第19話:後宮の終わり
「さて、と……俺に対しこれだけ狼藉を働いた従者の主であるお前には、それ相応の責任を取ってもらわねばな」
この大惨事の首謀者であるマチルダと、彼女の使っていた火吹き竜と兵士達を一瞬で一網打尽にしたアルフレド皇子は、縛られたままのリュシオン皇子を冷たく見下ろしていた。
「兄さん、僕……こんな事になるなんて思っても無かったんだ……」
「だろうな。だが、結果的にお前の部下が暴れたのだ。おしおきをせねばならん」
リュシオン皇子は、主の機嫌を損ねて許しを乞う忠犬みたいに見えた。
怯えてはいるけれど、罰から逃げようとしない。
「そうだね……僕がもっと気を付けていれば防げたかもしれない。ごめん。裁かれて当然だ」
「反省したか。では、俺の裁きを受けろ」
アルフレド皇子がそう言い放ち、片腕を上げる。
吸血鬼の末裔、その先祖返りの皇子の魔力は尋常ではない。
アルフレド皇子が本気になれば、リュシオン皇子は影も形も残らないだろう。
「アルフレド皇子!」
動けない僕は精いっぱい叫ぶ。確かにリュシオン皇子が部下の謀反に気付けなかったのは事実だ。
でも、だからってそんなに簡単に断罪していいはずがない。
僕の叫び声にも皇子は無反応。思いきり腕を振り被り――。
「痛っ!」
リュシオン皇子の脳天にチョップを叩きこんだ。
リュシオン皇子は痛そうに悲鳴を上げたが、それだけだ。
僕は一瞬呆けてしまったが、アルフレド皇子は溜め息を吐いた後、リュシオン皇子の拘束を解いた。
「少しは懲りただろう。お前は皇帝になる男だぞ? あまり側近頼りになるな」
「兄さん、何で……?」
「何でも何も、俺に次期皇帝を殺した大罪を背負わせたいのかお前は? 大体、お前の部下が起こした不祥事だろう、何故俺がそんな面倒な事を裁かねばならんのだ」
アルフレド皇子はそう言って、気絶したマチルダの方を親指で差した。
「あれはお前が裁け。あと、あいつに与した連中も洗い出せ。俺ならまだしも、父上や母上、それにお前に危害が加わる危険もあるからな。以上だ」
アルフレド皇子はそれだけ言うと、リュシオン皇子に背を向けた。
リュシオン皇子はへたり込んだままだったが、ふと我に返ったのか、慌てて立ち上がった。
「兄さん! 本当にそれでいいのか!? 僕は、兄さんを殺す連中の片棒を担いでたんだよ!?」
「結果的にはそうかもな。だが、済んだ話だ」
「そんな……そんな簡単に済ませていいのかい!? どうして!?」
アルフレド皇子があまりにもあっさりと幕を引こうとしているので、リュシオン皇子は逆に困っているみたいに見えた。アルフレド皇子は苛立たしげに黒髪をぐしゃぐしゃ弄ると、弟の方を振り返る。
「うるさい! 家族だからに決まっているだろう!」
アルフレド皇子はそう叫ぶと、早足で僕の方に近付いてきた。
リュシオン皇子の方にはまったく振りかえらない。
「……まったく。あいつは善良だが少し抜けているな。皇帝になるなら察して欲しいものだ」
「照れてるんですね」
「うるさい!」
僕の元に戻ってきた皇子は、心なしか赤面していた。
僕達の後ろで、アルフレド皇子の住んでいた後宮がめらめらと燃えている。
でも、不思議と惜しいとか怖いとかいう気持ちは全く無かった。
僕だけではなく、皇子も燃え落ちていく後宮にまったく気に留めていないようだ。
「さて、うちのごたごたに巻き込んで申し訳無かったな。お前にも重傷を負わせてしまった。怪我を見せてみろ」
「えっ、あっ、いや、僕は大丈夫です!」
そこで僕は、今さら大変な事に気付いた。
今の僕の格好は、ほとんど破れた煤まみれのドレスだ。
邪魔くさくて破いたのもあって、太ももの部分まで剥き出しになっている。
で、僕の足は折れていて、皇子はその辺りに手を伸ばそうとする。
つまり、その、なんだ……非常にまずい状況なわけだ。
「さっきから気になっていたのだが、お前の『僕』というのはなんだ?」
「えっ!?」
やばい。さっきから必死すぎて演技を忘れていた。
どうしようどうしよう。僕はのっぴきならない崖っぷちに立たされている。
「それはですね……」
「お兄ちゃん! 大丈夫!?」
「ミカ!? 待ってろっていっただろ!」
