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第4話:沈黙の後宮

 僕達がアルフレド皇子の後宮に入ってから一週間が過ぎた。その間、何事も無く時間は過ぎていった。僕とミカにあてがわれた自室は、僕の故郷の王様が見たら大層悔しがるような上質な場所だった。


 壁はひび一つ無く真っ白で、天蓋付きのふんわりとしたベッドと、上質な素材で作られたクローゼットや生活用品が一通り揃っていて、


「あたし、ここで一生暮らすから!」


 ミカはそう喚いているのだけど、ここで一生暮らすつもりはない。というか出来やしない。予想通り、一週間経っても皇子から夜の相手をしろというようお達しは一切ない。ド田舎の偽王女なんかにいちいち構っていられないのだろう。


 ……あったら困るんだけどね。


 後は適当に頃合いを見計らって影のようにフェードアウトすればいい。思っていたより大分楽に終わりそうだ。


「皇子様も見る目が無いわね。お兄ちゃん、今までここで見たどのお貴族様より可愛らしいのに!」

「そんなこと言われても嬉しくないんだけど」


 ミカは頬を膨らませているが、僕としてはそんな事を言われても全く嬉しくない。それに、ここにいるお姫様達が美しく見えないのには理由がある。


「みんな辛気臭いよね。せっかく皇子様の後宮に来られたっていうのに」

「そりゃ、皇子の噂を知ってたら誰だってそうなるよ」


 宵闇の皇子アルフレドは若い女性を食らう吸血鬼である、なんて噂が流れているのだ。僕も実際に皇子に会った訳だけど、ものすごく冷たい目をしていた。


 それに、あの頑丈な城壁を一撃でへこませたのは、恐らく皇子の魔力だろう。人の頭くらいの火球を作れれば大魔法使いと言われているのに、人間離れしているとしかいいようが無い。大国の皇子の正妻になれるかもしれないというのは、一番の生贄になるという意味でもある。


 だから、ここに連れて来られたお姫様達は、みんな人身御供みたいな気持ちなんだろう。のほほんと暮らしているのは、男の身体を持つ女装プリンセスの僕と、あの縦ロールさんくらいだ。


