憂鬱な日々の始まり その8
あれ? シリアスな話のはずだったのに途中からシリアスじゃないかも。
本当に長続きしなかったな。
次回はアリス視点に戻ります。
「やっと来たか……」
返り血をべったりと顔や衣服につけたまま、あいつが振り返り、こっちを見る。
「遅かったな、白ウサギ」
あいつがちらりと目で合図をおくるとすかさずトランプ兵が近づき、布を差し出す。
あいつはそれを受け取ると剣についた血を拭い、それを床に投げ捨てる。
そしてゆったりとした動作で剣を鞘に収めてから、こちらにやってきた。
あいつは相変わらずの無表情だったが、僕の後ろにひかえるトカゲの姿を見ると僅かに眉をひそめる。
「確か呼んだのは白ウサギだけだったはずだが?」
「上司があんまりにも駄々をこねるから仕方なくついてきてやったんだ」
「なっ!?」
僕は駄々なんてこねていない!
ついてくるなって言ったのに、お前が勝手についてきたんだろう!?
トカゲを思いっきり睨めば、にやりと笑われる。
部下の分際でこの僕をバカにするなんて、後で覚えておけよ。
「まあ、いい」
あいつは興味なさげにトカゲを見てから、僕を見る。
「単刀直入に聞く。新しいアリスが現れたのか?」
その一言に思わず、びくりと体が反応する。
ちらりとあいつの顔を見れば、あいつの目が残忍に光る。
やはり、目的はこれか……
「さあ? どうだろうね」
「ふざけるな。お前が仕事を抜け出した事は知っている。さっさとアリスの情報を渡せ」
渡してどうする?
どうせこいつの目的は一つ。アリスを殺す事だ。
「アリスの事なんか僕は知らないよ」
「この俺に嘘をつく気か?」
「だとしたらどうする?」
あいつは黙って、剣を抜き、剣先をこちらに突きつける。
「女王様の命により、お前の首をはねる」
「女王様ね……相変わらず、あの子の言いなりなんだ」
「女王様を愚弄するな。その首、今すぐはね落とすぞ?」
あいつの目がきつくなる。
おそらくこのままでは本気で首をはねられるだろう。
だからと言って、この男にアリスの事を言うつもりはない。
「珍しく抵抗しないのか?」
「首をはねられるのなんてどうせ初めての事じゃない」
それに首をはねられたとしても死にはしない。
多少の痛みと違和感が残るだけ。
「はねたきゃ、さっさとはねろ。女王の犬め」
あいつの目が光る。
刃が僕に向かって真っすぐ、振り下ろされた。
「何のつもりだ?」
覚悟していたはずの痛みも衝撃もない。
恐る恐る顔を上げれば、そこには僕よりもずっと大きな背中が見える。
「トカゲ……」
何でお前が僕を庇うんだよ……
トカゲは僕とあいつとの間に入り、振り下ろさたはずの剣が僕を貫く前に、自分の剣で防いでいる。
「悪いな。どんなに愚かな上司だろうと上司であるいじょう、見殺しにはできねえだろう?」
誰が愚かな上司だ。
お前みたいなバカな部下に言われたくない。
「この俺に逆らうのか?」
「冗談。あんたにケンカ売ったって勝てる訳がない。俺は勝てないケンカはしない主義なんだ」
「じゃあ、どういうつもりだ?」
あいつの言葉にトカゲが笑う。
「アリスならいるぜ。ずいぶん前からこの国に来てる」
「なっ!!?」
このバカ……まさか、情報を流す気か!?
慌ててトカゲを黙らせるためにその足を後ろから蹴り上げる。
「いてっ!? お前!? 何すんだよ!?」
トカゲが若干涙目で振り返る。
しかしそんな事、知った事じゃない。
「部下の分際で、僕の命なしに、何勝手な事してるんだ!」
「勝手だ? 愚かな上司を救おうと体をはってる部下に対してそれはねえだろう?」
「僕は愚かな上司じゃない! だいたいお前なんかに体をはってもらいたくなんかない! さっさとそこを退け!」
「あー、うるせえ奴だな。全く、こんなむちゃくちゃな上司をもつなんて本当に運がないぜ」
「うるさい!」
僕だって、お前なんかの上司になりたくない。
それでもこうしてるのはアリスがそう決めたからだ。
アリスがそう決めなきゃこんなのに僕が従うはずがない。
あいつはしばらく僕とトカゲのやりとりを見ていたが、そのうち飽きたのか、ため息をついて、剣を鞘におさめる。
「トカゲ」
「ああ?」
「アリスはずいぶん前からいると言ったな。どういう意味だ?」
「そのままの意味だ。アリスはずいぶん前からこの国にいる。俺達の大半はその事に気づけなかったが、間違いない」
「どうして気づけなかった?」
「帽子屋がずっと自分のそばにおいて隠してたからな」
「帽子屋が?」
「ああ、帽子屋のやろーもなかなかの策士だったって事だ。なにせうちの白ウサギ様が最近まで気づかなかったくらいだ。よほど上手く隠したんだろうな」
もう一度僕はトカゲの足を蹴り上げる。
「……っ!?」
振り返ったトカゲを無言で睨みつける。
どこまで言う気だ?
それ以上言うなら僕がお前の首をはねるぞ?
トカゲは苦笑して僕を見て、それからあいつに向き直る。
「アリスの特徴は長身に金髪、青い瞳、眼鏡をかけてて、いつだって不機嫌そうな顔をしてる。これだけわかれば後はあんたの方でどうにでもできるだろう?」
何がどうにでもできるだ!?
これじゃあ、すぐにアリスを見つけられてしまうじゃないか!
怒りに任せて、もう一度足を蹴り上げようとしたら、突然トカゲの腕が伸び、僕の襟首をつかむとそのままずるずると引きずって行く。
「……っ!? この、バカ! 何するんだ!?」
「はいはい。後でいくらでも聞いてやる」
そのまま僕は何とも情けない状態で大広間から退場する。
あいつはそれをとがめたり、止めたりせず、無表情でそれを見送った。
しばらく行ったところでようやくトカゲが僕を解放し、悪かったなと言って笑う。
すかさず僕はトカゲのすねを蹴り上げる。
「って!? お前!? さっきから何して!?」
「うるさい! うるさい! お前なんかいっそ、死んでしまえ! アリスをあの男に売ったな!? アリスを裏切ったな!?」
「仕方ねえだろう? ああ、するしか団長殿から逃げられなかったんだ」
「うるさい! 裏切り者! だいたい何でお前がアリスの事をあんなに知ってるんだ!?」
「あー、それは教えられねえな。まあ、言うなればたまたまだ。たまたま」
何がたまたまだ!? ふざけるな!
しばらく腹の虫がおさまらず、文句を言っているとトカゲが鬱陶しそうに僕を見る。
「たく、うるせえな。いいじゃねえか。どうせその程度で死ぬようなら、そいつは本物のアリスなんかじゃない。俺達に必要なのは本物のアリスだけだ。そうだろう?」
そんな事、わかってる。
僕が一番、そんな事わかっているんだ。