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『死霊艦隊:ブラックダイカン号vs私掠船』

 私掠船から挑戦信号が届いた時の、俺の顔は、たぶん人に見せられないものであったろう。

「いや、おま、これ」

 何を言えばいいかわからないまま、口を開けたり閉じたりした後、頭を抱える。

「なんだよ、なんでそうなるんだ」

 挑戦信号と一緒に届いた通信文には、彼らが故郷の巣(?)を失ったリザード人で、今ここには次代の指導者である女王の卵(?)があることや、彼らにとっての女王のいる巣に足を踏み入れられることは断固として拒否せざるをえず、よって戦って雌雄を決そうという文言が並べられていた。

「なら、臨検の拒否だけしろよ! 理由を説明してくれれば、こっちだって無理強いはしないよ! しかも、それで戦おうとかどういうことだよ! お前ら、女王の卵が大事なんじゃないのかよ! 戦闘に巻き込むなよ!」

 どこからツッコミを入れればいいのかわからない。

 しかも、リザード人にとっては、自分たちの行動は何ら矛盾してなさそうなあたり、宇宙人というのは俺が考えていたよりもバカなのではないかという疑惑が生じる。

『驚きましたね。まさかこう来るとは』

 ブラック・ダイカン号がしれっとした口調で言う。

「本当だよ!」

 こいつの言う通りにしたら、このザマである。

『ですが、これはチャンスかもしれません。マスター』

「ああ? 何がチャンスなんだ、言ってみろ、コラ」

『彼らは、流浪の民です。新たな故郷を求めています』

「どこかで聞いた話だな」

『そして、マスターは地球代官です。彼らに新たな故郷を提供できる立場にあります』

「ふむ」

 俺は考えた。

 ネロスの民を太陽系に住まわせるように、リザード人を太陽系に住まわせる。

 地球で地球人と同居となると調整が難しいが、太陽系の広さを考えれば、住む場所はいくらでも建設できる。

 たとえば――外宇宙からの転移座標がある、木星軌道にリザード人を住まわせ、ソル星系防衛の一翼を担わせる、という風に。

 なんだか、ローマ帝国の後期に辺境の警備を移住してきたゲルマン人に任せるような政策であるが、今のソル星系とネロス皇国には有効な手だ。

「いいかもしれないな。通信を繋げられるか?」

『タイムラグがあるので会話は難しいでしょう。短いメールの送受信であれば問題ないかと』

「よし」

 リザード人が使っている言語は、アルタイル通商連合の交易語だった。俺が脳にインストールして覚えたネロス語とも近く、翻訳機を使えばすぐにメールを作ることができる。

「大マゼランに、リザード人のマナーとか文化を教えてもらえればより安心なんだが」

『残念ながら、私にそこまでの超光速通信機能はありません。あっても現状では使えませんが。探知されると始祖の船の所在まで明らかになりますので』

「通常の通信だと、往復で二時間かかるんだよな」

『はい。現状では無駄ですね。私のメモリキューブ内の百科事典だけが頼りです』

「いいさ。たくさん情報があっても、俺が読んで理解する時間がないしな……どれどれ」

 宇宙版Wikipediaな内容にざっと目を通す。

 リザード人は、ワール人と同じくトカゲが進化した知的種族だ。

 どういう理屈かはわからないが、この宇宙での進化の法則によると、ほ乳類が進化すれば、かなりの確率で地球人やネロス人のような人間型の知的種族が誕生し、爬虫類が進化すると、これまたそれなりの確率でワール人やリザード人のようなトカゲ型の知的種族が誕生する。インテリジェント・デザインな宇宙人や神様が存在しなくても、なぜかそうなるらしい。

 ワール人が乾燥に適応した進化をしたのに対し、リザード人は湿地に適応した進化をしている。そのせいか、生理だけでなく、心理的な志向も同じトカゲから進化した知的種族としては違うようだ。ワール人は武人的で堅苦しく、ストイックな種族として知られており、一方のリザード人は情熱的で粗暴、衝動に任せて暴れる種族として知られている。