「こんな状況で待ってられるわけないでしょ!」
「……お兄ちゃん?」
「あっ」
どうも悪い事は重なるらしい。森で待たせていたミカが、しびれを切らして戻ってきてしまった。
しかも、僕のメイドという体裁になっているのに、お兄ちゃん呼ばわりである。
詰んだ。終わった。
「……もしかしてお前、男なのか?」
「…………はぃ」
もうどうしようもない。
僕は夜の闇の中、さらに真っ暗に塗りつぶされたような気持ちで白状した。
皇子は、これまで見た事も無いような驚きの表情を見せている。
「なぜ、こんな事をした?」
皇子が屈みこみ、目の前に顔を寄せて僕を詰問する。
いつの間にかリュシオン皇子も近付いてきていて、僕の事を興味深そうに覗きこんでいた。
「僕もやりたくてやった訳じゃないんです。国からの命令で……」
結局、僕は二人の皇子の前で洗いざらい喋ってしまった。
皇子の後宮に送られる姫の代理であった事。ミカが僕の妹である事。全てをだ。
僕の言葉を聞いたアルフレド皇子は、何とも言えない奇妙な表情になる。
一方、リュシオン皇子が腹を抱えて笑っていて、アルフレド皇子がそれを蹴飛ばした。
「悪気は無かったんです。でも、結果的に皇子を裏切ってしまいました……」
「……今日は予想外の展開が多い日だ。怒り狂っていいのやら、嘆き悲しむべきなのか、笑い飛ばすべきなのか判断がつきかねる」
アルフレド皇子は眉間にしわを寄せ、こめかみの辺りをぐりぐりやっていた。
そりゃ、僕だって逆の立場だったら状況が混沌とし過ぎていて混乱するだろう。
しばらくすると、アルフレド皇子が大きな溜め息を吐いて、僕の目の前から立ち上がる。
「国へ帰れ」
アルフレド皇子はそれだけ言って。僕に背を向ける。
「え、あの? アルフレド皇子?」
「今日は色々ありすぎて疲れた。細かい事は後で考える。リュシオン、お前の残っている部下や後宮の者に命じ、シャルロット……いや、シャールとその妹を送り返してやれ」
アルフレド皇子はそう言うと、燃え盛る後宮を背に去っていく。
恐らく、彼は図書館にでも向かうのだろう。アルフレド皇子は、面倒な事があると大体あそこに行くのは僕もよく知っている。
「皇子……ごめんなさい」
僕は絞り出すような声で皇子に謝罪した。結果的に、僕は皇子にマチルダ以上に残酷な仕打ちをしてしまったのかもしれない。一人だった皇子は、僕を気に入ってあれだけの事をしてくれた。でも、それは『シャルロット姫』にであって、『シャール』じゃない。
僕が処刑されるとか断罪されるかより、今はそっちのほうがつらかった。
優しい人を裏切るのって、こんなに心が痛むものなんだと、僕は初めて気付いた。
僕の言葉に皇子は何も反応せず、真っ黒い姿を闇の中に溶け込ませるように消えていった。
リュシオン皇子は困ったようにしていたけど、すぐに兄の命令通り、マチルダの部下とは別の後宮に残っていた者たちを指揮して、マチルダ含めた残党を拘束した。
後宮の使用人のみんなが僕の応急手当てをしてくれた時、僕が男であると知ってみんな仰天していた。もしかしたら一人くらい気付いてて黙ってるんじゃないかと思っていたのに、誰一人として僕を男だと思っていなかったらしい。
「そりゃそうだよ。お兄ちゃん、そこら辺のお姫様より可愛いし」
「うるさいなぁもう」
翌朝、僕とミカは、リュシオン皇子の用意してくれた馬車で帰途に就いた。
幸い、足は折れているけど後遺症にはならないらしく、後は時間で治すしかないそうだ。
「アルフレド皇子、結局一度も出てこなかったね」
「……うん」
ミカがその名を出すと、僕の良心がちくりと痛む。
出立の際、リュシオン皇子と後宮の人達は僕達を見送ってくれたけど、アルフレド皇子の姿は見当たらなかった。当たり前だけど。
「僕たち、これからどうなるのかなぁ」
「わかんないけど、帰してくれるって事は無罪放免じゃない?」
「だといいんだけどね」
ミカの言うとおり、皇子が僕を返したという事は、僕にもう興味はないという事かもしれない。
僕は既にドレスを脱ぎ捨て、男の格好をしていた。
これで何もかも元通りだ。
こうして、女装プリンセスという、ふざけた僕の後宮生活は終わりを告げた。