第9話:野獣と野獣
アルフレド皇子と森を散策してから五日が経った。その間、僕とミカは平穏無事に暮らしていた……という訳でもなかった。今、僕は青い芝生が輝く中庭で、リリィ王女の誘いを受け、二人で優雅な……表面上は優雅な時間を過ごしている。
「お味の方はいかがですか?」
「え、ええ……とてもおいしゅうございます……」
「よかった……」
僕の目の前に座るリリィ王女がほっと胸を撫で下ろす。僕も同じ気持ちだった。何せ偽王女である僕はテーブルマナーなんかさっぱり分からない。目の前に用意された上品な香りのする紅茶も、バターをたっぷりと使った高級な焼き菓子も味わっている余裕が無い。
リリィ王女の後ろにはお茶の用意をする数人のメイドが控えており、僕の横にはメイド服を着こんだミカが待機している。といっても、ミカはあくまで飾りなんだけど。
ミカは一応僕の専属メイドという事になっているのだけど、誘ったのはリリィ王女側という事で、向こうのメイドさんが全部やってくれている。ミカは本当にただ控えているだけだ。
横目でミカの様子をうかがうと、ミカは獲物を狙うタカのような目でテーブルの上の焼き菓子を凝視している。僕だって実家でプレゼントされたら貪っていただろうけど、今はそれどころではない。
「でも、お姉様が無事で本当に良かった……皇子に呼ばれたと聞いた時、私、本当に心臓が止まりそうでした」
「そんな大げさな」
僕は平然と言ったつもりだったけど、リリィ王女は本当に心配そうな表情で僕を見つめている。僕がアルフレド皇子の最初の生贄に選ばれ、無事に生還してきたという逸話は結構広まっているらしい。
「大げさじゃありません! それに、お姉様は自ら皇子を誘い出したというじゃありませんか!」
「な、何でそこまで知ってるの?」
「リスティス様から聞いたのです。あの日、私がお姉様の部屋を尋ねようとした時に顔を合わせたのですが、リスティス様が蒼い顔をされていたので問いただしたのです」
僕が皇子を森の散歩に誘いに行ったときにすれ違ったのだろう。正直、タイミングがよかったと言わざるを得ない。リリィ王女は隙あらば僕をお風呂へ誘おうとするのだけど、一度でもへまをしてしまえばそこで人生終了だ。
リリィ王女としては年上の女性と親しくなりたいんだろうし、僕も彼女の不安を取り除いてやりたいけど、さすがに命は惜しい。なので、今日はお茶会だけという名目で参加している。
「あの日以来、皇子はずっとお部屋で寝込んでいるとの事です。まさか……お姉様が皇子を昼間に連れだしたのは、それが思惑だったのですか? 吸血鬼は日の光に弱いと聞きますし……」
「違いますよ」
僕はひらひらと手を振って否定した。皇子が寝込んでいる理由を僕は知っている。筋肉痛だ。森から帰って来た翌日、僕はもう一度皇子に会いに行った。すると皇子は「足が痛いから行きたくない」とゴネたのだ。
リリィ王女に言えば、皇子が吸血鬼ではない証明になるかもしれないとも思ったけど、宵闇の皇子が森をちょこっと歩いただけでまいってしまう虚弱体質だとバラしたら怒りの制裁がくる恐れもあるし、皇子の名誉を守るために黙っている事にした。
「もしかして……お姉様は伝説をなぞろうとしているのでは?」
「伝説?」
僕の表情を伺うようにリリィ王女が上目遣いでこちらを見る。森を散策する伝説とは一体……。僕が首を傾げると、リリィ王女が先に答えを教えてくれた。
「吸血鬼を殺した伝説の少女の事です」
「ああ、おとぎ話の事ですか」
僕が皇子に呼ばれた初めての夜に聞かされた話だ。確か、吸血鬼と不幸な少女がお互いに愛し合うけど、そのせいで吸血鬼は死んでしまう、という感じのお話だった。
「それは少し違います。いえ、そういう結末のお話もあるにはあるのですが」
「違う?」
僕が皇子から聞いた話をリリィ王女にすると、王女は否定するような発言をした。そして、僕にもう一つのお話を聞かせてくれた。どうも地方によって若干内容が違うらしい。