 ――いきなり挑戦信号出したのも、このせいか。

 こういうのは冷静になれ、と言っても冷静にはなれない。現実よりも、自分の頭の中で作り上げたドラマの方が優先されるタイプだ。

 ――こちらが理を説いても、利で誘っても、たぶんダメだろうな。情を揺さぶらないと。

 俺はしばらく考えてからネロス語で文面を作り、ブラック・ダイカン号に翻訳させた。

『これはまた、ずいぶん思い切りましたね』

「相手の物語にノってやっただけだ。少々、悪ノリだけどな」

『翻訳できました。送信します』


===another view

 〈緋竜ひりゅう〉船長のドランが、挑戦信号を送信して最初にやったのは、船を木星の衛星ガニメデの影に隠すことだった。つまりは、送信前と行動は変わっていない。

 リュミス姫に煽られて巣を守る戦いの情熱に突き動かされていても、ドランの私掠船の船長としての理性と判断に、曇りはない。

 私掠船〈緋竜〉は武装商船だ。軍艦としては、仮装巡洋艦に分類される。エンジンは商船時代のもので、船体の頑丈さも商船時代と変わらない。長距離砲撃戦や機動格闘戦はできないのだ。私掠船は待ち伏せと奇襲が信条である。

 ブラック・ダイカン号に挑戦信号を送ったのも、相手が戦闘機で長距離砲撃戦はない、と踏んでのことだ。

 接近しての機動格闘戦に持ち込まれさえしなければ、戦い方はある、とドランは考えたのだ。

「よしよし、でかい衛星だ。この第五惑星にはずいぶんと多くの衛星や、輪っかもある。仕掛ける余地は十分にあるな」

 機嫌よく戦闘指揮所内を歩き回り、ドランは乗員に話しかけ、冗談を飛ばし、元気づけた。たびたび頭の鶏冠の冠がズリ落ちるが、そのたびに持ち上げる。

「“耳”張り! 〈碧竜へきりゅう〉はドローンをばらまいたか?」

 ドランは目を閉じ、ヘッドホンに耳をすませている乗員の右肩を二度叩いて聞いた。

 〈緋竜〉と〈碧竜〉は姉妹艦だ。どちらもアルタイル通商連合の量産型の貨客船として誕生し、二百年近くを不定期航路で人と荷物を運ぶ奉公をした後で、リザード人に払い下げられ、私掠船として生まれ変わった。私掠船としてもすでに半世紀を過ごしており、ドランたちリザード人は、両船のクセや連携しての戦い方を十分に心得ている。

 今も、簡単な信号のやり取りだけで、二隻はそれぞれの役目を完璧に理解し、行動に移していた。

「へい、船長。〈碧竜〉がダミー含めて三十基をばらまいてるのを確認しやした。〈碧竜〉の船倉はすっからかんでさ。軽くなったんで、動きもちびっと機敏になってやす。ネロスの黒い機体はまだ動いてません」

