憂鬱な日々の始まり その3
チェシャ猫とアリスの微妙なお話。ちょっとBL度が低くなってきたので、次話にはそうゆうのを入れたいと思います。
「で、お前はチェシャ猫か?」
「そう」
「お前にぴったりのふざけた名前だな」
「やっぱりアリスって僕に気がある?」
「何でそうなる……」
全くない。絶対にない。
「だってやたらと僕に突っかかるし」
「ムカつくからな」
「最初はムカつくと思っていた相手をいつの間にか……」
「殴り飛ばすぞ?」
悪いが体格は俺の方が上だ。こんなひょろひょろした奴に力で負けるとは思えない。
「もう、怒らないでよ。アリスって結構短気だね」
「最初の時に言っただろう? 俺は短気な奴なんだ」
そんな事今さら言うな。
「あ、それともあれ? やっぱり帽子屋さんが恐い? あの執着ぶりからして帽子屋さんはかなり嫉妬深そうだもんね」
「……」
その点は間違ってないため、何とも言えない。
「……チェシャ猫なんてふざけた名前、俺なら使わない」
「そうだね。僕もそう思う」
自分でも気に入っていない名前を使っているのか。
呆れた。
俺の顔を見て、それを察したのかチェシャ猫は困ったように笑う。
「僕らはね、名前によって縛られてるんだ。だから気に入っていなくても入てもこの名前を使うしかない」
「縛られてる? どういう事だ?」
「不思議の国の住人の中でアリスから名前を貰った人達はそれだけで特別なんだ。アリスから名前を貰った僕らは名前によって縛られる。だから僕はご主人様の飼い猫。僕が望んでいなくても僕の名前がチェシャ猫であるかぎり僕はずっとご主人様の飼い猫。これが名前に縛られるって事だよ」
「最悪だな……」
想像しただけでも嫌になる。たった一人の少女にチェシャ猫なんていう名前を貰ったばっかりに好きでもない相手に使えるだなんて俺だったらやってられない。
「それは絶対なのか?」
「絶対だよ。僕らにとって一番大事なのはアリス。だからみんな、口ではどんなに言ってもずっとアリスから貰った名前を使い続けてる」
俺からしてみればそんなものに従い続ける住人達の気持ちがさっぱりわからない。
そんなにもアリスという少女は魅力的だったのか?
それとも……
「不満げだね。名前に縛られ続ける僕らが理解できない?」
「ああ」
「そっか、でも何も悪い事ばかりじゃないんだよ? 僕らは名前を与えられたと同時にそれ相応の地位も手に入れてるし、他の住人達は絶対に僕らに逆らえない。それに僕らは名前と一緒に特別な能力も彼女から与えられてるんだ」
「特別な能力だと?」
「そう。例えば僕の能力を使えばアリスがどこにいるのかわかるし、アリスの所にいつでも行く事ができるんだ」
チェシャ猫がにやにやと笑う。
待て……今、何かとんでもない事をこの猫は言ってなかったか?
「俺の居場所がわかるだと?」
「そうだよ。それで今日だってこうして会いに来たんだ」
「どこにいてもわかるのか?」
「もちろん! アリスがどんな所にいてもわかるよ」
「……」
満面の笑みを浮かべ自信満々にするチェシャ猫。
ヤバいな。こいつ、本当に変態ぽくなってきたぞ。
「お前は……ストーカーか?」
正直若干ひいた。
念のため、少しチェシャ猫と距離をおく。
「やだな、僕はチェシャ猫だよ。可愛い猫ちゃん」
だからお前のどこが猫なんだよ!?
俺は動物があまり好きではないが、猫はそれ程嫌いじゃなかった。
が、こいつのせいでそのうち猫が動物の中で一番嫌いになりそうだ。
「お前の能力は他に使い道がないのか?」
チェシャ猫はう~んと首をひねり、考える素振りをする。
もっとも素振りだけで実際考えているようには見えない。
「ないかな?」
案の定、ろくに考えず、すぐにそう答えた。
額を抑え、目の前の青年を殴り飛ばしたいという衝動を必死に抑える。
つまりなにか?