概ねは皇子から聞いた話と同じだ。違うのは、吸血鬼と少女に恋愛関係はなく、少女は自らの身を投げ出し、吸血鬼に自分の身体を貪らせ、朝日を浴びさせたという部分だ。
「だから、私は不安なんです。お姉様がそのお話をなぞり、皆を守るためにアルフレド皇子の気を引いているのではと」
「それは無いですよ」
僕は思わず苦笑してしまう。そもそもそんな話を聞いたのは今が初めてだ。大体、男の僕にどうこう出来るわけが無い。美女と野獣というお話があるけれど、あれは美女と野獣だから物語として美しいのであって、野獣と野獣ではお話にならない。
「ならいいんです。私達の立場としては仕方ないですが、お姉様に何かあったら、私……私……」
「あ、あの、本当に大丈夫ですから!」
リリィ王女は涙目になってしまい、僕は狼狽した。そもそも皇子は吸血鬼じゃなくて、魔力馬鹿のモヤシっ子だ。でも、世間一般だと完全に吸血鬼扱いされている。何とか誤解を解いてあげたいけど、僕にはどうする事も出来ない。
僕はミカからハンカチをひったくるようにして奪い取ると、リリィ王女の顔をごしごし拭いた。王族にこんなことしていいのか分からないけど、かといって放っておく訳にもいかない。
「お姉様はお優しいのですね……」
不敬だと怒られるかと思ったけど、リリィ王女は何故かうっとりとした表情で僕を見る。僕は反応に困り、曖昧に笑ってごまかした。何か話題を転換出来るものはないだろうか。
僕は眼だけを動かし、リリィ王女の気を逸らせそうな何かを必死に探す。すると、石畳で舗装された部分を、やたら大きな荷物を積んだ馬車が通って行くのが見えた。それと入れ替わるように、少し小さな馬車が何台にも別れ、逆方向へと進んでいく。
大きな馬車は後宮の方へ、小さな馬車たちは出口の方へ向かっていく。
「あれは何でしょうね」
リリィ王女との会話の糸口にもなりそうだし、純粋な疑問でもあった。後宮内の敷地はかなり広いから移動する際に馬車を使うのは珍しくないけれど、それにしたって量が多い。
「後宮へ向かう方は、おそらく帝国からの物資だと思います。馬車の造りが帝国のものですから」
「へぇ、リリィ王女は物知りなんですね」
「そ、そんな! 単に小さな頃からよく見かけていたので」
僕は馬車なんてここに来るまで乗った事が無かったのでさっぱり分からないのだけど、それなりの王族からすれば微妙な違いが分かるのだろう。じゃあ、もう片方の馬車軍団は?
「出口へ向かう方は、おそらく帰郷される方々だと思われます」
「後宮の貴族様たちが乗っているって事ですか?」
「だと思います。ここはアルフレド皇子の支配する場所ですので、皇子が気に入らなければ即座に追い出される事もあると聞いています。あるいは、自分から出て行ったのかもしれません」
皇子の後宮要員として派遣されつつも、殺されるよりは敵前逃亡を選んだって感じなのだろうか。僕は皇子の不興を買っている可能性が非常に高いので、追い出されるなり逃亡するなりしたほうがいいかもしれない。
「いいなあ……私もおうちに帰りたい」
リリィ王女が去りゆく馬車たちを見て、ぽつりとそう呟いた。多分、後宮を出ていけるのは、その国の第一王女とかで無くてはならないと理由を付けられるとか、皇子にとって全く魅力の無い女性だけなのだろう。リリィ王女は中途半端に逃げられない条件が揃っていて、安易に出ていけないのだと思う。
そう考えれば、小国の偽王女という僕は、ある意味で恵まれた存在かもしれなかった。
◆
「そろそろ、僕達も引き上げていいんじゃないかな?」
リリィ王女とお茶会を済ませ、空が紫色になり始めた頃、僕は自室でミカにそう持ちかけた。
「えぇー!? 皇子とまだ何も起こってないのに!?」
「何も起こってないから逃げるんだよ」
