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第5話:吸血鬼の殺し方

 気まずい。それ以外の言葉は僕の頭に浮かんでこなかった。


 リリィ王女の突進を回避するために飛び込んだ建物は、アルフレド皇子の読書室だった。そして今、僕はその部屋の隅っこの椅子に腰かけ、本を読むふりをしていた。


 別に本が読みたかった訳ではない。僕の言い訳を皇子が信じてしまい、光栄にも一緒に本を読む事を許された。口は災いの元とはこういう事なんだろう。


 いっそ怒鳴って追い出してくれればよかったのに。アルフレド皇子は僕なんか気にも留めず、今は読書に没頭している。皇子は椅子に座らず、光が差し込む明るい場所で、壁に背をもたれかけ、足を投げ出している。


(吸血鬼の癖に日向(ひなた)の下で本読んでる……)


 吸血鬼っていうのはあくまであだ名なんだけど、こうして見るとやっぱり噂話だなあ。


 それにしても、アルフレド皇子は本当に綺麗な顔立ちだ。中性的だけど決して弱弱しい感じはしないし、黒ずくめの容姿は、吸血鬼というより堕天使というほうが似合っている気がする。


 男の僕ですらこう思うんだから、女性から見たらさぞ魅力的に映るのだろう。そして、その容姿と、皇子という権力を差し引いても恐れられる存在である。


 皇子はかなりの速度で難しそうな本を読んでいて、ぱらぱらとページをめくる音だけが室内に木霊(こだま)する。穏やかな光景ではあるけれど、僕は一刻も早く逃げ出したい。


 皇子に誘われた上に本が読みたいと言ってしまった以上、最低限何かしら本を読まないとまずいわけで、僕は適当にそこら辺の本を引っこ抜いてみた。


 でも、どれもゴマ粒みたいな文字で白いページが真っ黒に埋め尽くされており、見ているだけで目がチカチカしてくる。僕はすぐに本を戻した。どれも大体似たような感じで、僕は小さく溜め息を吐いた。


 確かに僕はある程度読み書きは出来るけど、あくまで『ある程度』だ。それに、ここにある書籍はどれもかなり古い物みたいで、僕に読める文字がほとんど無い。なので僕は、皇子の邪魔をしないように足音を殺し、少しでもマシな本を探していた。


(あ、これなんか読めそう)


 そこで僕は、分厚い本と本の隙間に挟まっていてた薄い本を見つけた。えっちな絵が描いてあるかもと一瞬期待したが、薄い本は単なる薄い本だった。


 でも、他の本と違ったのは、かなりの部分に挿絵が描いてある事だ。文字は相変わらず読めないけど、かなり大きめで文量もずっと少ない。


 恐らく、昔の絵本とか図鑑とか、そういう類の物なんじゃないだろうか。僕はその本を持ち、皇子からかなり距離を取った場所でページをめくり、本を読んでいるような姿勢を取った。


 読んでいるというより眺めているだけなのだけど、これがなかなか面白い。文章はさっぱり読めないけど、精密に描かれた幻想生物のイラストを眺めているだけで暇つぶしになる。


 大きな翼を持つドラゴン。狼の頭を持つ獣人。八つの頭を持つ巨大な蛇。どれも空想上の生物だ。唯一実在するのはドラゴンなのだけど、これもイラストに描いてあるような勇壮な物ではない。


『火吹き竜』と呼ばれる真っ赤な大トカゲで、熊よりも一回りくらい大きく、口から炎を吐く生物だ。知能も普通の動物だ。ごく限られた地域に住んでいるだけで、人間とは生活区域が違うから普通に暮らしていれば出会う事はまず無い。


 そうして昔の人が描いた美麗なイラストを眺めていると、不意にあるページが目に飛び込んだ。それは、美しい少女と、彼女を後ろから抱きすくめる男性のイラストだった。


「何を読んでいる」

「ひゃぁ!?」


 急に声を掛けられ、僕は変な声を出した。気が付くと、僕のすぐ後ろには皇子が立っていた。相変わらず無表情で、僕を……というか、僕の読んでいる本を眺めていた。


「……俺に対する当てつけか?」

「えっ?」


 皇子は冷淡な声でそう言うけど、僕にはさっぱり意味が分からない。僕がきょとんとしていると、皇子が先に口を開いた。


「お前が読んでいるその本だ。そのページは吸血鬼について書いてあるだろう」

「そうなんですか?」


 僕が尋ねると、皇子は少しだけ目を丸くした。皇子の表情が変わるのを初めて見た気がする。


「……お前、もしかして文字が読めないのか?」

「読めますよ。でも、古典なんて読んだ事ないですし」


 なんとなく馬鹿にされた気がしたので、僕はつい反論してしまった。皇子は呆れたように肩をすくめる。なんだか本格的に馬鹿扱いされている気がするけど、読めない物は読めない。


