京都 1
園歌は空想するのが好きだった。小さい頃園歌は鳥や虫とお話できたらしい。勿論小さい頃の話だから、今そんな話をしたら妹には怒られてしまうだろうけど。
翻って僕はどうかといえば、空想や妄想するという回路は殆ど機能していないようだ。
以前遅刻して店長に怒られる夢を見たことを、園歌に話したことがあった。
園歌に、お兄ちゃんの見る夢は夢が無いね。と笑われた事があった。
京都駅に着いた僕は構内のホテルの3階。そのロビーで園歌の担任と刑事から事情の説明を受けている。
後で他の家族も集まってからきちんと説明する、との事だったが、かい摘んで聞いた話は今朝の話とだいぶ印象が違った。
なんと同時に7人の生徒が一緒に消えたらしい。妹も含めると8人も消えたのだ。
さらに、彼女達が「消えた」という話は「いなくなった」に変っていた。
担任の教師が部屋を覗いたら「目の前で消えた」という話は、担任が部屋を覗いたら「いなかった」に摩り替わっていたのだ。
驚いたことに、いなくなったという話を聞いた僕は、少し安心したんだ。消えたなどという理解不能な話より、理解可能ないなくなった、という話に救いを求めたんだ。
今朝と話が違う。と、僕はこの時、刑事にでも担任にでも掴みかかるべきだったんじゃないか?
僕はまたもや勝手に、女教師がパニック状態に陥って、在りもしない事を喋ってしまったのだろう。そう考えたんだ。
正午過ぎには他の生徒の保護者達も集まり、ホテルの会議室で説明が行われる。当然皆僕より年上だが僕より遥かに取り乱しているように見える。1人相撲取りみたいな人がいてえらく目立つ。
僕は両親の死に直面している分、年は若いが自分でも冷静な方だと思う。嫌な言い方になるが、凶事に耐性が付いてしまっているのだ。
僕以外は皆夫婦揃って出席しているらしく、2人がけのテーブルは夫婦で埋まる。必然僕は1人で座る。しかし1人だけ母親だけで参加していた女がいたようで、僕の隣に座る。
随分と若い母親に見える。
刑事による説明が始まる前に、保護者にはホッチキスで閉じられた資料が手渡され、そこには園歌たちが泊まっていた部屋の写真や、部屋に残された彼女達の荷物の詳細などが記されていた。
そんななか一際目を引いたのが天井……園歌たちが泊まっていた部屋の天井に描かれた丸い模様だった。なんて言ったかな? 昔アニメで見た覚えがある。そのアニメでは地面に描かれたその丸い模様から、怪物が現れたのを覚えている。ヒーローだったかな?
とにかくそれに似た模様の写真が、資料に10枚以上載っていた。園歌達が描いた物か、あるいは犯人に当たる人物がいるとしたら、そいつが残したものなのか。
警察も重要な手がかりと考えているのだろう。
説明によれば妹達がいなくなったのは、午後9時頃から午前0時頃の間。担任の見回りで午後9時の消灯の時間には全員確認されている。
つまり午前0時の見回りの時は、部屋に園歌達はいなかったということになる。
その時僕の隣に座っていた若い母親が立ち上がり、興奮した声を上げる。
「村上先生は電話で、見回りのとき生徒の姿を見たと仰ったじゃないですか! 生徒達が消えるのを見たって! あの子は消えたんじゃないんですか? 」
村上というのは担任の女教師の名前らしい。僕は自分の中では既に折り合いがついている、消えた、という話題を蒸し返すこの母親に苛立ちを感じる。
「くぬぎらさん、それは村上が後程御説明しますので、今は刑事さんのお話しを聞いてください」
50台半ば位だろうか。学年主任の大柄な男が僕の隣の母親を諌める。
くぬぎらと呼ばれた母親は爪が食い込むほど硬く手を握っていたが、天井を見上げて鼻をすすると、震える声で呟く。
「紗希は……」
しかし他の父兄も同じ想いにも拘らず、1人取り乱した自分を省みたのか、謝罪を述べると続く言葉を飲み込んだ。
