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親愛なる怪物たちへ  作者: 101
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04:Mads

 満天の星空の下、香山はあぜ道を歩いている。懐かしい故郷の空気が頬を撫で、靴裏には柔らかな土の感触が伝わって来る。


 香山はそれが夢であることを知っていた。明晰夢というやつだろうか。何気なしにじっと自らの掌を見つめ、五本の指を動かして握ったり開いたりを繰り返す。


「何で、俺はこんな所にいるんだっけ?」


 曖昧な記憶の中で、しかし立ち止まることだけはせずに見慣れた細いあぜ道を歩き続ける。青白い光の玉が香山に並んで漂い、その数を段々と増やしていた。


 彼はそれを蛍だと思った。故郷でもめっきり見なくなったらしいゲンジボタルの群れを、香山は連想した。しかしよくよくそれを見てみると、まるで異なるものであることが分かった。


 光の玉の中心部にあったのは、その発光と同じ色彩を持つ青白い石であった。そして香山にはそれが何であるか、しっかりと記憶に残っている。


 追いかけ、同じ速度で進み、ある場所で光は一瞬だけ爆発的に強まって消失した。石はもうくすんだ鈍色でしか無く、力無く地面に落ちて砕ける。粉末状になったそれは、風に吹かれて跡形すら残さない。


 忘れたことなど一時も無かった。故郷を離れる切っ掛けとなった、あまりにも忌まわしい記憶の情景。


 彼女はもういない。空っぽの墓が、そこにはあった。



 目を覚ます。見慣れない真っ白な天井と柔らかな電灯の光が香山の目覚めを迎え入れた。


 起き上がろうと手足に力を入れる。しかし両腕両足に革製の枷がつけられており、拘束台の上で身動ぎひとつとることは叶わなかった。首を動かして周囲を見ると、白い壁と金属製の扉が見えるだけで他には何も無い。


「ぐ、つっ……」


 全身の筋肉が攣りかえったように痛い。歯を食いしばって苦痛に耐えるが、それは彼の体力を削ぎ落とすだけで何の効果も無く、次第に香山は動く気力を失って行った。微かに鼻腔を這うのは、空調から漂うある種の特徴的な臭いだ。それ以外の刺激は驚くほどに存在せず、香山の不安を逆に煽る。


「(これから何をされるんだ、俺)」


 四肢の縛めはあまりにも硬く、彼に逃げ出す術はない。生かされているという現状は、この場において更なる苦痛を受ける可能性を孕んでいた。


 時間の感覚が無い。しかし、枷の当たる辺りの肌が赤く擦れており、そこそこ長い時間眠っていたのだろうと予想する。だが、だとすると疑問が残る。


 何故、香山は無事なのか。彼自身、それが一番最初に浮かんだ疑問だった。


 よりにもよって嫌な予想ばかりが浮かぶ。拷問、投薬実験、エトセトラ……エトセトラ……。今回ばかりは思い込みでは無いと香山は確信していた。目の前にはっきりと浮かび上がった想像が、空想でも妄想でもない現実に起こり得る事であると。


 部屋の扉が静かに開いた。黒服達に雑ざって白衣の男女が五人、手には紙の束やペンを持って香山のいる拘束台をぐるりと囲んだ。その内の一人、丸く大きめの眼鏡をかけた白衣の女性が話を切り出した。


「ハローハロー、お目覚めはいかが?」

「最悪だ」


 香山は反射的にそう吐き捨てた。それを聞いた女性は「まぁそうだろうねー」と悪びれる様子も無く、手元の紙にペンを走らせている。その周りの白衣の男女達――以下、研究者達――も同じように書きこみを行なっており、香山は自分がモルモットになった気がした。


 否、これはまさにモルモットの――実験動物の――扱いなのではないか? 研究者達の香山を見る目は人間を見るものでは無く、籠の中でその日を迎えるまで何も知らずに滑車を回すネズミを見るような、憐れみを含んだ冷たい視線だ。


「オイ」

「ん、何かしら?」

「俺はこれからどうなるんだ」


 研究者の女性はその質問に対して、下唇に指をあてるようなポーズをとって思案する。そのポーズを止めたかと思うと、胸の前で腕を組んで説明を始めた。


「あなたはアンコモンに関わり、その影響を受けている。このまま放置するわけにはいかない」

「……アンコモン?」


 香山は疑問の声を上げるが、女性は構わず話を続ける。


「貴方と№98との間に何らかのリンクが繋がっているのは事実。私達はそれを解析し、この先影響を受けることの無いように、また受けたとしてもそれを無力化できるように対策を練る必要があるわ」


 何を言っているのか半分ほどしか理解出来ないが、流れから察すると№98とはアガシオンの事だろう。そしてアンコモンとは彼女達の様な、『普通ではない人間』のことを呼ぶのだろう。


「どうするつもりだ」

「まずは色々とデータを採らせてもらうわ。血液、脳波、筋電その他諸々、爪の垢に至るまで全部ね」


 部屋の中では研究者達が忙しそうに歩き回る音が聞こえる。金属同士が擦れる音や、何やら大がかりな機械の起動する音など、それらは香山を精神的に追い詰めるには十分過ぎるほどのものだった。


