉の接続ケーブルになるもんね。ピュア転送ケーブルってわけか」

「お、さすがミュージシャン」

 そういいながらもオレはエプロン姿で、ランドリー・バスケットを抱えるユキに若妻のような憧憬感を抱いていた。エリコが出て行ってから丸一年が過ぎた頃のことだった。

 思わずオレはその後ろ姿の細い肩にそっと手を回し抱きしめた。

「あはは、抱きしめられちゃうのも、悪くないね」と爽やかに返すユリ。大人しいエリコとはまた違い、この元気で明朗な女性像に少しずつ心がかたむいていくのがわかる。

 ユリは優しくオレの手を肩から外して、絡んだ両手をほぐす。そして「終わらせちゃうからちょっといい子で待っててね」と微笑む。そしてバルコニーの物干し場へと向かった。


 全く男のさがというのは、身勝手な物で、あんなに好きだった妻のエリコがいなくなって時間がたつと、常に身近にいて何かと親しい存在になったユキを肯定的に捉え、オレの心の中で好意や恋慕に差し替えてしまう。

 つまりオレの女性の好みに関する変換器はご都合主義に他ならない。だがこうなることをエリコ自身も望んでいたことなので、全てはエリコの思惑通りとも言えるのだろう。


 ユキの手料理である夕食を食べ終えてオレは彼女に訊ねてみた。リビングの先にあるアイランドキッチンで食器を洗う彼女は、正面にオレがいるのに気付き微笑む。

「どうしたの? そんな真ん前に仁王立ちして」

「いやユキちゃんって、エリコが手紙に書いていたように本当に出会った頃から好きだったの、オレのこと」

 そんなオレの質問に、あっけらかんとした性格の彼女は頬を緩ませながら言う。

「そうだよ。あの下北沢の買い物の時から好きだったよ。でもね、エリコの事も大切な友人なので無くせなかった」と冗談交じりに照れ隠しの表情だ。

「その時、なんで言わなかったの?」

 彼女は鼻の頭に洗剤の泡をつけながら、

「そうね。あの時、エリコにはケンちゃんが必要だったからかな」と言う。

「精神的なことで?」

「うん。あの落ち込みや大学中退の精神的な苦痛を和らげられるのは、私じゃないと悟ったせいかな。そう言うことに気付いちゃう私は、自分がたまに嫌になるわ。無邪気になにも知らないままなら、ケンちゃんにコクっていたのかもね。でもあの当時は私は白鍵はっけん、エリコは黒鍵こっけんて感じだったのよ。半音ズレた世界のあの子を救うことは出来なかったのよ、ピエロ役の私には」

「なるほどね」と腕組みして納得するオレ。

「ああ、でも今なら、エリコのお墨付きもあるから、私、あなたを誘惑するつもりよ。覚悟しておいて」と意味深な顔のユリ。

「うん。期待してる」

「バカ」

 彼女はオレの方に、洗剤の泡をフッと吹いて飛ばした。そこには頬を赤らめて、嬉しそうに笑うユキがいた。



※光伝送

八〇年代の中頃からバラコンのアンプには、光伝送の変換器が内蔵された機種が多くなってきた。これまで変換器はCDプレーヤー内蔵なのが一般的だった。いわゆる「DAコンバーター」と言うものである。言葉をほぐせば、アナログ・デジタル変換器とでもいう感じだ。CDやDATなどのデジタル記録媒体をCDやDATプレイヤー・デッキ内でアナログ信号に変換せずに、01(ゼロイチ)信号、即ちデジタル信号のまま光ケーブルでアンプに送って、音に増幅する直前でアナログ信号に変換するという方式。転送に光信号の01信号を使うため、この名前が付いている。

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