京都 6
「ああ、椚良さん良かった。居てくれた。さっき家から電話があって、娘が帰ってきたんだよ! 部屋で寝てたそうだ! 椚良さんも家に電話してみてくれ! もしかしたら娘さん、家に帰っているかもしれない」
父親はかなり興奮している声だった。僕の位置からは全く様子は伺えないが、僕もその父親の言葉に体が震えた。
「平祇くんの部屋にも行ったんだが、彼いないみたいなんだよ。俺は他の部屋回るから、椚良さんが彼に伝えてくれ」
ゆかりさんは分かりましたとやはり興奮気味に答えると、ドアを閉めこちらに戻り、不安げな顔でデスクの上のスマートフォンを手にした。
僕も携帯を取り出すとおじさんの携帯に電話する。おじさんが出るまでの僅か数秒がじれったい。
「あ、おじさん? 僕だけど! 」
これが自分の声かと疑うほどに上ずった声をあげる。おじさんも驚いたらしく、何だお前か? 誰かと思ったなどと言っている。番号で分かるだろ! てか、そんなのどうでもいいよ!
「急いで僕等の部屋見に行って! そう、アパートの部屋! 園歌が居るか見て来て欲しいんだ。今すぐだよ! 部屋見たらすぐ電話頂戴! すぐね! 」
僕の剣幕に気圧される様に、おじさんは訳も聞かずに家を出てくれたようだ。
電話を切りゆかりさんを見ると、僕とは対照的に落ち着いた声で、近所の人だろうか? に部屋を見てくれるよう頼んでいた。
僕はおじさんからの電話を待つ。急いでも僕のアパートまでは5分はかかるだろう。僕は、はやる気持ちをねじ伏せる。
声こそ落ち着いていたが、ゆかりさんもスマートフォンを耳に当てたまま、部屋の中を落ち着かない様子で歩き回る。
歩き回っていたゆかりさんは、まるで極寒の地にいるように硬く自分の腕で自分を抱きしめる。
スマートフォンは耳に当てたままだ。やがて、
「はい、はい」
電話の向こうで動きが有ったらしい。
「はい…………あ、ありがとうございます。ほんとうに……いえ、なんとお礼を言って良いか……」
ゆかりさんは震える声で何度もお礼の言葉を述べ、通話を終えるとその場にペタリと座り込んだ。
……静かな嗚咽が僕の体に染み込んでくる。
紗希ちゃんが無事見つかったことが聞かなくても分かる。
僕達は皆、同じように家族の心配してたんだから。
ゆかりさんは何も言わない。きっと僕の電話の結果を待ってくれているんだろう。
娘が無事だと分かったんだ。喜びを全身に溢れさせたところで誰がそれを攻められる?
彼女はそうしなかった。
あふれ出る想いを押し殺すように手の平で口を押さえ、しかし押えきれない愛しさや安堵が、嗚咽となって彼女の手の平からこぼれては消える。
……いい人だな……
僕は心の底からそう思った。
早く思う存分皆と喜びを分かち合いたい。
その思いが通じたのか、僕の携帯がラフマニコフを奏でる。光の速さで僕は電話に出る。
全ての前置きをを省いて、おじさんは言った。
『いたぞ! 部屋に園歌がいる! 』
興奮したおじさんが何か喋り続けてる。全く耳に入ってこない。ありとあらゆる感情が僕から抜け落ちてしまったような気がする。
ただ……ただただ全身の力が抜けるような脱力感。何度もおじさんの聞いているのかと問う声に、かろうじて返事する。
「よかった……」
ようやく絞り出された言葉は、普段からよく口にする何の変哲も無い言葉だった。
よかった。本当によかった。僕の心はその感情だけで埋め尽くされる。
……園歌が無事で…本当に良かった……
園歌の無事を聞き、ゆかりさんは抑えていた感情を爆発させたように大声で泣いた。同じ境遇のもの同士、悲しみだけでなく喜びも何倍にも跳ね上がるのかもしれない。
僕の目に涙は無かったが、ゆかりさんは子供のようにジャケットの袖で涙を拭いていた。
ゆかりさんが落ち着くのを待ち、僕達は会議室に向かう。
会議室内は歓喜の鐘が打ち鳴らされているみたいだった。皆の顔からは憂いも疲労の色も消え、瞳に安堵を映している。
僕達が入ると不意の停電のように歓喜が止まるが、2人とも無事だと知らせると更に大きな喜びがはじけた。
皆の祝いの言葉が洪水のように押し寄せる。僕達もそれに負けじとお祝いの言葉を皆に告げる。
でも僕達がこの場に美桜木夫妻がいない事に気付くのは、暫らく後の事だった。
誤字脱字等有りましたら御指摘ください