こいつの能力は俺にストーカー行為をするためだけに存在してるのか?
最悪だ。どういう能力なんだよ。
その能力は本当に必要か? 普通に使わないだろう?
「あ、でも名前によって能力が違うんだ」
「名前によって?」
「そう、帽子屋さんとか白ウサギとか名前によって与えられた能力が違うんだよ」
そうだよな。そんな使えない、必要のない能力を全員使えたらなぁ……
考えただけで頭が痛くなる……
ふとある疑問が脳裏をよぎる。
「レノの能力は何だ?」
まさかまたアリスがどうのこうの言い出すんじゃないよな?
レノにそんな能力があったとしたら、何をしでかすかわかったもんじゃない。
色んな意味で恐怖を感じずにはいられない。
「帽子屋さんの能力はいいよ。使えば、絶対に銃弾が外れなくなるんだ。だから帽子屋さんは銃を持たせればこの国で最強だし、目をつぶってても相手の体に銃弾が当たる。不思議の国の住人で帽子屋さんと銃でケンカしようとする人はまずいないよ」
だからいつでも拳銃を持っていたのか。
「知らなかった?」
「ああ」
「前にも言ったでしょう? 帽子屋さんは強いんだよ」
そんな事はこっちだって痛いほどわかってる。
どちらかと言うと守れてるのはいつも俺の方だ。
「ねえ、アリスは帽子屋さんが怖くないの?」
レノの事を怖いだと?
「どういう意味だ?」
そんなふうに思った事は一度もない。
確かにレノは拗ねやすく、面倒くさい奴だ。
だが、恐怖を抱くような相手じゃない。
もしもレノの事を怖いと思った瞬間があったとしたら、それは最初に出会ったあの時だけだ。
俺がアリスと名のって以来は一度もない。
「僕らはね、アリスがいなくなって可笑しくなっちゃったんだよ。みんなみんなアリスがいなくなった事でできた心の空白を他の何かでうめようと必死になって、その結果みんな可笑しくなっちゃった」
「可笑しくなっただと?」
「そう、ここの住人達はみんなみんな狂ってる。狂ってる自覚はあってもみんな自分を止められないからそれがどんどん酷くなって、やがて歯止めがきかない、危険なものへと変わっていく」
チェシャ猫は言っている事とは裏腹に何とものんびりとした様子だ。
「まるで他人ごとみたいに言うな。みんな狂ってるって事はお前も狂っているんだろう?」
「もちろん。僕もそして帽子屋さんも狂っているよ?」
レノが狂っている……
「しかも他の住人よりも帽子屋さんは重傷だね。彼のアリスへの愛情は異常。時に重く、時に激しく、アリスを執拗に縛りつける」
レノはチェシャ猫の言うとおりに狂っているのかもしれない。
「帽子屋さんのあれはもう狂愛だよ。今まで何人ものアリスがそれに耐えきれずに帽子屋さんを拒んだ」
狂愛か。そうかもな。あいつの愛情表現はなかなかすごいからな。
「いつか、その愛は凶器に変わる。それでも君は帽子屋さんを受け入れるの?」
レノは狂っている。
そうだとして、だから……何だ?
そんな事今さら言うな。
「愚問だな。そんな事聞かされたぐらいで揺らぐような決心なら、最初っからあいつのアリスになろうとなんて思わない」
レノが狂っているとしても何の問題もない。
「なるほど、そっか」
チェシャ猫がふむふむと頷く。
「ようやくわかったよ」
何がわかったんだ?
「帽子屋さんはイカレてる。だけど君は気にしない。何故か? 君もイカレてるからだ」
あまりにも簡単な答え。
だが、それはあながち間違いでもない。
間違いじゃないがやっぱりムカつくな。
俺は静かにチェシャ猫を睨みつけた。