第10話:対価
「こちらが皇子様がご用意されたお部屋です」
メイドさんに連行された僕とミカは、逃げ出す気力も無いまま処刑場へと連れて来られた。僕達が呼ばれたのは皇子の自室からさほど遠くない部屋だ。
「あれ? ここって……」
これから待ち受けるであろう皇子の尋問に震えあがりそうだったけど、ふとある疑問が湧いた。確かこの部屋には他の貴族の方が住んでいた気がする。僕と直接交流があるわけではないからはっきりとは知らないけど、皇子の近くに陣取っているという事はかなりの身分なんじゃないだろうか。
(もしかして、その人がスパイか何かを使っていたのかも……)
縦ロールさんとかリリィ王女はそうでもないけど、本気で皇子を狙っている人がいるなら、僕はちょっと皇子に軽率に近寄りすぎたかもしれない。僕は男友達として皇子に接したつもりだけど、周りからするとそうは見えないかもしれない。
いずれにせよ、僕がミスをしてしまった事は事実だし、ここはもう腹を括るしかないだろう。せめて僕が全ての主犯という事にして、ミカだけでも助けてやれればよいのだけど。
メイドさんが扉を開く。僕は観念し、その部屋に足を踏み入れた。ミカが僕の手をぎゅっと握るのが伝わってくる。もうこうなったら仕方ない。後はやれるだけやるだけ――。
「……あ、あれ?」
目の前に広がる光景に、僕は目を疑った。ギロチンでも設置してあるのかと思っていたのに、その部屋は、色鮮やかなドレスでびっちりと埋め尽くされていた。
「はぁ……」
ミカがうっとりと溜め息を漏らすのが聞こえた。僕も女性だったらそうなったのだろうか。薔薇のような深紅のもの、天女の衣のように純白で光り輝いて見えるようなもの……世の中にはこんなに色があるのかと思う程、大量のドレスが並んでいた。
「遅かったな」
色鮮やかなドレスの合間を縫って現れたのは、アルフレド皇子だ。皇子は初めて会ったときと同じ、白いシャツに真っ黒な長ズボンを穿いていた。ドレスの洪水の中だとものすごく浮いて見える。
「あ、あの……帝国ではドレスを使った新しい処刑法が開発されたんでしょうか?」
「……お前は何を言ってるんだ」
僕がつい間抜けな事を言うと、皇子は呆れたように溜め息を吐いた。
「見て分からんのか?」
「いえ、全く」
いきなり部屋に呼び出され、世界中の貴婦人のドレスの展覧会に呼ばれ理解しろという方が無理だ。でも、皇子はやれやれといった感じで首を振る。
「お前の物だ」
「……は?」
何を言ってるんだこのボケは……なんて事を言いそうになってしまった。何がどうなってこうなるのか、誰か僕に教えて欲しい。
「先日、森に誘ってくれた際、お前のドレスを駄目にしてしまっただろう?」
「駄目? 直ってますけど」
確かに僕の着用しているドレスはうちの国では上質だけど、破れた部分はミカが縫ってくれてほとんど目立たない。そもそも僕の物じゃないし。本物のうちの王女様じゃ体型が違い過ぎて着られない。僕が着ているドレスを王女様が着たら、ボンレスハムみたいになってしまうだろう。
「まあ、お前がそのようなドレスに身を包んでいるのは少々もったいないというのもあるが、これは礼だ」
「礼だと言われましても」
スケールがでかすぎてどう反応していいか分からない。どのドレスも一着買うのにどのくらい掛かるのか見当もつかない。少なくとも、僕が数年働いた程度じゃ絶対に一着も買えないだろう。
「気に入らんのか? 確かに、あまり時間が無く急ぎで帝国から取り寄せたから少ないかもしれないが……」
「少ないとは一体……」
ちょっとしたスポーツが出来そうな部屋を埋め尽くす高級ドレス軍に対し、僕はどうすればよいのだろう。ただ一つ分かっているのは、これを受け取って破いたら、僕の給料では絶対に弁償出来ないという事だけだ。
「う、受け取れません!」
「何?」
僕が断固拒否すると、皇子は怪訝な表情を浮かべた。そんな表情を浮かべられる方が意外なのだが、皇子は困ったように顔を曇らせる。
「お前の体型がはっきりと分からないから、お前のお付きのメイドも呼んだのだがな。もしかして、好きな色や種類が無かったのか?」
「そういう問題じゃなくてですね、とにかく、森を案内した程度でこんなものは受け取れません」
森を案内するたびにドレスの山を受け取っていたら、今頃全ての道は僕の国へと通じているだろう。
「そういえば、ここに居た方はどうしたんですか?」
「ああ、邪魔だから帰らせた」
「……は?」
