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親愛なる怪物たちへ  作者: 101
1/6

01:Uncommon

 初投稿です。書きたいものを書きたいように書いただけなので、練の甘い所もあると思いますが、ぜひ完結までお付き合いいただきたいと思います。

「本日の晴れ晴れとした天気の下、皆様とお会いし、こうして我が市の創設五十周年を祝うことが出来たことは、私にとって何よりの喜びでございます」


 白髪交じりの頭をした小太りの男が、マイクを片手に持って演説を始める。市の職員が参列し、多くの群衆が隙間なく押し寄せる様は、まさに圧巻の一言であった。その場の全てが彼の言葉を聴き、空気に酔い、それが当然であるかのように錯覚する。


 この男、実は市長でも何でもない、只の一般企業の会社員だ。しかし周囲の人間は彼を疑わない。彼のありがたい言葉を耳にすることに、何にも代えがたい幸福感を覚える。


 あの男は市長ではない。そんなことは分かっている。だが、『それの何が問題だ?』


「我らが玻璃(はり)市は、今から五十年前――平成四十五年――に設立された都市でございます。日本列島から生み出た果実のように造られ、今現在も開発が進む、まさに未来を生きるための街と言っても過言ではございません」


 演説は終わらない。宗教染みた熱狂の中、羨望と畏敬の色が群衆の瞳に宿っている。彼は彼らの偶像であり、全ての人が彼を支持していた。


「目標を捕捉。アンコモンの存在を確認」


 その群れを遠巻きにして、数名のスーツ姿の男女が様子を窺っている。彼らは少しずつその包囲を狭め、気配を殺して次第に群衆の中へと溶け込んでいく。


 脂ぎった顔をハンカチで拭いながら、男は満足感に満ちた表情で演説を続けている。話も佳境に入り、多くの人々が感動に胸を打ち震わせていた、その時である。


「今だ、捕らえろ!!」


 群衆の中に紛れていた数人の男達によって、一人の少年が捕らえられた。周囲は一時騒然としてパニック状態に陥りかけたが、一人の女性が手を彼らの前にかざすと、それに押し止められたかのようにピタリと治まった。


 組み伏せられた少年は、心底悔しそうな表情で男達を見上げている。パーカーの裾は土に汚れ、顔に出来た擦り傷の痛みに呻く。


「アンコモン№93、確保しました」

「放せ、放せよ!!」


 女性は無線機を通し、彼女達の上司へと連絡を取る。イヤホンの向こうから厳格そうな声の男が支持を出すと、女性は懐から注射器を取出して首筋へと押し当てた。№93と呼ばれた少年は最初こそ抵抗したものの、薬が回って来たのか段々と動きが鈍くなり、終いには動かなくなった。


「保護、完了。周囲への記憶処理の後、帰還致します」



 東京都から海底トンネルを通り、自動車でおよそ二時間の距離にある街、玻璃市。海の中に浮かぶ、東京二十三区を合わせたくらいの大きさをした島である。市民は立候補者の中から抽選で選ばれ、この街で行なわれるあらゆる生活実験への協力と引き換えに、税金の大幅免除などの特典が与えられている。


 日本という国家を成長させるために造られた実験都市。それが玻璃市設立の『表向きの』理由である。


吹深(ふきみ) 彩愛(あやめ)、只今帰還致しました」


 玻璃市中心にそびえるターミナルの地下一階に、それは存在した。白を基調とした殺風景な内装と、景色から浮き出るような濃い黒色のスーツを着た人間達。フィクションの中に登場する秘密結社のアジトのような、そんな分かりやすい胡散臭さが感じられる。


 国家規模機密保全団体。ここはその日本支部に宛がわれた場所だ。


 吹深は上司である戸隠に報告を済ませると、その足で真っ直ぐに地下二階へと降りて行った。エレベーターに乗り、IDカードを端末に当てると、重い機動音を鳴らしてエレベーターは動き始めた。


 地下二階は研究スペースとなっており、地下一階とは異なる空色の壁と、太陽光を思わせる間接照明が所々に設置されている。百を超える部屋は現在も増築されており、しかしその数はおそらく足りなくなるであろうことが予想されている。


「№93、名称『扇動者』、カテゴリーは精神感応系。干渉を受けた人間は人々の上に立つことに異常なまでの執着と幸福感を覚え、組織的なリーダーになったり、人々の前で演説を行なったりと、その欲求を満たそうと行動を起こします。そしてその活動は例外なく成功し、最終的にはその人間を神格化したかのように、多くの人間が彼の為に行動する事自体に幸福感を抱きます」


