京都 7
新キャラ登場します
皆がホテルを出て小一時間ほど経つ。父兄たちは皆最終の新幹線に乗り込み帰路についた。
僕はといえば、いまだホテルの会議室に居た。時計は23時を回ったところだ。
本当はすぐにも帰って園歌の顔を見たかったが、いくつか問題があってまだ京都に居る。
園歌はあの後警察の人が来て病院に連れて行った。元気なようだが一応検査するらしい。
園歌のことはとりあえずおじさんに任せていいだろう。
『ねええ、あたい退屈なんだけどぉぉ。なんかお話しようよぉぉ』
問題というのは美桜木夫妻の娘、幸留ちゃんだけが未だ戻らない事だ。家に電話をしてみたが幸留ちゃんの姿は無かったようだ。
夫妻はまだ京都に留まるようだ。
『ねええってばあぁぁ』
落ち込む2人を放っても置けず、もう一晩だけ僕はこのホテルに泊まる事にした。
『シカトしてんじゃねえよ! このたんこぶ! オラ、ジュース無くなってんぞ! ただなんだから下痢するまで飲めや! 』
もう1つの問題が先ほどから五月蝿い僕の「影」だ。
影はクルト・クニルと名乗った。
ぼくは自分の影を見る。いつもと変らない僕の影だ。
右手を動かせば同じように右手を動かす、従順な見慣れた僕の影。しかし口だけがギラリと赤く光り、ベラベラと五月蝿い。
『お、こっち見た。キャハ、キャハ。ねええ、あのゆかりって母親さ、あんたに気が有るんじゃなぁい? 』
「………………」
『だってあんたがここに残るって言ったら、コロッと態度変えて私も残ります、とか言っちゃってさぁ! ねええ? 』
「………………」
『ぜぇったい発情してるから、あんたがお願いすれば一発だよ! あ、年上は無理か? あんたシスコンぽいもんねぇぇ? 』
とんでもなく下品な女だ。
ゆかりさんを馬鹿にされ、僕は鬼面をつくって鋭く影を睨みつける。
『……………』
こうするとクルト・クニルはあっさりと黙る。僅かな間だけだが。
いったいいつから僕の影にいるかと言えば、僕がゆかりさんからクルト・クニルという名前を聞いた時かららしい。
つまり、園歌の無事を知った時にはコイツは僕の影だったのだ。
しかし、それ以外の情報はほとんど得られなかった。とぼけているのか本当に知らないのか……
会議室で皆と喜び合っている時に、突然歌が聞こえてきた。他の人には聞こえない声が僕にだけ聞こえてきたのだ。
僕にだけ変な歌が聞こえてきて、自分の頭がおかしくなったと最初は思った。
『オシッコしょっぱいな~♪ てんてこハッピータ~ン♪ ぴ~ぴ~ぴ~ひゃらステレンタンッ♪ 』
また歌ってる。男子小学生かお前!
いきなりこんな歌が聞こえてきたら、そりゃ自分の頭を疑うだろ? こいつが下ネタが大好きだという事は、いやというほど分かった。
他に何とか分かった事といえば、うっかりゆかりさんに自分の真名を名乗ってしまい、彼女がその名を僕に喋ってしまったため、僕に縛り付けられたらしいということだ。
クルト・クニルという名前を聞いてしまった僕が悪い、といわれた。
ひどく理不尽な話だ。
と、そこで会議室の扉が開く。美歩さんを部屋まで送っていった2人が帰ってきたのか?