さき? 聞き覚えのある名前に資料を見ると、いなくなった生徒の中に椚良紗希という名前を見つける。
園歌の友達だ。何度か家に遊びに来た事もあった。ちっちゃくて可愛らしい子だったな。2人でギラちゃんラギちゃんと呼びあっていたのを覚えている。
刑事の説明は務めて事務的に行われた。ドラマのように抑揚をつけて喋ったりはしないんだね。
終始平坦な説明の中、隣の椚良さんは一心にノートに何かを書き込んだり、スマートフォンに打ち込んだりと真剣そのものだ。僕も一字千金の思いで刑事の話に集中する。
でもそんな思いを知ってか知らずか、説明の最後に刑事はきっぱりと言ったのだ。臆面もなくはっきりと。
「状況から判断して娘さん達は、事件に巻き込まれた可能性も在りますが、思春期の衝動的な行動、という線も我々は当然考えて行動いたします」
つまり何も分かっていない、と。
僕は呆れた。現状何も分からない事は仕方ないとしても、一言でいい、必ず探し出すとか、助け出すとか、そんな言葉が欲しかったんだと思う。最後まで事務的な物言いに呆れてしまったのだ。
父兄の中には激高した人もいた。
怒号が飛び交う中、僕はそんな一言が聞きたかったのか言いたかったのか、隣の母親に話しかけた。
「すいません。紗希ちゃんのお母さんですか? 僕は平祇と申します。園歌の兄です」
椚良紗希の母親は悲色に沈んだ瞳を僕に向ける。記憶の糸を辿っているのだろう、僕をじっと見つめる。
そして記憶の糸が繋がると、突然僕の手をとり、その瞳が潤み出す。直後にはぼろぼろと涙を溢れさせた。
「園歌ちゃんの……紗希が……どこに……どうしたら……」
混乱しているのか言葉になっていない。この人なりにずっと涙を堪えていたのだろう。涙がパタパタと僕の手に落ちる。
……僕も同じ気持ちだった。
自分の家族の事だけなら、溢れそうな感情を抑えることが出来た。けれど同じ境遇の父兄を見ると、その悲しみは2倍にも3倍にも膨れ上がり、鼻の奥がつんと痛くなる。
正直な話をすると、彼女の涙を見るまでの自分があまりに冷静でいられた事が嫌だった。他の父兄のように取り乱したり、刑事や先生に詰め寄ったりしない自分が冷たい人間のように思えたんだ。
見れば随分若い母親だ。先程興奮した声を上げていたので、気の強そうな人だと思っていたが随分と気弱げな感じの人だ。笑ったらかなり可愛いんじゃないか、などと考えてしまう。
髪も艶があり、かなり童顔なせいか20代にも見えるが流石にそれはあり得無い。
「椚良さん。お気持ちは察します、僕も同じですから。園歌も紗希ちゃんも、きっと無事で僕達の迎えを待ってますよ」
僕は椚良さんの手を強く握り、いま自分が聞きたい言葉を素直に伝えた。
「そう……そうですよね。」
椚良さんは涙声でそう言うと、僕の手を強く握り返して続ける。
「この件は警察は当てにならないと思います。だから私達がしっかりしないと駄目ですね」
「ええ、そうですよ。まずは父兄の皆で情報を交換し合って、妹達の行きそうな所を調べたり、旅行前におかしな様子がなかったか……」
……あれ? 僕何かおかしな事言ってるかな? 僕は至極真っ当な事を口にしているつもりだったが、椚良さんは小首をかしげて、きょとんとした目を遠慮無しに僕に向ける。
「平祇さん? 先程私の気持ちは分かる、と仰ってくださったので私、平祇さんは分かってらっしゃると思っていたんですけど……」
やはり椚良さんの気持ちを分かったつもりで、的外れな事を言ってしまったらしい。考えてみれば僕は兄でこの人は母親だ。
勿論母の想いに兄の想いが劣るなどとは微塵も思わないけれど、そこには大きな差異があったのかもしれない。
「平祇さん、紗希は本当に消えたんだと思います。失踪でも家出でも悪質な悪戯でも誘拐でも無い、と私は考えてます」
