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第15話:脱走の夜

「よし、誰も居ないな……」


 深夜、僕は部屋のドアから顔だけを出し、周囲の様子を確認する。


 僕とアルフレド皇子、あとごくわずかな使用人以外ほとんど追い出されてしまった後宮は、驚くほどの静寂に包まれている。明かり取りのための窓は多いし、魔力のランプで視野は確保されているが、それでもお化けが出そうな雰囲気だ。


「ねー、お兄ちゃん。本当にここから逃げ出すの? せっかく皇子様とラブラブになれそうなのに」

「しっ! 声が大きい! あと変な事言うんじゃない!」


 僕は人差し指を立てながらミカをたしなめた。

 ミカは不満たらたらなのだが、僕は昼間に皇子からあんな宣言をされて平気でいられるほど神経は太くない。ベッドに連れ込まれる前に脱走するしか道はない。


「しょうがないなぁ。とりあえずお金になりそうな宝石とか詰めといたから」

「泥棒みたいな事しちゃダメ! ちゃんと戻しなさい!」

「えぇー」


 えぇーじゃないよ。皇子から贈られたプレゼントには宝石の類も多々あったけど、それはあくまで皇子のものだ。ミカにそれらを元の宝石箱に戻させ、自分達が持ってきた資金だけである事を確認する。


「そのドレスも置いていくの? 似合ってるのに……」

「後宮を出たら着替えるよ」


 僕がそう言うと、ミカはまた口を尖らせた。

 ミカには小袋を持たせていて、そこに僕たちの資金や僕の着替えなどが入っている。

 本当は一刻も早くドレスを脱ぎ捨てたいのだけど、脱走中に見周りの兵士とかに見つかった際に言い訳が出来なくなるので、後宮を出た後に男姿に戻るつもりだ。


 昼間、ミカに脱走計画を伝えた所、ミカはしぶしぶながらも了承してくれた。お兄ちゃんと皇子様が絡む所を見た後で死んでも構わないとか意味不明な事を言い出してなかなか苦労したが、一応、兄弟の絆が勝ったらしい。我が妹ながらもうちょっと兄と命の心配をして欲しい。


「でも、本当にほとんど誰も居なくなっちゃったんだね。皇子、お兄ちゃんがいなくなったらきっとすごく悲しむよね」

「そう言われてもね。僕が女性だったらまた違ったのかもしれないけど」


 僕達は足音を殺しながら、静寂に満ちた後宮内をこっそりと進んでいく。

 あまり喋らない方がいいのかもしれないけれど、まったく無音というのもそれはそれで怖い。


 ミカの言うとおり、後宮内には本当に僕たち以外ほとんど誰も居なかった。

 ちょうど見周りの交代のタイミングなのかもしれないけど、兵士や使用人すらほとんどいないので、僕達は拍子抜けするくらいあっさり後宮の建物から出る事が出来た。


 空を見るとちょうど満月で、月明かりのお陰で僕達はそれほど苦労せず後宮の出口に辿り着いた。


「なんか思ってたよりもあっさりだったね。こんなに大きい建物なのに、これじゃ盗賊に入って下さいって言ってるようなものじゃない」

「盗賊なんて誰も入らないからじゃないかな」


 世間で吸血鬼と噂される皇子の後宮に、好んで飛び込む盗賊なんかいないだろう。

 虎穴に入らずんば虎児を得ずなんて言葉があるけど、相手は虎どころじゃないのだから。


「入った時は絶望しかなかったけど、無事出られると感慨深いものがあるね……」


 僕は最初、『この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ』みたいな気持ちで後宮に送り込まれたわけだけど、ここまで状況がこじれるとは思ってなかったし、こんなにあっさり出られるとは思ってもなかった。


「なに? お兄ちゃん、郷愁の念に駆られてるの?」

「それは使い方が違うでしょ」


 僕が後宮入口の巨大な門を眺めていると、ミカがたわけた事を言ったので軽くチョップを叩きこむ。何にせよ、ほとぼりが冷めるまでは逃亡生活をしなきゃならないのだけど。


「あーあ、お兄ちゃんのお姫様生活もこれで終わりかぁ。なんだかあっさりしててつまんない」

「つまるとかつまらないじゃなくて、元々僕がお姫様生活してる事自体がおかしいんだよ」


 僕がそう言うと、ミカはあーあと溜め息を吐いた。

 そんなミカを引っ張りながら、僕達は後宮から少し離れた森まで移動し、身支度を整える事にした。

 とりあえずミカがメイド服から私服に着替えさせ、次に僕がドレスを脱いで元の姿に戻る。


 行く先は特に決まっていないけれど、僕達はこんな恰好をしてなければただの一般人だ。いうなればこれは仮の姿だ。どこかの街に紛れ込んでしまえば、皇子とてなかなか見つけられないだろう。


 僕が今後の計画を練っている間、ミカはあらぬ方向をじっと見つめている。

 まったく。ドレス姿は動きづらいし早く着替えたいのに。


「ミカ、ぼーっとしてないでドレス脱がせてよ。これ、一人で脱ぐの大変……」

「お兄ちゃん! あれ見て!」

「だから皇子はもういいって……」

「違う! あれ! 燃えてない!?」

「えっ」


 ミカが森の木々の切れ目を指差し、その方向に僕も目を向ける。


「あれは……煙?」


 離れた後宮で、煙のような物が上がっているのが見えた。月明かりとはまた違う、赤い色で後宮が照らされている。壁があるのではっきりとは見えないが、多分、火事だ。


「お兄ちゃん! どうするの!?」

「どうって……」


 どうもこうも、僕はただただ困惑した。

 さっきまであんなに静かだったのに、なんでいきなり火の手が?

 見周りの際に兵士達はたいまつとかを持ったりもするから、それが引火したのだろうか。

 いや、そんな事はどうでもいい。


「で、でも、ある意味お兄ちゃんに天が味方したのかも?」

「何を言ってるんだ!」


 ミカが不謹慎な事を言ったので、僕は思わず声を荒げた。

 ミカはびくっと身を縮こまらせたけど、上目づかいで僕の方を見ながら小さな声でつぶやく。


「だってさ、後宮が燃えちゃったら、お兄ちゃんどころじゃなくなるじゃない? お兄ちゃんが燃えちゃったって思われるかもしれないし……」

「それは……」


 確かにそうだ。これは僕にとっては喜ばしい状況と言えるかもしれない。

 今現在、中の様子がどうなってて、何が原因かは分からないけど、もともとここから去るつもりの僕には関係ない。むしろ、状況だけで言ったらミカの言うとおり、僕達にとって追い風になるだろう。


 理不尽な命令を国から出され、女装してお姫様の振りをするなんて無茶ぶりをされた僕に対する、天からの施し。そう考える事も出来なくない。


「……ミカ」

「う、うん」

「ここから動いちゃ駄目だよ。怪しい奴が来たら、隠れてじっとしてる事。いいね!」

「お、お兄ちゃん!? ちょっと!?」


 ミカに言い残し、僕は振り返ること無く後宮の方に走った。

 ドレス姿は走るのに向いていないのがもどかしい。


 なんで僕はこんな自殺行為をしてるんだろう。

 後宮から脱出できたのに、わざわざ燃えてる後宮に戻るなんてどうかしてる。


「でも、しょうがないじゃないか!」


 僕自身もよく分からない感情のまま、僕は、赤く染まる後宮に再び舞い戻った。

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