 会議室の壁には強化ガラスがはめ込まれ、その向こうには魚の群れが泳ぎ回っている。牧野(まきの) 香奈子(かなこ)はプロジェクターで映し出された少年の映像を指し示しながら、手元の資料を読み上げる。彼女の着ている白衣の袖口には青色の液体が付着し、眼の下には薄らとだが隈が出来ていた。


「この感覚はその他のどのような欲求よりも優先され、個人差はありますが生命の維持や倫理観よりも優先するケースすら存在します。これは過去に起こっているカルト事件や自爆テロとの関連性が見られ、彼がこれらに関与していた疑いすらあります」


 円卓を囲む白衣の、十名の科学者たちは、神妙な顔つきでその話を聴いていた。スクリーンには現在の№93の様子がリアルタイムで中継されている。彼は鉄扉の表面をガンガンと殴りつけ、汚らしい罵倒の言葉を吐き散らしている。


「しかし、彼はそこまで長寿には見えないが。見た目……は当てにならないとして、あの振る舞いは見たままの子供じゃないか」


 科学者の一人が発言をする。それに応えるように牧野は数枚の写真を映し出した。


「これは二十世紀のアメリカで撮られた写真です。この群衆の中に彼の姿が確認されました。そしてこの写真が撮られたとされる時期に、政治的事件が起きているのです。しかも、その動機も何もかも今になっても分からないままです」


 発言した科学者は納得した様に席に戻り、牧野は話を続ける。


「これらの理由により、№93の危険指数を3としたいと思います」

「3? 4では無くてか」

「彼の干渉範囲は狭く、また直接目を合わせなければ干渉は出来ません。その上、彼の思い通りに動かすのではなくあくまで被干渉者の思考に基いて行動を起こす為、効力の精度、範囲から3と判断いたしました」


 反対の手は上がらない。手元の資料をまとめると、牧野は一礼をして席へと戻った。議長席に座る年長の男性は、しわがれた声で会議の終了を宣言し、震える足で立ち上がって部屋を出る。その後ろに数名の職員が付き従い、まとめて部屋から出て行った。


 牧野はプロジェクターの電源を落とすと、ノートパソコンを脇に挟んで部屋を出る。IDカードを部屋の前の端末に当て、消灯と施錠を確認してからその場を離れた。


「あら、牧野」


 声をかけて来たのは彼女の同僚である吹深だ。実行部隊と研究職という違いはあるが、彼女らはよく共に食事に行く程度には仲が良い。


「吹深、戻ってたのね」

「ええ、あなたは?」

「あなたが捕まえて来た№93のランク指定のための会議よ。明日にはランク3房に移されるわ」

「へぇ、ランク3ねぇ……」

「あなたこそ、何で地下二階にいるのよ」


 地下二階は研究スペースで、アンコモンの収容施設もある。収容施設と言っても、人間が暮らすには十分な設備と広さがあり、娯楽も地下三階のスペースで供給される。実際過ごしやすく、外の生活と何ら変わりは無い。唯一、太陽の代わりに人工灯を用い、空調ダクトから外部の空気を取り入れている以外は、だが。


 しかし彼女を始め、実行部隊が足を踏み入れることは滅多にない。彼らはアンコモン達をこの場所へと閉じ込めた張本人達であり、多くのアンコモン達は彼らを恨んでいるからである。滅多には無いが、年に何度か実行部隊の人間が襲撃を受け、その殆どが再起不能になるまで痛めつけられている。精神的にも、肉体的にも。


 彼らは頭がとても良いか悪いかの両極端で、知能の高い個体は自らを捕らえた人間の顔を半世紀は忘れない。恨み、怒り、復讐の炎を胸の内に灯し続ける。


「№45辺りに見つかったら不味いわよ。あの子未だにあなたに蹴られたこと恨んでるから」

「あれは自業自得じゃない!」

「そんなこと彼にとっては関係ないのよ。それに、あの子が乗っ取った人間で何をするのか、知らない訳じゃないでしょう? 関わらないに越したことはないわ」


 その内容について口頭で述べることは憚られる。文章であっても、吐き気を催すほどに非道で恥辱に塗れた、邪悪な数々の事柄に関して記すことは苦痛の極みである。それが個人の名誉を傷つけ、自尊心を奪い取るものだったという事だけは確かだ。