 肩を叩かれた“耳”張り員が、目を閉じ、ヘッドホンに耳をすませながら答える。

 彼の聴覚はセンサー情報を音に変換した、ヘッドホンから聞こえるノイズに似たせせらぎに集中している。

「よしよし、景気がよくて結構なことだ。巣を守るのに、ちまちました戦いじゃあ、女王卵様に笑われちまわぁ」

 そうだそうだと、他の乗員も同意する。

 ――さて、落としどころはどうするかね。

 ドランは頭の中で考える。

 とことんまで戦う気は、ドランにはない。私掠船は金のために戦う。そして今は巣と女王卵を守るために戦っている。勝利のために命までは賭けない。

 ――辺境宇宙じゃあ、なめられたら終わりだ。弱い奴は鱗まではがされるからな。

 なめられないために、ネロスの地球代官に強さをみせたい。

 私掠船二隻だから、ここでみせる強さとは、火力などの船の性能ではない。熟練した船乗りが操る船の、しぶとさだ。

 ――その上で、補給と整備の権利はぜひとも勝ち取る。せめて一ヶ月……いや、半月でいい。ここで時間をかけて整備しなくては、これ以上の跳躍航法は無理だ。

 ここに来るまでの逃走に次ぐ逃走で、〈緋竜〉も〈碧竜〉もボロボロになっている。そしてとどめが、この星に来ることになったランダム跳躍の負荷だ。

 ここがネロスに保護された星系だというのなら、転移座標は未公開。当座を隠れ潜むにはもってこいの場所である。

 ――問題は、あの黒い機体との性能差だな。

 〈碧竜〉にドローンを撒かせたのは、その性能を探るためだ。

 〈緋竜〉がドローンをまだ出していないのは、〈碧竜〉に仕掛けさせて相手の性能を探ってから、策を練ろうという役割分担である。

「船長! ……あ、いや姫様か? 黒い機体から通信文です」

 通信士の呼びかけに、ドランとリュミスが同時に尻尾をひねる。

「姫様に?」

「私にか?」

「へい。読み上げます」

『ネロス皇国地球代官ギンガ・ヒトツボシより、女王の巣の代表者に挨拶を送る。貴巣の挑戦、ありがたく受ける。我が主もまたネロスを失い、この星に新たなる故郷を作らんとしている。それゆえ、我らは強くあらねばならぬ。貴巣もまた同じであろう。貴巣との戦いで、我が強さをお見せしよう』

