『死霊艦隊:帰還』
メシエは、きょとんとした顔で俺を見ていた。
たぶん、俺も同じような顔になっていたはずだ。
「メシエ……」もみもみ。
「え? 銀河さん? え? いつ帰って? え?」
俺もそうだが、メシエはさらに混乱しており、俺がメシエのおっぱいを揉んでいることすら気付いていないようだった。
その右腕にはめられた金の腕輪が、輝きを放っていた。
「そうか、メシエの腕にも始祖の腕輪があるんだよな」
「あ、はい……ということは、ここは情報空間でしょうか?」
「俺とメシエの精神を繋げた思念空間、かな。ほら、右手以外はスカスカだ」
メシエが恐る恐る俺の顔に手を伸ばす。立体映像のように、通り抜ける。
「俺は今、木星にいる。メシエは?」
「始祖の船です――礼拝堂で、祈ってました」
「そうか」
「何か、あったのでしょうか?」
俺はざっと状況を説明した。
通信文にしたばかりなので――そのメッセージを乗せたレーザーは、今頃、小惑星帯を通過しているはずだ――説明する内容はすぐに口にできた。
リザード人の私掠船と遭遇し、これと戦って勝利したこと。
続いて、死霊門と呼ばれる特殊なゲートが木星軌道に出来つつあること。
これが定着すると、死霊艦隊と呼ばれる謎の敵が出現すること。
そうなれば、この星は終わりであること。
「そういうわけで、これから死霊門を破壊するため、腕輪の力を引き出している。メシエとつながったのは、そのせいだろうね」
「具体的には、どうやって、死霊門を破壊するのでしょう?」
メシエは正面から俺の目を見た。
「あー……」
言いにくい。
「言ってください。幾千もの星がそれによって滅びたという死霊門。簡単な方法で壊せるようなら、そんなに被害はでないはずです」
「ブラック・ダイカン号の誘導砲身で、打ち込む。俺が乗っているこのコクピットを、始祖の腕輪の力を引き出して擬似的な鎧装として破壊不可能な砲弾にして」
メシエが目を大きく見開いた。
「それは――その機能は、私が小マゼランから聞いた話では、緊急時の脱出用として設計されたものではないですか!」
メシエの言う通りだった。
パイロットとしてド素人の俺が乗って操縦するブラック・ダイカン号に、もしものことがあった時、俺の命を助けることを最優先で取り付けられたのが、コクピットを亜光速で射出する緊急脱出装置だ。
これなら、戦艦や宇宙要塞のようなものに遭遇しても、とにかく逃げることはできる。連邦標準の無慣性ドライブは光速の三十パーセントが実用最高速だ。どれだけの敵がいても、光速に等しい速度で射出されたコクピットを追跡することはできない。ミサイルももちろん、追いつけない。迎撃用のビームやレーザーも、相手が向かってくるものを狙うならともかく、逃げる相手を追い撃ちしても当たるものではない。
減速はできないので、後で始祖の船に回収してもらうという算段である。
「リザード人から受け取った記録を元に、死霊門を破壊するのに必要なエネルギーを計算したんだ。出現間もない今の時点なら、ブラック・ダイカン号のレールキャノンでも破壊できる。しかし、未完成なブラック・ダイカン号には、弾頭である重質量物質が搭載されていない」
重質量物質の弾頭は、小さく細い針のような形状だが、その慣性質量は一発あたり百万トンにもなる。ブラック・ダイカン号本体の重量の数百倍だ。専用の慣性中立化装置で質量を中立化していなければ、押そうが引こうがビクともしない。亜光速で撃ち出した後、慣性を切って標的を粉砕するのだ。増えたエネルギーがどこから来るのかは聞かないでほしい。
「リザード人の武装商船に搭載されている武装も、死霊門を破壊する威力はない。手持ちで何とかするには、俺自身を弾頭にして打ち込むしかないんだ」
「本当に大丈夫、なのですか?」
「理屈ではね。でも、正直、自信はないよ。その理屈の元になってる知識は、俺が知っている地球のものじゃない。科学技術がずっと進んだ宇宙連邦のものだ。安全性に関しては俺は小マゼランと、彼女が作ったブラック・ダイカン号を信じるしかない」
「そう、ですよね――あの。少し待ってください」
メシエが目を閉じた。
俺は目を閉じたメシエの顔をしげしげと観察した。
美しい、というよりは可愛らしい、という顔立ちの美少女だ。
最初に会った時は年齢を勘違いして二十才前後だと思っていた。こうして見直すと、その理由がわかる。化粧がきちんとしているのだ。大家である鈴の高校の友達にも、それなりに化粧をしている子がいるが、俺が出会った十代半ばの女の子では、ここまできちんと手を入れた化粧はしていなかった。
この化粧は、メシエの身の回りの世話と合わせ、メイド役のドロイドが行っている。やはり、皇女は幼くても皇女ということだ。
――この子を、俺のものにしていいのか?
