騒がしい朝
幼馴染が幸せそうに眠っている。
静かにすやすやと。
見た目は大人しいそうなのにね……。
「眠っている姿は、とても可愛いのに」
お風呂でのことを思い出す。
どうして胸を噛むという暴挙に出たのか?
答えは本人しかわかりそうにない。
「んん……」
奏が寝返りを打ったので、シーツがずれ落ちたのが見えた。
「世話のかかる娘ね……」
ずれたシーツを掛け直す。
「私も日記を書いて寝ないと」
部屋の窓際にある椅子に座り、日記帳を開けた。
これはただの日記。『私の日常とはこういうもの』だと示す物。
「自分で書いていながら思うけど、可愛らしさの欠片もないわね」
別に自分に可愛らしさが欲しいとは思わない。
女の子が書く日記にしては浮いた話が全くないというのもどうかと思うが。
「私自身、普通ではないことを考えれば……これはまだ可愛らしい方かもね」
日記帳を閉じた途端に欠伸が出た。
「ふわ……。思ったよりも疲れたみたいだし、寝ましょう」
奏が眠っているベッドに向かう。
私の部屋にベッドは一つしかない。
「おやすみ、奏」
奏に背を向けるようにして目を瞑る。
微睡に落ちるのに時間は掛からなかった。
「……ちゃん、朝だよ!」
声が聞こえる。
この家には私しか住んでないわよ。
「空お姉ちゃん、朝だよ!……全然起きない。空お姉ちゃん、こんなに朝に弱いんだ」
聞き覚えのある声がする。
でも、まだ眠っていたい。
「もう!……早く起きないと大変なことになるよ?大変なことをするよ?」
大変なことって何だろう?
自分の家の自分の部屋で眠っているのに、何故か不安になった。
「本当に起きない。じゃぁ、仕方ないよね。まずは……うわぁ……昨日、噛みついて思ったけど、やっぱりこれは触る方がいいなぁ……それに羨ましい……」
身体を触れられている気がする。
眠っているのだから感覚が曖昧。
「うん……」
聞こえている声に少し変化が現れた。
「どうしよう……」
何があったのだろう?
私の目は未だ覚めていない。
ただ、身体を触られているということだけはわかってる。
「手が止まらない……。新しいぬいぐるみを買った時みたいに暫く手放したくない感じと同じ……」
困っているような声なのに、どこか興奮している気がするのは気のせい?
「いつまでも触ってられる。……これなら、ぬいぐるみはもういらないかな?……いつでも触れるのならだけど」
声の主は何か考えているようだった。
少しの沈黙後。
「空お姉ちゃんの弱みを握って、私のいう事をいつでも聞いてくれるようにすれば……きっと夢のような世界がこの先広がるんだ。魅力的過ぎて困る……」
「うーん」、「どうすればー」と考えている声がする。
なんとなくで解ったのは私にとっては良くない事で間違いない。
そろそろ、意識を浮上させないと大変なことになるだろう。
「仕方がない。今はこの空お姉ちゃんの身体を存分に味わ……」
「……何をするのかしら?」
声の主、奏は私に覆いかぶさるように、ベッドの上で私の前にいた。
「えっと、その…………いつから起きていたのかな?」
奏の表情は非常に青い。そうよね、それぐらい悪い事したんだから。
「今さっきよ。一応、声らしきものは聞こえていたけど」
「……聞こえてたの?そんなー!空お姉ちゃんの身体を自由に触る作戦が全部バレてる!?」
「そこまではっきり覚えてなかったんだけど、そういうことをしようとしていたのね……」
ため息が出る。
仮にその作戦が成功したとして、何かいいことはあるのかしら?
私には想像がつかないわ。
「ちなみに聞くけど、その作戦はどんなことをするのよ?」
「それは空お姉ちゃんの身体をまんべんなく触ったり、抱き枕にしたりするんだよ!……たまには直に触ってみたりとか……空お姉ちゃん、なんてこと言わせるのも……きゃん!」
言い終わる直前に、奏の頭に手刀を振り下ろす。
ろくな事ではない内容だった。しかも、直に触るって……それ、いやらしいこととしか思えないんだけど……。
「そんなことは全て許可しないわよ。却下よ却下!」
「そんなー!せめて!せめて、毎日一度はハグさせてよー!」
「食い下がるわね……」
まぁ、ハグぐらいならいいかしら?