 ドランとリュミスは顔を見合わせた。

「これはまた……ネロスというのは、古いだけの淀んだ腐り水の連中かと思っていたが、ずいぶんと礼儀を知っておるな。感心したぞ、うん」

「ですな。侠者きょうしゃですぜ」

 ドランは内心で小躍りしていた。退化した鰓の部分が赤くなってその内心の興奮を表していた。

 ――これで落としどころが見えた。

 ネロスに変事があったことは、辺境で暮らすリザード人も知っていた。この星に生き残りが逃れてきた、というメールによる情報も、信憑性が高い。

 だが、本当にそうであるのならば、追っ手のいる身として、情報を隠そうとするのが当然でもある。それを、ギンガという地球代官は、惜しげもなくリザード人に公開した。

 リザード人が同じ、流浪の民であると知って。

 ――こいつは仁義を知っている。

 私掠という仕事柄、欺き、偽ることはリザード人の習い性となっている。

 しかし、そこには彼らなりの規範ルールがある。

 他者に従うための規範ではなく、自らを律するための規範だ。

 自らのための規範があるからこそ、女王の巣であることを明らかにし、挑戦信号を送った。

 相手がリザード人の規範に従ってくれることを期待してのことではない。

 あくまで、自分たちリザード人が、自分に誇りを持って生きるためにしたことだ。

 宇宙連邦の、文明化された種族、特に古い種族はそれをあざ笑うのが常だった。

 彼らにとり、規範とは自分たち以外の他者と利害を調整するためのものだ。

 それゆえに、文明種族は他者と共有できない規範を重んじない。自己満足の規範など、規範ではない、という態度を取る。

 この星にいるネロス皇国の連中も、そうだとばかりドランは思っていた。保護惑星のルールや、そのための臨検は、宇宙連邦が定めた他者と共有する規範だからだ。

 しかし、違った。

 宇宙連邦の法に従った上で、リザード人の自己のための規範も尊重してくれた。

 ――全力で戦わせてもらうぞ。そして勝てばよし。負けても降ることに恨みはない。俺の尻尾を寄越せ、というのならばくれてやろう。

「通信士、こちらから返信だ」

「へい」

「挑戦を受けてくれたことを感謝する。以上だ」

 通信文は、すでに第五惑星の最大衛星ガニメデの影に隠れた〈緋竜〉から〈碧竜〉を経由してブラック・ダイカン号へと送られた。

===another view end


 リザード人からの返信を受け取った俺は、ブラック・ダイカン号に戦況を確認した。

『こちらの図をごらんください』

 二隻の宇宙船が表示される。

 〈緋竜〉と〈碧竜〉。

 商船改造の、仮装巡洋艦と呼ばれる艦種だ。

『リザード人の戦力は、この二隻です。いずれも元は商船で、軍艦に比べると機動力に劣り、砲戦能力も低く、防御力もたいしたことがありません』

「お前と比べると、どうなんだ?」

『私が完成していれば、そしてマスターの持つ始祖の腕輪の力をフルに使用して良いのであれば、一瞬で終わります。ですが、現状では、絶対に負けない、としか言えません』

「負けないのか」

『はい。私が逃げれば、絶対に追いつきません』

「そりゃそうか」

『確認があります。マスターの優先順位は戦う前と同じでしょうか?』

「えーと、ちょっと待てよ」

 自分の言ったことを思い出す。

 優先順位の一。俺の命。変化なし。

 優先順位の二。相手をソル星系から逃がさない。変化なし。

 優先順位の三。ブラック・ダイカン号の安全。変化なし。

 優先順位の四。相手の命。変化なし。

「うん、優先順位は変わらない」

『であれば、様子を見ることをお勧めします』

「様子見?」

『リザード人の戦力は、私にとって脅威ではありません。しかし、私も未完成ですのであらゆる状況に対応できる能力は持ちません。たとえば一隻を相手にしている時に、射程外に退避したもう一隻が跳躍航法でソル星系を逃げだそうとすれば、それは防げないわけです』

「ふむ」

 可能性はある、と俺は思った。

 リザード人の目的が、戦闘ではなく、逃走である可能性は捨てない方がいい。相手の通信文の内容がすべて正しく、今はやる気満々だとしても、不利となれば、女王の卵を守るために逃走を選ぶかもしれない。

「いいだろう。で、様子を見る、というが、具体的にはどうするんだ?」

 あまりだらだらとここで時間をつぶすのはイヤだ、という気持ちはあった。

 出発して木星に来るまでに三時間かかっている。地球に帰るのにも三時間はかかる。

 コクピットに備え付けの設備では、小さい方の排泄しかできない。大きい方は少し苦労する。飲料水はあるが、食事は軍用のレーションだけだ。何日もここで戦うようにはできていないのだ。

 しかし、早く風呂に入ってベッドで寝たいから、戦闘をさっさと終わらせろ命令するのは、それが本音でもさすがに恥ずかしい。無能な上官のテンプレ的な行動すぎる。

『そうですね。まずは敵に突っ込みましょう。至近距離まで迫るのです』

「はあ? お前、今、様子を見るとか言ってたじゃないか」

『はい、様子見です』

 ブラック・ダイカン号はしれっとした口調で言った。

『ぶつかる寸前の至近距離ですれ違えば、相手が何をしようとしているか、反応から探ることができます』

「おおう」

『圧倒的な性能の差、というものを見せつけてやりましょう』

 ――こいつ……意外と負けず嫌いなのか?

 俺は少しおかしみを感じながら、ブラック・ダイカン号が提出した三種類の戦闘計画のうち、ひとつを承認した。


===another view

 木星の北極から自転軸の延長線上に五百万キロメートル離れた位置。

 ブラック・ダイカン号が、広げていた放熱翼を閉じた。赤外線の放射が途切れる。

 その様子は、〈碧竜〉が飛ばした偵察用ドローンによって観測されていた。

「動くぞ! 聞き落とすな!」

 〈碧竜〉船長に肩を叩かれた“耳”張り員が尻尾を上げて答える。

 “耳”張り員のリザード人の頭に取り付けられているのは、彼専用のヘッドホンだ。何年も前、戦闘で負傷した彼は、頭の一部と一緒に、一般的な意味での聴覚を失った。だが、経験を積んだ“耳”を惜しんだ船長によって、彼は頭骨に直接震動を与えることで耳の代わりができるようになる特殊なサイバネ手術と専用のヘッドホンを手に入れたのだ。

 ――こいつがある限り、俺が聞き落とす“音”はない。ネロスの機体の性能を丸裸にしてやるぜ。

 ドランが自身の〈緋竜〉を衛星の影に隠し、〈碧竜〉のみをさらしているのは、女王の巣の安全のため、という理由と共に、〈碧竜〉“耳”張り員に期待をした、という理由があった。

 ――さあ、来い! 二十四のドローンが、お前を囲んでいるぞ!

