第二章 これはハーレムとは呼べません……。
妙な同居生活も早いもので一週間が過ぎようとしていた。やっとではあるが、少しずつこの生活にも慣れてきて、最近は違和感すらも覚えなくなってきた。そういえば、以前は『はがない』の小鷹がずるいだとか思っていた訳だが、正直今は心の底から謝りたい。今の状況だけを見たら俺も少なからずハーレム状態と言える。同居人全員の年齢すら不明だが皆美少女である事は確かで、轟が知ったら妬みで俺を刺しかねない状況だ。
でもね、素直に俺は嬉しいと思っている反面、かなりげんなりしている訳でね? 正直誰を選ぶだとかのフラグはまだ存在していないどころか、今の俺なら軽快にハズレを選ぶんでバットエンドに進むだろう。それだけ、彼女達の生活はどこか理想には程遠いのだ。
そういえば、かなりどうでもいいかもしれないが、痛みがあった左腕もすっかり治って今はなんの問題もない。まぁ昔から怪我の治りがいいってのを特技の欄に書いてたくらいだから、大体の怪我は三日程で完治するのだ。
話は戻るが、何故恋愛には程遠いのか。冷静に考えろ? 目の前で味噌汁を啜ってる金髪は俺を殺そうとした。笑えないだろ?
左斜め前でおしとやかに白米を口に運んでいる黒髪は俺の護衛。まっ一番フラグが立ちそうだが、十六夜からすれば仕事だ。
極めつけは、俺の横で既に二杯目の茶碗に手を伸ばしている青髪だ。こいつは宇宙人だ。差別するつもりは毛頭ないが、言いたい事は分かると思う。でもこの一週間でニーナの愛らしいキャラは俺を含め他の連中も好いているらしく、妹みたいな奴だと一回風呂あがりに話した事があったな。兄弟がいない俺にとって一番可愛いのはニーナだろう。
そんな事を考えながら、俺は制服に着替え二階の一番奥にある自分の部屋を出た。一階に降りるまでには扉は四つ。外観からでも分かるかもしれないが、うちはそれなりに大きな一軒家だ。だから、二階に部屋が四つ。一階にはリビングと和室と物置部屋がある。良くも悪くも両親がいないこの家には部屋が余っている。親父は帰ってきても和室に寝るので、部屋は一人一部屋分け与えてもお釣りがくる。だからこそ、最低限のプライバシーは守っているつもりだし、覗いた事が無いため分からないがそれぞれ好きに部屋をデコレーションしている事にも文句はない。そういえば部屋を振り分ける時、十六夜なんかは俺と同じ部屋でいいとか言っていたがそれは俺が嫌だった。いや、そりゃ女の子と同じ部屋ってのは魅力的だし、部屋に入ったら十六夜が着替えの最中だったみたいな『ToLOVEる』的な展開すらちょっとは期待したさ。でも、俺の秘蔵コレクションが見つかるのは何よりも嫌だったし、俺はチェリーだ。緊張して眠れやしないだろう。
「おはようございます若。朝ごはん、もう少しまってくださいね」
下に降りると、エプロン姿の十六夜が茶碗を運んでいた。彼女の仕事は忍者で俺の護衛と家事全般。特に彼女の作る料理は、少し味にうるさい俺ですら舌を巻くほどの腕前だった。年は俺とあまり変わらないように見えるが、まるで家政婦でもしていたかのような完璧さ。今度メイド服でも着てくれるよう頼んでみよう。
「翔吾ぉ、今日のお味噌汁はニーナも手伝ったんだよ?」
十六夜の後ろで飛び跳ねてるニーナは最初料理も掃除もできると言っていたのに、どうやら何もできないらしく、特に料理の腕前は人を殺害できるレベル――というか、初めて食べた時は俺にセシル、そして十六夜までもが数時間冥界を彷徨った。全くあの時はホントに死ぬかと思ったね。地球の材料で一体どんな事をしたらあんな毒物を作れるのだろう?
だからと言う事もあり、今は家事手伝いという事になっている。
「ふあぁ。ん? 朝ごはんできたの?」
俺に遅れてリビングに入ってきたのはセシルだった。制服には着替えているものの、髪は少し乱れ気味。ちなみに掃除などはブツブツ言いながらも手伝ってくれていた。
皆一様にここに住むからには何かをしてくれている。まぁそれに関しては今のところ同居生活に問題がないと言えるだろう。
「まだできてないわ。つーかお前の朝食なんてないから」
「は? あんた何言ってんの? ちゃんとテーブルにお茶碗四つ並んでいるじゃない」
これがなけりゃな……。
「これは良く食べるニーナの分よ」
確かにニーナの食欲は人知を超えていた。宇宙人だからと言えば妙に納得なのだがな。
「じゃ私のは?」
「食べたいの?」
「食べたいに決まってるじゃない」
「じゃぁ跪いて朝ごはんを恵んでくださいって言え」
「っ! 嫌よそんなの!」
この二人は根本的に合わないらしく、顔を合わせりゃこれだ。俺は呆れてものも言えないし、ニーナはそれを見て何故かニタニタ笑ってるし。
「ほら、二人とも。私が作ったお味噌汁で仲直りしてよぉ」
頭の上に星が飛んだままニーナが仲裁しようと中に入る。ここ数日でこの光景を何度見た事だろう。セシルと十六夜が喧嘩し、ニーナが仲裁する。それが徐々に生活の一部になっていく事が、俺には少し不安で恐ろしい。
てかもういい加減にしてくれ。
「ほら、みんな席座れよ。飯にしようぜ」
「若が言うなら」
「ふん!」
二人とも何かを言いながら、なんだかんだ席に着く。
「じゃぁ、いただきます」
『いただきます』
みんなで手を合わす。周りを見渡せば美少女達が料理に手を伸ばしている。今日の朝食は白米に焼き魚。ほうれん草のお浸しに味噌汁といった典型的なものだが、今まで朝を抜いていた俺にとってはかなり贅沢なものだった。それに一緒に朝食を食うなんてのは何年ぶりだろう。母さんが死んでから親父も帰ってこないし、もう五年近くになるか……。ったくあのクソ親父、いい加減帰って来いっての。
その時だった。テーブルの端に置いてあった携帯が、聞きなれた着信音を奏でた。
「翔吾ぉ、電話だよ?」
「分かってる。ご飯中だけど、電話出るぞ?」
三人は料理を口に運びながら頷いた。俺は携帯を手に取り、相手の名前が表示されているであろうディスプレイを見た。
『鳴海大吾』
噂をすればなんとやらってやつだな。てか数日ぶりに親父から電話がきたのだが、こんな早い時間に一体何の用だろう。俺は少し疑問を持ちつつ、通話ボタンを押して携帯を耳に運んだ。
「もしもし?」
『あ、もしもし? こちら親父。こちら親父。息子ですかオーバー?』
「えー、人違いです。オーバー?」
『すいません、間違えました。オーバー?』
俺は通話終了のボタンを押して、テーブルの端に携帯を置いた。
「何? 誰からの電話?」
セシルが味噌汁を飲みながら聞いてきた。元々セシルは和食が好きらしく、特に味噌汁は好物らしい。それはそうと、実際に口を開いたのはセシルではあったが、他の二人も箸を止めて俺を見ていた。
「間違いだってよ」
「随分と無線みたいな間違い電話でしたね。本当は若の知り合いだったのでは?」
「いや。あんなの俺の知り合いじゃない」
「そうですか」
そう。あんな変人俺の親父じゃない。だが、その変人の名前を浮かべて携帯はまた荒々しく鳴った。
「翔吾ぉ、また電話ぁ」
「分かってるって」
俺は通話ボタンを押しつつ、携帯を耳に当てた。
「もしもし?」
さっきよりもめんどくさそうに――というか、めんどくさいのでわざとらしく息を大きく吐いてそう言った。
『やっぱり間違ってなかったみたいだな。おい、ひでーじゃねーか。親父からの電話を無碍にすんじゃねーよ!』
「じゃぁ息子にだりー電話をかけてくんじゃねぇ」
俺が息子という単語を出した瞬間、セシルと十六夜は目の色を変えた。そりゃそうだろ。元凶様だからな。呑気に三杯目のおかわりをするのはニーナだけだった。
『すまんすまん。これから気を付ける』
「それで? なんの用だ?」
『何の用だとはひどいじゃねーか。明日の事、まさか忘れちゃいねーだろうな?』
明日? 明日何かあったか? 親父の誕生日はまだだし、俺のもまだだ。お盆でもないし……お盆?