「ま、脱走の三度目は殺傷許可が下りるわ。そうなれば入れ替わられた人には悪いけど、本体を撃ち殺せば終いよ」


 物騒な話を続けながら、二人は資料室へと入る。ここには過去に起きたアンコモン関連の事件が個体別にまとめられており、保護したアンコモンへの対応の仕方を研究するための資料として活用されている。例えば№45は『言葉を交わしてはならない』『直接触れてはならない』という具合に、その時の状況や発言録から対応策を組み立てるのだ。


 受付カウンターには痩せ細った男性の司書がおり、裏には膨大な資料の山が見え隠れしている。その後ろでは雑用の女性が本の山を右から左へと運び出している。男性は吹深を見止めると、丸眼鏡を下へとずらして応対の姿勢をとった。


「おや、珍しい。何をお探しで?」

「未判定百集②の7番と22番。単なる怪力でねじ切られたドアノブと、ビルを跳び移る子供の資料」

「!! ほう、進展があったのかい?」


 それを聞くと、吹深は微妙そうな顔でこう答えた。


「市内でまた同じようなケースがあったのよ。しかも、同時刻に同じ場所でね」



 その日の彼は、あまりにも運が無かった。コンビニに食糧を買いに来ただけだというのに、まさか強盗に出くわすとは思わなかったのだ。香山(かやま) 冬樹(とうき)はその日、生まれて初めて驚きで腰が抜けるという体験をした。


 しかしその原因は強盗ではない。陳列しているのが店長の趣味としか思えないほどクソ不味い飲料が完売していたことでもない。


「う、ぎぃ……」

「御主人、怪我はございませんか」


 勇ましくも目の前で強盗の首を折りかけている少女は、明らかに香山の方を見ている。その手には男が持っていた銃――モデルガン――が握られており、銃口はあらぬ方向を向いている。作り物とはいえ素手で銃のノズルをへし折る少女を目の前に、男はただ怯え、それ以上の行動を起こすことは無かった。


 それは周囲にいる人質達も同様である。恐怖はすでにこの店全体へと染み渡り、その対象が幼い――十代前半程度の――小娘であるというちぐはぐさから、店内の全員が混乱して身動きが取れないという状態だ。


「御主人?」


 香山の目の前に屈み、顔を覗き込む。その姿は可憐であり、精巧な人形のようだ。片手で成人男性を床に押さえ込んでいる点を除けば普通の子供にしか見えない。


 その様子に、店中の視線がそちらへと移る。この異常の原因が香山であるかのような、責める視線、というのだろうか。『取りあえずその化物を連れて出て行け』というメッセージが伝わって来るようだ。


 香山もそれに気付いたのだろう。パクパクと口を開閉させながらも呼吸を整え、懸命に言葉を紡ごうとする。少女はそれを訝しげに見つめるだけで、男を床に押し付けながら返答を待っていた。男はすでに息も絶え絶えで、上手く呼吸が出来ないのか小さく痙攣を繰り返している。


「! まさか何処かに怪我を!?」

「ち、違う。怪我は無い。……そう、だ。よくやってくれた。そいつを放してやってくれ。死んでしまう」


 少女は男の首から手を放す。香山は首で脈をとり、生存を確認すると、店長にその後の処理を頼んで店から出た。すぐに警報が鳴り響き、数分も立たない内に警察が到着した。


 香山は思う。どうしてこうなったのか。


 それは数時間前、彼の住むアパートの前での一連の出来事に起因する。



 その日の彼は、あまりにも運が悪かった。バイト先ではクレーマーに当り、傘を盗まれ、側を通ったトラックが水溜りを踏んだおかげで頭から泥水に塗れた。家に着く頃には雨は止んでいた。最早その役割を果たさないであろう、泥水を吸ったハンカチで表面の土を拭き落すと、ポケットから家の鍵を取出して階段を上った。


 四十五年の年季の入った階段はキシキシと音を立て、表面の塗装は剥げてその下のステンレスが露わになっている。何時もの通り上り切り、その右手の方に彼の部屋はある。


 しかし、その日は少し違っていた。ドアの前、少し目線を下へずらした所に、見知らぬ子供が倒れているではないか。服装は緑色の、手術用のガウンによく似ている。髪は中途半端な長さの黒色で、雨や埃や皮脂で汚れていた。年の頃は中学生くらいか? 幼く、あどけなさの残る顔立ちをしていた。