 最初は辟易(へきえき)したけど、縦ロールさんの鋼のメンタルに、僕は少なからず好感を持っていた。


 僕がそんな事を考えながら部屋でだらだら過ごしていると、ドアをノックするつつましい音が聞こえた。僕が出ようとしたら、設定上メイドであるミカが先のドアを開けた。


「シャルロット王女、ミカ様、ごきげんよう」


 ドアの先には背の低い可愛らしい姫君――リリィ王女が立っていた。従者を三人ほど連れていて、僕と視線が会うと、リリィ王女は何故か少し頬を赤らめた。


「リリィ王女。何か用事があるなら、私の方から出向いたのですけど」


 僕は慌てて居住まいを正しリリィ王女に歩み寄る。小国の偽王女と彼女では身分が違う。以前、仲良くして欲しいと言われたけど、やはりその辺はわきまえないと。


「いえ、お姉様……シャルロット王女にそのような手間を掛けさせるわけにはいきません!」

「そ、そうですか……」


 リリィ王女は小さな両手で拳を握りながら力説した。何が何だか分からないので、僕は曖昧に返事するしかない。


「それで、リリィ王女、何か私にご用でしょうか?」

「あ、は、はい! 実はですね、私の国で使われている入浴剤が届いたんです。王族が好んで使う物で、とてもいい香りがして、お肌もつるつるになるんですよ」

「はぁ……」


 リリィ王女は嬉々として僕に語ってくれるが、別に僕はお風呂に対してそんなに執着は無い。汚くない程度に身を清められればいいし、お肌もサメ肌でいい。


「それで……その、一緒に入りませんか?」

「……は?」


 本当に意味が分からず、思わず素で返事してしまった。僕の返答を聞いたリリィ王女は、気を悪くしたのかと思ったのか慌てて言葉を紡ぐ。


「そ、そうですよね! いきなり一緒にお風呂に入ろうなんて、ちょっと早すぎましたよね! で、でも、本当にいい入浴剤なので、可能であれば是非!」


 どうしよう。可能であればと言われても、そんなの不可能に決まってる。


「リリィ王女のお気持ちは大変ありがたいのですが、その、私はちょっと……今はお風呂に入れる身体じゃなくて……」


 今はというか今後もそうなんだけど、とにかく体調が悪いから入れないと言ってお茶を濁すしかない。僕が苦し紛れに言い訳すると、リリィ王女は少し沈黙した後、「あっ」と声を上げた。


「あ、もしかして、『あの日』でしょうか?」

「え、あ、うん。そうだと思う」


 何の事だか分からないが話を合わせると、リリィ王女は何故か耳まで真っ赤になった。


「し、失礼しました! また機会を改めて来させていただきますので!」


 リリィ王女はそう言い残し、ものすごい勢いで従者と共に去っていった。ひとまず脅威は去った。


「お兄ちゃん、なんで王女様と一緒に入ってあげなかったの? 私が入りたいくらいなのに。それに、王女様はお兄ちゃんと仲良くなりたいのよ」

「お前は兄に死ねと申すか」


 平民が後宮に女装潜入し、あまつさえ年端もいかない他国の姫と一緒に裸で風呂なんか入ったら、拷問の後に処刑され、晒し首にされて永久に歴史に汚名を残すだろう。


 僕がそう説明すると、ミカは目をぱちぱち瞬きし、ぽんと手を打った。


「そっか、私、お兄ちゃんがお姉ちゃんじゃなかった事忘れてた! だってここに来てからドレスしか着てないし、ハマりすぎなんだもん……」

「男の尊厳を傷つけるのはやめないか!」


 なんだか、海流にさらわれるように自分が戻れない領域へどんどん押し流されている気がする。気分転換のため、ミカを放置して部屋を出て散歩をする事にした。


 基本的に後宮内は皇子の自室を除き、好きなように動き回る事が許されている。突き抜けるような青空が広がり、綺麗に手入れされた庭園には青々とした新緑が芽生えているというのに、敷地内を出歩いている淑女はほとんどいない。


 みんな皇子に少しでも目を付けられないよう、蛇の襲撃に怯えて巣穴に引っ込む小鳥みたいに部屋で隠れているのだ。ダンスホールなんかもあるのだけれど、僕は一度も使われているのを見た事が無い。まるで修道院みたいだ。


「……やっぱり、いきなり裸のお付き合いは積極的すぎたのでは」


 僕が下草を踏みながら庭を散歩していると、女性の話声が聞こえた。周りは小鳥のさえずりくらいしか音がないので、小さな声でもよく耳に届く。


 話声のする方にそっと近づき、茂みの隙間から様子をうかがうと、そこには先ほど入浴を迫って来たリリィ王女が、三人の侍女たちと喋っている姿が見えた。


「リリィ様、僭越(せんえつ)ながら、シャルロット王女は小国の姫君。おそらく、リリィ様に遠慮をしているのでしょう」

「ですが、私はあのお方と仲良くなりたいのです。だからわざわざ最高級の入浴剤を取り寄せたのに……」


 侍女その1の言葉に、リリィ王女はしゅんとうなだれていた。仲良くしてあげたいし申し訳無く思うけど、こればっかりは仕方ない。


「いきなり最高級品を出されて遠慮が勝ってしまったのでしょう。なので、まずはお茶会を開くというのはどうでしょうか? いわば蒔き餌です」

「なるほど!」

「そして、充分に警戒心を解いた後、改めてシャルロット王女を一本釣りするのです」


 侍女その2が蒔き餌発言し、侍女その3が一本釣り宣言をする。僕はマグロか何かか。


「わかりました! では、早速お茶会の準備を始めましょう。もう一度シャルロットお姉様の所に向かいます。行動は速い方がいいでしょう!」


 リリィ王女がガッツポーズを取ると、三人の侍女たちも何故か拳を高く振り上げた。何だかよく分からないが、とにかく僕が対象にされており、そのまま進むとまずい事だけは理解出来た。


(こっちに来る! どこか隠れないと!)


