プロローグ
風を切る音と何かがぶつかり合う音だけが聞こえていた。
衝突の瞬間だけ、その何かが赤と黒の点であることが確認できる。
幾合かの衝突の後、赤と黒が同時に地面に叩き付けられる。
轟音に次いで土煙を伴った衝撃が少年を襲う。
反射的に両手で顔をかばうが、見つめた視線の先は決して逸らさない。ぶつかり合う赤と黒が何なのかを理解しているからだ。
「ケン兄ちゃん!」
少年の声に応えるように、土煙の中から赤色が姿を見せる。
赤い人型のソレは少年を一瞥すると視線を戻す。
その先には黒の人型。
赤色の人型の全身を覆う金属製の戦装束『参式強化外骨格』は、十全の状態を知るものがいれば、変わり様に驚愕する程に損傷し、ところどころが黒く焦げている。
「へっ、心配すんな」
ケンと呼ばれた、赤色の戦士が溌剌とした声で返す。
参式強化外骨格は装着者の顔まで覆うが、その声は籠った様には聞こえない。
参式強化外骨格がそのように作られているからだ。
参式強化外骨格は、あらゆる環境で、戦場で、逆境で最高のパフォーマンスを発揮し、いかなる敵をも打ち倒す。
敵対者からは悪魔と呼ばれ、守るべきものからは英雄と呼ばれた赤の戦士、齢18の――まだ成人を迎えていない彼が、世界の全てを守護していた。
「そうだな、すぐに終わる」
黒の人型からも声がする。
世界の守護者に敵対するには似つかわしくない、若々しく楽しげな声だった。
赤い戦士と同じ戦装束を纏っているが、その色は黒く、一回り程大きい。
「トウヤ兄ちゃん!」
トウヤと呼ばれた黒の戦士の装甲がボロボロと崩れていく。
既にお互い満身創痍。かつて、武装だったものは瓦礫と一体化していた。
「お互いそれほど余裕もない」
トウヤが一足踏み込むと、吹き出した蒸気とともに追加装甲が強制排除され、外気に晒された本来の装甲が見える。
黒の戦士の周囲が揺らめいて見えるのは高温の為か、それとも決戦に臨む闘気の為か――
幾度と無く赤い戦士との死闘を繰り広げ、そして今日、その全てに決着をつける覚悟であった。
「俺達が戦う理由はもうないのかもしれないな」
もう既に、トウヤがかつてに抱いていた世界への復讐などという怨念めいた想いは無い。
ただ純粋に、目の前の戦士と戦いたい。
どちらが強いのかをはっきりとさせたい。その想いを遂げたいがための行動であった。
「だったら……いいじゃないか! もう戦わなくたって!」
少年が涙を流して叫ぶ。
赤と黒、そのどちらの人となりを知っている者の、心からの叫びであった。
長きに渡るケンとの戦いを経て遂に和解し、共に敵の首魁を討ち果たしたというのに、何故また戦おうとするのか。
「セイ……お前は優しいな」
トウヤの声は優しい。
トウヤもまた、セイと呼ばれた少年を知っていた。
彼は心優しく、誰よりも勇気のある少年だった。
人間として生活していた時には、彼の優しさが心を融かしてくれた。
少年は非力であったが、その心は決して折れず、逃げず、立ち向かうことを諦めなかった。
「だが!」
「でも!」
赤と黒から同時に声があがる。
「俺より奴が強いなら」
黒の戦士が笑う。
口の端を吊り上げ、狼が牙を剥くように。
「アイツが俺より強いのは」
赤の戦士も笑う。
きっとマスクの下は、楽しくて仕方のない子供のような顔なのだろう。
「気に食わない!」
「認めねェ!」
子供の喧嘩――そう表現するのが一番相応しい。
主義も、思想も何もない。
ただ、目の前の男より強く在りたい。
互いを強い男だと認めていた。
だからこそ、負けたくない。
赤と黒は力強く一歩を踏み出す。
加速していく歩みは疾走となり身体は疾風となる。
引き絞った拳が激突する。
拮抗し、弾きあう拳を再び繰り出す。
一発また一発と弾き合うにつれ、その間隔は短くなり互いに一歩も引かず、連打比べの様相を呈す。
「オラァッ!」
ケンの拳がトウヤの顔面を捉える。
インパクトの瞬間、首を捻る事で衝撃を逃がすが、それでもダメージは殺しきれず、倒れぬように足を踏ん張ると、トウヤは身体のバネを活かしそのままの力で反撃する。
「フンッ!」
放たれた拳は強烈なカウンターとなってケンを襲う。
決して技巧派とは言えない戦い方をするケンに、衝撃を逃す術はなく、そのままのダメージを食らう。
だが、意地はダメージを凌駕する。
「負け……ねぇッ!」
ケンの参式強化外骨格――"赤炎"がその想いに共鳴する。
『そうだケン……負けらんねえよな!』
今まで沈黙を守っていた戦術支援AIが相棒として、想いに応える。
ダメージを軽減するために動きをアシストし、戦いを続けるケンの背中を押す。
装着者を導く擬似人格。
出会って間もない頃は機械的な受け答えしかできなかったAIは、いつしか装着者と共に成長し、長い戦いの間、良き相棒として彼を支えた。
「あったり前ェよ!」
振りかぶった拳は見え見えのテレフォンパンチだが、ダメージが蓄積され、動きに精彩を欠くトウヤには避けられなかった。
ダメージを逃がすために、踏ん張らず敢えて吹き飛ばされる。
しかし、ダメージは大きく一瞬気を失いそうになる。
『もう終わりなの?』
トウヤの駆る参式強化外骨格"黒依"の戦術支援AIが笑う。
AIはトウヤには激励など必要ないことをよく理解していた。
気付けの為、微弱なショックを与える。
「そんなワケ……無いだろうに!」
ゆっくりと起き上がり、再び殴り合いの場に歩を進める。
「ドラァ!」
「ハッ!」
足を止めての打ち合い。
技巧も何も無い、ただ意地と意地のぶつかり合いがそこにはあった。
決戦を終え、強大な敵を打ち倒した両者に余裕などなかった。
だが、その程度のことは理由にならない。
数十回の打ち合いの後、同時に顔面を殴りぬいた赤と黒は前のめりに倒れるように、互いにもたれかかる。
参式強化外骨格が解除され、光の粒子に還り、右腕の腕輪"展開デバイス『ドライブレイサー』"に収束していく。
「フフッ、強いな」
「ヘヘッ、強えな」
互いを讃える二人。
その一部始終を見ていた少年は、自分が強く拳を握っていたことに気づく。
――強くなりたい。
二人は遠く高みに在った憧れの存在。
だが、セイはこの戦いを見てしまったのだ。ただ憧れるだけではいられなかった。
――あの二人のように!
「まだ……まだ終わってないぞォォォ!」
戦いの爽やかな余韻を打ち砕く絶叫が轟くと、轟音が鳴り響き、衝撃がケンとトウヤを吹き飛ばす。
「なっ!?」
「貴様……!」
倒した筈の敵の首魁の姿がそこに在った。
憎悪に満ちた視線は、力のない者であればそれだけで命を落としかねない力を纏っていた。
「最早何もかも、貴様らのお陰でご破算だ。かくなる上は、お前たちだけでも滅ぼさねば気が済まん!」
敵の首魁"イルミナス"が右腕を振るう。
その右腕には展開デバイス――ケンとトウヤの装備しているモノのプロトタイプ『アインスブレイサー』が装着されている。
「着装――ヴァリアント!!」
世界を絶望に陥れた蒼が――再臨する。