尊い日常と些細な異常 4
ポカーン
「なあ? 」
『なあにぃ? 』
「何で僕は妹に追い出されて、お客が来ているにも拘らず風呂に入ってるんだ? 」
僕は1人で湯船に浸かって天井をぼんやりと眺めている。足を伸ばす事もできない小さな浴槽だが僕が一番リラックスできる場所である。
『だあから、あの未亡人を家に上げたりするからこんな事になるんだってばぁ』
何でこいつはゆかりさんを眼の敵にしてるんだ?
「なあ? お前っていま裸なの? 」
純粋に疑問だったのだ。僕が服を脱ぐとコイツも服を脱ぐんだろうか? 太陽の下でならこいつの裸が見られるんだろうか?
まあ燦々と日の光を浴びながら裸になる事はたぶん無いだろうけど。
『スケベ! あたいで勃起したらマジ殺すかんね! 』
「ハイハイ、気をつけます。殺すと言えばお前僕が死んだらどうなるの? やっぱお前も死ぬの? 」
『別にどうもなんないわよお。元の自由な身体になるだけよ。だからあんたが死のうが生きようがあたいはどうでもいいわ』
「ふうん。じゃあ僕が死んだらお前も故郷に帰れるわけだ? 」
『なあにそれ? カマかけてるつもりぃ? まあ別に故郷の話くらいしてもいいわあよぉ? 禁句じゃないしぃ』
「禁句? 」
『そう、禁句。例えばぁ……未亡人にかけられた呪いはあらずみの呪い。でももうひとつ××。そもそもあらずみの呪いとは××××なんで、××やっても××よぉ。……どう? あたいは普通に喋ってるんだけど、ちゃんと聞き取れないでしょ? 』
「確かに、なに言ってるかさっぱりだ。でもゆかりさんには2つの呪いがかけられてるって事はなんとなく分かるぞ。ホントにそうなのか? 」
『××。これが禁句。単語じゃなくて情報に禁句はかけられてるの。当然質問にYES、NOで答えることもできないわよぉ? 』
本当にゆかりさんに2つも呪いがかけられてるとしたらどれだけ不幸体質なんだあの人?
というより呪われたせいで不幸になったんだろうか? だとしたら彼女の少し過剰とも思える心配性も頷ける気がする。
彼女に呪いをかけたのは一体何者なんだろう? 前にコイツが言ってた紅葉ってヤツなのか?
「紅葉ってのは一体何者なんだ? なんでゆかりさんや僕に呪いをかけたりするんだ? 」
『あたいらは使いッ走りだからよくは知らないわあ。なんでも随分長い事生きてるって噂よ。ちなみにあんたにかけられた呪いは一番簡単な呪いで、普通に死ぬだけよぉ。……あれ? これって禁句じゃないんだ? 』
え? ちょっと待て。今なんて言った?
『あちゃ、あたいてっきり禁句になってると思ってたわあ。メンサイ! ショックだよねぇ? 』
ショック?
ショッキングな情報ではあったが僕の心は驚くほど平静だ。
クルト・クニルの言葉を僕は信じる事が出来なかったからだ。
人が消える事も、不老不死も、影が意思を持つ事も、いかなる超常現象も信じられるようになったこの僕が。
自分の死、というありふれた常識を受け入れられなかった。
『あ、でもでもぉあんたの呪いは簡単に解けるよ? あんたに呪いをかけた紗希って子を殺しちゃえばいいのよ。それであんたは死なずに済むよぉ』
「そんな事出来る訳無いだろ……」
『なんならあたいが殺してやってもいいよ? 』
「お前なんにもできないだろ? もし出来たとしても絶対駄目だ」
なんだかクルト・クニルに同情されているようで、却って自分の死がリアリティを帯びて僕にのしかかってくる。
「なあ、なんで紗希ちゃんが僕を呪うんだ? 僕は彼女の恨みでも買っていたんだろうか? 」
『う~ん、よく分かんないけどぉ、あんたは別に恨まれて無いと思うよお』
「だよなあ? 」
『でもたぶんあの未亡人の旦那を殺したのは未亡人自身の呪いだよ。てことは紗希って子があんたを殺すのもあの子の呪いなんだよ』
「なんだそれ? 意味わかんないよ? ゆかりさんの旦那さんがゆかりさんの呪いで死んだのが本当だとしても、何で僕が紗希ちゃんに呪い殺されなきゃならないんだよ? 」
『はああ? あんたホントに鈍いんだね……ちゃんと説明してやってもいいけどお、どうせ禁句だしぃ、なんかむかつくからいや』
何を怒っているのかさっぱりだが、こいつの言葉に疑問を持ったら負けだ。
しかしなんでゆかりさんが旦那さんを呪ったりしたんだろう? 僕自身紗希ちゃんに恨まれる覚えは全くない。てか紗希ちゃんが僕を呪ってるようには見えない。
今日も僕に腕絡めてきたりしてたし……うわ、なんか思い出したら恥ずかしくなってきた。
恨まれるというよりは、むしろ好かれているような気さえするんだが……
いや待て。このパターンはもてない男が勘違いしちゃう典型的なパターンだ。
でもゆかりさんにしても旦那さんを呪い殺すような人とは思えない。2人とも他人を呪うような人じゃない。
「もしかして……彼女達には相手を、ゆかりさんは旦那さんを、紗希ちゃんは僕を、呪っている自覚がないんじゃないか? 彼女達は好きな……いや、大切な人を失う呪いにかかってるって事なんじゃないのか? 」
『…………さああねえ……でもあんたあの未亡人の子に好かれてるとか思ってんだ? 超うけるんですけどおお! 』
それきりクルトクニルは黙ってしまった。僕も随分と長風呂してしまったようでちょっとのぼせて来たようだ。
身体が火照って仕方がない。10数えたら風呂から上がろう。
しかし僕は1つのカウントさえ数える事無く、そう考えた次の瞬間には浴槽を飛び出していた。
「あっちいいいいい!!! 」
なんだ! 風呂が煮えてるぞ! 浴槽を見るとお湯がボコボコと音を立てて沸騰している!
飛び出すのが一瞬遅かったら僕は釜茹でになっていただろう。
『ねええ? 分かったあ? 人間を殺すのなんか超簡単なんだからあ、あたいがあの紗希って女殺してやるよ』
クルト・クニルの赤い口が耳まで裂ける。
『あたいの魔法でさあああ! あんたを救ってやるよぉぉっ! 』