「ああぁぁぁぁぁぁ!」
あまりの大声に、セシルと十六夜は何事かと立ち上がり、ニーナは喉に飯を詰まらせて目を見開いていた。
『おい! 耳がキーンとしちまったじゃねぇか』
「あ、あぁ。悪い」
明日は何の日か。最近色々ありすぎて、完全に忘れていた。
明日は母さんの命日。と言う事は……。
『俺、今日のうちに帰るから』
親父が帰ってきちまう! 十六夜が俺の家にいるのは知っているだろうが、スパイや宇宙人が家にいるのを親父は知らないはずだ。てかそこはもう既に問題ではない。
「ちょっと待て。今日っていつだ?」
『ん? 気が向いたら行くつもりだぞ?』
「具体的に何時だって聞いてんだよ」
『なんだよ。まぁお前が学校終わるころに家に着くと思う』
具体的にと言ったのに、全然具体的じゃなかった。だが、かろうじて俺が家にいる時間に来るならまだ対応できる。
「分かった。来るとき連絡してくれ」
『お、おう。分かった』
「じゃぁ、俺学校だから切るぞ」
『おう』
通話の終了を告げる音が耳に響く。
「若。将軍は何と?」「将軍がどうしたって?」「翔吾ぉ、お水取ってぇ」
三人同時に喋る。俺はとりあえず水を取って、喉を詰まらせたニーナに渡した。
さて、この二人にどう告げる。セシルはもともと親父の組織を潰す為に派遣されたスパイ。もし目の前にそのボスが現れたら、手荒い真似は当然するだろう。反対に、十六夜はそのボスを守る為の存在。もともとその二人が一緒に住んでいる事自体おかしいのだが、戦闘は間逃れないだろう事は容易に想像できた。
何より、そんな状態になったらこの家はどうなる? おそらく荒野に早変わりするのは間違いないだろう。
「別になんでもない。私情だ」
「嘘ね。あんた、目が泳いでるわよ。スパイなめてんの?」
俺は必至に目を動かさないようにした。だが、その様子が逆に疑われてしまったようだ。
「なんでもないから。ほらセシル! 学校行くぞ」
「ちょっと待っ――」
「ごちそうさま」
俺は荒々しくリビングを出た。ほとんど朝飯に手を出していないが、そんなのは購買でパンでも買えば済む事だ。
それよりも、問題は親父の降臨だった。
明日の命日まで、何の問題もなく過ごす。俺に課せられた任務は、皆の生存と本陣である我が家を無傷で残すこと。果たしてそれが可能なのだろうか。
俺は玄関で靴を履き、元々玄関に置いておいた鞄を持って家を出た。
「ちょっと待ちなさいよっ!」
後ろをセシルが金色の髪を靡かせながら追ってきた。俺もセシルも朝飯前に制服に着替えておいたので、すぐに家を出る事ができた。少し早歩きだったのを、セシルが容易に追いつけるようスピードを落とす。横に少し息を荒くしたセシルがすぐに来た。
「あんた、何を隠してるの?」
「いや、何も」
「嘘ね。私がスパイとしてどれだけの嘘を見抜いてきたと思ってるの? あなたレベルの素人の嘘なんて一発で見抜けるわ」
いや、おそらくそんなエキスパートじゃなくても、今の俺の慌てようを見れば嘘だってのは分かると思うぞ。
「あなたは嘘をついてる。しかも将軍について。なんであなたが隠しているのか知らないけど、そんなに言いたくないんだったら好きにしなさいよ」
セシルはそっぽを向いて俺の一歩前を歩き始めた。俺と同じシャンプーの匂いが仄かに香る。そんな後ろ姿を見ながら、俺は黙々と学校を目指した。
本当に一日は二十四時間なのかと疑いたくなる位長く感じる学校が、今日は逆にとても早く感じた。おそらく原因は、俺に課せられた任務遂行のための方法を考えていたせいだ。
「おい鳴海! お前私の授業がそんなにつまらないか?」
「いえ」
「じゃぁ上の空になってないでノートを書け!」
「はい」
昼までに四回怒られた。四時間目の現代文の時には二時間目の数学の教科書を開いてたし、教師に指されているのを後ろのセシルに何度教えてもらったことか。くすくすと俺をあざ笑う声も左から右へと流れていく。ったく、何で俺がこんな事考えなきゃならんのだ。
「どうした翔吾? 今日はやけにぼーっとしてるじゃん」
昼休み。俺の横にはいつものように轟が来ていた。その声で俺は学生であることを思い出す。轟はというと、いつものように購買で買ったのであろうサンドイッチの封を開けていた。
「ちょっと人生という迷路に迷い込んでてな」
「は?」
「いや、こっちの話だ」
昼休み。基本的に俺は轟と机を囲っている。セシルはというと、最初に俺と昼食をとったのは俺に付け入るためだったらしく、クラスで仲良くなった鈴木さんと向田さんという女子と一緒に食べている。
「あれ?」
俺も飯を食おうと鞄をあさった時だった。弁当が、ない?