外国人なら挨拶みたいなものだし。
「仕方ないから、それだけ認めて上げるわ」
「わーい!空お姉ちゃん、大好き!」
そういうやいなや、奏が抱き付いてきた。
許した手前、振りほどくわけにはいかない。
「やっぱり、柔らかくて暖かい。いいな、空お姉ちゃんは……」
「……そう」
ハグは認めたわよ。
でもね……。
「奏、胸に顔を埋めてグリグリするのは認めてないわよ?」
「ハグの延長だから大丈夫」
どこから出てきた理論なの!?
それ、普通に人にやれば痴漢扱いだから!
「奏」
「なに、空お姉ちゃん?」
奏は私の胸に顔を埋めながら返事をする。
「今すぐ止めないと、出禁にするわよ」
「んー!やわら……できん……?できんって、出入り禁止ってこと!?」
「当たり前でしょ!私の身体を狙う人を気軽に招くことはできないわ」
「……わかった、抱き付くだけで我慢する」
「よろしい」
私が満足そうに言った直後、奏から声が聞こえた気がしたが、小さすぎて聞き取れなかった。
(甘いのは空お姉ちゃんだよ。この世の中、不慮の事故というのはいくらでもあるんだから)
邪悪な発想を持った、奏だった。
「それじゃ、私はシャワー浴びてくるから」
「わかった」
起きてから、普段通りにシャワーを浴びにお風呂場へ向かう。
ふと、後ろから足音がついて来てることに気が付いた。
「奏?」
「私も朝はシャワー浴びるんだよ」
「……嘘じゃないわよね?」
「嘘じゃないよ?」
目は嘘を吐いているようには見えない。
だとすれば、これは本当の事なのだろう。
「交代で入ると時間が……全然大丈夫ね」
時計はまだ午前6時を指したところだった。
奏に起こされた時間は午前5時30分。私も早起きだけど、上がいたことに驚いたぐらいだし。
「時間が勿体ないよ」
「そうは言ってもね……奏が襲ってきそうだし」
「うん」
「……え?」
「え?」
今、悪びれる様子もなく『うん』って言ったわよね?
「………」
奏を見ると、不思議な事でもあったかのように首を傾げている。
(まだ寝ぼけているのかしら?)
朝から酷い聞き間違いをしたものだ。
熱いシャワーを浴びれば嫌でも目が覚めるだろう。
「どうしたの、空お姉ちゃん?」
「……なんでもないわ」
「ならいいけど」
「………ふ」
おかしいわね。一瞬、笑ったような声が聞こえた気がする。
「奏?」
「なに?」
「私の勘違いみたい。気にしないで」
「うん!」
朝から元気よね。
考えても仕方がない。何かが起きればその時に対処すればいい。
今の目的は目をしっかりと覚ますことだ。
「早くシャワーを浴びて朝ごはん食べないとね」
「朝ごはんは何にするの?」
「シャワー浴びてから決めるのよ」
簡単に衣服を脱ぎ終え、籠の中に入れる。
洗濯するのは学校から帰宅してからで問題ない。
「さてと……」
お風呂場のドアに手をかけようと思った時、背後から抱き着かれた。
「お風呂場で抱き着いてきたら危ないでしょ」
抱き着いてきたのは当然、奏。
「……ふふ」
「……奏?」
奏の笑い声を聞いた途端、背筋が寒くなった。
今までの悪戯とはまた違う雰囲気と言えばいいのか?
それぐらい、普段と雰囲気が違う。
「……捕まえた」
抱きしめられている腕に力が込められえる。
「ちょっと、悪ふざけはやめな……!?」
力強く胸を掴まれた。
「本気で怒るわよ?」
「……さない」
奏の低い声が聞こえる。
「空お姉ちゃんは誰にも渡さない……」
「か、奏?」
「空お姉ちゃんは私のもの。誰にも渡さない。誰にもあげない。触れさせない……」
奏の声が響く。
「この肌も温もりも髪も全て、私だけの物。……私が空お姉ちゃんを守るよ。だから、私だけのものになって」
「………」
「お返事してよ、空お姉ちゃん。『私のものになります』って。ねぇ、空お姉ちゃんってば」
「………」
悪ふざけも大概な気もする。
それでも、私を助けるということは本気みたい。
その部分だけ声の重みが違ったからわかる。
「私は空お姉ちゃんを大切にするよ?」
「……はぁ」
ため息しかでなかった。
「だから、早く私のものになるって言ってよー!」
「……まだ引っ張るのね」
「今すぐでいいんだよ?」
「言わないわよ」
「なんで!?」
心底驚いたという声を出されても困る。
「私は誰のものでもないわ。私だけのものよ」
「空お姉ちゃんの頑固者……」
「ほっといて。所で……」
私の胸を未だに掴んでいるこの手はどうしてくれよう?
