京都 8
京都編ラストです
帰り支度を終えてドアを開ける。なんだか随分長いこと京都にいた気がするけどたったの2泊なんだね。
新幹線の時間まで間があるけど、園歌にお土産でも買って帰ろうと、僕は早めにチェックアウトを済ませる。
クルト・クニルは静かにしている。たぶん寝ているんだろう。
僕達の泊まっていたホテルは駅内にあるため、京都駅から出るのは今日が初めてだ。
今日は天気もよく絶好の観光日和だが、そんな時間はない。
一刻も早く園歌に会いたい。普通の生活に戻りたかった。
僕は以前友人にお土産で貰った抹茶サブレの味が忘れられず、その店を求めて京都の駅から外へ、記念すべき一歩を踏み出した。
と思ったらすぐに駅に戻った。
ビックリしたからだ。口から心臓が飛び出るほどに。
久しぶりに浴びた直射日光。日差しは柔らかく気持ち良い。だが……
ごくりとつばを飲み込むと、僕はそうっと京都駅の「陰」から出る。
熱いお風呂にでも入る時みたいに片足を、ゆっくりと、直射日光にさらす。
間違いなかった。
影に、僕の影に「色」が着いている。気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い! 影って普通黒いもんじゃなかったっけ?
影に色が付くだけで、こんなにも容易く僕の心の平穏は崩れてしまうのか!
ちなみに僕は黒いデニムに、イエローとレッドのはでな色のショ-トブーツを履いている。
しかし僕の影は厚底の白いサンダルのようなものを履いていた。
更に足を駅の外。直接日の光にあたる場所にさらすと、影も僕の動きに合わせ足を伸ばす。
色のついた僕の影は膝上くらいまでの長いソックスをはいている。どう見ても僕の足より細い。
思い切って手を出すと明らかに僕の手と違う、女の華奢な色白の手が地面に映る。握ると影もグーを作り、開けばパーを作る。
どうやら僕の影で間違いないようだ。
僕は思わずしゃがみこみ溜息をつく。
あの女か……
クルト・クニル……どこまで僕の日常を壊していくんだ……
僕は脱兎のごとく太陽に向かって走り出す。僕の後ろを影がついてくる。
人目のない、かつ直射日光にさらされる場所を探す。300メートルほど走るとそこは趣のある住宅街になる。
遠くに5重の塔が見える。
僕は道幅の狭い道路の真ん中に立つ。
今僕の後ろには僕の影があるはずだ。黒くて見慣れた僕の影が。
僕は恐る恐る振り返る。
「……きゃあああああああ!! 」
いまのは僕の悲鳴だ。
悲鳴自体上げるのが初めてだった。僕はこんな悲鳴を上げる人間だったんだな。
うん、勉強になった。男らしい悲鳴の練習を明日から始めよう。
僕の影はスカートを履いていた。
大慌てで己の姿を見る。スカートは履いていない。とりあえずホッと胸を撫で下ろす。
僕の影は金髪のツインテールになっていた。
今はお人形のような顔で眠っている。袖のない超短い白いブラウスはかろうじてその大きな胸のふくらみを隠している。
パッと見分かり辛いが、女子高生の制服を大胆にアレンジした感じだ。お腹は丸出しだ。
ブルーの細いネクタイに、とても短いチェックのスカートから白い足が伸びている。
まるでよく出来た3Dマッピングでも見ているみたいだ。
「てめえ! 僕になにしやがった! 」
僕は自分の影をゲシゲシと踏みつける。いくら蹴ってもダメージなど無い様だが、僕の声にどうやら目を覚ましたらしい。
『ふあぁぁ……うるさいなぁ、なに朝から勃起してんだよぉ……』
寝起きに下ネタぶっこんできやがった。
「勃起なんかしてねえよ! なんだこれは! 説明しろ! 夕べはお前普通の影だったじゃねえか! 」
『あたいはなんもしてないよぉ……んじゃおやすみ……』
「アンニュイな感じ出してんじゃねえよ! このやろう! 起きろ! 」
僕は大声でクルト・クニル、僕の影に向かって怒鳴る。
僕の後ろのお宅の窓がガラリと開く気配に振り向くと、ピシャリと閉まった。
……通報しないでください……
僕は全速力でその場を去った。くそう、泣きたくなって来た。
本当にこいつが何もしていないとしたら、原因は直射日光という事か?
全力で走る僕の前を金髪ツインテールが走る。寝たまま全力で走る。
前を走るというと、なんとなく後姿を連想するがクルト・クニルは僕のほうを向いたままだ。
今まで影の裏表なんて考えた事も無かったけど、鏡みたいに影は映っているんだな。
僕の影は大きな胸とツインテールを暴れさせながら全力で走っているが、彼女が目を覚ます気配は無い。
などと影に気をとられて走っていたら、歩道の段差に気付かずに躓いてしまった。
「きゃ、うわっ! 」
咄嗟に悲鳴を押し殺して男らしい悲鳴に切り返る。
何とか手を突いて大事は免れたが、目の前には美少女の顔がある。
「うわ、すいません! 」
思わず飛び退くが、それはクルト・クニルの顔だった。
僕の手には美少女の柔らかい感触ではなく、固いアスファルトの感触が残る。
本当に使えない、色がついている以外本当にただの影だ……おや?
僕はアスファルトにお尻を付けたまま、自分の影を見つめる。
金髪ツインテールの影も、お尻を付いた僕と全く同じ格好で眠っている。
僕は真理を覗く。
学者は顕微鏡を覗き、女はショーウィンドウを覗く。神は地上を覗き、男はパンツを覗く。
……男なら見つめる。そう、今をときめくアイドルだろうと、御長寿世界一だろうと、男なら本能的に見つめるだろう……
僕は大きく片足を上げてみる。クルト・クニルも大きく足を上げる。
自分の胸を触ってみる。クルト・クニルも自分の胸を触る。
揉んでみる。
『スパーーーーン! 』何者かに頭をひっぱたかれた!