丁度その時、後ろの席のセシルが購買に向かおうとする。
ここ数日、俺の弁当は十六夜が作っていてくれたのだが、彼女らの不仲から分かるように、セシルは購買で済ましていた。一度十六夜にセシルの分も作ればと言った事があったが、彼女らの不仲から分かるように返答はノーだった。まぁ、轟を含めクラスの奴らには俺らの同居は内緒な訳だし、弁当が同じとかでバレるのも嫌だったのでそれ以上は俺も何も言わなかった。
「セシル、購買行く?」
「何よ、あんたにはお弁当があるでしょ?」
「いや、今日急いでたから忘れちゃってさ。よかったらついでに……」
「いやよ。むしろ将吾が私の分も買って来なさい」
「…………」
俺はゆっくりと立ち上がった。弁当を分け与えてやろうかという轟の声も聞こえたが、無視をして廊下に出ようとした――その時だった。
「若、お弁当をお持ちしましたよ」
教室の扉の前。見慣れた黒髪の女性が、制服も着ずに立っていた。
「…………」
世界が止まったような気がした。その中でも俺は顔色一つ変えずに、口を開いた。
「あの、十六夜さん? そこで何を?」
「若にお弁当を届けにきました」
そう言って十六夜は俺の頭を抱きしめ、胸元へと持っていった。
「ぎゃぁぁぁぁぁ! 翔吾がセクハラしてる!」
そんな轟の叫びが届くよりも早く、俺は十六夜を付き離した。
「何をしているんだおのれはぁ!」
「スキンシップですよ若。今日の朝してなかったので」
「確かに今朝は慌ただしかったからな――って、そういう問題じゃねぇ! ちょっと来い!」
俺は十六夜の手を強引に引いて、廊下を駆け出した。
「翔吾が、翔吾が罪を犯そうとしてるぞぉぉぉぉ!」
教室から聞こえるざわつきはさらに俺を慌てさせる。とにかく一目につかない場所に!
そう思い十六夜を連れて行ったのは、学校の屋上だった。
普段は締め切られ立ち入りが不可能となっている場所なのだが、実は屋上の扉にはカラクリがあり、少し持ち上げて引くと鍵がかかっていても開くのだ。
まさかこんなところで轟の入れ知恵が役に立つとは思わなかった。ここなら一目がつかずに女の子に告白できるぞ、という轟の言葉通り人の姿はまったくなかった。
「なぁ十六夜。ここがどこか分かるか?」
俺は屋上の扉を閉めたあと、不思議そうに俺を見る十六夜に向き直って口を開いた。
「学校です」
「そうだとも。でもお前は学生じゃない。学生以外は基本的に学校に侵入しちゃいけないのは知ってたか?」
「いえ。それは知りませんでした」
今まで一体どんな環境で育ったら、そんな常識も知らない娘になるのだろう。
「じゃぁ覚えとけ」
「申し訳ありません」
そう言って深く頭を下げる十六夜。いや、そこまで謝られたらね? 怒れないよ。いっそこいつが学生だったら楽だったのにな……なんて、考えただけでも恐ろしい。
「これから弁当を届けるときも何かあった時も、一度俺に連絡を入れろ。携帯の番号は教えただろ?」
「はい。申し訳ありませんでした」
「分かればいい」
珍しく気を落としている十六夜は少し可愛く感じた。もちろん悪意があった訳じゃないのは重々承知だ。
「でも、弁当届けてくれて、ありがとな」
だから俺は、感謝の言葉を伝えた。するとどうだろう。枯れかけていた花がまた咲いたように笑顔を取り戻した。
「いえ。そんな感謝される事では……」
顔がみるみるうちに真っ赤になっていく十六夜。俺を胸元に押し付けても顔色一つ変えない十六夜の、滅多に見れない一面を俺は見た。これはレアだ。
「こ、これがお弁当です。一応あの女のも入っていますので、後で渡してください」
「あれ? セシルのは作らないんじゃなかったのか?」
「きょ、今日はたまたま早く起きてしまったので」
少し顔を赤らめているが、まっ素直じゃないよな。
「分かった。ちゃんと渡しておくよ」
「ありがとう御座います」
「バカ。感謝してんのは俺の方だ。サンキューな」
俺は少し大きめの紙袋を十六夜の手から受け取る。紙袋の中からは仄かにいい匂いが香る。
「では私はこれで。家にニーナを留守番させていますので」
「はいよ。あぁあとな、今日親父が帰ってくるらしい。面倒な事になりそうだが、よろしく頼むわ」
俺は屋上から飛び降りようとしている十六夜を見て、魔が差したとしか言えないが俺は悩みの種を打ち明けていた。
「そんなところだろうとは思っていました。ご安心を。私はこれでも御庭番衆頭目。将軍や若にご迷惑をおかけするような事はしません」
迷惑は既にかかってんだけどね?
「そうか。ならいいんだ」
「では」
そう言って、十六夜は屋上から飛び降りた。別に自殺とかではなく、そうやって帰宅するのだろう。学校に来た時も、おそらく同じ手を使ったから、騒ぎも起こらず俺の元にやってこれた。そう考えるのが妥当だ。
俺は紙袋を持つ手に少し力を入れ、扉を引いた。
「いつから聞いてたんだ?」
扉の向こう。階段の上にある小さな踊り場に、その金髪はいた。
「最初からよ」
セシルは壁に背中を預けたまま、腕を組んで目を瞑っていた。
「盗み聞きなんて趣味悪いぞ?」
「私が出て行ったら、またあの女と喧嘩になるでしょ? 自重したのよ」
俺は目を瞑って溜め息を一つ吐く。まったく可愛くない。素直に気になったと言えばいいのに。
「何よ? 別に気になった訳じゃないわよ!」
「はいはい。そういやセシル。どうやらお前の分もあるらしいぞ」
「そ、そう」
セシルは踵を返して怪談を一段一段降りていった。俺もその後を数段遅れてついて行く。
「私も、暴れたりしようとなんて思ってないから」
「え?」
セシルの後ろ姿が声を発したのは、丁度四階に差し掛かった時だった。
「だから、私も今更将軍をどうこうしようなんて思ってないから」
そういや、こいつは話を全部聞いてたんだっけ。色々葛藤があったんだろうが、まぁ思いとどまってくれるならそれに越した事はない。どうやら朝からの悩みは俺の取り越し苦労だったみたいだな。
「私だってスパイよ。元々諜報がメインの仕事なの。バクフレベルの大きな組織のボスなんて、そう簡単には殺せないわよ」
「その息子は簡単に殺そうとしてたくせに」
「うるさいわね。結局殺してないでしょ!」
「そうだったな」
「まったく。ほら、早く戻ってお弁当食べましょ」
さっきまでの落ちた気持ちは、もう俺にはなかった。あとは親父が馬鹿しないことを、ただただ祈るだけだった。
空が茜色に染まる頃、俺とセシルは舗装されたアスファルトの道を、家に向かって歩いていた。