俺は自分に問いかけた。
答えは「もちろん!」だった。
俺の中の悪魔が「だってこのおっぱいだぜ。ぐへへ」などと品のないことを言う。
俺の中の天使は、そんなものがいるとしても、沈黙を保った。
二十八年生きてきて、自分が欲が深い人間だと思ったことはあまりない。欲望を表に出した、がつがつした生き方には、どちらかといえば軽蔑を感じていた。
そのはずなのに、こうして地球から何億キロメートルも離れた木星くんだりで生きるか死ぬかの状況ですらブレないあたり、俺は欲望は薄くとも業は深い人間であったのだろう。
我が身を弾頭に、亜光速で死霊門にぶつかるという手を俺が選んだ裏の理由に、メシエは気付いているだろうか。
――気付いているだろうな。
ぶっちゃけると、売名行為である。
死霊門の破壊は、ソル星系とネロスの人々を救う行為であり、俺にとっては名声となる。メシエとの結婚について、ガンテス老との約束でハードルを上げた身としてはこの名声がどうしても欲しい。
もちろん、死霊門を破壊せねばならない、というのは事実だ。
そのために現状で打てる手が、自分を弾頭にして撃ち出すだけ、というのも事実だ。
そして、こんなバカな作戦をやりたくない、というのも事実だし、本音である。
だから、メシエとの結婚が頭になければ、俺はまず始祖の船に戻るか、連絡を取ってから判断しようとしただろう。大小マゼラン姉妹に「そんなバカな作戦をしなくても、死霊門を何とかする手がありますよ」と言ってもらいたいがために。
その道を選ばなかったのは、木星と地球間の距離が生むタイムロスが手遅れになる危険と合わせ、名声を得るチャンスを逃がさないためでもある。死霊門を始祖の船が破壊したのでは、俺の名声にはならないからだ。
しかし、今ここに、始祖の腕輪を通してタイムロスなしに始祖の船の力が使えるかどうかを知る機会が訪れた。メシエが目を閉じて意識を集中しているのは、始祖の船に、この状況を打開する他の手がないか、確認しているのだろう。
はたして、メシエはどんな返事を持ち帰ってくるか。
俺は、その返事に対してどう答えればいいのか。
――他に安全で確実な手があるなら、そっちを選ぼう。
問題は、そうでない場合だ。
準備などに時間がかかって死霊門が定着して開いてしまうリスクはあるが、俺にとっては安全な手がある、という場合は、さて、どうすればいいのか。
覚悟が決まらぬまま、時間が過ぎ、そしてメシエが目を開いた。
「始祖の船とアクセスをしていました。死霊門についての情報と、死霊門を破壊する手段がないかについて」
メシエは俺が考えていた通りの言葉を口にした。
「うん」
「こちらから、死霊門を破壊する方法はあります。ですが、間に合わないか、あるいは始祖の船で眠っているネロスの民を危険にさらすことになりかねない方法しかありませんでした」
「そうか」
想像していた通りの答えだった。
「銀河さんがやろうとしている作戦について、始祖の船に確認しました。コクピットを疑似鎧装化して亜光速で撃ち出せば死霊門の破壊は確実だと判定が出ました。ですが――」
メシエの唇が震えた。
「その後の、銀河さんの回収は――困難が伴うと――」
「ああ」
想像はしていたが、できればはずれて欲しい答えだった。
「死霊門を破壊する時の衝撃で、門のあちら側に行ってしまう可能性は限りなく低いです。ですが、衝撃によって、軌道がどのくらい変化するかは――現時点では、不明だと。軌道の変化が不明な場合、回収の確率は……確率は……」
メシエがポロポロと涙をこぼす。
俺は右手で、頬を伝う涙をぬぐった。指先に熱く、濡れる感触が伝わる。
この右手はおっぱい以外でも触れたのかと感心すると同時に、当然のような気もした。
「え?」
メシエが驚いて俺を見る。そしてあわてて俺の右手を掴む。握りしめる。
「……銀河さん。銀河さん、銀河さん、銀河さん!」
メシエは、俺を止められない。
