京都 2(前)
京都 2(前編)です
時計は午前6時30分を示している
会議場はあの後大変な騒ぎになったが、結局、椚良さん達父兄に押し切られる形で警察も、その日の夜にはマスコミに公表することになった。
当然何も分かっていない状態での公表になるので、マスコミもテレビや新聞で記事にするかどうかは微妙だとの事だった。
マスコミとの報道協定外の事件として公表したが、おそらくマスコミも何日かは様子を見るだろう、というのが大方の見方だ。
しかしマスコミの報道とは関係なく、椚良さんがネットに上げた画像は凄まじい勢いで拡散していった。
そしてこれはネットではなく警察の情報なのだが、天井の魔法陣は何かで書かれたものではなく、魔法陣の形に高熱でさらされた跡で、天井に書かれた魔法陣は、高熱によって焦げた跡が魔法陣の形に残った。というのが正解らしい。
ホテルの部屋には当然火災検知器も設置してあるので、それが反応していないのは熱源が限定的、瞬間的なものだったせいとの事だ。
可能性としては、バーナーなどの細い炎で魔法陣を書いた、というのが最も有力だ。
何者かがホテルの部屋の天井に、バーナーで魔法陣を描く姿を想像して僕は怖気立った。あまりに異様な光景に僕の口の中が渇いていく。
僕はマンゴージュースをストローで啜り、カラカラに渇いてしまった喉を潤す。元々ストローを使ってなにか飲むのが好きではないのだが、ホテルのロビーでお茶などした事の無い僕は、我慢してストローを使う。
何をしたらマナーに反するのか全く分からないので緊張するよ。
木目調のテーブルの上にはマンゴージュースが1つと、ホットコーヒーが3つ乗っている。僕もホットコーヒーにすれば良かったと悔いたが後の祭りだ。
今は午前6時半。何か新しい情報が入れば、まずあの会議室に連絡してくれるという事なので、あれから僕達父兄は交代で会議室につめている。
午前6時まで徹夜でつめていた僕達は、先程交代してロビーにいる。もう妹達がいなくなって30時間が経った事になる。
僕の隣でスマートフォンで今も情報を探しているのは、椚良ゆかりさん。会議室で僕の隣に座った椚良紗希の母親だ。
旦那さんを10年前に亡くしたそうだ。
会議室につめているとき世間話のつもりで、旦那さんは後から来られるんですか? などとゆかりさんに聞いてしまい、ゆかりさんが話してくれたんだ。
軽はずみにそんな話題を振ってしまうなんて、つくづく自分は子供なんだなと思う。軽く自己嫌悪してた僕は、逆にゆかりさんに励まされてしまった。
正面のソファーに座っているのが、美桜木夫妻。大樹さんと奥さんの美歩さんだ。
2人とも徹夜明けの疲れなどまるで無いように元気だ。僕などはもう30時間近く寝ていないので自分では気付かないがかなり疲れているのだろう。
不思議と眠気は無いが体が重くなってきた。
大樹さんは元力士で今は警備会社に勤めている。同じコーヒーカップを持っていても、美歩さんのものより2周りほど小さく見えるほどの巨体だ。
持ち手に指が入らないせいか、カップの淵を掴んでコーヒーを飲んでいる。マナーとかはあまり気にしない人のようだ。
美歩さんはポッチャリという言葉が似合う、人好きする愛嬌のある顔の小柄な女性だ。この人はこんな状況でも時折笑顔を見せる。
しかし彼女の笑顔は違和感無く受け入れられる。これは持って生まれた彼女の才能と言うしかない。
僕達4人がつめていた時間は、特に新しい情報は入ってこなかった。新しい情報とは、誰も口にこそしなかったが、犯人からの電話などのアクションを指す。
もっともここにいる、ゆかりさんも美歩さんもすでにこの件を、誘拐その他の失踪とは考えていない。空想小説はおろか、漫画やアニメさえろくに見てこなかった僕でさえ、この事件はミステリーではなくオカルトに分類すべき物だと考え始めている。
それほど彼女達……母親達の見た夢の不思議な符号の一致は、僕の考えを180度、とまではいかないが、大きく変えるには十分なものだった。
彼女達の見た夢で洩れなく一致しているのが、塔のてっぺんにいる自分の娘を見た点。
空が幻想的な色で構成されている点。オーロラとか、水面に絵の具を溶かしたような、等表現は違えどおおむね一致している。
園歌を見たという人はいなかった。全員自分の娘の姿しか見ていないようだ。
「ゆかりさん、何かネットの方は新しい情報あった? 」