「安心しなさいな、香山 冬樹君」


 女性の口調はあまりにも軽く、その真剣さを感じさせないフランク過ぎる態度に、香山は不安を感じずにはいられなかった。手の上でメスを弄び、アルコールの中――臭いで分かるほど強烈な――に放り込んで言った。


「不安なんて感じていられなくなるんだから」


 その言葉の真意を理解したのは、猿轡を噛まされ、目の冴えたままメスを皮膚に突き立てられた時になってからだった。



 何時間経ったのか分からない。体感時間では何日、何年もの間苦痛を受け続けていたかのような錯覚を感じる。相対性理論を、苦痛と快楽による時間経過に関する感覚の違いで表したのは何処の人だったか。中々洒落が利いているなと、香山は余りに酷い現実から逃避すべく意識を空想の世界へと飛ばした。


 麻酔無しで切り刻まれた腕には何重にも包帯が巻かれ、血液が不足して頭がくらくらする。採取が終了した後には痛み止めと造血剤が処方されて、腕には点滴の管が繋がって香山の体内に必要最低限の栄養素を送り続けている。


 香山は、「腹も開いておこう」と言われなくて良かったと心から思う。あの施術中の会話から考えるに、例え開腹するとしても麻酔は使われないのだろう。MRIで写真を撮られただけで終わったのはラッキーだったといわざるを得ない。間違いなくあの研究者は必要ならば『やる』。被験者の意思も人権も無視してでも、必要とあらば躊躇うことは無いだろう。


「(腹、減ったな)」


 結局朝食も抜いてしまった。考えてみれば昨日の夕食から水の一杯も腹に入れていない。胃酸が濃くなって腹のあたりが痛む。『ぐぅ』と結構大きな音がして、香山は溜息を吐いた。


「(あいつは大丈夫だろうか)」


 アガシオンは何処に居るのだろうか。腹を空かせてはいないだろうか。怪我をしていないだろうか。そんな事ばかりが脳内をぐるぐると回る。自分よりは大丈夫なはずだと言い聞かせるが、どうしても頭の中に不安がこびり付いて離れない。


 不意に扉が開いた。香山はそちらへと首だけを動かして視線をやる。


「失礼するわ」


 そこには先程――とはいっても何時間も前の話なのだが――香山達二人を追い立てた黒服の中で、リーダー格のような動きをしていた女性だった。手にはじゃらじゃらとした鍵束を持っており、その内の一本を香山にも見えるように指でつまんで掲げた。


「お前は……」

「私は吹深という者よ。データ採取の続きをしに来たわ」

「出来れば痛い目に遭うのはもう御免なんだが」


 また身体を刻まれるのかと思うと怯えずにはいられなかった。香山は出来るだけ平静を装ったが、おそらく声は微かに震えていたはずだ。それを見抜いたかのように、吹深と名乗った女性は薄く笑って話を始めた。


「安心しなさい。あなたの身体からは何も検出されず、これ以上の採取も無駄だと結論が出たわ」

「? なら……」

「残念、あなたを解放してあげる訳にはいかなくなったのよ」


 他人事のような口調に腹が立ったが、歯を食いしばって堪えた。考えてみれば、向こうにしてみると他人事以外の何ものでもないのだ。心配してもらえるはずもないし、同情なんてしてもらえるわけも無い。


「何故だ」

「あなたが№98……アガシオンの性質上特異な位置にいることが分かったからよ」


 そう言うと吹深は香山の足枷を外し、腕枷を外し、新しく手錠を取出して腕を縛めた。そして「お腹空いたでしょう?」と言ってブロック状の携帯食料を取出すと香山に持たせた。


「チーズ味は嫌いかしら?」

「いや、そうでもない。どうしてだ?」

「中々に険しい顔をしていたものだから」


 「誰のせいだ」と叫びたい衝動を何とか抑え、香山は拘束台から降りて二本脚で立つ。首をゴキゴキと鳴らして身体を解し、床擦れでひりひりする背中の痛みを何とか堪えた。


 吹深は香山に目配せし、扉を開いて廊下へと出た。香山もそれに続いて廊下に出ると、背後でプシュウという音がして扉は閉まり、施錠された。


 廊下には別段特筆するようなものもなく、酷く殺風景な白い壁が遠くまで続いているだけだった。幾つもの部屋が等間隔で連なり、その内の一つのドア表面にある操作盤にIDカードを当てて扉を開いた。


 香山の目に飛び込んできたのは、これまた特筆することの無い、極々普通の部屋だった。ビジネスホテルの一室のような風景を想像すると近いだろう。木製のチェストに小さな化粧台があり、シンプルだが見るからに質の良いベッドが部屋の奥に鎮座している。


「!! 御主……香山さん!!」


 アガシオンはベッドに腰掛け、足をぶらぶらと揺らしていたが、香山の姿を見止めた途端に立ち上がり、その前まで近付いて姿勢を正した。どうやら無事だったようだ。香山はその元気そうな姿を見て、安心したかの様に椅子に腰掛けた。