見るとゆかりさん1人だけ戻ってきたようだ。
『ねええ、欲求不満の未亡人が戻ってきたわよ? あんたさぁぁ、やらせてくれって頼んでみてよ? 』
「んなこと頼めるかあ! 」
思わず怒鳴ってしまった。クルト・クニルはキャハキャハと笑う。
「平祇さん? どうしました? 」
1人で奇声を発していた僕にゆかりさんが駆け寄ってきた。
彼女にはクルト・クニルのことを話していたのだが、恥ずかしいところを見られてしまったという思いが僕の顔に滲む。
「いや、大丈夫です。こいつが変な事言うもんで……」
床を……自分の影を踵でドンドンと踏み鳴らす。名を聞いた人間に取り付くというから、クルト・クニルという名前は絶対に口に出来ない。
こいつ、で十分だ。
『見て見てぇ? この女の心配そうな顔! 超おかしい! 絶対あんた頭おかしいと思われてるよ? 』
ほんと黙っててくれ。
「私のせいで、ほんとすいません。やっぱりクル……夢の事なんて話さなければ良かった……」
彼女が悲しそうに目を伏せる。
「いえ、そんな心配しないでください。本当に大丈夫ですから。こいつ喋る事しか出来ないみたいですし、害は無いですよ」
「そう言って貰えるのはありがたいんですけど、やっぱり私のせいですし、何より心配です。平祇さんすぐ人に気を使うから……」
「ホント心配ないですよ? もうこいつの言う事なんてセミの鳴き声みたいなもので、すっかり慣れちゃいました」
勿論そんな筈ないのだが、喋った事が悪いなんて攻められるものじゃないだろ? そんな事で彼女が自責に囚われるなんて僕には納得できない。
悪いのは全部クルト・クニルだ。
ゆかりさんは釣り針についた餌を警戒する魚のように、訝しげにジーーーーッと僕を見る。
なんだろう? こんな値踏みするような視線を浴びたのは初めてだ。凄く目を合わせづらくて視線を逸らしてしまう。
「……わかりました。私に出来る事は何にも無いって事ですね? 」
少しむくれたように彼女は、プイと訝しげな視線をはずす。
「なんか怒ってます? 」
「別に怒ってませんよ? 心配しないでください」
明らかに怒ってる。どうすりゃいいのさ? 誰か教えてよ?
『もおおお間違いない! 絶対欲求不満だよこの女! やっちゃえやっちゃえぇ! チャンスよぉ! 誰もいないし、べろちゅう! ベロチュウタイムよお客さん! 』
そんな僕の心の声が聞こえたわけではないだろうが、クルト・クニルがとんでもない事をほざきやがる!
ほんとに僕以外には聞こえてないんだよね? この声?
「と、とにかくこの事でゆかりさんが責任感じる必要は無いですよ。当たり前じゃないですか」
「責任とかじゃなくて……」
やばい、また怒らせちゃったかな? そう思ったがそうじゃなかったみたいだ。
凄くつらそうな顔をしている。
「心配くらいさせてください……私には……大丈夫とか、心配するなとか言わないで欲しいだけです」
さすがの僕もここまで言われればわかる。
今彼女は自分が出来る事を、僕に何をしてやれるのか必死で探しているんだ。
何も出来ない事がわかっていても、何かせずにはいられない。僕はそれを突っぱねてしまっていたんだ。
彼女の心配も自責も、キャッチセールスでも断るみたいに「いらないよ」と無下に突っぱねたのだ。
僕は暫らく黙って何かを考える「振り」をする。最初から僕の言うべき事は決まっていた。
そして
「ゆかりさんは心配しなくていいです。ほんとにこいつ喋るだけで、なあんにも出来ませんから。大丈夫です」
もう一度彼女を突っぱねた。キャッチセールスでも断るみたいに無下に、ではなく丁重に。
ゆかりさんはピクリと肩を震わせると、立ち上がって僕から離れた場所に座ると、つま先でトンと床を叩いた。
それっきり口を聞いてくれなくなった。
サウナで無言で我慢比べでもしているように、僕達はただ黙って座っていた。
『うぅわあ、超へたれ……押し倒すとこでしょ? そこわぁ』
クルト・クニルにまで呆れられてしまった。本当に五月蝿い影だ。
しかし悪い事は続くもので、このタイミングで会議室に大樹さんが夜食を持ってきてくれた。
「2人ともお疲れ様。サンドィッチ持ってきたよ」
ありがとございます。ゆかりさんは席を立つとお茶を入れてくれる。そして大樹さんと自分の分のお茶を持って戻ってきた。
大樹さんは一瞬そのお茶を受け取るのを戸惑ったようだが、すいません、と受け取る。
僕の目の前のジュースのグラスは空だ。
『オシッコしょっぱっぴ~♪ てんてこナッツリタ~ン♪ ぴ~ぴ~ぴ~ひゃらステレンタンッ♪ 』
また歌ってやがる。微妙に変ってるし……
まあ、ゆかりさんが怒るのも仕方ないよね。
嫌われても仕方ないと思ってああ言ったんだから。自分でジュースをお変わりして食べたサンドウィッチは、砂のような味がした気がした。
大樹さんは何度か僕とゆかりさんを交互に見て、口を開きかけては言葉を飲み込んでいるようだった。
僕の京都での最後の夜は、気まずい雰囲気と真夏のセミの様に五月蝿い下ネタと共にふけていった。
ちょっと伏線が露骨かなと思ったり。
誤字脱字等ありましたら御指摘ください。