美歩さんはコーヒーのお変わりを注文すると、一心にネットに書き込みや閲覧を繰り返すゆかりさんに声をかける。
ゆかりさんは、時々こうして声をかけないと、息をするのも忘れているようで不安になる。
「ええ、魔法陣に書かれた文字に詳しい方を教えてもらったり、解読しようとしてくれたりする人はいました」
彼女はそういって酷く憔悴した顔を上げる。目は落ち窪み、クマも酷い。一日で随分と痩せてしまった様な気さえする。
「やだ、ちょっとゆかりさん、こっちに来なさい」
美歩さんはゆかりさんの顔を見るなり、驚いたように目を丸くして立ち上がると、強引に彼女を化粧室まで引っ張っていってしまった。
「うちの奥さんはおせっかい焼きだから、ゆかりさんに嫌がられなきゃいいんだけど」
残された大樹さんが僕に話しかける。
「でも僕も、ゆかりさんは根を詰め過ぎだと思います。多少強引にでも、気分を変えさせた方がいいと思いますよ」
「平祇くんは若いのにしっかりしている。うちの会社の若い連中なんかは、おせっかい焼くとすぐウゼエとか言ってくるよ? 」
大樹さんは小さく笑いながら、いままで小さく丸めていた手足をソファーに広げる。この人には2人かけのソファーを、1人で使うのが丁度良さそうだ。
「平祇くんは紗希ちゃんの事は知っているようだけど、うちの娘は知っているかい? 」
美桜木幸留大樹さんの娘。凄く頭がいい子だとか園歌が言っていた気はするが、あやふやな記憶だ。
「すいません。名前は知ってますがあまり……」
「まあ、そうかもね。うちの娘はよく園歌ちゃんの話をしていたよ。憧れてたんだろうね」
「憧れていた? 園歌……妹にですか?」
「そうだね。憧れって言うのが一番近いと思う。ゆかりさんの前じゃ言えなかったけど、彼女の娘の紗希ちゃんは中学生の頃いじめを受けていたらしいんだ」
「いじめ? 」
「そう、いじめだ。その事はうちの娘も嫌だったんだろうね? でも、結局何も行動しない自分が一番嫌だったんだな、きっと。あの年頃の子供は妙に潔癖なところがあるからね」
僕は紗希ちゃんのことを思い出す。ちっちゃくて可愛いくて、僕にも随分フランクに話しかけてきたから、学校でもさぞ人気者なのかと思っていたんだけど……そうではなかったということか?
「そのいじめを止めさせたのが園歌ちゃんらしい。以来娘は園歌ちゃんの話しをする事が多くなったよ」
「全然知りませんでした。園歌がそんなことしていたなんて」
そうは言ったが、いかにも園歌らしい。初耳だが意外な話ではなかった。でも僕は、園歌のそういった話を聞くと凄く不安になるんだ。
「高校で園歌ちゃんと同じクラスになったときの、娘の喜びようはそりゃあ凄かったよ。幸留だけじゃなくて、他にも園歌ちゃんに憧れてる子は多いみたいだよ」
おそらく園歌は学校でそういった人助けのような事を、色々やっていたのだろう。誇らしい反面、僕の心は小波のようにざわつき、ところで、と話題を変える。
「紗希ちゃんは、なんでいじめられてたんですか?」
大樹さんはおしぼりで大きな顔を拭く。汗っかきな人だ。
「娘が言うには紗希ちゃんは、見た目小学生みたいに見えるから、目を付けられやすいんじゃないかって言ってたけど」
「言われてみれば確かに背は小さかったですね、紗希ちゃん」
「妻が娘に聞いた話じゃ、身長や見た目だけじゃなくて初……」
大樹さんの視線が僕をつき抜け、僕の後ろに注がれて話が途切れた。振り向くと、ゆかりさん達が化粧室からこちらに向かっている。
この話はここまでだな。話題を変えよう。そう思いジュースを啜る。
しかしふと、何か気になった。何が気になったのかともう一度振り返り、こちらに向かってくるゆかりさんをじっと見る。
なるほど、彼女は化粧を落としていた。すっぴんの彼女に違和感を覚えたのかと思ったが、次第に近づいてくる彼女にますます違和感が大きくなる。
化粧をした彼女は20代に見え、随分若い母親だと思っていたが、すっぴんの彼女はそれどころではなかった。
どう見ても10代にしか見えない。格好こそブルーのスーツにハイヒールと大人びた格好だが、園歌の同級生と言っても誰も疑う事はないだろう。
僕は一日でどれだけ異常な光景を目にするのか。
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