「あんた。授業あんなに寝てて大丈夫なの?」
「お前も寝てただろうが」
「私は馬鹿翔吾と違って、もうあっちの大学を卒業してんの」
「は? お前いくつだよ?」
「あなたと同い年よ」
「は? それじゃ無理じゃんか」
「何言ってるの? もしかして飛び級知らないの?」
「知ってるわ! 馬鹿にすんな」
こんな他愛のない会話をしている俺らを見て、まさかこの間まで殺す側と殺される側という関係だったというのを分かる人間が世界に何人いるだろう? 確信を持って言えるが、そんな奴世界に存在しない。ホント何があるかわからんな。
「なぁ」
「何よ」
「俺たち、他人から見たらどう映ってんのかな?」
「は? 知らないわよそんなの」
「もしかしたら、カップルとか思われてたりして」
隣を歩いていたセシルが、急に口を閉じて下を向いた。その瞬間、俺の中のサイレンが唸りを上げて光り出す。
「嘘嘘! 今のは例え話であって――」
「……そ……ね」
「はい?」
「え? あっ! な、何でもないわよ馬鹿翔吾! ふざけた事言ってると殺すわよ!」
「す、すいませんでしたぁ!」
よく聞こえなかったが、おそらく死の呪文か何かを唱えていたのだろう。俺が復活の呪文をメモる日も、そう遠くはないかもしれない。
「……ばか」
それから妙に黙り込んだセシルは、夕日を浴びてか少し赤くなった顔を伏せて歩いていた。何度か電柱にぶつかりそうになっていたが、寸でのところで俺が救出していた。もしかしたら、熱でもあるのかもしれない。そう思った頃には、既に我が家の前に到達していた。
いつもと変わりない我が家。だが、その中で一際異彩を放っていたのが、いつもは空いているはずの駐車場に止まっていた黒いセダンだった。
「なぁセシル」
「な、何よ!」
「どうやら、親父がもう帰ってきてるらしい」
「そ、そう」
あの黒のセダンは、親父がいつも乗っている外車だ。何故あんなものを親父が持っているのかいつも不思議だったな。
「暴れないって約束したからな」
「わ、分かってるわよ」
俺は一度セシルに確認を取った後、鍵を開け扉をゆっくりと手前に引いた。
『ただいま』
返事はない。俺たちは玄関で靴を脱ぎ、リビングへ向かった。
「ただいま」
「あ、若。おかえりなさい」
「あぁ、翔吾。セシル。おかえりぃ」
エプロン姿の十六夜とニーナが俺たちを出迎える。その奥のソファ。俺よりも一回り大きな影が、ゆっくりとこちらに振り返った。
「おぉ息子よ! おかえり。遅かったじゃねぇか」
ビール片手にこちらに微笑みかけてくる男は、半年ぶりに会う親父だった。
「親父こそ、随分早かったじゃねぇか」
「お前に会いたかったからな。それに、この家今は面白い事になってるみたいだったし」
おそらく十六夜にから報告を受けているのであろうが、その原因を作ったのは紛れもなくお前なのは理解してんのか?
「ねぇ。あの人本当に将軍? 父親って言うには随分と若くない?」
セシルが耳打ちしてくる。
「確かに若くは見えるだろうが、俺の倍は生きてるぞ?」
「本当に? どう見たって二十代じゃない。それに翔吾にどことなく似てるわ」
大概親父を見た奴は同じ質問をしてくる。若く見えるのは認めよう。だが、俺に似ているというのは気にくわない。俺があんなのに似ている訳がないだろうが。
「さて、待っていた二人も帰ってきたところで、飯でも食いに行くか!」
親父がビールの缶を握りつぶし、立ち上がって背伸びをした。
「十六夜。車回してくれ」
「はい」
着ていたエプロンを脱ぎ、綺麗に畳んだ後リビングを後にした。数秒後、車のエンジン音が聞こえてくる。てか、十六夜は車を動かせる年齢だったのか。
「行くぞ」
俺たちは促されるまま、家を後にした。
助手席に親父。後部座席にはセシル、俺、ニーナの順で座った。中は、親父が吸っている煙草の匂いが染みついていて、俺からしたら不愉快だった。両隣の女子陣は、慣れているのかあまり嫌な顔をしておらず、それを見て少し安心したがよくよく考えると何故俺はセシルとニーナに挟まれているのだろう。成り行きとはいえ、轟だったら流血で死ぬシチュエーションだ。
親父は運転席の十六夜に耳打ちすると、車はゆっくりと動き出した。どうやら目的地を言ったようだ。
「さて、目的地に着くまで、自己紹介でもして時間を潰そうか。俺は帰ってきたら美少女がいっぱいいた、としか理解してなかったからな」
ニーナが前の座席を軽く叩き、照れ隠しをしている。それに対し叩かれた親父はバカ笑をしながら、事実を言ったまでだと豪語していた。
「じゃぁまず十六夜から」
十六夜と呼んでいる時点で自己紹介の必要はないと思っているのは俺だけだろうか。
「はい。私は、秘密組織バクフ直属、御庭番衆二代目頭目十六夜と申します。以後、お見知り置きを」
「秘密組織を秘密にしない十六夜ちゃんでした! はい、拍手!」
車の中に親父とニーナの拍手が鳴る。何だこの茶番は。
「じゃあ次は、ニーナちゃん!」
「はいはぁい! ニーネ――じゃなくて、ニーナです。セーレ人の家出娘です。好きな言葉は……ちょっと恥ずかしくて言えません。よろしくお願いしますっ!」
「不思議の国のニーナちゃんね! はい、拍手!」
また拍手が鳴る。一見人畜無害に見える少女なのだが、時折大胆と言うか、積極的というか、ちょっと変わってるよなニーナって。
「はい。じゃあ次は金髪のお姉ちゃん!」
「なんで私が」
「そうな事言わずに。ほら」
「ふん。セシルよ。知ってるだろうから隠さないけど、スパイを生業にしてるわ」
「いいねぇスパイ。俺も好きだよ辛いのは」
親父。それはスパイスだ。
「全然面白くないわ」
「あちゃ。このギャグの面白さはセシルちゃんには伝わんなかったかぁ!」
何頭に手を当てて悔しがってんだ親父! セシルどころか、ここにいるみんなドン引きだよ。
「じゃあ最後。翔吾」
「は? なんで俺も自己紹介すんだよ」
「みんなしただろうが。お前もするのが礼儀ってもんだろ?」
意味がわかんねーよ。なんで俺まで。
「鳴海翔吾。みんなも知ってるけど、こいつの息子だ。よろしく」
『…………』
「なんで俺ん時だけ拍手ねんだよ!」
「いや、お約束だろ?」
皆一様にうなずく。俺はいつからこんなキャラになったんだ。
「着きました」
「おっ! じゃぁ行くか」
車を止めたのは、家からあまり遠くないただのファミレスだった。
