転移? 転生?
約束の日曜日、僕はゆかりさんと2人で美桜木夫妻の家、の近くの小さな喫茶店にいた。白と木目を基調としたオシャレな感じの甘ったるいショパンが店内に流れる喫茶店だ。
2人が僕達に相談したい事があるようで、僕達は夫妻の家に向かう途中だ。
ゆかりさんが約束の時間より随分と早く僕のアパートに着いたので、朝食をを食べ損ねた僕はここで食事をとる。
先日の僕の奇異な行動について話を聞くべく彼女は大幅に時間を早めたらしい。
「……僕は園歌が甘えん坊になっちゃったとか思ってたけど……そうじゃなかったんです。誰が呪いをかけたのか、どんな呪いかはよく分かりませんが身体が変質していく、御伽噺とかにある人間じゃなくなったり石になったりする呪いだろうって……かなり強力な部類らしいです。こいつが言うには人を殺す呪いが一番簡単で単純らしいですから」
僕達2人の会話で「こいつ」とはクルト・クニルをさす。僕はクルト・クニルから得た情報をゆかりさんに全て話した。
もちろんゆかりさんの旦那さんが亡くなったのは彼女にかけられた呪いのせいだろうという事も、紗希ちゃんの呪いが僕を蝕んでいる事も多少の気遣いは加えたが委細漏らさず伝えた。
ゆかりさんは僕を真っ直ぐに見つめ、沈黙を硬く守ったまま聞いている。
最後に
「こいつはもう紗希ちゃんを襲わないと約束してくれました。それは信じていいと思います」
話を聞き終えた彼女は不意に立ち上がり化粧室に駆け込んだ。それから僕は暫らく1人で窓際の明るい席で暗い顔を外に向けていた。
化粧室から戻ってきても彼女は口を開かなかった。ただ彼女のメイクはきれいに落とされていて目は真っ赤だ。
彼女のいまの顔は15歳のそれになっていた。
自分の呪いが夫を殺した。その事を彼女はどう受け取ったんだろう。
僕には彼女にかける言葉も無く、ただ黙って彼女がなにか口を開くのを待ち続けたが、結局美桜木夫妻との約束の時間まで僕達は言葉を交わすことはなかった。
夫妻の家は立派な塀に囲まれていた。ブロックではなく白壁とでも言うんだろうか? やはり立派な門をくぐると平屋の木造の母屋と、大きな松の木が僕の目に飛び込んできた。
庭は広く車を泊めるスペースはいくらでもありそうだが、ゆかりさんはどこに止めればいいのか迷っているようだ。
とりあえず僕は1人車を降りると玄関に向かう。車をどこに置けばいいか聞くためだ。
と、玄関の戸が開き美歩さんが顔を覗かせる。車のエンジン音を聞き出迎えてくれたようだ。
僕達は美歩さんに招かれて客間へと通される。美歩さんは相変わらず元気な笑顔を振りまいていたので、僕も少しだけ救われた気分になる。
「尽くんもゆかりさんも急がしいのに呼び出したりして悪かったわね」
「いえ、そんなこと……」
「やだ2人共なあに? その暗い顔? お通夜じゃないんだからやめてよ」
美歩さんの冗談をいまの僕には冗談と受け止める事も出来ない。8畳2間のぶち抜きの部屋は雪見障子に囲まれて優しい光に溢れる。
すぐに大樹さんも来て4人で暫らく雑談的に近況を報告しあった。2人共僕達より遥かに明るく振舞ってくれる。
励まそうと訪れた僕達が暗い顔をいつまでも晒している事も出来ないな……夫妻に引っ張り上げられるように僕達も明るく振舞う。
空元気でも偽りの笑みでもいいから夫妻を励ましてあげたいと思う。
もし僕達の暗い顔を見た夫妻が、あえて明るく振舞っているとしたら本末転倒もいいところだ。
「それで私達に相談したい事ってなんでしょう」
ゆかりさんがお茶のおかわりを断って本題を切り出す。
「それなんだけれど……」
大樹さんは僕達に話すことに迷いがあるようで、しきりに美歩さんにチラチラと視線を送る。美歩さんはそれを意に介さず僕にお茶を勧める。
「その事なんだけど、ちょっとおかしな事があって。俺も迷って美歩とも随分話し合ったんだけれど、やっぱり誰かに相談しようとなって2人に来てもらったんだ」
「おかしなこと? 夢の話ですか? 」
「それが……夢なら良かったんだけれど……」
「とにかく娘の、幸留の部屋で話を聞いてくれないか? 話すより見てもらった方が話が早い」
夫妻は立ち上がり僕達を幸留ちゃんの部屋へと案内する。彼女の部屋は屋敷の北西にあって客間よりひんやりとしている。
ドアには女の子らしいプレートが掛けられている。ドアを開け部屋に通された僕達は思わず声を上げそうになった。
「はは、幸留の趣味でね。他人がこの部屋に入るのは初めてじゃないかな」
大樹さんが困ったもんだと愚痴をこぼす。僕は全く詳しくないので分からないが部屋には何十という人形が飾られていた。
50cmほどの大きさの人形がガラスケースの中で薄く微笑んでいる。たくさんの瞳に見つめられているようでどうにも落ち着かない。
人形以外には机と椅子とベッドがあるだけだ。女子らしい飾り気というものがまるでない。
唯一壁に掛けられたコルクボードには何枚かの写真が貼ってある。
