第七十五話:鎧獣竜種
第七十五話:鎧獣竜種
竜とは――、と聞けば、大抵の人がこう答える。
天駆ける空の王者。
竜とは空を飛ぶものであり、その背に鳥よりも雄大で力強い翼を連想するのは、何も巷の人間達ばかりではない。勿論、自分だってそう思っていた。
獣王が謳った、竜の背に乗らなければ辿り着けない地。その地に彼の獣王は眠ると言い、そして自分は抱えた卵を胸にこう嘯いた。〝竜はこれから育てる予定だから〟と
しかし、その話に関しては獣王に少し謝らなければならないかもしれない。
「……」
「ねぇねぇ、ボス。これ、コイツやっぱ飛べないんじゃ……」
『きゃふっ』
宿屋のベッドの上、まるで子犬のような鳴き声を上げたのは、闘技場で波乱万丈な誕生を迎えたばかりのドラゴンだった。幼竜と言えどもその身体は中型犬に迫り、少し大きめな小型犬ほどのサイズがある。
頭蓋は分厚く、丸みを帯びて頑丈。トカゲと言うよりも狼のような頭の形。角の部分が分厚い三角形をしていて、耳のようにも見えるから、遠目にはなおさら竜と言うよりイヌ科の動物のように見える。
首は短めでがっしりしていて、鼻面から段々と大振りになっていく鱗がぎっしりと背中からわき腹あたりまでを覆っていた。その見た目はなんと言ったか、センザンコウという動物を思わせる。
鈍い橙色の鱗は魚類やトカゲ類のような細やかさは無く、隙間から覗く獣毛を見るに、毛の一部が硬質化していったらこのような奇妙な見た目になるのだろうか。一枚一枚が手のひらほどの大きさがあり、その縁は刃物のように鋭い。
「……」
四肢は上面にだけ鱗があり、下側は全体が柔らかな深紅の獣毛に覆われている。手足の構造すらトカゲというより獣に近く、ひっくり返してみれば足裏には肉球があった。本当に竜なのか、アルトマンさんの言葉が無ければもっと疑ってかかっているところだ。
四肢だけではなく、その身体はミニサイズながらどこもかしこも太く、頑丈そうな作りに見える。全身が、がっしりと太い筋肉の束に覆われていて、小型の装甲車を思わせた。
どう言葉を飾り付けても、空を駆けるには無理があるように見える。
つまり、そう、飛べそうにない。
『ぎゅふっ』
「……ホントにドラゴンか?」
巨大な鱗が邪魔をするかと思えば意外とその動きは猫科のものに近く、しなやかに長めの尾を揺らしながらベッドの上をねり歩く。雪花につつかれると威嚇こそしないもののアルマジロのように丸くなり、直接的なスキンシップは拒否しているようだ。
まあ、雪花が熱い! とか言い出さないところを見ると、半分は拒絶で半分は遊んでもいるのだろう。松ぼっくりそっくり、と言いながら雪花が笑えば、幼竜は得意そうに鼻を鳴らしながら隙間から顔を覗かせている。
可愛いが、多分この竜は空を飛ぶ機能はついていないのだろう。どうみても地上で猛威を振るうタイプに見える。滑空すら出来そうにない。
「……とりあえず、アルトマンさんの所に連れていくか」
「ああ、獣医のNPC? いやでも……」
「うん……ああ、大丈夫。多分、アイザックはもう来ないから」
連れて歩くのは危ないのではないかと表情を曇らせる雪花に、再び大丈夫だと言い含める。宿屋に戻って来てからだいぶ質問攻めにされたが、まだ不安が残っているようだ。無理も無いだろうが、自分はもうアイザック――いや、レジナルドは竜を狙って自分を襲うことはないと、確信していた。
「大丈夫。あれはもう来ない」
「……」
未だ不満が残る雪花に何度目かの大丈夫を言い、自分は幼竜に手をさしのべる。鋭い鱗の縁も、新調しなおした服にそう簡単に穴は開けられないようだ。鋭く触れれば傷もつくのだろうが、こうして柔らかに抱き上げる分には、幼竜が自分や服を傷つけることはなかった。
『ぎゅぅ』
セーフティーエリア内でも奇妙な鳴き声を繰り返す幼竜は、未だ言葉が満足に使えないらしい。こちらの言うことは、ほんの少し理解しているようだが、作られたばかりの学習性AIと全く同じ状態を示している。