「香山さん、その腕の怪我は?」

「あ、ああ、これか。逃げる時に怪我をしたようだ」

「そうですか……」


 こう答えるのが無難だろう。馬鹿正直に答えれば、アガシオンはすぐにこの部屋から跳び出して研究者を探し出して八つ裂きにするかもしれない。それはそれで望むところではあるが、彼女に手を下させるのは心苦しいものがある。


 自分で言っていて馬鹿げたことだと思う。しかし、アガシオンはそういうものなのだ。彼女ならばやりかねないだろうと、香山は心の底から思った。そしてその馬鹿げた事実を現実であると半ば納得している自分の頭に愕然とし、その適応力にほんの少し関心したりもした。


「申し訳ございません、香山さん」

「……いや、お前のせいじゃない。だから謝るな」


 そんな二人のやりとりを見ていた吹深は、話の切れ間に割って入った。香山とアガシオンに部屋の外へ出るように促すと、扉にIDカードを当てて開錠した後に手招きをする。彼らは警戒を怠ることなく吹深の少し後ろを追った。アガシオンは香山の横に寄り添う様に、香山はそんなアガシオンを庇うように歩く。


 彼らが連れて行かれたのは、ターミナル一階に存在するカフェだ。全員分の軽食と飲み物を注文すると、吹深はポケットサイズの手帳とボールペンを取出してテーブルの上にまとめて置いた。黒いなめし皮で装丁されたその手帳を開くと、ボールペンの頭をノックしてペン先を軽く紙にあてる。


香山は縛めの痕跡の残る手首を労わるように撫でながら、その様子を窺っていた。警戒心を隠そうともせず、挙動の一つ一つに気を張っている。


「まず、あなたには私達に質問をする権利はない。弁護士を呼ぶことも、黙秘を続けることも許されていない。此方の提示する質問に出来る限り正確かつ迅速に回答すること」

「嫌過ぎるミランダ警告だな」

「内容が違う時点でそうは言えないのだけれどもね。それでいい?」

「拒否権も無いんだろう?」

「分かってるじゃない」


 コーヒーが二つとオレンジジュース一つ、クラブサンドが三人分運ばれてくる。吹深は角砂糖をコーヒーに一つ入れ、スプーンでかき混ぜてから一啜りしてから話し始めた。


「アガシオンと遭遇したのは何時?」

「警察にコイツを連れて行った日。……お前らに襲撃を受けたその前日だ」

「その時何か、この子にしなかった?」

「家の中に入れて、布団に寝かせただけだ。後は警察に連絡をして、奴らが到着するまでの間指一本触れていない」


 吹深はその会話内容を手帳に記すと、上着の内ポケットから透明なパウチを取出してテーブルに置いた。


「これに、見覚えはある?」


 その中に入っていたのは、香山がアガシオンに持たせた飴玉のパッケージそのものだった。香山は正直にそれに答えると、コーヒーを一口飲んで唇を湿らせる。そして思い出したかのように、横でじっと我慢をしている少女へ向けて「食べていいぞ」と命じた。『生理的な事』に食事は含まれていなかったようで、これに関しても自分で判断しろと言い含めると、アガシオンは素直に「はい」と返事をした。


 吹深はその一連のやり取りを観察し、それに関してメモをとっているようだった。その後少し考えるように手を顎に当てて俯くと、追加の砂糖をコーヒーに落してもう一口啜る。


「アガシオン、あなたに質問よ。この飴玉は誰からもらったの?」

「香山さん、答えて宜しいでしょうか」

「それも聞くのか。ああ、構わないぞ。というか、この場では全ての質問に対して答えていい。お前が分かる範囲でな」

「了解しました。……はい、香山さんから頂いたと、警察官の方に聞きました」


 それをメモし、「ありがとう」と一言礼を言うと、吹深はペンを止めて手帳を閉じた。ボールペンの芯を引っ込めてテーブルに置くと、クラブサンドを一口齧ってコーヒーで流し込む。


「この話の続きは後でするわ。食事を終えたら、また場所を変えるわね」


 香山はそれに従うことにした。今反抗しても何の利点も無いどころか、ここは彼女らの領地内だ。騒いだところで事態は悪くなる一方だろう。ならば素直に従った方が利口というものだ。


 まともに味のしない食事を流し込み、コーヒーを飲み干して席を立つ。吹深は伝票を取るとレジへと向かい、アガシオンは香山の傍を離れずに店の外へと歩いた。


「うおおおおおおおおお!!」


 その時、けたたましい吠え声がフロア内に響き渡る。声は入口の方向から聞こえ、それに少し遅れるように悲鳴が幾つか聞こえて来た。しかし悲鳴のはずだったその声は、少しの間を置いて怒号へと変わる。ヒステリックな雄叫びを上げて、幾つかの断末魔を交えながら騒動は段々と大きくなる。


 吹深はそちらへと向かい、香山とアガシオンの二人もそれに続いた。

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