俺は親父が組織のボスだと知った事で、どうやら高級料理店とかをイメージしていたらしい。よくよく考えれば、親父はファミレスやらハンバーガーショップといったジャンクフード系が好きだったな。
ファミレスの扉を開けると、ベルの音と共に可愛い衣装に身を纏ったウェイトレスが奥から出てくる。
「いらっしゃいませ」
実はここのファミレスは可愛い衣装とよく集めたと思うくらいの可愛い子で有名だった。俺や轟も常連で、かくゆう親父もかなり気に入っている店だとの事だ。
「ちょっと店長を呼んでくれる?」
「え、あ、はい。少々お待ちください」
「おい親父! 何してんだよ!」
「いいからいいから」
俺と親父が言い合っている間に、奥から黒いスーツを着た少し強面のおっさんが出てきた。おそらく店長だろう。
「お客様、何かご用ですか?」
身長は俺や親父よりも遥かに高く、眉間にしわを寄せながら俺たちを見下ろしてきた。正直かなり怖い。
「悪いな。別に文句があるとかそういうじゃないんだ。ちょっと頼みごとがあってな」
「っ! なんでしょうか?」
「ちょっと耳貸せ」
強面店長が突然頭を下げる。親父はその店長の肩を右手で組み、こそこそと何かを言っている。一体どういう事だ? 意味が分からん。
「ねぇ、どういう事?」
セシルが俺に耳打ちしてくる。俺も分からん。そう答えるしかなかった。
「分かりました。ではお嬢様方、こちらに」
そう言うと、女子陣三人が奥に連れて行かれる。セシルはもの凄い抵抗を見せていたが、奥から新たに出てきた大男に掴まれ、無理やり連行されていく。
「おい! お前らちょっと待てよ!」
「ほら息子よ、暴れるな暴れるな。俺たちは指をくわえて待ってりゃいいんだよ」
「くっ! 離せ親父!」
親父に肩を掴まれただけなのに、まったく前に進めなくなる。それどころか、奥の席まで引きずられていった。そんな姿が他のお客さんには異様な光景に映っているのだろう。席に座った俺と親父は、一度お客さんに頭を下げ、ゆっくりと座った。
「それで? 納得のいく説明はしてもらえるんだろうな?」
俺は腕を組み、親父を睨みつける。
「そう睨むな。実はな、ここのファミレスはうちの組織が経営しててな、衣装や店の外装なんかは俺の指示が入ってるんだよ」
なんとまぁ。俺たちの行きつけの店は親父の店だったとは。可愛い子たちに鼻を伸ばしてたのがすげー恥ずかしい!
「じゃぁ、ここの子が可愛い子揃いってのも親父の人事か?」
「それは俺も嬉しい誤算でな? 可愛い衣装を着たくて可愛い子がどんどん面接に来たらしい。おかげで俺も常連だよ」
高笑いをする親父。辞書で親父を調べたら、変人の次に変態と出てくることだろう。というか、ここまで良く来てるなら家に顔だせや。
「まぁ、お前ももうちょっとしたら俺の事を神としてあがめるだろうが、聞きたい事はそれだけか?」
「あぁ」
崇める訳ないだろ
「メニューをお持ちしました」
親父の相手をしていたせいで、少し喉が渇いたと思った時、丁度ウェイトレスがメニューを持ってきてくれた。
「おっ! 来たな来たな」
親父がさらに高く笑う。俺はテーブルの上に置かれたメニューを手にとって開き、ドリンクバーを頼む為にウェイトレスさんへ顔を上げた。そして一瞬言葉を失う。
「……え? 十六夜?」
「はい」
「何してんだお前」
「ウェイトレスです」
十六夜はひらひらの衣装を身に纏い、顔色を変えずに受け答えをしていた。
「おい十六夜。お客様には笑顔だ」
親父が少し説教交じりに言う。って、親父が店長に頼んでいたのはこれだったのか! という事は?
「お客様、メニューはお決まりでしょうか?」
遅れて十六夜と色違いの衣装を着たセシルが、不機嫌そうに声を発した。
「セ、セシル……」
「何ジロジロ見てるのよ。殺すわよ?」
待て待て! 何だこのとんでもイベントはぁ!
「どう翔吾? 似合うかなぁ?」
青い髪を靡かせ、最後はニーナの登場だ。
「……おい、親父」
「ん? 何だ?」
「神と呼ばせてください!」
まさに親父は神だった。やはり血は争えないというか、権力をこうも巧みに使える奴はあまりいないだろう。
「そうだろうそうだろう。お前もこれを望んでいたのではないかね?」
「仰せのとおりでございます!」
親父。俺は初めてあんたの息子で良かったと思ったよ。
「ねぇ? 似合う?」
「おう! 今のニーナは最高に輝いてるぜ!」
「本当? やったぁ!」
ニーナの青い髪に合わせて衣装も青交じりにされている。スカートの下から見える足も、大きめの胸も、何もかもが最高だった。
「何よ。殺されたいの?」
セシルは黄色の衣装か。流石はクウォーター。どこか日本人離れした美貌が際立っている。その強い言葉もそそるものがある。
「メニューはお決まりですか?」
最後は十六夜か。やはりなんと言っても、胸元がさっきから言う事を聞いてない。紫交じりの衣装からちらちらと見える谷間がまた男を駄目にする。
「じゃぁとりあえず、ドリンクバーを二つ」
「かしこまりました」
三人は一度メニューを下げに行った。ドリンクバーというものの仕組みを知らないものはいないだろうが、俺と親父は二人で飲み物を取りに行く。俺は烏龍茶を。親父は珈琲を持って、席に戻る。するとどうだろう。ウェイトレス三人が、俺たちの席に座っていた。
「今度は何してくれんだ?」
「もう何もしないわよ! こんな恰好、元々したくないだから!」
セシルがいつもの腕組みそっぽ向きをする。その姿でやられても、男は萌えるだけだぞセシル。
「ねぇおじさん。私も何か頼んでいい? もうお腹ペコペコなのぉ」
「おう! 好きなもんを頼め。それから、俺の事はおじさんでなく大ちゃんと呼べ。もしくはパパでも可!」
こういう時、漫画では『くわっ!』っていう文字が横に大きく出るのだろう。
「じゃぁ大ちゃん。私チーズハンバーグセットと生姜焼き定食! それからポテト!」
「おう!」
「じゃぁおっさん。私はコーンスープとサラダのセット」
「小食だな。それでいいなら頼め頼め!」
「…………」
「ん? どうした十六夜。お前も頼んでいいんだぞ?」
「いや、しかし将軍。私は……」
「将軍って呼んだからもうやだ!」
子供かお前は!
「では、だ、大ちゃん。私はこのコーンのピザを」
「よし! いいだろう!」
気づいているだろうか。皆一様にパパと呼ぶことだけは避けていたのを。大方娘がいない親父にとって、パパと呼ばれるのが一種の憧れのようなものなのだろう。ならば!