 話が纏まったリリィ王女たちがこちらに向かってくるのが見えた。このまま後宮の方に引っ込むと姿が見えてしまうし、自室に戻るともっと面倒な事になりそうだ。


 どこか隠れる場所は無いか必死に辺りを見回すと、ちょうど反対方向、庭園の隅のほうに比較的小さな――といっても僕の国なら貴族が住んでいるくらいだけど、石造りの倉庫のような建物があった。


 僕は姿勢を低くし、地面を這うようにして迅速かつ慎重にそこに転がり込んだ。


「ふう……危ない危ない」


 僕はその建物に隠れると、見つかっていない事を確認し、安堵の溜め息を吐く。建物の中はひんやりとし、明かり取りのために沢山の窓が付いていて、外見よりもずっと明るい雰囲気だった。


 そして、僕は目の前の光景に目を奪われていた。


「うわぁ……すごい量の本」


 最初は物置小屋かと思っていたのだけど、建物の中には、天井まで届きそうな巨大な本棚があり、どれもぎっちりと本が詰まっていた。僕もお城の物書きの仕事をしていたけど、これほどの蔵書量がある場所は見た事が無い。


 それにしても、後宮って、その……あんなことやこんなことをする場所なんじゃないだろうか。この建物は何なんだろう。ここに来てからずっと思っていたけど、ここはあまりそういう営みが行われているように思えない。一体、この場所は何なんだろう?


「何の用だ?」


 不意に声を掛けられ、僕は危うく飛び上がりそうになった。てっきり誰もいないと思っていたのに。本棚の陰から姿を現したのは、アルフレド皇子だった。


「お、おお、皇子!?」

「……お前は誰だ?」

「一週間前にお会いしたシャルロットと申します」


 緊張しながら僕がアルフレド皇子にそう言うと、皇子は頬に手を当て、首を傾げた。


「そうだったか? 俺はあまり人の顔と名前を覚えるのが得意でないのでな。まあいい、それで、ここに何の用だ?」


 皇子は怒気を含んだ声で僕にそう問うた。用も何も、僕は特に意味も無くここに逃げ込んで来ただけだ。でも、皇子は見るからに不機嫌そうだ。手には相変わらず分厚い本を持っていて、読書の邪魔をして不快に思われたのかもしれない。


 皇子は若い女性の魂を狙う。そんなセリフが僕の脳裏に思い出される。僕は若い女性じゃないけど、この前見せつけられた、城壁をえぐる魔力をぶつけられたら間違いなく即死する。


「その、ここに本がたくさんあると聞いたので、よ、読みたいかなー、なんて思いまして」


 僕はなるべく自然な……少なくとも自然であれと心で強く念じた笑みを浮かべ皇子に答えた。皇子は本が好きみたいなのでご機嫌をとる戦法だ。


「……お前も本を読むのか?」

「え、ええ、城ではよく文字に目を通していたので」


 仕事としてだけど。僕は別に本がものすごく好きだという訳じゃないし、最低限読める程度だ。


「……好きにしろ」

「ですよね。皇子の読書の邪魔をしたし、すぐ退室……え?」


 僕の耳がおかしくなければ、今、「好きにしろ」と言われた気がした。

 頼む。僕の耳よ。難聴属性であってくれ。


「好きにしろと言ったんだ。どうせここにあるのは大した価値の無いものばかりだ。読みたければ好きにするがいい」


 皇子の無慈悲な慈悲が、僕に容赦なく降りかかった。

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