 ドローンは、私掠船にとっての主兵装だ。装甲は紙も同然、機動力もほとんどないが、それなりの火力を搭載し、何より失われても良いことで思い切った使い方ができる。囮にしてよし、体当たりさせてよし。

 また、今回のような遭遇戦では使えないが、無人なので待ち伏せ攻撃にも有効だ。何十時間でも、何百時間でも、敵を待ち続けることができる。

 そのドローンが、センサーアンテナを展開し、ブラック・ダイカン号をぐるりと遠巻きに囲んでいる。死角はない。木星の衛星は数が多いが、北極側に位置するブラック・ダイカン号の近くには微小な欠片が浮かんでいるだけで、観測の邪魔にはならない。

 この時、“耳”張り員が集中していたのは、重力センサーだ。無慣性ドライブは加速時に重力異常を引き起こす。

 重力異常の大きさや時間を観測することで、無慣性ドライブの性能を測り、ひいては相手の船の未来位置を予測できるようになる。

 機動力に劣る私掠船の戦いでは、相手の未来位置を予測できるかできないかで、勝敗が決すると言っていい。

 重力センサーからの情報は音に変換され、ヘッドホンから“耳”張り員の脳に伝わっている。太陽系最大の惑星、木星の質量が作り出す重力は、ボンボンボン、という腹に響く太鼓のような音として遠くから聞こえてくる。近くにある衛星ガニメデからの重力は、木琴のようなキンコンという音だ。どちらも自然の巨大質量ならではの安定したサウンドで、その他の衛星や、木星の輪を構成する小さな質量の音は、川のせせらぎのように、それらと混じり合っている。

 “耳”張り員はこれらを自然のBGMとして意識の底に沈めていた。

 ――来るぞ。

 予感のようなものがあった。

 チリン。

 風鈴を鳴らすような、澄んだ音が聞こえた。

 無慣性ドライブによる重力反応の音だ。

 それが高くなり――

「標的、加速した! うぉっ?!」

 “耳”張り員は驚愕のあまり、尻尾をびんっ、びんっ、と痙攣させた。

 ピィィィィィィン!

 無慣性ドライブの音が、高く、鋭く、広がっていく。

「標的、相対速度+〇・一五プラスコンマヒトゴウで――接近中! 最接近まで一二〇(ヒトフタマル)sec! 最接近時の距離ゼロ!」

 “耳”張り員の報告に、〈碧竜〉船長は尻尾で床を叩いた。

 数秒で光速の十五パーセントまで加速し、五百万キロメートルを、わずか二分。

 ――回避する? どこに? そもそも逃げ切れる速度じゃないぞ。

 〈碧竜〉にも無慣性ドライブはある。その最大加速は百Gで、最大巡航速度の〇・一c(光速)までおよそ九十時間かかる。これは、輸送船としては快速の優良船であるが、戦闘艦としては低速で、ブラック・ダイカン号とはまったく比較にならない。

 〈碧竜〉がブラック・ダイカン号を回避しようとするのは、ひらひらと飛ぶチョウチョが、音速を超えるジェット戦闘機から逃れようとするようなものだ。

 そのあまりの性能差が、リザード人の怒りに火をつける。

「船首回頭! 全力加速! 黒い機体にこっちから突っ込んでやれ!」

「え……」

「どうした! 復唱せんか!」

「了解! 黒い機体に船首を向けて加速します!」

 〈碧竜〉の古いエンジンからゴロゴロという音が響く。

 ――無慣性ドライブより、動力炉の方が限界だな。この分だと、五十G出てないか。

 やけくそに見えて、〈碧竜〉船長はブラック・ダイカン号の目的を見抜いている。

 ――まさかあっちだって、体当たりするのが目的じゃあるまい。こっちがビビって策を弄せば、その方がまずい。

 死中に活。

 こちらから衝突機動に入ることで、避ける必要が出てきたのはブラック・ダイカン号の方だ。どれだけ出力の大きな無慣性ドライブを搭載していても、吸収できる慣性の量には限界がある。何度も高加速を繰り返せば、いずれ無理が出るのだ。

 ――さあ、どうでる、黒い機体!