「パパ。俺ステーキ食べたい」
「うるせぇ! てめーにパパと呼ばれても全然嬉しくないわっ!」
「なんだとクソ親父! 俺がHP削ってまでパパって呼んでやったのに、何だその言い草は!」
「俺はなぁ、この可愛い嬢ちゃんたちにパパって呼ばれたかったんだよ!」
「知るかボケェ!」
「てめぇ、親父に向かって何だその口の聞き方は! もういい。男は拳で語れと教え込んできたはずだ。表に出やがれ!」
「上等だこの野郎! てめぇが意味不明な組織のボスをやってるせいで、俺がどんだけ迷惑したか、てめぇの身体に教え込んでやるよ!」
「おもしれぇ。息子は親父に一生勝てねぇって事を教えてやらぁ!」
俺たちはそう言って、目線を外す事なく外に出た。
「馬鹿ね、あいつら」
「行っちゃった。ねぇ、あれが修羅場ってやつなのかなぁ?」
「あれは、親子喧嘩というやつですよニーナ。もしくは、子供の喧嘩とも言います」
「あれ? あんた主人に向かってそんな事言ってもいい訳?」
「あ? お前には関係ねぇだろう?」
「関係ないから何? あんたさ、翔吾の前じゃ猫かぶってるけど、みんなその性格知ってるからね?」
「だからなんだってんの? ムカつくわね。胸が小さいからって僻んでんの?」
「なんですって? ちょっと胸が大きいからって、図に乗るんじゃないわよ!」
「若と約束していたから我慢してたけど、もう許せないわ。表に出な!」
「いいわよ。この間の決着、付けようじゃない」
どんなやり取りがあったかは知らないが、俺たちの後にセシルと十六夜もついてきた。
今この瞬間から、ファミレスの駐車場は、戦場へと変わったのだった。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
「えっと、チーズハンバーグセットと生姜焼き定食、それからポテトと救急箱をお願いします」
「かしこまりました」
目を覚ますと、俺の視線の先には見慣れた天井が広がっていた。ここは紛れもなく俺の部屋。だが、どうやって帰ってきたかは全く覚えていなかった。
とりあえず身体を起こそうとするも、全くと言っていいほど身体は微動だにもしなかった。
まさか、これが噂に聞く金縛りか?
いやまさかな。俺の身体が動かないのは、単に怪我と筋肉痛によるもので、良く見ると俺の腕や足は包帯でぐるぐる巻きにされていた。一夜でゾンビになった気分だ。
どうやら、俺は親父に負けたらしい。実の息子を気絶するまでやるのもどうかと思うが、俺達の喧嘩はいつもこうだ。親父曰く、俺を成長させるためらしいが、子ども心に本当に親父という生物なのかと疑ったのは今でも覚えている。とまぁ、俺もやるからには本気でやったにも関わらずこの有り様だ。この前のとんでもパワーも出なかったし、一体あれはなんだったのか……。まったく、あれだけいきがっておいてこの有り様は情けない。窓からは光が差し込んでいるという事は、どうやら朝になってしまっているらしい。
ようやく身体を起こす事が出来た時、扉が来客を知らせるように二回軽く鳴った。
「はい」
俺は半分布団に入ったまま、そう返事をする。何故布団に入ったままかって? そりゃあれだよ。男である証みたいなものだ。分かるだろ?
「失礼します。もう起きてたのですね」
「あぁ、今起きたところだ」
来客は十六夜だった。昨日セシルと死闘を繰り広げていたようだが、少し絆創膏を貼っている位だった。
「そろそろ起きてくるようにとしょ――大ちゃんが」
「あぁ今行くよ」
「お願いします」
そう言って、十六夜は扉に手をかけゆっくりと引いてった。
「……若も、男なんですね」
と言い放って。
「…………」
ちょっと待って! 何今の? どういう事?
そう思い、俺は下腹部へと視線をずらす。まぁ、今は朝な訳でして……俺もうお婿に行けない……。
数分が過ぎ、俺ももう一人の俺も元気をなくしたところで、布団から上がりクローゼットに手をかけた。
今日は母さんの命日。年に一度、この日は必ず墓参りをするというのが、家の決まりごとだ。親父もその為に帰ってきたわけで、これを済ませないと親父は帰ってくれないのだ。
俺はクローゼットから適当に服を選び、寝間着を脱ぎ終わった時にそれは起こった。
「翔吾ぉ! 起きたぁ?」
「いつまで寝てるのよこの馬鹿!」
「…………」
『…………』
扉が開け放たれ、ニーナとセシルが入ってきたのだった。ちなみに俺は朝パンツも取り替える人なので、今は勿論生まれたままの状態。暴れん坊将軍は丸出しだった。
「おぉ、ジーザス」
「…………」
無言で二人は扉を閉めた。
「頼むから何か言ってぇぇぇ!」
最悪だった。十六夜に辱めをくらった直後、今度はニーナとセシルに絶対不可侵領域を見られてしまった。よく下ネタを言っているニーナでさえ硬直してたぞ? もうお婿に行けないとかそういうレベルじゃない!
いっそ、誰か俺を殺してください……。
下に降りると、食卓には朝ごはんが並んでいた。みんなで挨拶はしたものの、誰一人口を開こうとしない。
初めて五人で囲む食卓。だがそれは、団欒とは呼べない代物と化していた。
「どうしたみんな黙って? 飯は楽しく食べないと美味くないぞ?」
親父は俺があれだけ攻撃したにも関わらず、かすり傷一つないようだ。一方俺は、身体というより心に深い傷を負っているんだが。
てか、十六夜もセシルもニーナも、みんななんで黙ってんの? 俺が悪いの? 俺が謝ればこの重っ苦しい空気は消えてくれるの?
「なんだ翔吾まで? もしかして、恥ずかしいところでも見られたか? だぁっははは!」
親父! それは洒落になってねぇから!
「どうなんだ? ニーナちゃん」
「え? 私、何も見てないよ? 翔吾がパンツ脱いでたなんて知らないよ?」
『…………』
場が凍る。俺を含めた全員の箸が止まる。
「はは、それは間が悪かったな」
親父が何故かフォローに入る。それがまたわざとらしくて、俺のハートをさらに傷つけた。
「えぇ、知らないわね。私たち、何も見てないわ」
嘘だぁ! じゃぁ何でそんなに怒ってるの? なんで味噌汁のシメジだけ残してるの?
「……そっか。十六夜、おかわり貰えるか?」
「はい」
十六夜だけは、いつもと同じのように見えた。それだけがせめてもの救いで、俺の最後の砦となっていた。
「あれ? なんかシメジ多くないか?」
「そうですか? 何故か形が頭に残っていて……」
場が再度凍りつく。てか、親父の味噌汁のシメジが増えたのと関係ないだろうが!
「そうか……。お前も見慣れないものを見て、災難だったな」
「いえ、大丈夫です。もう、二回目ですから」
俺は凍りついた。二回目? どういう事だ? いつ? どこでぇぇぇ!