メシエは、ネロス三億の民に責任がある。
俺がイヤだと言っているならともかく、これは俺が自分から言い出した作戦だ。
メシエには、俺を止めることも、俺が意志をひるがえしそうな言葉を口にすることもできない。
同時に。
メシエには、俺に行ってこい骨は拾ってやる、と命じることもできないのだ。本当は、それを口にすることが自分の責任だとわかっているのに。
では、俺の方はというと――
なんだか、すっきりとした気分だった。
俺は大人であるから、人が頭で考えていること、口に出す言葉、そして実際の行動のみっつは食い違うものだとわかっているし、自分もそうやって生きてきている。
今回だって、自己犠牲に見える行為には、名声が欲しいという打算がある。打算の裏には、メシエとの結婚があるし、そこには彼女のおっぱいを我が物にしたいという欲望が見え隠れしている。
……。
あまり隠れてないかもしれない。
その食い違いが、俺をもやもやとした気分にさせる。自分が汚い人間に思えてしまうのは、精神衛生上よろしくない。
それが、帰って来られない確率が高くなった瞬間、消えた。
自分の中の打算や欲望があってもなくても、この道を選ぶしかない、とわかったからだ。
命は惜しいし、残念だが、しょうがない。ここで逃げる気には、ならない。
言動一致である。たいへん、すっきりする。
「じゃあ、行ってくる」
俺の言葉に、メシエはうつむいてふるふると首を振り、ぎゅうっと、俺の手を握った。
メシエにここまで思ってもらえることは、とても嬉しかった。しかし、同時に少し困ってしまう。本当に、これが最後かもしれないのだ。笑顔をみせてほしい。
「大丈夫だよ。ウラシマ効果で光速ギリギリまで加速すれば、中の時間は止まったようなものだ。回収に時間がかかっても、俺は生きてる」
その回収までに十年、二十年とかかる可能性についてはあえて口にしない。
メシエはうつむいたままだ。
なんか、軽いジョークはないか。この場をなごます、小粋なジョークは。婚活のためにたくさん覚えたはずじゃないか。
「あー、じゃあ。帰ったら結婚しよう、ってこれはフラグになるからダメか。ははは」
思念空間の中だというのに、存在しないはずの空気がビキッと固まる音が聞こえた。
――今のジョークはまずかったろうか?
自問すると、俺の中の天使と悪魔がここぞとばかりに「当然です!」「空気読めよ!」と俺を責め立てる。うるさい、お前らも俺だろうが。
ぎゅっ、と。俺の手を握るメシエの指に力が入った。
「……します」
「え?」
「します!」
「え、え?」
「銀河さんと結婚します!」
メシエが顔をあげた。泣き顔ではない。が、俺が望む笑顔でもなく、どうみても、その顔は喜怒哀楽のうちの二番目であった。
「フラグとか、そんなの知ったことじゃありません! 銀河さんを回収したら、即、その場で! 結婚式です!」
「あの、メシエさん。もしかして、怒ってます?」
「もちろんです!」
始祖の腕輪が作った思念空間の中なので、精神のテンションが、周囲の空間にも影響を与える。メシエの周囲は宗教画のようで、髪は渦を巻き、肌は光輝かんばかりである。これはかなり怒っている。
そして、とても美しい。
「銀河さん、前に私のために怒ってくれましたよね。私が、背負わなくていい運命を背負ってることに。私もそうです。銀河さんは、こんな運命、背負わなくていいです!」
「とはいっても、ここにいるのは俺だし。俺にしかできないし」
他にいないのだから、しかたがない。
押しつけられた気は、あまりしない。
むしろ、押しつける相手がいないのだから、しょうがないよなー、である。
「それは、そんなものは、運命を諦める理由には、なりません!」
俺の諦観を、メシエが蹴飛ばして、吹き飛ばした。
「ああ……そうか。そうだったな」
俺は、一ヶ月前の自分を、メシエに見た。
メシエも、一ヶ月前の自分を、俺に見たのだ。