 そして百秒後。

 再び“耳”張り員からの報告。

「黒い機体の軌道が変わった!」

「よし!」

 ベシン、と〈碧竜〉船長の尻尾が床を叩く。

 時間を確認する。衝突まで残り二十秒をきっていた。他の乗組員の手前、平気な顔をしてはいたが、尻尾の根元にある第二心臓の拍動はバクバクものだった。

 それでも先に相手に避けさせた。チキンレースに勝った気分だった。

 しかし、読み切ったと思ったのは早計だった。

「このハウリングは……黒い機体は重力アンカーを展開! 軌道を強引にねじ曲げて……〈緋竜〉に向かっている!」

「何っ?! しまった!」


 太陽系最大の衛星、ガニメデの影に隠れていた〈緋竜〉の船内に警報が流れる。

「二番、三番、四番! 対艦ミサイル発射!」

「射出した砲台ガンナードローンのケーブルは切るな! 繋げたまま船から電力を送れ! レーザーの出力を限界まで上げろ!」

「センサードローンは回転させてワイヤーアンテナを目一杯広げろ! 障害物になればいい!」

「姫様を中央隔壁へ!」

 〈緋竜〉乗組員の動きは、経験を積んだ船乗りにふさわしい機敏なものであった。

 動かせる戦力をすべて、そして即座に展開させる。

 しかし、時間が足りない。

 そして、敵の情報が足りない。

「対艦ミサイル加速開始――黒い機体、さらに軌道を変更! 追いつけません!」

「ダメだ船長! 相対速度が大きすぎて最大出力でも、レーザーの照射時間が足らねえ!」

「くそっ! 軌道前方に重力アンカーを展開しやがった! 近くのドローンが引きずられる!」

「姫様! お願いしますよ!」

「うるさい! 私は絶対にここを動かんぞ!」

 ブラック・ダイカン号は、〈緋竜〉が繰り出すあらゆるカードを無効化して迫る。迫る。

 何度も重力アンカーを展開させて進路を大きく曲げているので、最初に〇・一五cあった速度は〇・一cを割り込んでいる。

 それでも、相対速度は毎秒三万キロメートル。一秒ちょっとで地球一周の距離を飛べる速度だ。あと数秒で交差する、という時にこれだけ相対速度があっては、照準を合わせて狙って撃つ、という形の砲撃はできない。

 この場合、未来位置を予測してレーザーを照射し、そこに飛び込んできた敵を焼き払うという、変則的な砲撃の形になる。

 しかし、それを許されているのは機動力のある側。

 つまりは、最接近時の互いの位置を決定できるブラック・ダイカン号だけだ。

「交差まで三秒!」

 〈緋竜〉と〈碧竜〉は最善を尽くした、と言える。

 しかし、圧倒的な性能差が、最善が形になる前に勝敗を決したのだ。

「二・一・〇……プラス一、プラス二……」

 何もないか――と誰もが思った瞬間。

 ドララララァアアアアン!

 〈緋竜〉の船体を、大勢で取り囲んで叩いたかのような大音響が鳴り響いた。

 床を震わせるほどの音に、リュミスが驚いて鰓をパタン、と閉じる。

「なんだ、この音は? どうしたのだ? 敵の攻撃か?」

 ドランはむう、と唸って腕組みをした。

「リュミス姫様!」

「なんだドラン」

「申し訳ござらん。負けました!」

「……そうか、負けたか。今の音で決着がついたのだな」

 リュミスは落ち着いた声で言った。

「はい。今のは、敵がレーザー砲をパルスモードで発射し、この船のいたるところに当てたために発生した音です」

 ブラック・ダイカン号がレーザーの出力を絞ったため、貫通はしなかった。

 命中したレーザーのエネルギーは〈緋竜〉の船体装甲に吸収され、その部分を膨張させた。今の音は、膨張で生じた歪みで装甲同士がこすれて生じたものだ。

「ふむ。驚いたが、危険はないのだな?」

「はい。元からある程度の膨張は設計や改修の段階で組み込まれております。今回の音と衝撃は、通常の膨張では発生しない急激な歪みが船体の至るところに生じたことで発生したものです」