平然と皇子がそう言いきったので、僕は一瞬言葉の意味が理解出来なかった。そんな僕にお構いなしで、皇子は淡々と言葉を連ねていく。
「いや、とりあえず帝国に片っ端からかき集めさせたのだが、質より量になってしまってな。倉庫に置ききれなかったのだ。ここにあるのはごく一部だが、それでも溢れたので何人か帰らせた」
「いやいやいや」
何やってんのこの人! てことは、他にもまだ服があるって事じゃないか。
「お、皇子……お気持ちはありがたいんですけど、皇子の国民の血税を、私ごときに使うのは失礼なのでは」
このままだと一生返せない借金を押し付けられてしまう。なので、僕は遠まわしに拒否する作戦に出た。
「ああ、その通りだ。しかしこれは俺自身が稼いだ金から出している。よって心配は無い」
「……は?」
お前は一体何を言ってるんだ。ていうか、僕さっきから「……は?」しか返答して無い気がする。だって仕方ないじゃないか。やることなすこと無茶苦茶なんだもん。
「俺の魔力を籠めた剣や細工などは価値が高いらしくてな。垂れ流しにしているより有効活用したほうがいいと思って市場に回している。もっとも、俺が原材料だと分かると気味悪がる人間もいるだろうが、その辺りは伏せているがな」
それから、皇子は大体の相場を教えてくれた。なんというかまあ、馬鹿馬鹿しいのでここには記さないでおく。
「だ、駄目です! とにかく駄目です!」
もうこうなったら意地でも断り続けるしかない。僕はなおも押し付けようとして来る皇子を突っぱねる。皇子が少しだけ寂しげな表情をしたけど、それでも受け取るわけにはいかない。
「……どうしても駄目なのか?」
「え、ええ。お気持ちだけ受け取らせていただきます」
「……そうか」
そうあからさまに落ち込まれると、なんだか僕の方が悪い事をしているように思えてくる。僕は皇子を騙し、森でちょろっと散歩しただけだ。少なくともこれほどの対価を払ってもらう事なんてしていない。
「ならば仕方が無いな。おい、そこのお前」
「は、はい!」
僕達のやりとりを部屋の隅で見守っていたメイドさんが、びくりと肩を震わせる。
「用意したドレスを全部燃やせ」
「……は?」
いかん、また「……は?」が出てしまった。僕だけではなく、言われたメイドさんも、あとついでにミカも目を丸くしている。皇子以外みんな僕と同じ心境だろう。
「用意したドレスは全てシャルロットのためのものだ。彼女に受け取ってもらえねば意味が無い。かといって売り飛ばして他の人間に渡るのも不快だ。ならば燃やすしかないだろう」
皇子は謎の超理論を真顔で説く。メイドさんは困惑しているが、皇子の言葉を聞くや否や、「わかりました」と答えた。分からないで欲しい。
「ちょ、ちょ、ちょ! ちょっと待って下さい!」
「どうした? 気に入らない物を用意してすまなかったな。やはり質を重視しなければならんな」
「そういう問題じゃなくてですね、何も燃やさなくても……」
「駄目だ。俺が気に入った人間のために用意した贈り物が、見知らぬ他者に使われるのは我慢ならん」
もー、これだからお金持ちは金銭感覚が狂ってて困る。気に入るとか気に入らないで小国が傾く価値を焼却処分しないで欲しい。
「お、お兄ちゃん……やばいよ……やばいよ……」
「うん、やばい……」
ミカが小声で僕の耳元でやばいやばいと囁く。確かにやばい。このままでは皇子の手によって貴重な財産が灰燼に帰してしまう。
「あ、あの……皇子。やっぱり、ちょっと欲しいかなーって」
「……何!?」
僕がおずおずと皇子に囁くと、皇子は過剰なまでに反応した。正直僕の方が引いたくらいだった。
「別に無理をして粗悪品を受け取る必要は無いぞ? また改めて今度は別の物を……」
「ち、違います! ただ、ちょーっと驚いただけで、私、ドレス大好きなんです。三度のご飯より大好きなんです。だから多すぎて逆に嬉し過ぎ? みたいな」
一体僕は何を言ってるんだろう。自分でもよく分からないが、超早口で適当な理由をまくし立てた。
「……本当か?」
「本当です。ね、ミカ!」
「うん! うん! そうだね!」
ミカがタメ語になりながらぶんぶん首を縦に振る。貧乏兄妹としては、目の前で金が消失していくのを見ている訳にはいかないのだ。
「そうか、ならば安心した。実は女に贈り物をした事はほとんど無くてな」
皇子は安堵したようにそう呟いて笑った。僕もえへへと何とか笑みを作った。
こうして僕は、365日毎日着替えてもまったく被らないほどのドレスを受け取った。受け取らざるを得なかった。得なかったんだから仕方ないでしょう。