あの時、俺は、メシエが過酷な運命を背負わされていることに、ずいぶんと怒ったものだ。
メシエが運命を受け入れていることは、関係ない。
その運命を、俺が気に入らないだけなのだから。
こうして同じ状況に置かれると、俺とメシエは、どこか似ている。
何千光年も遠くの星で生まれ育ち、境遇も何もかも違うのに、やはり似ている。
「だから、銀河さんの運命を、私がやっつけます。銀河さんは、私が幸せにします」
「ありがとう、メシエ。俺のお嫁さんが、メシエでよかった」
俺の言葉に、メシエがようやく笑顔をみせてくれる。
よかった。
「銀河さん――あっ!」
メシエの姿が急激に薄れていく。
俺の右手を握るメシエの指の感触が、ぼんやりとする。
するり、と俺の右手がメシエの指をすり抜ける。
「あっ」
メシエの声も、わずかに鼓膜をふるわせるだけ。
「メシエ! 聞いてくれ、メシエ!」
俺の声も届いているか、どうか。
だから大声で叫ぶ。
「結婚しよう!」
フラグなんか知ったことか。
「――! ――!」
メシエの声は俺に届かず、メシエの姿は虚空に消えた。
だが、消える寸前に浮かんだ表情は、笑顔だった。
だから、俺の声は、届いたのだ。
「マスター、準備ができました」
俺は、ブラック・ダイカン号のコクピットにいた。
目を開け、コンソールを確認する。時間は数秒と経過していない。
視線をずらし、始祖の腕輪を見る。金色の腕輪が、淡い光を放っている。
モニター画面を見る。天気予報の低気圧のような、虚空に渦を描く死霊門の合成映像が見えた。線は気圧ではなく空間の歪みである。
なんだか、メシエとの会話は、夢か幻だった気もしてきた。生還できるかわからない戦いを前に、脳が現実の苦しさを和らげるために用意した、幻想。
俺はメシエが握った右手を顔に近づけた。
そこにはメシエの匂いも、ぬくもりも残ってはいない。
いや――人差し指の先に、濡れた感触があった。
「夢ではない、か」
メシエとの会話も、結婚の約束も。
「いくぞ、ブラック・ダイカン号」
「はい、マスター。ではカウントダウンに入ります。十秒前、九、八」
ブラック・ダイカンがカウントダウンする。自動翻訳されたが、ネロスの一秒という単位は地球の一秒よりほんのわずかに短い。こういう時にはずいぶんその差が大きく感じられ、あっという間にカウントダウンがゼロになる。
「疑似鎧装、展開。全システムを遮断します」
俺は目を閉じた。必ず、生き――。
===another view
ブラック・ダイカン号の漆黒の機体の中央部分、長いレールの間に挟まった球状のコクピットの表面が、鏡面となった。
疑似鎧装化。可視光を含む長いのから短いのから、あらゆる電磁波が遮断されたことで生じたのがこの鏡面である。同時に、目には見えないが重力波も遮断され、外と中の空間は完全に切り離される。戦闘システムとしてのブラック・ダイカン号の制御も同様で、コクピットはシステムから遮断され、一発の弾丸としてのみ扱われる。
バス、バス、バス。
小さな爆発がコクピットを保持するフレームごと切り離す。フレームはレールに乗ってわずかに前方に移動。押し広げられるように、長いレールキャノンの誘導砲身が作るリングが広がる。これで砲弾のセットが完了した。
続いて機体のエネルギー源である反応炉が動く。
反応炉を覆うパネルがすべて吹き飛び、周囲の空間に千切れた花弁のように広がる。疑似鎧装化したコクピットを亜光速で撃ち出すためには、無慣性ドライブを最大出力で動かすよりも多くのエネルギーが必要とされる。ブラック・ダイカン号の反応炉は、出撃前にエネルギーを一杯まで亜空間に溜めてある。通常は、そのエネルギーを制御弁から引き出して使うが、今は、それでは足りない。制御弁を壊し、中のエネルギーをそのまま引っ張り出す。残ったエネルギーは壊れた制御弁からそのまま周囲の空間に放出されてなくなってしまうが、どっちにしろ、この一発がブラック・ダイカン号の最後の仕事だ。
