憂鬱な日々の始まり その9
アリスは人混みが大嫌いです。ついでに騒がしいのも嫌いです。家で静かにのんびりと過ごすのが好きなタイプなのですが……まあ、しばらくは無理でしょう。
明るい声が行き交う賑やかな街中。
昼間なだけあってか、人も多く、買い物客やらで、大変な盛り上がりになっている。
街中を歩く人々は皆笑顔を浮かべ、非常に楽しそうだ。
ただ1人をのぞいて。
アリスは人通りの多い通りを歩きながら、早くも外に出た事を後悔した。
「おい、チェシャ猫! アリスからもっと離れて歩けよ! お前と歩くとアリスが不審者に間違われる!」
「あはは、大丈夫だよ。帽子屋さんと一緒に歩いたって十分不審者に見えるから」
「俺はお前みたいに目に痛い服を着てない!」
「でも、全身黒尽くめはいくら何でも怪しいよ。どこかのマフィアみたいだ」
「誰がマフィアだ!? だいたい、何でアリスの腕にくっついてるんだよ! 離れろ!」
「帽子屋さんもそうしてるじゃん」
「俺はアリスの恋人だからいいんだよ!」
ああ、本当に……
「うるさい……」
いい加減にしろ?
人の耳元で大声だしやがって……
俺だって、いくらなんでも我慢の限界だ。
しかも右腕にはチェシャ猫が、左腕にはレノがしがみつき、はっきり言って歩きにくいことこの上ない。
本当に傍迷惑な奴らだ。
「アリス、そんなに嫌そうな顔しないでよ。両腕に華だよ? 嬉しいでしょう?」
全然嬉しくない。
「お前ら……離れろ」
「だってよ、帽子屋さん」
「何で俺が離れなきゃいけないんだよ! お前が離れろ!」
再び始まった言い合いに俺の我慢はついに限界を迎え、額に青筋が浮かぶ。
さっきから、耳元でぎゃーぎゃーとわめきやがって……
うるせえんだよ!
「2人ともだ! 2人とも今すぐ離れろ!」
「何で俺が離れるんだよ! 恋人がこうやって歩くのは普通だろう!?」
「普通な訳ないだろう!」
おまけに周りの視線が痛すぎる。
ただでさえ3人とも目をひく容姿をしているのに、こんなふうに密着して歩いていれば嫌でも周りの目をひく。
しかもこの2人がやかましく騒ぎ立てるもんで、よけいに目立ってしまっている。
頼むから、もう生き恥をさらすのは勘弁してくれ。
「レノ、離れろ」
若干強めに言うとレノがしぶしぶ、俺の腕から手を離し、少し離れる。
よし、とりあえず1人はどうにかなった。
問題はもう1人の方だ。
じろりとチェシャ猫を見れば、にやにやと笑われる。
「どうしたの、アリス? そんな恐い顔しちゃってさ」
「言わなくてもわかるだろう?」
本当にむかつく奴だ。
チェシャ猫はわざとらしく、わかんないと言って、俺の腕に抱きつく。
それを見て、レノが黙っている訳がない。
「アリスにしがみつくな!」
レノが今にも銃を取り出しそうな勢いでチェシャ猫に詰め寄る。
チェシャ猫はそれにふざけたような笑みで答える。
全く、この猫は人を煽る天才だな。
ケンカするならどこかよそでやってくれ。
俺を面倒事に巻き込むな。
ただでさえレノと一緒に出かけるのは疲れるのに、さらにチェシャ猫までそこに加わると……考えただけで頭が痛みだす。
しかもどちらも周りの事なんか、これっぽっちも気にしちゃいない。
「頼むから……これ以上騒がないでくれ……」
俺は下手に目立つのは嫌なんだよ。
「前々から思ってたけど、アリスってどうして周りの目をそんなに気にしてるの? 別にそこまで気にしなくてもいいのに」
良くないだろう……
普通に考えて良くないはずだ。
「俺は普通だ。普通はそう思うものなんだ」
「え~、アリスが普通かどうかはわからないけど、僕らにとって、それは異常だよ」
お前らといっしょにするな。
お前らの普通が可笑しいんだよ。
「周りなんかしょせんは周り。気にする事なんか全然ないよ」
「あのな……」
だからその考え方が俺にとっては異常なんだよ!