闘技場での指示も、きちんと伝わっていたわけではなく、自分が優しくしてくれなかったことに拗ねていただけの可能性が高いようだ。
「ジェスチャー混じりで状況を見て、なんとなく指示に従ってる感じだもんな……」
「こりゃ、ニブルヘイムが嫌がったわけだ」
殻の中で自我があったとしても、殻の中にまではっきりと音が伝わるわけでもない、というのはアルトマンさんから聞いていたが、どうやら思った以上に卵というゆりかごは防音性に優れていたらしい。
雪花がこりゃ育児放棄もしたくなるね、と肩を竦め、自分もそれに半ば同意しながら抱えた竜をゆっくりとあやす。基本的に自分が抱いていれば大人しいが、あんまり放っておくと拗ねてすぐに物に当たる悪い癖がある。
雪花とレジナルドの話をしている間に、シーツと枕、木のコップが簡単にぐしゃりといった。しっかりと叱ったものの、幼竜は全く悪びれていない。構ってくれないそっちが悪い、というスタンスを貫いている。
「よしよし、大人しい間に診せに行こう。種類を見てもらって、それから色々と準備が必要だ」
「あいさっさー」
幼竜がまた宿の備品を壊さない内に、宿を出てアルトマンの店に向かう。幼竜は自分に抱えられてご機嫌だが、自分はその重さに内心で冷や汗がいっぱいだった。もっと筋力を上げないと、そのうち高価な武器も壊されそうでたまったものじゃない。
ギリーと雪花の護衛と共に、街の人の視線を一身に受けながら祭りに華やぐ道を進む。竜だ! と騒ぎにならないのは、やはりこの幼竜の見た目が中途半端な所に起因するだろう。竜のようだが、竜ではないようにも見える。
それゆえに、人々は視線を寄越しながらも声をかけることも、寄ってくることも無かった。
人々の視線を受けながら、竜はふんふんと、自分の服にしがみついてご機嫌なようだ。こうしていると、自分が抱えてさえいればさもちょろそうに見えるが、これで案外この竜はすぐに機嫌を損ねる。自分が抱いていてもそれは変わらず、些細なことで噛みついてきたり、火を吹いてみたりと忙しい。
案の定、最初は興味深かった人々の視線が鬱陶しくなったのか、急に鱗を逆立てて威嚇の体勢に入っている。主人の腕の中でそれをやれば、当然のようにまず主人の腕に被害が及ぶことは考えもしていない。
その上、街行く人達への威嚇を咎めれば、その小さくない牙はがっぷりと自分の腕に向かってくる。当然、セーフティーエリア内でその牙が刺さることは無いが、圧迫感の強さから見るに甘噛みというには度が過ぎている。
『グルルル!』
「はいはいはい、よーしよしよし」
「ボス、これマジでどう躾けるの?」
「最後は犬と一緒だろ」
雪花が不安そうにそういうが、決まっている。最終手段は強制的な上下関係決定戦だ。生まれたてでやるのは酷なのでまだやらないにしても、祭りの終わり頃までに優しく言って治らないのならば、それはもう痛い目を見てもらうしかないだろう。その為にも、もう少し体力値は上げておきたいところだ。
「はー……」
主人の腕に噛みつく、という行為も、セーフティーエリアの中だから許されることだが、幼竜に区別があるわけはない。子供というものは概して、ここでは良いけど、あっちではダメ、というものを理解出来ないものだ。
状況を踏まえて判断するということが出来ないのだから、当然、セーフティーエリアでやっていることは外でもやるだろう。外でやられたら簡単に死に戻れそうだが、躾けるにはもっと大変な労力がかかる。気が滅入る話だ。
「お、ここ? 寂れてるねぇ」
雪花が顔を上げた先、獣医アルトマンが店を構える2階建ての雑貨屋がある。1階は特別な客。2階には誰でも自由に見ることの出来る小さな雑貨を扱っているらしい。
1階のベルを鳴らし、1歩下がればすぐに内側から扉は開いた。自分達を見て、最後に腕の中の竜を見る。竜を見た瞳は歓喜で一瞬輝くが、すぐに真面目な顔で自分達を中へと迎え入れた。
「孵ったんだね!」
「問題児ですけど、まあ」