ありあまるエネルギーが、反応炉から一斉に誘導砲身に流し込まれる。誘導砲身は、エネルギーを貪欲に呑み込み、砲弾を加速する誘導力場を展開する。目には見えないが、機体の前方十万メートル先まで、誘導力場が伸びている。
ひゅっ。
誘導砲身の根元にセットされていた、疑似鎧装化によって鏡面化していたコクピット=砲弾が消えた。
めきょっ。
誘導砲身が目に見えない力で握りつぶされたかのようにへし折れる。
ぼごんっ。
反応炉から誘導砲身に呑み込まれていたエネルギーが行き場を失い、黒い機体が青白い稲光を周囲に広げて爆発する。
機体が完成して、わずか半日。
ブラック・ダイカン号はその短い一生を終えた。
撃ち出された砲弾は、光速の九九・九九九九九九九%という限りなく光速に近い速度で真空の宇宙を駆け抜け、死霊門に激突した。
砲弾の運動エネルギーは、質量×速度×速度。そして、砲弾は物理的に破壊不可能な疑似鎧装化がなされている。ぶつかれば、その持つエネルギーのすべてが相手のダメージとなる。もし地球にぶつければ、地球の表面からマントル、中心のコアまでを一瞬で貫通し、そのまま一万二千キロメートルを突っ切って地球の反対側から砲弾が飛び出してくるほどのパワーだ。
それでも、死霊門が定着状態で安定していれば、砲弾の運動エネルギーを吸収して別の形に変換することで、破壊を免れていただろう。死霊門には、それだけの力がある。でなければ、オリオン腕に死を撒き散らす被害を与えることはできない。
しかし、この時の死霊門はまだ、これほどのエネルギーを吸収できなかった。
一瞬だけ死霊門の形が歪み、あっけなく崩壊し、次の瞬間には何もかもが消えて、重力勾配は元の平穏を取り戻していた。
あっけない幕切れ。
太陽系は、滅びを免れたのである。
この時は。ひとまず。
===another view end
――て、帰る。
ふっ、と周囲が暗くなり、すぐにまた明るくなった。
「ん?」
真っ暗になったら、すぐにコクピットが誘導砲身から撃ち出される、と聞いていたので俺は何かトラブルでもあったのかと目を開けた。
コクピットの中に投影されていたスクリーンや映像はすべて消えていた。
「ブラック・ダイカン号。状況を説明しろ」
返事はない。
「……そうか、人工知能の本体は機体の側にあったんだったな」
コクピットを疑似鎧装で包み込み、外と物理的に遮断した後は、機体の人工知能と会話することはできない。
ごん、がん、ばん。
「え?」
音が、震動を伴って聞こえてきた。コクピットの壁の外から。
疑似鎧装化した後は、亜光速で射出されようが、どこかにぶつかろうが、音も衝撃も伝わらない――と聞いていた。
やはり何か不具合でもあったのか。
ばきっ。
コクピットの壁に、ひび割れが入った。
「うげっ?」
外は真空の宇宙である。そのはずだ。
俺は思わず、自分の口を手で塞いだ。
ばきばきばきっ。
ひび割れが広がり、コクピットの壁が引き裂かれてはずれた。
空気が漏れ、俺は宇宙に吸い出され――たりはしなかった。
空気があった。灯りもあった。どこか見覚えのある巨大な空間の中だ。
見覚えがあるのも道理で、そこはブラック・ダイカン号が作られた格納庫だった。
コクピットの中で俺は腰を浮かせ――そのまま、体がふわふわと宙に漂い出す。
「銀河さん!」
視界の片隅に、白いものが飛んでくるのが見えた。
それが、白い衣装をまとった人だと認識するのと同時に――
もにゅん。
俺の顔いっぱいに、柔らかい感触が広がった。
おっぱいだ。
おっぱいである。
おっぱいが俺に抱きついてきたのだ。
「……メシエか?」
「はい! お帰りなさい、銀河さん!」
おっぱいが離れ、メシエの顔が見えた。
「ただいま」
俺は答えた後、周囲をきょろきょろと見回した。