 香山は鍵を開けると、その子供を多少乱暴な方法にではあるが家の中へと引っ張り込んだ。言っておくが、彼に『そういう』趣向は全くない。ただ、このまま放置するなどというマネが出来る程外道でもなければ冷酷でもなかった。


 敷きっぱなしの煎餅布団にその子を横たえると、電話を手に取って警察へと繋げた。どう考えてもこの子供はとびっきりの厄種だ。現代日本でこんな状況に陥ること自体マトモではない上、少女もとてもではないが普通とは思えなかった。


 数分後、警察が到着した。事情聴取のため同行する必要はあったが、どうやらいらぬ誤解は生まれていないようだ。寧ろ感謝、若しくは『大変だったね』という労いの言葉をかけられ、事情聴取も一時間も掛からないだろうと告げられた。


 自家用車のような外装の車に二人は乗る。住宅街用のパトカーであると教えられた。なるほど、これならば無駄な混乱を招くことは無い。警察車両に乗ったということは、その人間が有罪か無罪かに関わらず良い印象を生まないからだ。パトカーが、しかも住宅街を走っていたならば嫌でも目立つ。近所ならば走って来た方向で個人も特定出来るだろう。


 香山はまだ目を覚まさない少女を隣に座らせ、しっかりとシートベルトを締めた。


「ん?」


 何の気も無しに自分のポケットを探ると、がさりと音がした。音の主は小さな飴玉で、その日にバイト先の休憩室で同僚に貰ったものだった。少し溶けてはいるが、まだ食べられそうだ。


 香山は飴玉をその子にあげることにした。掌に握らせ、自分もシートベルトを締めて座り直す。警察官が運転席に座り、助手席にその部下が座った。運転中、部下は何処かに電話をかけていた。「中央」や「確保」などの言葉が聞こえたが、香山も疲れており、意識も朦朧としていたため、それ以上聞くことは出来なかった。


 玻璃市警本部に到着した。警察官の声に目を覚まし、車から降りる。桜の代紋が入口上部に鎮座しており、ロビーには人影も疎らで、生活科の職員は無理難題をのたまう相談者への対応に追われている。


「こちらへ」


 その後の聴取は迅速に終わった。子供の方は警察で保護し、しばらくは施設に入れることになるという。


 香山といえば、普段中々目にする機会の無い部屋――所謂、取調室――に興味津々といった様子である。


「(ドラマのセットってうまく造ってあるんだな……)」


 時計はもう午後六時を回っていた。香山は警察官に挨拶をすると、署を出てから財布の中身を確認した。これから米を炊くのは面倒だから、今夜はコンビニ弁当で済まそうという腹積もりである。


 幸いバイトの給料が出たばかりで、そこそこの余裕がある。今日は疲れた。何時もより少し多めに食べて精をつけよう。麻婆丼に発泡酒、コンビーフでも付けようか。いや、呑み主体ならソーセージの盛り合わせも悪くない。そんなことを思いながら、家から少し離れた所のコンビニへと足を向けた。


 それが、こんなことになるとは。自動ドアを開けた途端にすぐ背後から聞こえた、男性の荒い息と重々しい金属音。振り返るとそこにはフルフェイスのヘルメットを被り、ピッチリとしたライダースーツを着た不審者が立っていた。不審者――以下、強盗――は香山の背中に銃――後にモデルガンと判明するのだが――を押し当て、大声でわめき散らす。


「強盗だ、金を出せ!!」


 固まる空気、客達、レジ打ちのアルバイト。香山は両手を上にあげ、降参のポーズをとる。「歩け」という命令に従い、店の奥へと追いやられた。


「妙なことすんなよ!? もしンなことしやがったらなぁ! 一人ずつ撃ち殺してやるからな!?」


 レジ打ちの青年は顔面蒼白で香山と同じように両手を挙げ、レジカウンターの向こうの壁に背をつけて固まった。歯がカチカチと鳴り、香山からは見えないが足腰は震えてとても立ってはいられない状況だろう。他の客達も同じように壁に背をつけ、なるべく強盗から距離をとろうと無駄な試みを行なっている。


 一方、香山というと、あまりの出来事に恐怖を通り越して――もちろん心の中でだけだが――笑ってしまった。間違いなく今日は厄日だ。高校時代に告白してこっぴどく振られた日も、部活中に骨折して暫く松葉杖装備になった時も、これ程のショックは無かった。