俺の心の叫びと同調するかの如く、俺の横の席で箸が割れる音がした。
「翔吾? 今のどういう事?」
「いや、どういう事も何も……」
「私とニーナでは飽き足らず、このクソ女にもって。しかも二回目ですって?」
「飽き足らずって、飽きも満足もして……」
「死ねぇ!」
「ぎゃぁぁぁぁぁ!」
鋭い拳が俺を貫いた。良いパンチだ。世界を狙えるぜ。
「若!」
「いい。今は助けなくていい」
俺を助けようとする十六夜を親父が制止した。こればっかりは仕方がないと俺も思うよ。
「あんたが何しようと勝手だけどね、私やニーナがトラウマになったらどうするのよっ!」
馬乗りになったセシルは、俺にパンチの嵐を浴びせてきた。
「ご――べん――ださい」
俺はただただ、謝る事しかできなかった。
食事を済ませた俺たちは、早々に準備を済ませ家を後にした。母さんの墓参りのためである。
母さんが眠るのは二つ隣の県で、車で大体二時間ちょっとの場所にある。ビルやマンションが建て並ぶ俺たちの街に比べ、山や川などが多くみられる自然と共に生きる世界。毎年墓参りに来るたびに、時間の流れが違うのではないかという感覚に俺は襲われている。子供心をくすぐられるというか、虫取り網などを持って山に繰り出したいと思うのは、男として当然の感情だろう。
だが俺ももう高校生だ。昔とは違い、今はもうそんな事はしない。というかできない。世間的に。だから俺は、ただ虫の鳴き声と靡く木々を見て過ごすだけだ。
昨日とは違い、運転は親父が引き受けていた。十六夜が運転すると言っても、頑なにそれを拒否していた親父の心境は神のみぞ知るってやつだ。家に帰ってきた時は、一組織のボスではなくただの親父になるというのが親父のモットーらしいとは言っていたがな。俺はというと、助手席でただ、外を眺めているだけだった。俺も親父といるときはただの息子なのだ。
高速道路に乗ると、足早に景色が変わっていく。これぞ古き良き日本の姿。俺はこの田舎の景色が好きだった。田舎出身者からすると、田舎の何がいいのかと言ってくるが、俺からすれば逆に都会のどこがいいのかを問いたくなる。確かに便利だが、何か物足りない感じがするのは、元々自然の中で人間というのが生まれたからだろう。まぁ、これはただの俺一個人の意見であって大衆がどうかは分からない。ただ人間とは無い物ねだりをすると聞いたことがあるが、どうやら本当なのだろう。
「どうだセシル。これが古きよき日本の風景という奴だ。趣があるだろ?」
「そうね」
「ニ、ニーナ! これが地球の日本という場所の本来の姿だ。どうだ?」
「うーん。セーレの田舎みたいだねー」
セシルやニーナといった日本にいる期間が短い奴らに良さを伝えてみるが、短い返事が返ってくる。セシルは好き嫌いの前に興味がないといった感じで、ニーナは外の景色を目で追いかけるのに必死になっていた。まぁこいつらは本来ついて来なくてもいいからな。
元々墓参りには、俺と親父だけで行く予定のはずだった。なのに、突然親父が、
『お前らももう家族みたいなもんだから、一緒に来い』
セシルはやはり抵抗していたが、食い物に釣られたニーナと護衛としてついてくる十六夜は早々に仕度を済ませたのを見て慌てたのだろう。『私一人で置いてくなんて冗談じゃないわ!』と言って、結局皆で墓参りに行くことになったのだ。こいつはスパイって事を忘れているんじゃないだろうか? それともこれも何かの諜報活動なのだろうか?
まぁ正直言うと、俺は母さんの墓参りにこいつらが来てくれた事が少し嬉しかった。俺も親父と二人ってのもあんまりいい気分はしないし、なにより元々母さんは大勢で楽しむのが好きだった人だ。喜ぶに違いない。
高速を降りると、辺りには田んぼや畑が広がる世界が広がっていた。高層マンションは勿論アパートすら見当たらない。ニーナは少しばかり興味を示し外を見ていたが、セシルは今だ興味なしのようで、行きに買っていったジュースをちょびちょびと飲んでいた。
「到着だ」
親父が車を止める。お寺の駐車場は、いつ見てもだだっ広かった。昨日のファミレスの駐車場が空地のように感じる。
「わぁ!」
ニーナが一番に外に出る。背伸びをして深呼吸。それを何度か繰り返した後――。
「空気がおいしいぃ」
と呟いていた。俺は宇宙人に田舎の良さが分かった事で、自然と顔がゆるんだ。
「うぅ……」
セシルが車から出てくるや否や蹲っていた。
「おい、どうした?」
「……酔った」
「は?」
おいおい。スパイのくせに車に酔うって、そういう訓練受けてきたんじゃないのかよ。
「……私、乗り物は苦手なのよ」
「とりあえず、水飲んで休んでろ」
「……大丈夫」
さっきから車の中で静かだったのは、単に車酔いに襲われていただけだったのか。
「十六夜、花と線香持ったか?」
「はい」
「よし、行くぞ」
俺たちは砂利道を歩いて行った。様々な墓石の横を通り過ぎ、鳴海家と書かれた墓石の前で止まる。
「あれ? 誰か来たみたいだな」
墓石の前には、まだ新しい花が活けられていた。心当たりがないので不思議だったが、どうやら親父には心当たりがあるらしく、一度静かに微笑むとその横に買ってきた花を活けた。
「今年は暑いな、静香」
そう言いながら、墓石に水をかける親父。俺たちもその後に続き、水をかけた。
線香に火をつけると、どこか懐かしい匂いが漂う。それを五つに分け、順番に置いていった。
「静香。去年も何事もなく終わったぞ。新しい家族も増えて、翔吾は賑やかに過ごしているみたいだが、どうやら健全に成長しているらしい。今年も色々とあるだろうが、見守っててくれな」
俺は親父の背中を見ながら手を合わせた。セシルたちも、まったく縁もゆかりもない相手の墓なのに、静かに手を合わせてくれる。親父が言う新しい家族とはセシル達の事だろうが、俺の中ではただの同居人達であり、まだ家族と呼べる存在ではなかった。でも、まだという単語を使ってしまうあたり、いつかはそうなるのかもしれないと心の奥底では思っているのかもしれないな。というより、家族の前に色々と踏まないステップが必要なような気がするがな。だが、母さんの墓石に手を合わせてくれるこいつらを見て、少し心が温まったのはここだけの秘密だ。
「おしっ! 帰るか!」
片道よりも遥かに短い時間で墓参りは終わった。特に何をする訳でもないが、俺と親父にとっては一年で一番大事な行事なのだ。墓石を後にする時、何となくだが母さんの笑い声が聞こえた気がした。俺は幽霊やあやかしの類は信じていないので、もちろん俺の気のせいなのだが、自然と表情が緩んだ。