メシエの他に人はいない。ドローンがせわしなくコクピットの周囲を飛び回っている。
その外側には、檻のような大きなケースがあった。
「あれから、どうなった?」
「死霊門は、破壊されました」
「よかった」
「銀河さんの軌道がどうなったかは、リザード人の武装商船の観測結果を元に、マゼランたちがシミュレーションしてくれました。ですが、すぐに回収はできなかったんです」
申し訳なさそうなメシエの声に、俺は目で続きをうながす。
「死霊艦隊の襲来があったんです。死霊門を使わず、跳躍航法で、死霊艦がやって来ました。偵察部隊だったので、リザード人と協力して撃退しましたが、木星の防衛体制を確立する方が優先されたんです」
「それはしょうがないだろ」
俺が助かっても、太陽系が滅ぼされたのではどうしようもない。
何より俺の主観時間では一瞬しか経過していないので、待たされた時間は気にならない。
「でも、私は十年も待たされたんですよ」
「ぶっ?!」
さすがに仰天した俺に、メシエがくすっと笑う。
「嘘ですよ。でも、私の気持ち的にはそのくらいの時間でした」
「驚かせないでくれ。実際のところ、どのくらいかかったんだ?」
「五百と二十二日。一年と半年、です」
「……」
俺は口ごもった。
何を言えばいいのか。
俺の中では、メシエと別れたのは、半日前のことである。
けれど、メシエはその千倍の時間を過ごしてきたのだ。
その間、彼女が感じた孤独や苦悩は、いかばかりであったか。
超越体との戦いの時に、俺がメシエを幸せにしてやると誓ったのは何だったのか。
自分を砲弾にして太陽系を救うといえば、聞こえはいい。しかし、俺は『その後』のことをメシエに丸投げにしてしまった。亜光速で撃ち出された後の俺は、何もできない。俺を救う決断も作業も、全部、メシエに任せてしまったのだ。仕事で言えば、新人の営業がハイリスク・ハイリターンな仕事の契約を取ってきて「後のことは開発の皆さんでよろしく」と押しつけてきたようなものである。
これで――
これで俺は、本当にメシエのこれからを、支えていけるのか?
いや、支えていく気はある。あるが、もうちょっと――己を鍛えてからでいいのではないのか?
「メシエ」
「はい」
手を伸ばし、ふわふわと離れつつあったメシエを引き寄せる。
周囲は無重力なので、簡単に引き寄せられる。同時に、俺もメシエに引っ張られ、コクピットの座席から宙に浮きあがる。
――しっかりしろ、俺。
メシエはもう、答えをだしている。
俺の言葉を、待ってくれている。ずっと不安だったろう一年と半年を待ち続け、そして今も待っている。
ここでビビってどうする。これから百年鍛えたところで「今の俺ならメシエを支えられる」という自信が得られるわけじゃないだろうに。
それは俺だけではない。世の中の誰もが不安で、未来は不確定で、だから共に歩いていく誰かがいてほしいのだ。
共に歩く誰かが、スーパーマンだからではない。よく知られている誓いの言葉にあるように、幸せだろうが不幸だろうが、健康だろうが病気だろうが、変わらず歩んでくれるから、である。人生の伴侶とは、そうやって決めるのだ。
俺は大きく息を吸い、そして言った。
「これからは、ずっと一緒だ」
「はい」
メシエがにっこりと笑った。
「……」
「……」
え、これでは足りませんか?
ニコニコとメシエは俺に笑顔を向けている。つまり、まだボールはこっちだ。
こうなっては、投げるボールはストレートしかない。
「俺と、結婚してください」
「はい!」
客観時間ではそろそろ二年前。主観時間では一ヶ月ちょい前。
夜のコンビニで、出会った時と同じ、白いウェディングドレスの星の世界の皇女さまが、俺の腕の中に飛び込んできた。
さて――
地球と宇宙で繰り広げられた俺とメシエの婚活のお話は、ここで終わる。
俺にもメシエにも、この後にさらに長く波瀾万丈な物語があるのだが、それはまた、別の物語として語られるものであろう。