第6話:マシマシ大作戦
拝啓、父さん。僕達より先に天国へと行かれましたが、そちらではいかがお過ごしでしょうか。母さんと仲良く暮らしているでしょうか。幼いころに母を亡くした僕とミカにとって、父さんはその身一つで子供二人を抱え、ここまで育てるのにはさぞ大変だったでしょう。
僕もミカと一緒に暮らして二年になりますが、誰かを守るという事の難しさを体感している毎日です。父さんと母さんが居てくれれば……と何度思ったでしょう。
でも安心して下さい。僕とミカも近いうちに父さんと母さんの暮らす国に向かいます。そこで改めて父さん、母さん、僕、そしてミカと四人で幸せに暮らせる事を祈っています。
「なあ、シャールの奴、大丈夫か?」
「お兄ちゃんったら、夕方からずっとあんな感じなのよ」
僕がぶつぶつ呟きながら遺書を書いている後ろで、ジャンとミカが喋っているのが聞こえる。後宮に男性は入れないので、僕はミカを引き連れ、ジャンに最期の挨拶をしに来ていた。
「しかし、お前って昔っから踏んじゃいけない所をピンポイントでぶち抜くよなぁ」
「ジャン、今だから言うけど、僕は君に随分助けられたよ。たまには墓参りに来てくれると嬉しいな」
「……駄目だ、会話が成り立たねぇ」
ジャンが肩を竦めるが、僕の命はあと数時間なんだから許して欲しい。夜になれば皇子に夜伽の相手として呼ばれているが、僕は男である。つまり試合終了だった。
「もー、お兄ちゃんったら、せっかく皇子様に見初められたのに何で落ち込むのよ」
「見初められないと思ってたから落ち込んでるんだよ! 第一、ミカだって殺されるかもしれないんだよ?」
ミカは不満げに僕を見るが、僕からするとミカが平然としている理由が分からない。下っ端護衛兵士のジャン達は「王女様が男なんて知らなかった」と言い張れば逃げられるかもしれないが、身の回りの世話役であるミカはさすがに無理だろう。
まず僕が皇子の制裁を受け、ミカも共犯者として罰せられるだろう。その後はそんな奴を送り込んだ祖国に被害が及ぶかもしれないが、その時に僕らはもういないから関係ない。
僕は死んだ魚のような目でミカを見るが、ミカは輝く笑みを浮かべていた。ミカは元気が取り柄だけど、ここまで活気に満ち溢れたミカは見た事が無い。
「お兄ちゃん、ピンチはチャンスよ! 女だと思ったら実は男だった……最高のシチュエーションになりえるわ!」
「意味分かんないんだけど」
ミカの言っている事がまるで理解出来ない。もしかしたら、死を目前にして現実逃避を始めたのかもしれない。とにかく、ミカの精神について分析するのは無意味だ。
「でもなぁ、いくらシャールが女顔でも、さすがに皇子相手はきついんじゃないか?」
「ジャン! あんた、今の落ち込んだお兄ちゃんを見てどう思う!? 守ってあげたいと思わない!?」
ミカが大声でジャンにそう言うと、ジャンは僕の顔をじっと見つめ――。
「……正直、いけるな」
「ね! ね!」
二人して訳のわからない事を言い出した。もうだめだ。
「兄がもうすぐ死ぬって言うのに、なんて薄情な連中なんだ……」
「何言ってるのよ! お兄ちゃんは死なないわ!」
いや、どう考えても死ぬに決まってる。むしろ何で死なないのか根拠が知りたい。
「私にいい考えがあるわ! 名付けて、『マシマシ大作戦』よ!」
全くいい考えじゃなさそうだったが、僕はもう全てがどうでもよくなっていたので、ミカの馬鹿っぽい作戦にされるがままになっていた。
夜の帳が降り、満月が輝く頃、僕は皇子の部屋を訪れた。脱走しようと何度も思ったが、どうせ逃げる場所などない。運が悪かったと諦めるしかない。
僕が皇子の部屋の扉をノックすると、中から「入れ」というくぐもった声が聞こえてきた。
魔物の巣に飛び込む気持ちでドアノブを捻り、室内に入る。
「遅いぞ。待ちくたびれた」
皇子は夕方と同じ抑揚のない声でつぶやいた。室内は綺麗に整頓され、書き物のための机と、本棚に難しそうな本がびっしりと詰まっている事以外は、極めてシンプルな部屋だった。
真っ白なシーツの敷かれた大きなベッド、滑らかな絨毯。それ以外はほとんど何も無い。皇子は窓を開け、月明かりの下で本を読んでいた。この人、やっぱり本が好きなんじゃないだろうか。
「す、すみません。なにぶんこういう事は初めてなもので……」
僕はしどろもどろにそう答えた。僕は女性とそういう経験をした事が無い。だというのに、女装して皇子の相手に選ばれる稀有な体験をしている。できれば一生したくなかった。
「入れ」
皇子が短くそう指示し、僕は出荷される前の家畜みたいに部屋に入る。皇子は本を閉じ、机の上に置くと、僕の目の前に立った。同じ男性なのに、僕と皇子とでは頭一つ分くらい背丈が違う。