行きと違い帰りは静かだった。後部座席の三人が寝ていたからだ。セシルは乗り物酔いで撃沈。ニーナはただはしゃぎ過ぎただけだろうが、十六夜が寝た事には少し驚いた。完璧超人に見える十六夜も、寝てる姿はただの女の子。それは他の二人にも言えて、どこからどう見ても、普通の十代の女の子だ。美少女三人の寝顔を見て少しドキりとしたのは、俺が健全な男子高校生だという証拠だった。
「なぁ親父」
「ん?」
帰り際、ふと俺は親父に声をかけた。
「なんで、そんな秘密組織なんかのボスなんてやってんだ?」
何となく湧いた疑問。ここ数日ずっと思っていた訳ではなく、なんとなく気になったのだ。
「静香の――母さんの願いを成就するため、かな」
「なんだそりゃ?」
「母さんにも願いってのがあったんだよ。俺はそれを叶えてやるために、ボスなんてやってんだ」
「母さんの願いって、親父が秘密組織のボスになることだったのか?」
「ちげーよ。俺も最初はボスになるつもりなんてなかったんだがな、気付けばボスになってた。きっかけは母さんの願いだったかもしれねーけど、今じゃそれは俺の目標にもなってる」
親父がいつになくふざける素振りを見せなかった。こんなシリアスな親父を見るのはいつぶりだろう。
「いいか? 目には見えないかも知れないけど、やっぱり敵ってのは存在するんだ。そいつらに対抗するには必ずそれと同等かそれ以上の力を持ってなくちゃならねぇ。俺は不器用だからな。こんな形でしか表現できねぇからお前にも迷惑をかけた」
いや、何で過去形なんだよ。現在進行形で、今も迷惑してるわ。
「翔吾。お前も一概に関係ないとは言えないぜ?」
そりゃ父親と母親の事だからな。関係なくはないだろうけど。
「俺には、何もできねーよ」
そう。俺は無力だ。願いがどんなものかは知らないが、親父が組織のボスになっても成就できてない事だ。そんなのを、普通の高校生である俺がどうこうできる訳がない。
「今はな。だが、いずれお前がその願いを叶えてくれる日がくると思ってる」
「なんで俺なんだよ。親父がやればいいだろうが」
「俺でできりゃいいが、そうもいかない時があるだろう? その時は俺の意思をお前が次ぐんだよ」
具体的に何をすればいいんだよ。俺もボスになれってのか?
「なぁ翔吾。これから大変な事がたくさんあると思う」
「もう大変な事になっているけどな。これ以上の大変はそうないだろうよ」
「そんな事はねーさ。つらい事嫌な事色々経験すると思うけど、お前には家族がいる事を忘れるな?」
「親父の言ってるその家族が問題なんだよ。しかも、家族じゃねーだろ」
「なんだお前? まだそんな事を言ってんのか? 一週間も一緒に過ごしてりゃ家族だろ」
親父はいい加減だからそんな風に思えるんだ。普通の奴らならまだしも、スパイに忍者に宇宙人だぞ。はいそうですかって簡単に納得できる訳がないだろ。
「まぁどうするもお前の勝手だけどな。男なら決める事はしっかりと決めろよな」
「分かってるよ」
転校二日目で俺の事を殺そうとしたセシル。その俺を守るために送り込まれた十六夜。それに落ちてきた迷子宇宙人。個性豊かで、うるさい一週間だった。喧嘩も絶えないし、決して仲がいいとは言えないかもしれない。それでも、時折みんなで笑ったりした事もあった。
思い返すと、たった一週間なのに色々な事があった。嫌な事もあったが、一概につまらいと切り捨てるには濃すぎる一週間だったな。
「……もうちょっと、一緒に暮らしてみるのも悪くねーかな」
どうやら俺は、この一週間を『楽しい』と思っていたらしい。『涼宮ハルヒの消失』で、キョンは彼を取り巻く非現実な世界が楽しいと思っていた事に気づいた訳だが、俺の心情はそれに果てしなく近いものなのかもしれない。
確かに彼らほど色々な事件に巻き込まれた訳じゃない。もしかしたらこれから巻き込まれるのかもしれない。ただ、俺は昔からそういった事象に憧れていたじゃないか。女の子に囲まれるハーレム状態にせよ、現実離れした事件にしろ。俺は受け入れられなくても、受け入れようとするだろう。だから、俺はこいつらともうちょっと一緒にいてもいいなんてバカな事を言い出しちまったのかもしれない。
「……そうか」
親父はそれ以上何も言わなかった。タイヤの擦れる音だけが耳に入ってきて、流れる景色を見ているうちに、見慣れた風景に変わり、自宅につくまではまるで一瞬だったかのような錯覚をうける。車庫に入らず自宅の塀の前に親父は車を止め、俺は同時に後ろの三人を起こす。驚いた事に三人共すんなりと目を覚ましてくれた。特に寝起きの悪いセシルが車酔いでダウンしていたおかげとも言えるが、まぁそれは置いといてだ。皆が車を降りると車内に残った親父が、「じゃぁ俺は仕事に戻るわ。仲良くやれよ、若者たち」と言い捨て、その車で去って行く。俺たちは玄関で見送りを済ませた後、家の扉を開けた。
三人は車で寝たおかげかどこか顔が清々しかった。時折俺と目を合わせると、すぐに視線を外していたがそれは俺の気のせいだろう。
「開いたぞ」
そう言って俺は扉を開ける。
「……ありがと」
最初に入ったのはセシルだったが、扉を開けただけでありかとうだなんて一体どうした?
「ありがと翔吾。これからも、よろしくねぇ」
ニーナはそんな事を言って入って行った。よろしくって、これから俺はニーナが出入りするたびに扉を開け閉めしなくちゃならないのか? 俺を召使いか何かと勘違いしてるのならあとで説教が必要だな。
「若。みんな若が一緒に暮らすと言ったのが嬉しかったのですよ」
「え?」
さっき確かに言ったけど……。
「お前ら、もしかして起きてたのか?」
「はい。少なくとも私は」
「最初から?」
「はい。最初からです」
うわぁぁぁ! 穴があったら入りたい!
セシルやニーナがどこかよそよそしかったのはそういう事か。確かにあんなのを聞いて、まともに俺と目を合わせる事なんてできないよな。てか、俺もできない。
「若。これからもよろしくお願いします」
十六夜は俺の頭を抱き寄せ胸に押し付けた。いつもの事とはいえいい加減やめてほしい。だが、今回は俺が付き離すよりも早く十六夜自身から離れていった。
「では、夕飯の用意をしますね」
家の中に入っていく十六夜の背中を俺は見送った後、ゆっくりと家に入った。
「まぁいっか」
いつまでこの同居生活が続くかは俺には分からない。ただ、今が楽しければそれで良いいような気もするしと、俺は高をくくっていた。
もうこの時、足元は音を立てながら崩れ始めていたのも知らずに。