ミカが頬を膨らませるが、僕としてはここらが潮時なのではと思う。もともと長居する気は無かったし、僕一人消えた所で皇子が追跡してくるとは思えなかった。それほど長い付き合いではないけど、皇子は逃げる弱者を必死になって追い掛けるタイプではないと思う。
「お兄ちゃんには真実の愛が必要なのに!」
「意味分かんないよ。僕は国に戻って、大人しくてお淑やかな女の人と結婚するんだ」
この状況に若干慣れつつあるけど、後宮に男が侵入してる事がばれたらおしまいだ。一応、未遂とはいえ皇子と一晩過ごしたわけだし、義務は果たしたのではないだろうか。
「明日にでも手続きをして、ここを出る準備をしよう。多分、そんなに苦労はしないんじゃないかな」
楽観的すぎるかもしれないけど、うまくいくんじゃないかという気もする。皇子が女性を一人占めしたいとムキになる姿がどうしても思い浮かばない。僕がそう言うと、ミカは口をとがらせる。
「兄の命が掛かってるんだ。大人しく従って」
「わかったよぉ。でも、つまんなーい」
面白いとかつまらないとかで命を賭けないで欲しい。僕の正体がバレればミカだって断罪されるのだ。ミカが賭博で身を崩さないよう、今後真剣に見張る必要がある。
幸い僕達は荷物もほとんど無いし、荷づくりの必要もあんまりない。一日か二日あれば充分終わるだろう。そう考えていると、不意にドアをノックするつつましい音が室内に響く。
僕が顎で促すと、ミカはしぶしぶ来客の待つドアの方へ向かう。一応、まだメイド役なんだから僕が出るわけにはいかないだろう。ミカがドアを開くと、その先には二人のメイドさんが立っているのが見えた。
そして、その顔に僕は見覚えがあった。この間、皇子の部屋の前で右往左往してた人達だ。二人はうちの偽メイドと違い、ぴしっと背を伸ばし、僕と眼が合うと深々と頭を下げた。
帝国のメイドさんと本来の僕だと、彼女達の方が立場が上だと思うのだけど、今はシャルロット王女だから仕方がない。
ミカは二人と二言三言会話し、メイドさん達を招き入れた。彼女らは真っ直ぐに僕の方に歩いてくると、前に見た姿からは想像も出来ないほど凛とした表情を見せた。やはりプロは違う。
「シャルロット王女様、夜分に申し訳ありません」
「いえ、私は別に構いませんが。何かご用でしょうか?」
僕がそう尋ねると、片方のメイドさんが深々とお辞儀をする。そこまで気を遣う必要無いんだけど。
「我々の主――アルフレド皇子より言伝を預かってまいりました。『至急、ある部屋に向かって欲しい』とのことです」
「ある部屋?」
「私達がご案内いたしますので。出来ればメイドの……ミカ様? もご同行頂ければとの事です」
「え? 私も?」
ミカが自分を指差すと、黙っていたメイドさんが首を縦に振った。僕が皇子に呼ばれるのは分かるけど、ミカまで呼ぶ理由が無い。いや、あった。
……もしかして、バレた?
僕の正体に気付き、僕と妹を一緒に亡き者にしようとしているのでは。それ以外に考えられなかった。僕は背中に汗が流れるのを感じた。ミカもさっきまでのアホ面を潜ませ、顔を蒼くしている。
今まではどこか他人事だと思ってたんだろうが、ミカも僕と同じ結論に至って戦慄してるんだろう。何せ、吸血鬼の末裔アルフレド皇子の噂は僕の国の子供ですら知っているのだから。
「あ、あのー、私とミカが一緒に行く理由を教えていただきたいんですけど……」
僕はひきつった笑顔でメイドさんに尋ねた。今から死刑を執行しますと言われたら、二人を跳ねのけミカを連れて脱走しなければならない。
「申し訳ありません。現場に着くまで決して喋るなと命令されておりますので」
だが、メイドさんは無情にも僕の希望に応えてくれなかった。もしも取り越し苦労で逃げ出して、余計にこじれたらかえって面倒なことになる。
結局、僕とミカは皇子の命令に逆らえず、メイドさん達に促されるまま、その場所へ向かう事しか出来なかった。
きっと、売られていく子牛ってこんな気持ちなんだろうなあと、僕もミカも現実逃避したが、現実は待ってはくれないのだった。