彼女の申し訳なさそうな、消えてしまいそうな声は不思議と自信に満ちていた。
そうか。僕とは逆で、彼女は娘が消えた事よりも、いなくなった事の方が理解できないらしい。
だとすれば、彼女が警察は当てにならないと言うのも筋が通る。いなくなった人間は探してくれても、消えた人間など警察は捜してはくれないだろう。
「でも消えた、というのは村上先生の見間違いでは? 」
「ええ、そうかもしれません。でももし見間違いじゃなくて、本当に消えてしまったのだとしたら」
僕は人が消えるなどあり得ないと思っているのだが、この人はそうではないらしい。だとすれば、もうこの人と関わるのはやめよう。同情はするが共感も協力も出来そうに無い。
平時であれば同情から協力したかもしれないが、今の僕にはそんな心の余裕は無い。
「平祇さん、これ見てください。」
そういって彼女は自分のスマートフォンの画面を僕に見せる。僕もいきなり席を立つわけにも行かないので渋々見ると、なんだろう? 彼女のツイッターだろうか。そこには、
現場に魔法陣 消えた8人の女子高生
というタイトルと共に、説明の冒頭配られた資料の魔法陣? の写真が大きく表示されていた。
なんだこれは? 彼女のアカウントなのか? 正気かこの人! 警察の公表までは喋るなと釘を刺されていたのに。
妹達の、自分の娘の命が係っているかもしれないというのに、ネットにアップしたのか! 僕は頭の中の血液がグツグツと煮えたぎるのをはっきりと感じた。
このツイートのせいで、この事件があらぬ方向に向かってしまったらこの女はどうするつもりだ!
「い、今すぐ削除してください! 」
怒りに任せて怒鳴ったのは、これが人生初めてかもしれない。彼女は拳を握り締め立ち上がった僕を座ったまま見上げる。
あれほど泣いていたにも拘らず、その気弱そうな顔は怯む事は無く、瞳は強い意志の光を映している。
「何でもいいから情報が欲しいんです。この魔法陣だって警察は重要視してないじゃないですか? 単なる手がかりとしか見ていません、娘たちが消えたこととは関係ないと決め付けてるんです」
「当たり前でしょう! 人間が魔法陣に吸い込まれて消えたとでもあなたは言うんですか! 」
「馬鹿げた話です! わかっています。でも私は夕べ夢を見たんです! 紗希が私を呼んでる夢を! 」
「ふざけるなっ!! 」
僕の怒声に議場が水を打ったように静まり返る。先程までの怒号の飛び交う一触即発の緊迫感とは、また違った緊張感が議場に張り詰める。
僕はまだ怒りに震える拳を握り締め、立ち上がったままだ。同時に、怒りに任せた行動や発言も自重しなければと考える。
「怒鳴ってすいません。とにかく、僕たちは警察の言う事に従って……」
「私も見ました、娘の夢! 」
唐突な声に僕が振り向くと、そこには小太りの、妹のクラスメイトの母親だろう女が立ち上がって、椚良さんに向かって叫んでいた。
「わ、私も! 私も見ました! 綾香が私に助けを求めてる夢、見ました! 」
今度は別の母親が立ち上がり、興奮気味に叫ぶ。
父親達は何事かと事態を把握できない様子だったが、母親達は次々立ち上がり、口を揃えて娘の夢を見たと訴え始めた。
なんだ、これは? 母親達は次々席を立ち椚良さんの周りに集まってくる。
母親達はそれぞれの口から同じ内容を彼女につたえる。まさに異口同音、皆娘の夢を見たというのだ。中には抱き合って涙を流す母親もいる。
異常な光景だ。殆どの父兄は初対面の筈だ。
たぶん頭のいい人ならシンクロニシティーとか何とか、科学的に説明がつけられるんだろうけれど、肌で感じる異常な感覚はどんな言葉よりも説得力を持つ。
僕の肌は今まで経験した事が無い程粟立っていた。いくら想像力の貧困な僕でも想像がつくほどだ。これは異常な事件であり異様な方向へと進んでいる。
誤字脱字、作法用法の間違い等ありましたら御指摘ください。