友達皆で写したものや園歌との2ショット写真もある。無表情で園歌の隣にいるのが幸留ちゃんかな? 園歌の寝顔の写真もある。これは中学生の頃のものだろう、今よりずっとあどけない顔で眠っている。
僕は写真を、ゆかりさんは人形達をしげしげと見つめている。
「いらっしゃい。私の部屋へようこそ」
部屋の中から突然聞こえた自分達以外の声に僕は咄嗟に自分の影を見る。
『あたいじゃないわよお? 』
見るとその声はゆかりさんにも聞こえたようで、驚いた様子で辺りを見回している。
「おかしな事になってるんだよ」
先ほどの言葉をもう一度繰り返し、大樹さんが1体だけベッドに置かれた人形の頭に手を載せる。
「触らないで」
「ああ、すまんすまん」
今度は人形が喋ってる。ちょっとビックリしたが魔法を目にした僕が悲鳴を上げるような現象でもない。
「あんまり驚かないね。ドッキリだと思ってる? 」
人形の口から紡がれる言葉は平坦で抑揚も無く人間らしさを感じない。
「尽くんは本当に肝が据わっているなあ。俺も美歩も最初にこの人形の声を聞いた時は部屋を飛び出したよ。恐ろしくて暫らくここに入れなかったくらいだ」
まあ普通はそうだろう。てことは僕はもう普通じゃないんだろうか……
「この人形が自分は幸留だっていうんだよ」
大樹さんがアメリカ人のように大げさに手を広げる。
「僕には判りませんが、お2人はどう考えてるんですか? この人形が幸留ちゃんだと……」
「美歩は幸留に間違いないって言うんだけど……俺はまだ人形が喋るという事すら受け入れられないでいるんだ。悪い夢でも見ているようでね」
「ドール」
「は?」
「人形じゃなくてドール。尽くん。さすが園歌のお兄さん。やっぱり凄い人。驚かない事も。事態を受け入れる早さも異常」
「……君は本当に幸留ちゃんなのか? 」
僕はベッドにお座りするドールと話している。白い衣装を着たドールは濃いブルーの髪と黒い目を持つ愛らしいドールだ。
喋っても口こそ動かないが手や足を僅かに動かし、瞳は僕の動きを正確に追尾している。
「私の名前は美桜木幸留。君の妹の同級生。園歌たちと一緒に事件に巻き込まれた。普通の女子高生」
「何でこんな姿になっちゃったんだ? まさか何かの呪いとかじゃないだろうな? 」
「尽くん。呪いの事も知ってるの? なら話は早いわ。私は呪いのせいで。そちらに帰れない。そちらに帰ると。呪いが発動しちゃう」
「呪いの発動? 」
「そう。こっちにいれば尽くん。紗希の呪いを回避できる。ゆかりさんも。2人でこっちに来て」
「そっちとかこっちとか、そっちってどこ? そっちに行けば僕は死なずに済むのか? 」
「少し違う。ヴァルベントまでは呪いが届かないだけ。被呪者と加呪者を引き離す。それだけ。緊急の応急措置。呪いは消えない」
「それじゃ園歌はどうすればいい? 妹も誰かに呪われてる。そっちの……ヴァルベント? に連れて行けばいいのか? 」
「園歌は無理。園歌を呪ってるのは園歌自身だから。引き離しようがない。あの子は死なない。安心していい」
「とても安心なんて出来ないよ。それに自分で自分を呪うなんて話があるかよ」
「話は後。もうすぐそちらに迎えがつく。それでこっち来て」
「迎え? 何のこと……」
突然バンという竹が焚き火で破裂するような音とともに、天井に青い炎が現れる。ゆかりさんは短い悲鳴とともにしゃがみ込む。
それはいつか夢で見た光景と同じに一瞬で魔法陣の形に変る。
夢ではそこから現れたのはクルト・クニルだったが、いま天井に形作られた魔法陣から現れたのは無数の光の粒だった。
部屋の温度が一気に上がった気がした。無数の光の粒は正確に僕とゆかりさんを狙って、蛇のように、雲のように、形を変えながら獲物に喰らい付く軍隊蟻のように意思を持って僕達の周りに集まってくる。
美桜木夫妻は部屋の隅で手を握り合って震えている。そこに僕達を助けようという意思は微塵も感じられない。
最後に見えたのは僕と目が会い、僕から目を逸らしギュッと瞼を閉じた大樹さんの顔だった。
僕は青白い光に囲まれて何も見えなくなった。
「あああああああああああ!!! 」
まるで火刑場のような女の悲鳴が聞こえる。ゆかりさんか? とても彼女の声とは思えないが他に誰がいる!
「ゆかりさん! ゆかりさん! 」
僕は狂ったように叫びながら光の虫を振り払うように腕を振るが、その腕が青白く輝いている。
腕に光の粒がくっついているんだ。同期した様に、まるで無数の焼けた針で刺されるような激痛が体中に走る。
見れば腕だけでなく全身が青白く輝いている。
「ああああああああ!! 」
意識が飛びそうな痛み。いっそ意識が飛んでくれたらどれほど楽だろう。
それでも霞む視界に全身を青白く輝かせるゆかりさんの姿が映り、僕は手を伸ばす。
彼女もゆっくりと、僕に向かって手を伸ばしてくる。
僕達の手が触れ合った瞬間その手は光の塵になって霧散した。
痛みはもう無くなっていた。彼女の身体が音も無く床に倒れ、同時に全身が塵のように舞い上がり天井の魔法陣に吸い込まれていく。
僕の意識もそれを最後に途絶える。光も音も無い世界へと僕は沈んでいった。
深く……深く……