「なにやってんのよ! 」
強引に襟首を掴まれて物凄い力で僕は引きずられていった。
細い路地の暗く人目の無い場所まで僕は引きずられた。僕を引きずっていたのは大樹さんで、頭を引っ叩いたのは美歩さんだった。
「ああああ恥ずかしい! なんで道路の真ん中で自分の乳揉んでんのよあんた! どんだけ他人の振りしようと思ったことか! 」
「あれ? 美歩さんじゃないですか? それに大樹さんも」
「あれ? 美歩さんじゃないですか、じゃないわよ! 平祇くん! 」
「転んだと思ったら、その場で片足上げて自分の胸揉みだしたときは、俺も思わず通報しそうになっちゃったよ? 」
そうか! 僕以外の人間にはクルト・クニルの声が聞こえないのと同じで、あの影も他の人には普通の影にしか見えないのか。
と、いう事は……
うわあああああああ!
目の前のパンツに気をとられて僕は何をやってたんだ! 誰も見ていないと思っていたのに。
何たる不覚、何たる醜態。僕が武士ならこの場で腹を掻っ捌いていただろう。
武士じゃなくて良かった。
僕は何とか平静を装って立ち上がる。心臓はまだ早鐘を打っているが、全身全霊を持って平静を装う。
僕は園歌の兄だ。兄が変態では園歌があまりに憐れじゃないか。
「すいませんでした。転んだ時太ももとあばらを激しく痛めたものですから」
「え? そんなに派手に転んだの? 普通に手を突いただけに見えたけど? 」
美歩さんの観察眼は鋭かった。しかし一度吐いた嘘は突き通さなければ無意味になる。全ては園歌のためだ。
「はい。ただ転んだだけに見えて、踵骨によって腸脛靭帯を暗黒打撲によるドロアです。更に上腕肘硬骨による助骨および大胸乳筋の部分大断裂を確認していたところでした」
「うわあ、なんか分かんないけど痛そうね? 」
テキトウな言葉をテキトウに並べる。人が良さそうな美歩さんを騙すのは心が痛むが、これも園歌のためなのだ。
「大丈夫です。こう見えて子供の頃は剣道で鍛えてましたから。ところでどこで見てたんですか? 周りに人がいない事は転んだとき確認したのに」
「喫茶店から丸見えだったわよ。普通の竹垣に見えて、あれ中からだと外が見えるのよ? 」
ますます恥ずかしくなってきた。喫茶店なんて有ったのか。京都の街は看板とかも控えめで分かりにくいんだよ。
しかし僕は園歌のために毅然とした態度を保ち続ける。恥ずかしがったらむしろ怪しまれてしまう。
堂々と強引に話題を変える。
「今日はいい天気ですね? 」
大人な2人は戸惑いこそ隠さなかったが空気を読んでくれたようで、僕の路上乳揉み問題は棚上げにしてくれた。
美桜木夫妻にはクルト・クニルの事も呪いの事も話していない。幸留ちゃんの事もある。これ以上不安の種を増やしたくないと思ったからだ。
昨日は沈んだ色をしていた美歩さんも、今はこうして普通に振舞っている。
お茶でも飲んでいこうと大樹さんは誘ってくれたが、そこまで強いメンタルは持ち合わせていない。
この喫茶店に居る人達は皆、僕が路上で自分の乳をもむ姿を見ていたのだからノコノコと入って行けるわけない。
僕が断ると2人は少し顔を見合わせて、「そうだな新幹線の時間もあるだろうしね」と優しい笑顔を見せてくれた。
「一刻も早く帰りたかったろうに、悪かったね。君とゆかりさんには随分世話になった」
「ホント、2人がいていてくれて心強かったわ」
「とんでもないです。何も出来ませんでしたし……幸留ちゃん早く帰って来るといいですね」
2人にお礼なんか言われるような事はなにもしていない。
「はは、本当に君はしっかりしてるな。でもゆかりさんはそんな君のことを心配していたよ? 君は誰かのために我慢することが普通になってるって」
「ゆかりさんが? 」
「御両親の事や、妹さんのために進学しなかった事、今回の事件でも君は誰よりも落ち着いて見えた。彼女は君の我慢が、いつか君の心を殺してしまうんじゃないかって心配してたよ」
「ゆかりさんがそんなことを……でも心配しすぎですよ、ゆかりさん。僕、別に我慢してるわけじゃありませんから」
「俺も彼女は心配性だと思う。でも、せめて君に自分が我慢していることに気付いて欲しい。と彼女に言われた時、俺は妙に納得出来たんだ」
大樹さんは、まあ年取ると説教くさくなるから、話半分くらいで聞いてくれ。と笑い、
「人のため家族のために尽くすのは美徳というが、度が過ぎると悪癖だからね。おっさんの戯言と思って、ちょっとだけ考えてみてくれ、尽くん」
大樹さんは僕の名前を呼ぶと、僕に向かって手を振った。
僕は2人に別れを告げると京都駅に向かう。
平祇尽。
両親が何事も全力で尽くせと名付けてくれた名前だ。
なかなか両親の願い通りにはできないけれど、名前負けしてるんじゃないかと時々思うけど、僕はこの名前が好きだ。
僕は園歌とおじさん、それに職場の皆にお土産を買うと新幹線のホームへ向かった。もう懐かしささえ感じる我が家へ帰ろう。
京都編終了です。話の展開遅いのに読んでくれてる方には感謝です。
感想アドバイス等ありましたらよろしくお願いします。