一目見てアルトマンの店に入りたくなくなったらしい竜は、即座に自分にがっぷりと噛みついた。わかっていた流れなので、溜息を吐きながら自分は噛みついた幼竜を乱暴に剥がし、尻尾を掴んで逆さにする。
そのままがしがしと腹毛を撫でて虐めれば、くすぐったいのか、わたわたと短い手足をばたつかせる竜。そんな様子を見たアルトマンは、苦笑しながら台の上を片付けていく。
「生まれたてはどれもそんなものだ! まあ、その子は特に気性が荒いようだが、まあ君なら――大丈夫だろうね」
「どうも。そうだと良いですね」
『ぎゅう! ぎゅぅう!』
逆さにした竜を腕の中に戻し、噛みついた瞬間にまた逆さに戻す。知性がありつつも言葉が通じないのなら、犬の躾と同じように反復継続して〝してはいけないこと〟を覚えさせるしかない。
どんなに可愛くても、どんなに貴重な存在でも、御しきれなければ連れて歩けない。本末転倒になるくらいなら、自分は心を鬼にしてどんなことでもしてみせよう。
「おお、流石ボス」
『……ぐぅ』
最終的には何度やっても逆さにされるのが嫌で、竜は拗ねた声を出しながらも噛みつかなくなる。そうなった瞬間に、すかさず褒めれば大抵の動物はいい気になるものだ。
「よぉし、いい子だ」
竜もご多分に漏れず、ずっと意図的に逸らしていた視線を合わせて派手に褒めてやれば、嬉しそうに尾が振られる。
最後にはご機嫌で服にしがみつき、そのまま抱きしめてやれば更に嬉しそうな声で鳴く。元から懐かれているというのも手伝って、大人しくなった竜は素直に指示に従い、台の上にも嫌がらずに座ってくれた。
「ボス、犬の調教バイトでもしてたの?」
「知識だ。犬の躾かたをリアルで調べておいた」
竜を犬扱い……、と笑う雪花だが、アルトマンは満足そうに頷きながら竜を刺激しないよう、ゆっくりと分厚い本の数々を持ってくる。
「幼竜はそれくらいしっかり言い含めないと、野生に返すしかなくなる。手に負えない竜は手元に置いても身を滅ぼすだけだからそれでいい。愛玩動物じゃあないからね」
「それは砂竜、ニブルヘイムも言っていました。子供でも災害級の力を持ったモンスターだと」
「成竜だって、子供と属性の相性が悪ければ、癇癪1つで大怪我をすることもあるからね。そうなると、大抵、手荒く親の洗礼を受けるらしいが……まあ、簡単にはいかないさ」
君が今やっているように、最初はダメージを受けないセーフティーエリアでしっかりと躾けることが大事だ、とアルトマンはしみじみと頷いた。
続けて、分厚い本を広げて肝心の聞きたかった情報を開示する。音声メモとスクリーンショットを雪花が用意し、自分達はその本を覗き込んだ。
「ここのページ、そうだ。これだ。炎獄系の鎧獣竜種だ。橙色の鱗に深紅の獣毛。正式には獣竜目の〝有鱗獣竜亜目・脱鱗獣竜亜科・鎧獣竜種〟となる。鱗を持たない獣竜種が、毛を硬質化させて鱗をまとった珍しい種だ。基本的には防御も攻撃も出来る巨大な鱗で身を守りながら敵に突進していく種だが、幼竜の内は敵を察知すると丸くなって身を守ろうとする。丸くなると松ぼっくりのような姿になり、大抵の攻撃は受け付けない。魔法攻撃もだ。鱗の隙間から炎を吹き出し、移動も出来るし魔法攻撃の無力化も出来る」
長々と解説するアルトマンによれば、鎧獣竜種は、元々は鎧竜目なのか、獣竜目なのかが長らくはっきりしなかった種らしい。
今では、元が獣竜種であったから、という部分から、獣竜目の分類に位置づけられているようだ。その分類直しの際に有鱗獣竜亜目――つまりは、鱗を持った獣竜目という分類が新たに作られ、その後の生態の観察の結果、有鱗獣竜科・脱鱗獣竜亜科・砕鱗獣竜亜科というようにじわじわと細かな分類が増えていったらしい。
アルトマンが言うには、この竜は脱鱗獣竜亜科。特別な時にその巨大な鱗を脱ぎ捨て、一時的に全身を滑らかな獣毛で覆われた、獣竜種としての特性を取り戻す種であるらしい。
ちなみに一度取り払った鱗は再度毛を硬質化しなおし、大体、数日間で元の通りに生えそろうようだ。それはそれで凄い。
「もっとわかりやすい解説がここに乗っている。竜名鑑の316ページだ」