「いつまで私の胸揉むつもり?」
「……ずっと?」
「………」
「………」
少し静寂が流れた後、私は判決を下す。
「出禁確定」
「どうして!?」
「どうしてって言われても出禁よ」
奏の顔が真っ青になるのがわかる。
ちなみに出禁というのは言葉だけ。
少しでも私を怖がらせた仕返し。
「出禁はやめて!何でもするから!ね、空お姉ちゃん!」
「ダメよ」
「何でも言う事きくから!それだけは許してよー!」
奏が涙目になりながら叫んでいる。
「ふぅん……何でもね」
奏の将来の為に少し脅しておこうかしら?
「だったら、まず手を放しなさい」
「……はい」
やっと解放された。
結構、強く抱き付かれてたのもあるし、少し疲れたのよ。
「次に服を全部脱ぎなさい」
「……え?」
「異論は認めないわ」
「………」
奏が無言のまま服を脱ぎ始めた。
シャワー浴びるのに服を着たままはありえない。
いやらしい意味はないわよ。
「……えっと、空お姉ちゃん?」
「脱ぎ終えたらなら、その場で屈みなさい」
「……私、何されるのかな」
頭を軽く叩くつもりではある。
反省させる意味も込めて。
「次は……」
「……もしかして、足を舐めろとか命令されるのかな」
「………」
奏の発言に言葉を失う。
何を想像してるのか、できれば考えたくない。
「それとも、もっと酷い命令とか?……空お姉ちゃんがそんな鬼畜な人だったなんて」
「誰がきち……」
「どうしよう!?逆に興奮してき………いったぁぁい!」
言い終える前に、拳を振り下ろした。
変な命令されて興奮するとか、どこの変態よ!?
本当にこの娘の将来が怖くなってきた。悪い男とかに引っかかったら、破滅するとしか思えない。
奏に彼氏ができたとしたら、私も立ち会わないとダメだろう。
いや、その前におじさんとおばさんに相談もしないとダメよね。
「シャワー浴びるわよ。まったく、とんだことで時間を使ったわ」
「はぁい」
全く、悪びれる様子のない返事が返ってきた。
ちなみに私が怖かった理由は『奏が病んだ考えを持った可能性があるかもしれない』ということだ。
なんて言ったかしら……ヤンデレ?
最近読んだ小説でそんなのがあったからよ。
「………」
肩越しに奏を見る。
(この娘がヤンデレとか考えたくないわね。あ、でも……)
普通そうに見える人がそうでない事が多いと何かで聞いた気がする。
(ないない!もしそうだとしたら、私の命がある間に更生させるわ!)
「どうしたの?」
「なんでもないわよ」
結局、シャワーを浴びることなく、目はしっかりと覚めた。
「空お姉ちゃん、今日も教室の掃除するの?」
「……するわよ。あと、食べてる最中に話さない」
「空お母さん」
「私に娘がいるなら、もっと可愛くて大人しい子がいいわね」
「ぐっ……。まだ怒ってる……?」
「怒ってないと思われたら心外ね」
「ごめんなさい」
「ほら、さっさと食べる」
「うん」
食事を再開し始めた時に、ふと思い出したことがあった。
「奏」
「………?」
今度は口に物が入っていても黙ったままだ。
首を傾げてこちらを見ている。
「お風呂場で抱き着いてきたから、ハグは今日はもうダメよ」
「!?」
奏が驚いたと同時に、手にしていたフォークを落とした。
今朝の朝食はトーストと目玉焼きとサラダだから。
昨日もそうだった気がする。まぁ、今回は昨夜に薫さんと新人さんに夕飯を振舞ったというのも理由ではある。
でも、それ以上に……。
「なんて顔してるのよ……」
奏の表情は一言で表すなら『この世の終わり』というのが相応しいかもしれない。
少なくとも、少女のする表情ではない。
「目を潤ませてこっちを見てもダメ。これはいわば教育。甘いなんてことはないわよ」
「空お姉ちゃん酷いよー」
「酷くないわ」
「鬼ー」
「鬼で結構」
「悪魔ー」
「悪魔でも結構よ」
子供じみた会話ねぇと思っていた時に。
「人でなしー」
という言葉が私に突き刺さる。
「……空お姉ちゃん?」
奏もさすがに私の変化に気が付いたようだった。
「……人でなしね。まったく、その通りだわ。私にぴったりの言葉」
「ご、ごめ……」
「気にしなくていいわ。ほら、早く食べて片づけるわよ」
「……うん」
そのまま静かに食事を終え、静かに片付け家を出た。
その間、会話は一言もない。
別に怒っているわけではない。
ただ………その言葉が痛かった。
「空さん、奏さん、おはよう」
家を出て直ぐ、薫さんに声を掛けられる。
毎日のことなので気にしてはいないけど、ほんといつ家に帰っているのだろう?