 そこまで行くと人間、逆に冷静になるものだ。香山はこの状況下にあって、どうすればこの強盗を出し抜けるかの策を、頭の中で構築しつつあった。しかしその時の彼の頭は混乱の極みにあり、その策はどうにも荒唐無稽で、打ち立てた瞬間に頭の中に僅かに残っていた冷静な自我が自分で撤回するほどであった。


「……止めとけよ」

「あぁ!?」


 気付けば香山は口を開いていた。脂汗が額に滲み出て、眼は緊張で泳いでいるが、背中越しにはその表情を確認することは出来ない。せめて声だけは自信満々のように振る舞おうと、喉を震わせ、恐怖心を感付かれない様に演じる。


「お前、そんなオモチャで強盗ごっこか?」

「なっ……」

「(ん?)」


 一瞬だが強盗の声色が変わった。馬鹿にされたことに怒るというよりも、明らかに動揺の色が感じられる。そう例えるならば、図星を突かれたときだろうか。秘密を思わぬ所で暴露された人間の反応、「何故分かった?」という不安から来る反応。


 香山は横目で商品棚の側面のプラスチックで反射し、映った強盗の手元を見た。見えるのは微かではあるが、銃の引き鉄に指は掛かっていないことは分かった。つまり、この状態でもしも撃とうとするならば、指を引っかけるだけの隙が発生する。


 しかも、これは偽物である可能性が高い。根拠は先程の反応からであるが、もしも本物の銃ならば、あのような反応は適当ではないだろう。強盗の息はますます荒くなり、緊張で手が震えていることも分かる。となると、偽物かもしくは撃ちなれていないかのどちらかだろう。


 しかし、これは博打だ。人を撃った事が無いだけだという事もあるし、撃った後の始末をどうしようかと考えているだけかもしれない。こんな所で、しかもこの時間。銃声なんてした日には即通報されるだろう。というか、もうされているかもしれない。


「そうだ、お前は撃とうが撃つまいが、もう詰んでるんだよ。銃声一つでもすれば、この一帯はパニックだろうさ。そうすりゃいくら何でも通報されるだろう。いいか? 強盗ってのは手早くやるモンだ。時間をかけた時点でお前の負けだ」


 香山は男を挑発する。強盗犯は拳銃の銃口を強く背中へと押し付け、脅した『つもり』になっているが、その実、強張った指が引き鉄に掛かるまでの速度は更に低下する。こうなればそれは最早鈍器以上の役割を果たすことは難しいだろう。


「(よし、1、2……)」


 これで相手が素人ならば、香山はもう負ける気がしなかった。頭の中で『3』の数字を弾いた瞬間、香山は後ろ手に銃を掴み、力ずくで銃口を背中から逸らした。そのまま振り向き、回転を利用して手首を捻ると、男は銃を取り落す。


「誰かそれをどっかにやってくれ!!」


 香山が大声で人質達に呼びかけると、その中にいたスーツ姿の生真面目そうな男が拳銃を拾ってその場から離れる。強盗は痛みに呻きながらも、その腕の戒めを解こうと足腰に力を籠めて勢いよく、捻りを加えて腕を振るった。


「ぐ、この野郎!!」


 強盗は腕を振りかぶって殴りつける。香山は反射的に手首を掴み、斜め下へと引き込んで体勢を崩した。その動きに合わせて首の後ろに腕を回し、頭を抱え込むようにして頭を下げさせると、相手の足を勢いよく払った。強盗は空中でグルンと回転しながら床に叩きつけられ、潰されたカエルのような醜い悲鳴を上げて蹲る。


「ぐ、ぎぃ!?」


 この時、香山は自分が相当無茶なことをしたと改めて自覚した。我に帰ったと言うべきか。銃を、本物か偽物かはっきりしなかったとはいえ持っていた人間相手を挑発し、多少の心得があったとはいえ暴力によって捻り潰す。


 無謀だ。あまりにも無謀。何故このような行為に踏み切ったのか、自分でも分からない。結果オーライではあるが、万が一銃が本物だった場合、間違いなく彼は銃殺されただろう。普段ならばこのような馬鹿げた行動はしない。しかし本当に『何故か』暴力的な手段が頭に思い浮かび、それを実行してしまったのだ。


「……のやろォ」


 強盗は立ち上がり、そこらにあったビニール傘を握りしめて、血走った眼で香山を見た。明らかな殺意が感じられ、それにあてられた香山は後退りして距離をとる。そして瞳だけを動かし、文具の陳列されている棚を確認してタイミングを計っていた。


 まただ、と香山は思う。普段の彼ならば逃げに徹するはずだ。しかしどうしたことか、今の香山に逃走の二文字は無く、その代わりに好戦的な感情が心の底から湧き上がってくる。


「……?」


 香山は微かに違和感を覚えた。自分の身体が自分のものでなく、また自分の心が自分のものでないような、そんな感覚。そして思う。


 あのスーツの男は何処に行った?