「どおりで絵本なんか読んでいる訳だ。ここにあるのは俺の国でも廃棄にされるような古臭い物ばかりだからな。読めんのも無理はない」

「はあ……」


 古書の中でもあまり価値の無いものなのだろう。でも、何でそんな物を後宮に持ち込んでるんだろう。もっと調度品とか色々ありそうなものだけど。


 色々気になる事は多いけど、皇子の機嫌を損ねるのはまずい。とにかく機嫌を取らねば。


「皇子は本がお好きなんですね」

「好きではない」


 即答だった。まずい。もしかして虎の尾を踏んでしまったのだろうか。


「だが、嫌いでもない。本は何かと便利だからな。俺が本を読んでいれば、大抵の連中は取り込み中だと思って話しかけてこない。虫よけに丁度いい」

「虫よけって……」


 もしかして皇子が本読んでる理由って、俺に近寄るなオーラを演出するためなんだろうか。それにしては熱心な気もするけど。


「で、お前が読んでいるその絵本だが、見ての通り幻想生物のイラストと解説が描いてある。そして、お前が開いている部分は『吸血鬼の殺し方』が書いてある」

「吸血鬼の……殺し方?」


 なるほど、吸血鬼の末裔呼ばわりされてる皇子からすれば楽しい話題じゃないだろう。どうして僕は毎度毎度こういう状況に陥ってしまうのだろう。僕が文字を読めない事が逆に幸いしたようで助かった。


「吸血鬼って不死身の生物なんじゃないんですか?」


 でも、ちょっと疑問に思ったので僕はそんな事を尋ねてみた。


 吸血鬼――並外れた魔力と体力、そして寿命を持つ夜の王。日光に弱いとか弱点も多いみたいだけど、どれも人間並に知恵があれば回避出来る代物なんだから、事実上無敵なのでは。


「ああ、それはだな……」

「え、あ、ちょっ!? 皇子!?」

「なんだ?」


 不意に皇子が身をかがめ、椅子に座っていた僕の背後から覆いかぶさるように身体を寄せたので、僕は仰天した。皇子は僕が開いたページを指差すために屈んだだけなんだけど、顔がものすごく近い。


「ん? ああ、ひょっとして俺が顔を近づけたから驚いたのか? 初心(うぶ)だな」

「ひゃ、ひゃい……」


 僕は情けない返事をした。確かにドキドキしているが、それは皇子に正体がバレるんじゃないかという不安からであり、違う意味でのドキドキだ。


 皇子は僕の反応が面白かったのか、無視してさらに身を寄せてくる。

 ひー! バレるバレる!

 今の所、皇子は僕の正体に気付いている感じはなく、ほっそりした人差し指を文字の方に当てる。


「吸血鬼の殺し方は簡単だ……と、言いたいところだが、少し面白い事を思いついた」


 皇子が文字を読んでくれるのかと思ったら、不意に僕に密着させていた身体を離し、正面の方に回って来た。そして、椅子に座ったままの僕の眼をまっすぐに見つめた。


「お前、確かシャルロットと言ったか。今夜、俺の部屋に来い」

「…………へぇ?」


 僕は口から空気が漏れるような締まらない返事をした。何がどうなって吸血鬼の殺し方から夜のお供の流れになるのだろう。


「そのまま文字を読みあげてしまっては面白くないからな。今夜、吸血鬼の殺し方をお前に教えてやろうという訳だ」

「文字の読み方を教えてくれるって事ですか?」


 僕はそう尋ねたが、皇子は質問には答えず、皮肉っぽく笑っただけだった。


「さあな。まあ、その絵から推測してみる事だ。今夜、月が昇ってから俺の部屋に来い。いいか、これは命令だ」


 皇子は一方的にそう言うと、先ほどまで読んでいた本を棚に戻し、そのままさっさと部屋を出て行ってしまった。気が付くと陽光はすでにオレンジ色になっていて、差し込む日差しから既に夕方になっているのが分かった。


「……どうしよう」


 僕は赤い日差しで照らされたイラストを見た。何度見ても、それは少女が男に抱きすくめられているようにしか見えない。それはつまり……。


「夜までに遺書を書いておこうかな……」


 僕の口からはそんな言葉しか出てこなかった。

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