「お前も初めてなのか。俺もそういった経験は無い。お互い初めて同士という訳だな」
「えっ!?」
皇子がとんでもない発言をしたので、僕は素っ頓狂な声を上げた。後宮っていうからには、毎晩やんごとなきお方とくんずほぐれつしてるんじゃないのか。
僕の驚いた表情から内心を見透かしたのか、皇子は薄く笑った。その笑顔はなんだか自虐的にも見えた。
「こういった事は愛しあう者同士でやる事だろう? だが、いい加減なにかしないと、弟に目を付けられてしまうのでな」
「弟……ひゃっ!?」
僕が聞き返す前に、皇子は僕をベッドの上に突き飛ばした。ふかふかのベッドはそのまま寝てしまう程の感触だったが、今はそれどころじゃない。
「あ、あの! ど、どうしてぼ……私なんですか!? 私は名もなき国の第二王女ですよ!?」
今からでも遅くない。どうか道を踏み外さないで欲しい。僕は言外にその気持ちを籠めて叫んだ。
「別にお前だから選んだわけではない。誰でもよかった。単にお前が一番近くに居ただけだ」
「そんな通り魔みたいな」
僕は神を呪いたい気持ちになった。誰でもいいんだったら縦ロールさんでもいいわけで、何でよりによって、男の僕が選ばれるのか。僕の言葉を無視し、皇子が着ているシャツのボタンを一つ外す。
そして、僕に上から覆いかぶさる。蹴りを入れる訳にもいかないし、僕はただ死刑執行を待つしかない。
「そう怖がるな。何もお前を殺す訳じゃない」
いや、僕たぶん殺されると思う。かといってばらす訳にもいかない。詰んだ。終わった。
「あ、あの……そういう問題じゃなくて、私は皇子に抱かれるほど大層な身体では」
「別にそんな事は気にしない。皮一枚剥けば人間など皆同じだ。多少の肉付きなど誤差にすぎん。それに、お前は割と美しい顔をしているぞ」
褒められてもちっとも嬉しくない。むしろ不細工だから帰れと言って欲しかった。
「そ、そうだ! 教えて下さい! ほ、ほら、吸血鬼を殺す方法!」
僕は皇子に組み敷かれながら、一分一秒でも生を伸ばすために問いかけた。皇子は黒曜石のような瞳で僕を真っ直ぐに見つめていたが、相変わらず淡々としている。僕を女だと思っているなら多少は興奮しそうなものだけど、まるで事務処理で書類に向かっているような表情だ。
「今からそれを教えてやる」
そう言って、皇子は僕のドレスの上から胸に手を伸ばす。僕は心臓を鷲掴みにされたようにただ固まっていた。
「……ん?」
そこで初めて皇子の表情が変わる。眉をへの字にして、何回も胸を揉む。そして、一気にドレスの胸元を開く。
「あ! ちょ、ちょっと皇子!」
「……何だこれは?」
皇子が困惑した顔をした。僕の胸元には、いつにも増して詰め物が大量に入っていたからだ。
『最初は魅力的な女性を演じて、そこから男だっていうギャップを強化するのよ! だから胸はマシマシにするわね!』
確か、ミカが僕のドレスの着付けの際にそんな事を言っていた気がする。
「……ぷっ! ははははははは!」
皇子が僕の胸の詰め物を手に取ると、すごい勢いで笑った。そして、詰めていた布を見せつけるように僕の眼前に押し付ける。
「なるほど……確かに想像以上に貧相な身体だ。涙ぐましい努力だな」
「え、ええ、まあ……」
僕は慌てて胸元を直し、ほぼ真っ平らになった胸を慌てて手で隠す。なるほど、ミカはこれを想定していたのか。ありがとうミカ。パッドが無ければ即死だった。
皇子はひとしきり笑った後、詰め物を僕の寝ている横にぽいっと投げ捨て、ベッドから降りた。
「興が削がれた。まあ、元から乗り気ではなかったが、なかなか面白い物が見られた」
「はぁ……」
僕は安堵の呟きを漏らした。よかった。とりあえず危機は去ったらしい。皇子は再び服を整えると、机の所にある椅子に腰かけた。僕も身を起こしベッドに腰掛ける。
出来ればこのまま猛ダッシュで部屋から出たかったが、さすがに「もう帰っていい」と言われるまで退出は出来ない。
「まあいい、笑わせてくれた礼として、約束通り教えてやろう」
「何をですか?」
「……吸血鬼を殺す方法だ。お前がさっき教えてくれと言ったんだろうが」
皇子は呆れた様子で溜め息を吐いた。僕としては時間稼ぎで言っただけだったから、すっかり忘れていた。でも、ほんの少しだけ興味があった。
「じゃあ教えて下さい。吸血鬼ってすごく強いらしいですけど、どうやったら死んじゃうんですか」
僕が改めてそう尋ねると、皇子は少し黙りこんだ後、ゆっくりと口を開いた。
「……人間に恋することだ」
皇子の声が、静まり返った部屋の中に小さく響いた。