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古びたバーの片隅で

エリコとユキとオレの三人は奇妙なモノトーンの町で交錯する交友関係を築く。あの時代の鬱蒼とした社会感と華やかなポップス音楽の衰退。どことなく主流から外れた思想や感受性。ズレた感覚に惑わされる困惑の時代。そんな暗黒時代の隙間に日常の何かが変わる。感性だけの三人の物語が始まる。

 オレはあの夜とても酔っていた。大学が休講の連続で、授業にならない。不愉快な時代だ。折角勉強が面白くなってきた年齢だったのに、訳分からない連中が授業の妨害をして、先生も教室の前にくると机が積んである光景に呆れて研究室に引き返してしまう。

 一九六〇年代と一九七〇年代は若者が独自の社会観や価値観を見出した時代だった。それが時代だったと言われればそうなのだが、少なくともオレはそのコンテンポラリーには乗れなかった。無関心な「ノンポリ」と呼ばれる文学バカだった。そんなどんちゃん騒ぎで明け暮れたあの頃の若者も今では七十歳台である。年をとれば思想や理想などどうでもよくなる。人間その日を過ごすことに精一杯なのだ。

 でも時間を少し戻して、あの頃の想い出を語ってみよう。そう、この目の前の水割りの氷が溶けるほどの時間で。


 その泥酔した状態でオレは、大学近くで自宅にも近い学生酒場に足を踏み入れた。二軒目の店だった。その店はバーとはいえ、大衆酒場の分際で、レノンを流していた。洋楽である。そう、ジョン・レノンだ。一九八〇年に凶弾に倒れた悲劇のロックスター。現場は自宅、ニューヨークのダコタハウスという高級アパートメントの入口でのことだった。


 だがこの時代はまだレノンは健在だ。「インスタント・カーマ」、「ギブ・ピース・ア・チャンス」、「真夜中を突っ走れ!」などのヒット曲を連発していたのだ。

 対して相棒のポール・マッカートニーは冴えない時代だった。田舎に引っ込んで牧歌的なフォークソングもどきを歌っている。あのお洒落なテンションノートを使ったモダンポップスのソングライターは時代に全く合っていなかった。


「ねえ、お兄さん。火を貸してくれない?」

 二人連れの女性のひとりがオレに言う。アメリカン・ネイティブの民族衣装を身につけた二人だ。ちょうどこの頃の同時代のアイドル歌手のリンリン・ランランのような衣装だ。

「悪いね。オレ吸わないんだ」というと、

「吸わないのかい?」と不思議そうに俺の顔を見る。酒を飲む人間は皆、喫煙者とでも言いたげだ。

 オレがお手上げのポーズを取ると、カウンター越しに気を利かせたマスターがテーブルの縁に沿ってマッチ箱を滑らせてきた。

「どうぞ」という低い小声で。

 その女性は愛想良く、「サンキュー」とマスターにお義理の微笑みを向ける。

 今思えばそのモグロフクゾウが出てきそうなバーで、オレはその奇妙な二人連れに出会ったのは運命だったと思う。

 その煙草の女の影に隠れていたもう一人の女は無口で無愛想な女だった。

「ゆきちゃん、もういいから行こうよ」と連れの煙草の女にだけ話す。

「エリコ。あんた今日の宿はどうすんのさ?」

 その会話で分かった。彼女たちがヒッピ―であることを。行く当てもなく、「愛と平和」を愛する自由人。今なら間違いなくニートとか不登校とか言われる類いの人間だ。

「何処の大学だ?」

 オレの質問に「よく、大学生って分かったね」と煙草の女、ゆきちゃん。

「あんた煙草吸えてないよ。ふかしているだけだろ、やめときな、体に悪いよ」

「ふん」とへの字に曲げた口でオレを睨む煙草の女。見抜かれたのがお気に召さないようだ。

 余計なお世話とは思ったが、彼女たち二人にはその所作から育ちの良さが出ている。この時代、ピークは過ぎたとはいえ、まだ集団就職列車が上野駅に到着している時代だ。そんな時代に大学に行けるというのは、そこそこの金持ちでしかない。オレのような苦学生とは訳が違う。オレのカンではそこそこのお嬢さん大学の学生とみた。地方に行けば、女子は短大はおろか中学卒で就職というのが大半を占めた時代だ。