「えー、なになに? オルバニア大陸に生息する竜種?」
竜名鑑という分厚い図鑑をアルトマンから受け取り、316ページとやらを開いてみれば、確かに幼竜にそっくりだが、それよりも随分と巨大な竜の写真が写っていた。巨大な木々の間を堂々と練り歩く、大型のドラゴン。
その下には簡単な種の特徴という項目があり、ざっと目を通せば不安な気持ちが胸によぎる。
:オルバニア大陸の原生林に君臨する大型の竜種。体長は品種によって異なり、小型のものは1メートル程度。大型のものは最大で30メートルほどに達する。体高は低めだが、全身を覆う巨大な鱗を逆立てることによって、敵に大きな威圧感を感じさせる。
広大な森林を好み、食性は肉食。偏食のドラゴンとしても知られ、主に竜種の肉を異常に好み、〝竜殺し〟、〝共食い竜〟の異名も有名。基本は肉を好むが、例外的に果実はよく食べているところを目撃されている。
時には同種すら獲物にする。性質は獰猛で勇猛果敢。竜の中でも特に縄張り意識が強く、積極的にテリトリー内を巡回する。
巨大な鱗に覆われているのは上面、側面のみであり、腹、首、顎下、前後肢の裏側は柔らかな獣毛に覆われている。
「りゅ、竜殺し……」
説明を読み上げた雪花がひくりと、喉を鳴らし、大丈夫なのかとこちらを見る。早くも二頭飼育に困難の壁が立ち塞がったようだ。兄弟として育てれば大丈夫なのだろうか。いや、時に同種でも共食いをする、ということは、常に腹を満たしておかないといけないというわけなのだろうか。
「……マジか」
「何、家族だと認識させれば滅多なことでは食わん。ほら見てみろ、この牙が竜種の鱗を砕く。折れないように太く、短く頑丈に出来ている」
分厚い手袋をつけたアルトマンが、機嫌が良い幼竜の口を開けさせ、鋭く太い牙をこちらに見せる。確かに今までリアルの図鑑で見たどんな動物の牙とも似ていない形だった。
どう見ても折れそうにない頑丈そうな牙が、更なる不安を抱かせる。もう一頭の竜がどんな性格かにもよるだろうが、上手くいく保証はない。
「……仕方ないか」
「まあ、なんとかなるだろうよ。さて、仮契約のアイテムはこれだ。まだ大丈夫だろうが、じきにセーフティーエリアに弾かれるようになる」
早めに済ましておくといい、というアルトマンの手には黒い首輪のような金属の輪。卵の状態では契約が出来ないことから作られた、モンスターとの仮契約の為の補助アイテムだ。
卵の時は当然だが、生まれてからも言葉がはっきり理解できるようになるまでは、モンスターはシステム的に誰とも契約が出来ないようになっている。しかし、今回のように卵を手に入れ、そのモンスターをセーフティーエリア内で孵すこともあるだろう。
しかし、その場合、セーフティーエリアの中に未契約のモンスターの侵入を許すことになる。当然、ゲームシステム的によろしくないし、世界観的にも調整を取りたい運営が下した決断は、生まれたてのモンスターに対してのみ効果のある、特殊な仮契約システムの創造だった。
一部のNPCが保有しているアイテムと、契約したい対象のモンスターを連れて教会に赴き、直接神に許しをもらう。この一連の手順を踏んでようやく、正式にそのモンスターとの仮契約が認められると、アルトマンからは説明を受けた。
「綺麗だな」
受け取ったアイテムを光に翳しながらそう呟けば、竜も興味深そうにそれを見上げる。そういえば、名前も考えなくてはならないのだ。仮契約の時に必要だったはずと尋ねれば、名前と首輪、それと当たり前だが仮契約したいモンスターが必要だと返って来る。
「生まれてしばらくは、セーフティーエリアもモンスターを容認するが、早いに越したことはない。付き添いを務めるから、今から行こう」
「感謝します、アルトマンさん」
頷くアルトマンに礼を言いながら抱っこを要求する竜を抱きかかえ、その首に首輪をはめた。予想した反抗は無く、寧ろ気に入った様子でちゃりちゃりと首輪を弄る竜を抱え、自分はこれからの大変さを思い、重たい溜息を吐き出した。




