京都 4
色々思うところはあったが僕は今ゆかりさんの部屋にいる。
僕の部屋と造りは同じだが、甘い香りが僕の平常心を奪っていく。僕は女子の部屋に入るのは生まれて初めてなんだ。
「どうぞ」
ゆかりさんは僕の座るデスクにお茶を置くと、自分はベッドに腰掛ける。
実は……言い難そうに話を切り出したのはゆかりさんだった。緑茶が彼女の手の中でトプン、と揺れる。
「平祇さんにお話したい事があってお部屋に伺ったんです。でもやっぱり迷惑かな、なんて思って部屋の前で迷ってたんです」
「いや、迷惑なんて事ないですよ。ゆかりさんみたいに綺麗な人ならいつでも大歓迎です」
なんとなく思い詰めている様なゆかりさん。僕はおどけてみせる。
しかし張り詰めたような彼女の顔は、変わる事はなかった。
沈黙が部屋を支配する。
「僕が見た夢の話をしましょうか? もっとも、ゆかりさんや美歩さん達お母さんが見たような、意味がある夢じゃないけど」
ゆかりさんは少しほっとしたような顔を見せる。
さて、どこまで話そうかと考える。正直に全て伝えた方がいいのか迷う。「紗希が呪った」などと夢とはいえ、母親であるゆかりさんには言いづらい。
僕は先程見た夢を、覚えている限り正確に話す。だが紗希ちゃんが僕を呪ったという話は一旦保留する。
「呪い……」
茶碗が彼女の手から床に落ち転がる。
ゆかりさんは僕の話を聞き終えると、力なくベッドに倒れこむ。顔が真っ青だ。
「ゆかりさん! 大丈夫ですか? 」
僕はゆかりさんを慌てて抱えると、今にもベッドから落ちそうな体を支える。
「横になった方がいい。顔色もよくない、フロントに連絡しましょうか? 」
返事がない。気を失ってしまったようだ。みると呼吸は安定しているし、眠っているようにも見える。
ちょっとあせったが、僕は彼女をベッドに寝かすとしばらく様子を見ることにした。
時折苦しそうにうめく事はあるが、それほど心配する事はなさそうだ。疲れが出たんだろう。
「……ご……め」
ゆかりさんが苦しげに右手を天井に向かい伸ばす。夢を見ているんだろうか。
僕は少し迷いながらその手を握る。ゆかりさんが僕の手を握り返す。
その手には、絶対に離さないという強い意志が感じられる。少しだけ幸せそうな彼女の顔を見た気がした。
ゆかりさんの手を握りながら僕は、意識の無い母さんの手をこうしてよく握っていたことを思い出した。
何本ものチューブに繋がった母さんの顔には、いつも苦しそうに眉間にしわがよっていた。
でも僕が手を握っている間はそのしわがなくなるんだ。
話せなくても、見えなくても聞こえなくても笑えなくても、母さんに何かを伝えられた気がして嬉しかった。
僕の手からゆかりさんの手に、何かが伝わっていたらいいな……
ゆかりさんは10分ほどで目を覚ました。
「よかった。気がついた。大丈夫? 」
「平祇さん? どうして? 私……そっか、倒れちゃったんですね」
「ゆかりさんにはビックリさせられてばっかりですよ、僕」
ゆかりさんは、ほっとしたように胸に手を当てて息を吐く。しかし今彼女の手は僕の手と繋がっている。
彼女の胸の感触が僕に伝わる。彼女の胸には僕の手の感触が当然伝わっただろう。
ゆかりさんは目を丸くして僕の手を慌てて離し、僕から視線を思い切り逸らした。女の人の胸など触った事も無い僕も、ゆかりさんに負けないほどあせっている。
「すす、すいません! 勝手に手ぇ握ってました! 」
「え、ええ、わかってます。はい。倒れた私が悪いんです」
「そうじゃなくて! ゆかりさん苦しそうだったから、つい。でもけして眠ハラしようとした訳じゃなくて……」
「眠ハラ? ……睡眠ハラスメントって事ですか? 」
聞き慣れない言葉に、おずおずとではあるがこちらを向いてくれた。
「いえ、自分でもよくわかんないです、今てきとうに作っただけです! 」
ゆかりさんは、またもキョトンとした顔をする。
「ふふっ、平祇さんもてきとうなこと言ったりするんですね? 」
あ……わらった……
「平祇さん? あの……手を握っててくれてたんですよね。私怒ってませんから」
ゆかりさんは、急に慌てたような早口で喋りだす
「いいえ、怒るどころかむしろ嬉しかったです。ほんとうに本当です。誰かが私の手を握ってくれているって事が嬉しかったんです。だから……」
どうやら僕は……初めて彼女の笑顔を見た僕は、今にも泣き出しそうな顔をしてたらしい。
「だから……そんな顔しないでください」
彼女はそんな情けない僕を抱きしめてくれた。
僕は母さんの笑顔を、抱きしめてくれた幼い頃を思い出して、少し泣いてしまった……
誤字脱字等有りましたら御指摘お願いします。