「アンタも大学生かい?」

「ああ、勉学に燃えて入学したのに、開講される授業がひとつもない。嫌な時代だ」

「おっとアタシとは真逆の意見だね。ようやく受験勉強が終わって、ぶらぶらできる猶予時間が持てたんだ。いまさら勉強なんでまっぴらゴメンだ」

 少し背伸びしたような、とっぽい言葉遣いで斜めからの意見だ。だが何のために大学に入ったのか、と言われそうな反応である。


 曲が変わり、今度はマッカートニーの、いやビートルズの「イエスタディ」が流れる。弦楽四重奏をバックにアコギ一本で弾き語られる名曲だ。全世界でのカバー、コピー数はナンバーワンの楽曲である。二位の「イパネマの娘」に大差をつけての第一位だ。


「あ」と言葉を出しかけたのが、もう一人のエリコと呼ばれた女性だった。

「ビートルズが好きか?」

 エリコは少し困惑気味ながら答えてくれた。

「昔のね」と。

「アイドル時代のポップでロックなヤツか」

 そういうと無言で頷くエリコ。

「オレもだ。解散してヤツら小難しくなってしまった。哲学とか、思想とか、政治とかな」と複雑な顔でオレは言う。

 すると今まで黙っていたエリコは堰を切ったように話し始める。少し驚いた。

「そうよ。折角彼らの曲で英語を学べると思っていたのに、休講だらけの大学に用事なんか無いわ」と真面目なことを口走る。

 オレはこの時代に反対する彼女への共感なのか、敬意なのか頷いて苦笑で返した。


「ヤア! ヤア! ヤア! を見た口かい?」

「ヘルプも、ミステリーツアーも見たわ」

「ほう。なかなかのファンだね」

「知っているって事は、アンタも見たの?」

「ああ、サブマリンも含めてね」

 オレの言葉に「生まれてくる時代が遅すぎたわ。こんなピッピ―文化を囓っていないと大学ではつるし上げられるし……」と返すエリコ。

「ん?」

 ここで初めてエリコは女子大ではないことに気付く。学生運動のある大学はほとんどが総合大学だ。そしてヒッピ―もどきかヘルメット姿の不精者の男がリーダー格の場合が多い。

「お前さん、女子大の学生ではないね」とオレが言うと、

 煙草の女ユキが「エリコは秀才の牙城、有名国立大学の学生だよ」と相変わらずのふかし煙草で言う。

「ほう」

「この子は学生寮にいられなくて、放浪の旅の最中なのさ。あたしんちにずっと泊めていたんだけど、明朝、アタシの親が上京するんで部屋にいられなくてね。うちの親が二三日こっちにいて、東京見物に付き合わないといけないので、困っているのさ」

「引き受けるよ。オレが」

「妙な気をおこしてじゃないだろうね」とユキ。どうやらオレの素性、信用されていないようだ。

「いや、それは無い。その証拠にオレの部屋を彼女に使わせて、オレは隣部屋の友人の部屋に泊まるよ。アパートの隣部屋に友人がいるんだ。それならアンタも安心だろう」

「確認させてもらうよ」とユキ。

 二人の女性は顔を見合わせてる。オレは学生証を見せて、身元を明かす。彼女たちも互いに学生証を出した。

「じゃあ、今宵北斗七星の方角に行ってみようか。そこに我が家のある」

 そういうと古ぼけたバーの鉄製扉を閉めて、オレはエリコとユキを連れて町の灯りを背に住宅街へと歩き始めた。



※モグロフクゾウ (喪黒福造)

藤子不二雄A作の『笑ゥせぇるすまん』に登場する奇妙なセールスマン。バーなどで人の心に付け入るために声かけをする。


※ビートルズがやって来るヤア! ヤア! ヤア!

ビートルズ初の主演映画作品。ア・ハード・デイズ・ナイトの邦題 モノクロ作品 一九六四年


※ヘルプ! 四人はアイドル

第二作品 ヘルプ! の邦題 カラー作品 一九六五年


※マジカル・ミステリー・ツアー

彼ら自らが製作したテレビ版ムービー 一九六七年


※イエロー・サブマリン

ビートルズ初のアニメ―ション映画作品 一九六六年

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