少しは気にしろ!
いらいらとチェシャ猫を睨めば、チェシャ猫がにんまりと笑う。
「それにいくらアリスが目立ちたくないと思っていても、もう十分に目立ってると思うよ?」
チェシャ猫の何気ない一言に思わず足を止める。
ちらりと周りを見渡せば、目の合った数人がこちらを見ながら、ひそひそと小言で話しこんでいる姿が見える。
慌てて周りを見渡せば、気のせいかそこにいたほとんどの人がこちらを興味深げに見ている。
「……」
何だ?
この雰囲気はいったい何なんだ?
何だか妙に居心地が悪いんだが……
俺が周りの奴らの反応を見てるとレノがチェシャ猫の方を不機嫌そうに睨む。
「お前のせいだ……」
「僕は何にもしてないよ?」
「うるさい! そんなわざと目立つような格好をして、よくそんな事が言えるな! お前がチェシャ猫だって事ぐらい、バカだってわかるじゃないか!」
「僕がチェシャ猫だと気づかれるよりも前に帽子屋さんのその格好を見て、何人かは気づいたみたいだったよ?」
「俺のせいだって言いたいのか?」
「まさか。帽子屋さんのせいだなんて僕は一言も言ってないよ?」
今度は何だ?
二人の妙な会話に俺は眉をひそめる。
「どういう意味だ? 周りにお前らが誰か知られたらまずい事でもあるのか?」
俺の疑問にチェシャ猫とレノが顔を見合わせる。
「別にまずくなんかないよね?」
「まあ……別にバレたって俺達は構わない」
「うん、僕らは全然困らない。困るのはアリスだよ」
「ああ?」
俺が困るだと?
どういう事だ?
2人だけで会話してないで、俺にもちゃんと教えろ。
俺だけ仲間外れにするな。
1人不機嫌な俺を見て、チェシャ猫が笑う。
「アリスったら忘れちゃったの? アリスはゲームにもう参加してるんだよ? 下手にアリスだって事がばれたら名前持ちの住人達に襲われちゃうよ?」
そう言われればそんなものに強制参加させられてたな。
あれ以来何もないからすっかり忘れていた。
「アリスから貰った名前のおかげで僕らが他の住人と違って、特別だって教えたでしょう? つまり、名前持ちの僕らと一緒にいるだけでアリスは注目されちゃうんだよ。帽子屋さんだけだったらまだしも今は僕もいるしね。名前持ちが2人もそばにいればアリスが誰か気づかれちゃうかもね」
チェシャ猫が天気の話をするぐらいの軽さで話す。
それが天気の話ならべつに構わないが俺の命に関わる話だ。
せめて、真面目な顔をして言え。
俺にとっちゃかなり危機的状況じゃないか。
「つまりお前らと一緒にいるとろくな事が起きないって事だな……よし、さっさと離れろ。俺から3メートル離れて歩け」
「何でそうなるんだよ!? 嫌だ! 俺は絶対に離れないからな!」
せっかくはがす事に成功したのに再びレノが俺にぎゅうっとしがみつく。
「おい……」
「嫌だ!」
まだ何も言ってないだろうが……
ふるふると体を震わせ、離れまいとしがみつくレノに思わず苦笑する。
しょうがない。レノがこうなってしまったらもうお手上げだ。
俺はあきらめて、レノにしがみつかれながら歩く。
はっきり言って、邪魔だ。
ひどく歩きずらい。
「アリスって、やっぱり帽子屋さんには甘いよね。僕がやったらすぐに引き剥がすくせに」
「うるさい……」
チェシャ猫の一言にレノが嬉しそうに笑う。
その顔を見てたら、もうどうでもよくなってきた。
今さら離しても遅いか……
そんな言い訳じみた事を考え、結局俺はレノにしがみつかれたまま歩いた。