「おはよう」
「おはようございます」
二人で挨拶をする。
ふと……。
「今日は新人さんはいないんだ?」
「彼は今日は学校帰りね」
「そう」
と、簡単に返事をすると。
「……二人とも何かあったの?」
薫さんが首をかしげながら訪ねてきた。
「……奏に乱暴されたのよ」
目を伏せながら言うと、薫さんが『ピシッ!』と音がしたように固まった。
「えーと……」
薫さんがゆっくりと顔を奏に向ける。
機械みたいに器用に動くのは驚きだ。
「思ったよりも展開が早かったのね……。まさか昨日の今日でなんて……あはは……」
思った以上に壊れ気味な気がする。
ほんと、からかいがいがある。
「薫さん、空お姉ちゃんの嘘ですから!ほら、空お姉ちゃんもほんとのこと言ってよ!薫さん、凄いことになってるよ!?」
「嘘じゃないわよ?今朝も背後から襲われて、嫌がる私を無理やり……これ以上は言えない。とても満足そうに奏が喜んでいたなんて言えないわ……」
「さらに酷い嘘吐かないでほしいんだけど!?」
奏は悲鳴と変わらない声で叫んでいた。
近所迷惑になりそうだが、苦情は来ないだろう。
誰しも厄介な事に進んで混ざりたくはない。
「空さんが……大切な空がこんなことに……あはは……あははは…………」
完全に壊れたといっても違いなさそう。
正直に言うと、薫さんのこんな表情を見たことがない。
「空お姉ちゃん!ほんとに収拾がつかないと思うんだけど!?」
「そうね。奏がしたことはそれぐらい凄いことなのよ」
「だから、煽らないでよ!私そこまで悪い娘じゃないよー!」
奏の大声はよく響いた。
一番驚いたのは、奏の中では『そこまで悪い』にならないことを知ったことだった。
「ほんと、ぐずった子供をなだめるのは大変ね」
「誰のせいでそうなったのかな!?反省してないでしょ!?」
「してるしてる」
クスクスと笑いながら三人で通学路を歩いて行く。
ちなみに、なだめるのは本当に大変だった。
最後には『今すぐ二人を撃ち殺して後を追う!』と叫びだしたぐらいだし。
「空お姉ちゃんの嘘は怖いよ……」
奏が疲れ気味に言うが。
「一部は事実だから仕方がないでしょ?」
「うぅ……言い返せないよう……」
と、さらにへこんだりしている。
「わかっていることだけど、空さんの嘘はリアル過ぎて判断に困るのよ……」
薫さんは心底疲れたという声で言う。
「いいじゃない。皆被害者で。仲間外れはいないわよ?」
「「そんな仲間はいや!」」
二人の叫び声が綺麗に重なる。
「それに、そういうことが原因で私が好きになるかもしれないわよ」
冗談気味に言うと。
「それほんとに!?」
奏が見事に釣れた。
「今直ぐ、空い姉ちゃん私のもの計画を見直して……それから…………」
奏が表情を消して呟き始めた。
『私のもの計画』奴隷みたいなものかしら?
このご時世でそれはダメでしょう。
「奏がどんどん悪い娘になっていくわね」
「誰のせいかしら……。あんなにも清楚だったのに、どんどん汚れていって……」
「薫さんの娘もそうなるかもしれないわね」
「冗談でもやめてよ!?」
一瞬でも重ねてしまったのだろう。
青いを超えて顔色が白くなったのがわかった。
「やっぱり、人は欲望に忠実ね」
いい趣味ではないが、からかう事は嫌いではない。
間違いなく、ろくな結末にならないことも理解はしている。
それでも周囲の人に『私がいた』と覚えてもらえる。
良くも悪くも『思い出』としては残るのだ。
(私は最後まで共に歩めない。だから、今という日常を楽しまないと損よね)
純粋に日常を楽しむ。
普通で簡単なことではあるが、本当はとても難しいと私は知っている。
(……でも、もう少し静かに暮らしたいわね)
生きることはままならないと、改めて思うのだった。
書き終えてから、文字確認する暇がなく、そのままでした……。
奏がずっと大暴れしています。
大人しく優しい娘なのですが、離れていた時間が長くて少し行き過ぎた行動となります。(奏発想)
空は静かな日常を過ごせるのでしょうか?
次回の更新は書き終わり次第となります。