表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
希望の天秤  作者: ネタの砂漠
8/25

京都 6



 「ああ、椚良さん良かった。居てくれた。さっき家から電話があって、娘が帰ってきたんだよ! 部屋で寝てたそうだ! 椚良さんも家に電話してみてくれ! もしかしたら娘さん、家に帰っているかもしれない」

 父親はかなり興奮している声だった。僕の位置からは全く様子は伺えないが、僕もその父親の言葉に体が震えた。

 「平祇くんの部屋にも行ったんだが、彼いないみたいなんだよ。俺は他の部屋回るから、椚良さんが彼に伝えてくれ」

 ゆかりさんは分かりましたとやはり興奮気味に答えると、ドアを閉めこちらに戻り、不安げな顔でデスクの上のスマートフォンを手にした。

 僕も携帯を取り出すとおじさんの携帯に電話する。おじさんが出るまでの僅か数秒がじれったい。


 「あ、おじさん? 僕だけど! 」

 これが自分の声かと疑うほどに上ずった声をあげる。おじさんも驚いたらしく、何だお前か? 誰かと思ったなどと言っている。番号で分かるだろ! てか、そんなのどうでもいいよ!

 「急いで僕等の部屋見に行って! そう、アパートの部屋! 園歌が居るか見て来て欲しいんだ。今すぐだよ! 部屋見たらすぐ電話頂戴! すぐね! 」

 僕の剣幕に気圧される様に、おじさんは訳も聞かずに家を出てくれたようだ。

 電話を切りゆかりさんを見ると、僕とは対照的に落ち着いた声で、近所の人だろうか? に部屋を見てくれるよう頼んでいた。


 僕はおじさんからの電話を待つ。急いでも僕のアパートまでは5分はかかるだろう。僕は、はやる気持ちをねじ伏せる。

 声こそ落ち着いていたが、ゆかりさんもスマートフォンを耳に当てたまま、部屋の中を落ち着かない様子で歩き回る。


 歩き回っていたゆかりさんは、まるで極寒の地にいるように硬く自分の腕で自分を抱きしめる。

 スマートフォンは耳に当てたままだ。やがて、

 「はい、はい」

 電話の向こうで動きが有ったらしい。

 「はい…………あ、ありがとうございます。ほんとうに……いえ、なんとお礼を言って良いか……」

 ゆかりさんは震える声で何度もお礼の言葉を述べ、通話を終えるとその場にペタリと座り込んだ。


 ……静かな嗚咽が僕の体に染み込んでくる。

 紗希ちゃんが無事見つかったことが聞かなくても分かる。

 僕達は皆、同じように家族の心配してたんだから。


 ゆかりさんは何も言わない。きっと僕の電話の結果を待ってくれているんだろう。

 娘が無事だと分かったんだ。喜びを全身に溢れさせたところで誰がそれを攻められる? 

 

 彼女はそうしなかった。


 あふれ出る想いを押し殺すように手の平で口を押さえ、しかし押えきれない愛しさや安堵が、嗚咽となって彼女の手の平からこぼれては消える。

 



 ……いい人だな……



 僕は心の底からそう思った。

 

 早く思う存分皆と喜びを分かち合いたい。


 その思いが通じたのか、僕の携帯がラフマニコフを奏でる。光の速さで僕は電話に出る。

 全ての前置きをを省いて、おじさんは言った。


 『いたぞ! 部屋に園歌がいる! 』


 興奮したおじさんが何か喋り続けてる。全く耳に入ってこない。ありとあらゆる感情が僕から抜け落ちてしまったような気がする。

 ただ……ただただ全身の力が抜けるような脱力感。何度もおじさんの聞いているのかと問う声に、かろうじて返事する。


 「よかった……」


 ようやく絞り出された言葉は、普段からよく口にする何の変哲も無い言葉だった。

 よかった。本当によかった。僕の心はその感情だけで埋め尽くされる。


 ……園歌が無事で…本当に良かった……


 

 

 

 

 園歌の無事を聞き、ゆかりさんは抑えていた感情を爆発させたように大声で泣いた。同じ境遇のもの同士、悲しみだけでなく喜びも何倍にも跳ね上がるのかもしれない。

 僕の目に涙は無かったが、ゆかりさんは子供のようにジャケットの袖で涙を拭いていた。

 ゆかりさんが落ち着くのを待ち、僕達は会議室に向かう。


 会議室内は歓喜の鐘が打ち鳴らされているみたいだった。皆の顔からは憂いも疲労の色も消え、瞳に安堵を映している。

 僕達が入ると不意の停電のように歓喜が止まるが、2人とも無事だと知らせると更に大きな喜びがはじけた。

 皆の祝いの言葉が洪水のように押し寄せる。僕達もそれに負けじとお祝いの言葉を皆に告げる。


 でも僕達がこの場に美桜木みよき夫妻がいない事に気付くのは、暫らく後の事だった。





誤字脱字等有りましたら御指摘ください

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