 船齢二百年を超える古い船なので、後でどこかに不具合が生じるだろう、とドランは思ったが、そこまでは口にしなかった。

「あの黒い機体は、強いのだな?」

 リュミスの問いは、〈緋竜〉と〈碧竜〉よりも、という意味であったが、その裏にある問いを、ドランは理解していた。

 奴らよりも、強いのか。

 故郷を奪った、奴ら。

 星々を侵食して広がっている、奴ら。

 一ヶ月前に、唐突に姿を現し、その正体すら今だ掴めぬ、奴ら。

「はい、我らよりも圧倒的に。そして願わくば――」

 奴ら、よりも。

「わかった。ならば、降ろう」

 奴らよりも強いのならば、ここで逃げるのを止める。

 そうすれば、ここに、新たな巣を作ることができるのだ。

===another view


 リザード人から降伏信号が届いたのは、木星の外側、ガニメデからさらに九十万キロメートル離れた、ガリレオ衛星のひとつ、カリストの軌道に乗った時だった。

「やれやれ、だな。おつかれ、ブラック・ダイカン」

『いえ、私の性能と彼らの性能の差をもってすれば――そして、私の性能を彼らが知らないことを考えれば、当然の結果です』

「ふーむ。やっぱり、そういうものなのか」

 相手の性能が不明だと、不利になる。

 相手に何ができて何ができないのかわからないと、打つ手、打つ手がすべて後手に回ってしまうからだ。

『今回で言えば、私の加速性能。そして、重力アンカーの展開による軌道変更能力の高さをリザード人は知りませんでした。だから、あのように受け身に回ってしまい、何もできずに終わったのです』

「重力アンカーか。まさか真空の宇宙空間で急ブレーキや急カーブが可能だとは思わなかったぞ。これって宇宙では一般的な技術なのか?」

『あまり一般的ではないですね。通常タイプの戦闘機に搭載してあるのは使い捨ての重力アンカーです。たとえば四基だけ、のように。私のサイズで、再利用可能な重力アンカーを搭載しているのは、始祖の船に古代遺物アーティファクトが保管してあったからです。使用回数はほぼ無制限ですが、ベクトルを大きく変えるたびに速度が落ちます』

古代遺物アーティファクトだから知られていない、想定されない、ということか」

 戦いを繰り返せば失われるアドバンテージだから、過信はできない。今回はたまたまうまくいった、と考えるのがいいだろう。

「よし、ひとまず地球軌道まで帰還しよう。リザード人の処遇については、メシエや大小マゼランにも相談したいからな」

 警報が、鳴り響いた。

『マスター。何者かが太陽系に転移してきます』

「またか? 今度は誰だ?」

『それなのですが――妙です。通常の転移とはどこか違う。空間を割るというよりは、空間に渦ができているような……』

 そこで通信画面がポップアップした。リザード人の船からだ。

「リザード人のドラン船長から通信です。あの転移について何か知っているようです」

『ギンガ・ヒトツボシよ! アレは危険だ! 最大限の警戒を必要とする!』

 〈緋竜〉とは九十万キロメートル、往復の時差にして六秒のズレがある。月軌道の向こうにいる始祖の船と地球とで何度か会話した時にも感じたのだが、こういう場合には、無理に会話をしようとせず、互いに一方的にしゃべった方がいい。

『アレは、死霊艦隊ゾンビーフリートと呼ばれるものだ。一ヶ月前から、オリオン腕一帯で出現するようになった。アレに近づけば、侵食され、乗っ取られる。生命も、非生命も。そして死霊ゾンビーにされて操られるのだ。アレを倒すには遠距離から砲撃するしかない。アレを近づけるな!』

 ――侵食し、乗っ取って増える。それで死霊ゾンビーか。自動翻訳が選び出した言葉なんだろうが、妙にオカルトめいてるな。

「ドランへ。こちらには死霊艦隊についての情報がない。わかっている限りのデータをこちらに送信してくれ」

 同時に俺はブラック・ダイカン号にデータ解析を命じる。

 ――さっきまでは、この機体がリザード人にとって未知の敵で、こちらはそこをついて勝利した。今度は、死霊艦隊という未知の敵を相手にするのはこっちの番か。

 俺は重力センサーの映像をにらむ。

 木星軌道に発生した空間の渦が、まるで魔物の一つ目のように、こちらをにらんでいた。


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