 強盗は傘を投げ槍の様に投擲し、香山はそれを寸での所で回避する。腕をとろうと懐に飛び込むが、強盗は香山の横をすり抜けて向こう側へと走って行った。


「!?」


 強盗は食品棚に何故か乗っていた、『先程取り上げたはずの銃』を手に取った。香山は解せなかった。何故あれがあんな所にあるのか。何故、強盗は銃を手にしようと思ったのか。


 強盗は引き鉄に指を掛け、迷い無く引いた。


 パァン!


 香山の顔のすぐ横を通り、銃弾がガラスにひびを入れる。香山は混乱した。十中八九モデルガンであるはずの拳銃から、本物としか思えない銃弾が射出されたのだ。そして、混乱したのは彼だけでは無かった。


「あ……え……?」


 何故か強盗も戸惑った様子で拳銃を見つめている。この一連の動作が彼の意思ではないかのように。彼自身はそれが『ただの玩具である』と認識していたかのように。


 香山は動けなくなった。先程とは異なり確実な殺傷力を持つ武器が目の前にある。この距離では引き鉄を引く方が、香山が接敵するよりも速いだろう。救いは強盗が撃つことを躊躇しているということだろうか。互いに予想外の状況に陥り、空気が張り詰め、遂には止まる。久遠にも等しく思えるほどの一瞬の後、それは起きた。


 香山の背後のガラスが、激しい音を響かせて砕け散った。小さな子供のような影が頭上を跳び越え、店の奥へと着地する。獣のように跳躍し、白い五本の指が強盗の手首を軽く握ったことだけは香山の肉眼でも確認出来た。


  バキッ、ベキベキッ!!


 まるで木の枝をへし折るがごとき容易さで、強盗の手首が有り得ない方向へと折れ曲がった。影の主はそのままの流れでヘルメットの顎部分に手を掛けると、力ずくで持ち上げて床へと叩きつけた。大の大人を子供が、片手で、である。


 これだけでも異様な光景である。香山にはその少女が――先程まで部屋の前で震えていた弱々しい少女が――、少年漫画に出てくる類の怪物のように思えた。牙も鉤爪も、当然尻尾も翼も無い。容貌は人間以外の何ものでもないのに、何故か香山には彼女が人間とは思えなかった。全く別の、それこそ『怪物』と呼称することが適切に感じられるほどだった。



 これが現在の香山の置かれた状況に至るまでの遍歴である。この後起き上がった強盗の指を砕き、肩を脱臼させ、指の力だけで自分より数段大きな体躯を持つ犯人相手にネック・ハンギング・ツリーを極めた。彼女は最初から最後まで涼しげな表情で強盗を眺め、香山に解放を命じられるまでの間、その状態を維持し続けていた。


 そして今、二人は香山の部屋にいる。香山は疲れを隠す気も無く畳の床に転がり込むが、それも無理は無いことだろう。無気力に倒れ込む香山を少女は心配そうな顔で見つめ、周囲に纏わりつく様は実家の犬を連想させた。


 とりあえず、誰かにこの現状を説明して貰いたかった。意味の解らないことが多すぎて、香山の決して出来の良くない脳味噌は最早パンク状態だ。怪力、コンビニで起きた一連の異常。全てが未知であり、香山の常識の遥か遠くに存在するものであった。


「……メシにするか」


 一刻も早くこの苦痛以外の何ものでもない問答から逃れるためには、食事をとるということは思いの外有効な手段であった。単純に空腹だという事もあるが、思考を一旦放棄して煮詰まった脳内をリフレッシュするのに、調理という作業は都合が良かった。


「オイ、えっと……」

「?」

「あー、名前だよ名前。何て呼べばいい?」


 一瞬、少女は質問の意味を図りかねたように頭を傾けた。その動きがまた犬のようで笑ってしまったが、これは妙である。この少女は名前の必要ない環境で育ったのだろうか。そう思える程にリアクションが自然で、故に人間としては不自然であった。


 僅かに思考を巡らせ、少女は重い口を開いた。


「――アガシオン」

「アガ……何だって?」

「私は、アガシオン」


 これ以上なく真剣な目で、彼女は言った。

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